【じんぶんや第80講】榎並重行 選「哲学の怪しい出自」
紀伊國屋書店新宿本店3階の月がわりブックフェア「じんぶんや」、今月の選者は榎並重行さん。「哲学の怪しい出自」というテーマで、じんぶんやにエッセイをいただきました。
榎並重行さんエッセイ「哲学の怪しい出自」
系図の始祖は、もとより、身分高き貴族、王や皇帝が望ましい。更には半神=英雄となればこの上ない。近世西欧の地域で、長らく隣接するイスラム世界の下風に立つ境遇に甘んじていた諸族集団が、内部に競合する王権を抱えながらも、キリスト教教会の制度性の支配とローマ帝国の物語性の記憶を参照しつつ、ひとつの世界を構成しているという自己認知を持ち始めた時、胡乱な出自を気に病む成り上がりにありがちな行動、「系図買い」に出た。まず、その植民を受け、周縁に置かれていたという縁を頼ってローマ文明を中興の祖に、次いでそのローマがその先行性を認めざるを得なかったと覚しきギリシア文明を始祖に取る。いわば「世界の系図買い」――。ヨーロッパという名乗からしてギリシアに発するとなれば始祖の栄光はすなわち我が栄光とばかり。古代エジプト、オリエントの諸文明を大成かつ凌駕した、いわば文明の半神=英雄たるギリシアの事績を、系図への柱として積み載せる業務にも、尤もらしい名と報酬が用意されることになる――。すなわち歴史-学。
その後、近代に至って、「絶対精神」(類としての人間の精神)の、反対物をも利用した「弁証法」流の発展(ギリシア民族にその顕現を、ゲルマン民族=プロイセンにその頂きを見るに至る)の表現たるべき「世界史」という、ほとんど誇大妄想気味の形而上の自惚れをまことしやかに語る歴史-哲学が、その上に乗って指揮をとる事態が生じる。今や、ギリシア文明、わけてもそこにおける哲学の形成こそ、人間精神の理性の輝ける露頭になされるべき理由が与えられた。
現在、われわれの前に置かれてある「ギリシア哲学」という哲学の始祖像には、従って、その出自に関して二重の疑惑が絡み付いている。すなわち、――この像は、「世界史」という着ぐるみのなかで観念の汗を流しつつ歴史哲学がやっていた、ギリシアから伝来のあれこれの言説断片の継ぎ接ぎ細工、要するに贋作なのではないか?――それ故また、この像から辿っている限り、いわゆるギリシア哲学からして今もってそれ自身の歴史における出自について探求も考察もほとんど試みられていないも同然なのではないか?
哲学の、この二重に怪しい出自に、もはや公然と関心を向けてしかるべき時だろう――。われわれがかの「世界史」の終焉(?)の後にいるのであれば、あるいはそれを後にすることに怖れを抱いていないのであれば......。
榎並重行(えなみ・しげゆき)さんプロフィール1949年東京生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業。高校時代からニーチェに親しみ、大学でM・フコーに遭遇。以来、ニーチェとフコーの系譜学を駆使して独自の思索を深めてきた。著書『細民屈と博覧会』『「新しさ」の博物誌』『流行通行止め』(共に三橋俊明との 共著、JICC出版局)、『ニーチェって何』『危ない格言』『異貌の成瀬巳喜男』(共に洋泉社)
この孤高の哲人を見よ!思考することの危うさに挑みつつ現代を徹底的に批判し、すべてに鉄槌をくだすおそるべき反時代的考察。【Bookweb書誌より】
榎並重行さん選書・コメント
ミシェル・フ-コ-講義集成 13 コレ-ジュ・ド・フランス講義1983-1984年度
ミシェル・フ-コ- / 筑摩書房
2012/02出版
ISBN : 9784480790538
価格:¥6,372(本体¥5,900)
榎並重行さんコメント 「ヒストリア」の原義(書き記された報告)を余すところなく感取させてくれる書。ギリシア文明の(実際は、勿論すべての文明がそうなのだが)混淆性の出自を、かなりあけすけに伝える記述が多い。哲学に関してもその例外としない。
「歴史の父」の名を冠されるギリシアの史家が述べる,前五世紀のペルシア戦争を頂点とする東西抗争,東方諸国の歴史.著者は,ギリシア人と異邦人とが果した偉大な事跡,両者が争うに至った原因を後世に伝えるべくこれを書いた.何よりもまず正確さが重視され,豊富に織りこまれた説話は長巻を飽かず読ませる魅力をもつ.
榎並重行さんコメント その題名にもかかわらず、ギリシア古代に「自然哲学」の故郷を措定することの怪しさが、率直に読めば、よく分かる。要するに、ここにあるのは自然をめぐる感想の術の片々であり、思考を混乱、散乱させない工夫の事例であって、しかもそれらの出自は古代の文明に辿り得るものだろうなら──。
第2巻は、エンペドクレス、ピロラオスなど4人を収録。
第3巻は、レウキッポスとデモクリトス2人の原子論者を収録。
榎並重行さんコメント ギリシア・ローマ期における哲学への関心が、認識とその真偽をめぐる判定。洞察ではなく、都市国家のなかに生起する争論や論難を介して、知恵とその言説、実践への移し込れの実演性の様態が、問題性を闘技の場とする格闘競技性の優越や卓越の境位をもたらあすあり方に向けられていたことの、事例の数々がここに伝えられている。
原題は「哲学において著名な人々の生涯およびその学説」といい,全部で八十二人の哲学者をとり上げる.ソクラテス,プラトン,アリストテレス,ピュタゴラス,エピクロスなどが登場.この種の文献のうち現存最古の貴重な史料であるとともに,ふんだんにちりばめられたエピソードが無類の読み物となっている.
三世紀前半の著。
古代ギリシアの哲学者82人の生活、学説、エピソードなどを紹介する。
本巻には、ピュタゴラス、エンペドクレス、ピュロン、エピクロスら、我々になじみ深い人物も登場、貴重な史料であるとともに描かれた人間像が無類に面白い。
ミシェル・フ-コ-講義集成 12 コレ-ジュ・ド・フランス講義1982-1983年度
ミシェル・フ-コ- / 筑摩書房
2010/04出版
ISBN : 9784480790521
価格:¥6,372(本体¥5,900)
ブラック・アテナ 1 古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ル-ツ
マ-ティン・バナ-ル、片岡幸彦 / 新評論
2007/05出版
ISBN : 9784794807373
価格:¥7,020(本体¥6,500)
マ-ティン・バナ-ル、金井和子 / 藤原書店
2004/06出版
ISBN : 9784894343962
価格:¥5,184(本体¥4,800)
「元来が本質的に「黒いアテナ」だったのを「白いアテナ」に変えたのは1785年に始まるドイツを中心とした「ヨーロッパ、西洋」の歴史の「偽造」だと、これもまた強力、鮮烈に主張した。」(小田実氏)。「途方もない大作」(『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』)。「真剣に受けとめなければならない問題を提起」(『タイムズ文芸付録』)。[出版社サイトより]
マ-ティン・バナ-ル、金井和子 / 藤原書店
2005/11出版
ISBN : 9784894344839
価格:¥6,048(本体¥5,600)
考古学・言語学・文献・神話すべてを総合した緻密な考証から、人種差別の産物「古代ギリシアのアーリア起源」を否定し、「フェニキア・エジプト起源」を立証、欧米界に一大センセーションを巻き起こした野心作。[出版社サイトより]
ともにプラトン(前427‐347年)初期の作であるが、芸術的にも完璧に近い筆致をもって師ソクラテスの偉大な姿を我々に伝えている。
「じんぶんや」とは?
こんにちは。じんぶんやです。
2004年9月、紀伊國屋書店新宿本店に「じんぶんや」という棚が生まれました。
「じんぶんや」アイデンティティ1
★ 月 が わ り の 選 者
「じんぶんや」に並ぶ本を選ぶのは、編集者、学者、評論家など、その月のテーマに精通したプロの本読みたちです。「世に溢れかえる書物の山から厳選した本を、お客様にお薦めできるようなコーナーを作ろう」と考えて立ち上げました。数多の本を読み込んだ選者たちのおすすめ本は、掛け値なしに「じんぶんや」推薦印つき。
「じんぶんや」アイデンティティ2
★ 月 が わ り の テ ー マ
人文科学およびその周辺の主題をふらふらと巡っています。ここまでのテーマは、子どもが大きくなったら読ませたい本、身体論、詩、女性学...など。人文科学って日々の生活から縁遠いことではなくて、生きていくのに案外役に立ったりするのです。
ご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。
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【じんぶんや第80講】榎並重行選「哲学の怪しい出自」
場 所 紀伊國屋書店新宿本店 3Fカウンター前
会 期 2012年5月16日(水)~6月中旬
お問合せ 紀伊國屋書店新宿本店 03-3354-5703