さて元旦。あけましておめでとうございます。
昨年最後の記事は少子化問題を考察してるうちにうっかりフェミニズムの矛盾や自分の立ち位置に気づいた驚きを書いたのだが、思いの外たくさんの人に読んでいただいて非常にありがたいなと思う。
さてしかし肝心の少子化問題については書ききれなかったので、今年最初の記事はそれについて書いておこうかと思う。
というのも、ちょうど 日本の人口が7年連続減 減少幅は過去最大 という記事が目に入ったからである。
昨日の記事の繰り返しになるが、ゴリラのオスは3人程度のメスをめとり、ハーレムを構成する。ただ生まれてくる子供の雌雄はほぼ同数なので、計算上は6割程度、実際には5割程度のオスが余って男社会を形成する。
チンパンジーはというと、ゴリラのようなハーレム構造ではなく乱婚型で、たいていのオスには交尾の機会があるそうだ。ただオスは性成熟を迎えると群れから離されるなどして、かなりのオスが死亡するようだ。結果的にオスメス比率は1:2程度になるらしい。雌雄同数生まれると仮定すると、やはりここでも5割のオスは余りということになる。
人間の性行動はゴリラとチンパンジーの中間だそうである。ゴリラほどハーレム構造ではないが、チンパンジーほど乱婚でもない。
さて人間も類人猿だ。ゴリラもチンパンジーも5割のオスは群れにとって「いらないオス」である。ということは人間のオスもまた5割程度は「いらない男たち」になるのではないか、というのは考えられまいか。
いやそうはいってももっと多くの男性がこの人間社会ではパートナーを見つけ、一夫一婦制を構築してるではないか。そう思う人もいるだろうが、冷静に考えてみよう。フェミニズムに興味を持ったのはこのへんだったのだが、そもそも女性は二級市民的扱いを受けてきた被差別者である。人間の歴史を紐解けば、ついぞ数十年前まで女性は男性の所有物とされ、資産として取引すらされていた。
今でも年齢層の高い人たちは男社会である。今でこそ(不景気の影響もあって)女性の雇用も進んでいるが、昔の女性は男性の収入に頼らねば生きていく手段はほとんど残されてなかった。
高齢離婚が目立つのも、今の時代なら女性一人でも生きていけるようになったからであろう。そう、要するに女性たちは非差別階級であったがゆえに、5割に相当する「いらない男たち」とも「我慢して結婚していた」のである。
実際、婚姻関係に不満そうな女性に何人か離婚しない理由を聞いてみたのだが、おおむね答えは「離婚したら生活できないから」であった。男性の魅力に応じて婚姻関係を結ぶのではなく、生活のために婚姻関係を結ぶ女性たちは、女性差別の激しかった時代に近い人ほど多い。
実際のところ、経済力というのは男性の魅力としてたいへん強く発揮される。実家が一軒家で土地持ちであることを明かしたとたんに態度が豹変する女性たちを幾人も見たことがあるし、タイでは現地の男性よりはるかに経済的強者である日本人男性はよくタイ人女性に好かれている。
もっとも、これをもって彼らの愛情が嘘であるなどと言うつもりはない。犬や猫も餌に釣られて人間に飼われるが、人間と犬猫の間にはすばらしい友情や愛情が育まれることは知られている。魅力と愛情形成とは相関はあれどまた別の話なのである。
さてしかし性差別が是正され、女性にも雇用の道がひらかれた今となっては、こうした経済力は魅力としてずいぶんと減じられてしまっている。実際に数字を見てみると、日本では30代でおよそ半数の男性が結婚経験があることがわかる。やはりゴリラやチンパンジーと同じ5割程度という数字がここでも出てくるのである。
そもそも女性から見て魅力ある男性が5割しかいないと考えると、現状の婚姻率も納得できるわけである。堅苦しく語るのもなんだし、この魅力ある男性を「リア充男性」、そうでない男性を「非モテ男性」と呼ぶことにしよう。
人間社会では強烈な倫理的束縛が存在しており、その一つが「一夫一婦制」という原則である。リア充男性は本来ハーレムを構築できるはずなのだが、この強烈な倫理的束縛により実際に作れているリア充男性はさほど多くはないと見られる。
かといって非モテ男性にはそもそも男性としての魅力がないので、女性が選ぶ理由はない。経済力の無い女性が経済力のある非モテ男性と結婚する事例はあるだろうけれども、経済力が同等以下なら結婚する理由がないのである。
となると、女性も余ることになる。これがいわゆる喪女であり、非モテ女性である。5割のリア充男性から正妻もしくはハーレムの一員に選ばれなかった女性たちだ。
非モテ男性はそもそも結婚しても経済力で縛り付けるくらいしか婚姻関係を維持するのは難しい。そこで愛情形成ができるようなコミュ力の高い非モテ男性なら可能性はあるのだろうけれども、おおむね女性に我慢を強いることになるであろう。
と、ここまでが人間の性行動の現状分析である。ここからは、それを踏まえた解決策を探っていこう。
少子化を解決するための古くて新しいモデル
ここでひとつ確認しておかねばならないのは、人口減自体にたいした問題はないという事だ。日本はそもそも人が多すぎるので、減るのはちょうどいいくらいなのである。が、その速度が問題だ。このままでは国の年金制度は完全に崩壊するであろうし、そうなればライフプランというのは成り立たない。どうにか軟着陸する程度には人口減少の速度を落とさなくてはならない。
さて前項で見てきた人間の性行動と現状を考えるに、
大別すればこの2つしか解決策は無さそうである
実際には粛々と少子化問題を解決しているフランスなどの事例をそのまま持ってくればいいだけのことなのだが、日本の政治家はみなアホばかりなので真似することすらできないでいる。ここではしょうがないので民間だけでできる方法を考えることにする。
結論から言うと、上記2つの方法を同時に実現するやり方がある。母系社会への回帰である。日本の昔の農村では、その家の娘が生んだ子供はその家の子供として育て、父親が誰であるかはあまり問われなかったそうだ。そのやり方に立ち戻ればいい。
今でも女性は割と実家の親と仲がいいパターンが多い。実家で子供を産み育てればいいのである。そして3人程度の男性からそれぞれ3人の子供を産み、3人の男性から養育費をもらえば自分の稼ぎとあわせて充分に子供を育てて生きていけるであろう。
この方法ならリア充男性は仮想的にハーレムを構築できるし、非モテ男性も3人のうち1人くらいなら妥協してもらえるかもしれない。リア充男性にも非モテ男性にもチャンスが広がり、女性にとっても嫁姑の問題など起きずに住み慣れた実家で子育て可能な上に生活費を稼ぐ男性が3人になることで、より安定度が増す。実家の親たちも孫がかわいくないわけがないので、育児に協力してくれるだろう。
現状でも婚姻可能なリア充男性たちは今のままでもいいが、非モテ女性や非モテ男性はこうしたやり方で子供を産み育てることでメリットが生まれる。わずらわしい夫婦関係にとらわれなくてすむし(そもそもそんなのに向いてないから非モテなのである)、少し離れたところに家族ができる。薄い愛情空間が形成されるだろう。
男性の家事育児参加などは、従来の意味での家庭を構築可能なリア充男性に任せておけばいい。非モテ男性はそもそも向いてないから非モテなのだ。こうした「別居家庭」に「3分の1だけ参加」すればいい。それくらいならできるはずだ。
こうした薄い愛情空間の別居家庭のメリットは、そこにセクシャルマイノリティの人たちも参加しやすいことである。以前読んだ漫画で、愛し合ってたゲイカップルの片割れが死に、彼の残した子供とその母親を支えるゲイ男性の話を読んだことがある。そのような関わり方も母系社会であればやりやすいのではないか。
我々には家族が必要だ。もっと言えば、帰るところが必要なのだ。帰る場所を探しに行こう。誰かの帰る場所になろう。新しい家族を作り、命を紡いでいこう。
そのためのモデルはきっとひとつじゃない。俺の考察が新しいモデルを考える参考になれば幸いである。
追記:関連記事
そういえばこんなことも書いてたなあというのを思い出したので関連記事として