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おかしな転生 作者:古流 望

第29章 イチゴタルトは涙味

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306話 無言のプレッシャーと政治屋

 王都の中の一角。

 貴族街の端にあるそこは、神王国において知の集積地とされている。

 俗に王立研、正式名称を王立ハバルネクス記念研究所と呼ぶそこは、常に四百人近くの研究者と、二千人を超える職員を抱える街の中の街。スモールタウンとでも呼ぶべき一種の隔離空間は、知識の黄金卿を求めて日夜研究に明け暮れている。


 その研究所の中心にある建物に、一人の少年が訪ねてきた。

 青銀髪を優雅に流し、立ち居振る舞いは洗練そのもの。一挙手一投足に深い教養と高度な教育を感じさせ、ともすればどこぞの王子様かと思うほどの美男子。柔和な笑顔を浮かべながら、堂々と闊歩している男前。

 誰あろうペイストリーである。

 彼は、研究所のトップとの面会の為、わざわざ領地から足を運んだのだ。


 「お世話になります」

 「これはこれは、モルテールン家の御子息がお越しとは、光栄です。遠いご領地からご足労を頂きありがとうございます」


 建物の一室、高位貴族や上得意が優先して通される最上級の応接室に、ペイスは通された。王族専用のスペースを除けば、ここに入れる者は数少ない。

 ましてや十代そこそこで来る人間など中々無いのだが、彼は当然のように存在していた。

 対面するのは、研究所の所長である。


 「モルテールン家の御隆盛は世事に疎い私の耳にも入っていまして、ご活躍のほどはかねがね伺っております。私もモルテールン家を尊敬する一人として、ご活躍の噂を聞くたび我がことのように喜んでおりました」

 「ありがとうございます」


 所長は、指紋を消し去るような勢いで揉み手をしている。

 当人は世事に疎いなどとほざいているが、とんでもない。元々世事に疎く、自分の専門分野以外にはあまり興味を持たない研究者たちの中にあって、例外的に世事に通じたからこそ所長になれているのだ。

 研究成果ではなく政治と世渡りで出世した男が、ペイスの目の前にいる俗事の塊である。


 「聞けば先ごろモルテールン家は子爵位を賜ったとか」

 「ええ、左様です」

 「男爵位を授けられてからまだ然程も経たぬうちに陞爵とは、いやはや素晴らしいの一言でしょう」


 大龍を討伐した功績を称え、モルテールン家は子爵位に陞爵した。

 十年前には貴族としても最下位の騎士爵であったことを思えば、破竹の勢いで貴族の階位を駆け上っていることになる。

 これ程に勢いのある家は他になく、何なら伯爵位を賜るようなこともあり得るのではないかというのがもっぱらの評判だ。


 「恐縮です。これも全て陛下の御心の深さ故でありましょう」

 「然り、我が君の懐は深く、我等臣民としても喜ばしいことでしょうな。そういえば、御手前の姉君もこの間ご結婚されたとか」

 「はい、末の姉がボンビーノ子爵家に嫁ぎました」


 モルテールン家五女のジョゼことジョゼフィーネが嫁いだのは、ペイスの感覚ではかなり前になるのだが、所長の感覚では最近のニュースに含まれる。

 元より情報伝達の緩やかな社会であるため、最新のニュースというものが一年や二年前の話であることはざらだ。人によっては、十年前のことでも最近と評価する。


 「南部貴族の紐帯が強まるという訳ですか。最近は南部の景気は空前絶後と言っても良い。素晴らしいことですな」

 「そうですね。レーテシュ伯を筆頭に、皆様方が力を尽くしているからこそでしょう」

 「なるほどなるほど。そういえばレーテシュ伯も研究所には常日頃から並々ならぬご尽力を頂戴しておりましてな」

 「はあ」


 さりげなく、レーテシュ伯との関係を匂わせる所長。

 南部に領地を持つ領地貴族としては、レーテシュ伯の名前は重い。少なくとも無視は絶対に出来ない。

 派閥の領袖とも懇意にしていると聞けば、モルテールン家としても多少は義理を感じて財布の紐を緩めるのではないか、という打算が見え見えである。


 「先日も、結構なご寄付を頂戴したばかり。聞けば、それも全てはモルテールン家の御蔭であるとか。モルテールン家とレーテシュ家はとても親しくしているのだとおっしゃっておいででしたよ」

 「レーテシュ伯がそのようにご評価下さっていることは光栄なことと存じ上げます」


 更に、駄目押しでモルテールン家へのお世辞を重ねる。

 国内でも五本の指に入る大貴族が特別に目を掛けていたのだと、他人から教えてもらったなら悪い気もしないだろう。教えた方にも好印象を持ってもらいやすい。

 所長の打算は、そんなところだ。


 「ええ、そうでしょうとも。おお、レーテシュ伯といえば、ご息女が産まれていたというのを聞きまして。御手前などは当然ご承知でしょうな」

 「勿論。御三姫とも健やかにお育ちですよ」


 南部で今話題の家といえば、一にモルテールン家、二にレーテシュ家、三四を飛ばしてボンビーノ家といったところだろう。後は団子だ。レーテシュ家の次世代ともなれば耳目を集めて当然であるし、モルテールン家のような立場なら尚更耳聡く居るはずである。所長は目の前の少年がレーテシュ家の娘のことを知っているはずだとして話を進めた。

 それを受け、ペイスとしても更に一歩踏み込んだ話題を提供する。


 「おや、御息女は三人もおられるのですか」

 「三つ子で産まれてきたのです。その時はかなり騒動になりました」


 レーテシュ家の娘が三姉妹であり、しかも三つ子というのは知らなかったと、所長は驚く。


 「ははあ、レーテシュ家もモルテールン家も、慌ただしさが日常なのでしょう。それだけお家が繁栄しているということでもあるのでしょうが、我々などは毎日が変わり映えもしません」

 「そうですか」


 世間話もここいらで良かろうと、所長は話を改めて自分の都合のいい方向へ誘導し始める。


 「そういえば最近では、王都でオークションもありましたな」

 「ええ」


 当然、王都であった競売のことなども承知している。知らない方がおかしい。

 モルテールン家の御曹司を最上級のもてなしで出迎えたのも、それがあってのことだ。一説によれば百万枚以上の金貨を一夜で稼ぎ、王都どころか神王国中から現金を払底させたという噂まである。

 経済については王立研も多少は専門家が居るわけで、所長としても噂以上のことを事実として確認していた。

 百万枚以上とまでは怪しいが、限りなくそれに近いほどの大金を稼いでいたという事実だ。

 研究というのはそもそも金食い虫である。大口の研究支援者はいつだって募集中であり、モルテールン家の様にあぶく銭を稼いだ相手は良いカモだ。

 出来ることならそれなりの寄付を分捕って、或いは引き出して、自らの勢威を強めたい。所長はシンプルに金が狙いだった。

 オークションについての話題を口にするのも、モルテールン家を煽てて持ち上げつつ、お金の話に持っていきやすいからだ。


 「あれのおかげで、我々も恩恵を受けております。モルテールン様様ですとも」


 改めて、モルテールン家を褒めちぎる作戦に出た所長。

 といっても、事実をそのまま口にしつつ、適当に大げさに言うだけでことは足りる。


 「恩恵? 大龍がですか?」

 「左様。龍素材が各所から持ち込まれましてな。幾つかの研究室が成果を競い合うようにして研究に励んでおります」


 研究所は、生産する場ではない。どちらかといえば消費する場だ。

 色々と試行錯誤をする為に、材料も資材も有れば有っただけあり難いし、その為に必要なお金も多ければ多いほど良い。

 そもそも、研究というものは失敗を前提にするもの。どれほど有望な研究であっても、全てが全て成功し、利益を産むとは限らない。十に一つ、いや百に一つの大成功を探し当てるために、九十九の失敗を積み重ねるのが研究というものだ。

 だからこそ、成功した研究やその過程は大々的に宣伝するもの。

 モルテールン家の功績で手にした龍の素材が、大きな研究成果を生んでいるとアピールすれば、モルテールン家の御曹司も悪い気はしないだろう。

 実にゲスい思惑が多分に含まれた所長の言葉に、ペイスは感心したように頷く。


 「成果は出ていますか?」

 「勿論ですとも。例えばそうですな、最近ですと龍の鱗加工について、一定の成果が出ております。鉄の溶銑の際に龍の鱗の粉末を加えた所、明らかに頑丈さが増したという研究です。これなども私が苦労して手配したのです」

 「なるほど」


 実際、研究所全体としても、今最もホットな研究テーマが“大龍”であるのは事実だ。

 素材としてはこれまでには存在しなかった素材であり、文献上においては伝説上の存在であり、宗教的には神聖な存在でありながら災厄の象徴であり、経済的には動く金塊にも等しく、政治的には神王国の権威と実力をこれ以上ないほど高めた存在。

 科学的な実学を筆頭に、神学や哲学などの理学、政治などの社会学にも大きな波紋を投げかけた大龍。

 今まで停滞していた学問分野であっても、一気に進展がみられる場合もあると、所長はいう。


 「他にも細かい成果は幾つも出ています。陛下からも、龍に関する研究についてモルテールン家に隠し事をするなと厳命されておりますから、何でもお教えいたしますよ?」


 モルテールン家と王家の間では約定が交わされている。それは、龍の研究に関しては全てをモルテールン家に公開するというもの。

 ペイスが裏で手を回して仕組んだ交渉ではあったが、実際問題としてもしも億が一もういちど大龍が出たとするならば、対処するのにモルテールン家の助力を受けないわけにはいかないという思惑もあった。

 一度現れた以上、既に大龍は文献だけの伝説ではない。現実に存在する災害なのだ。低い確率であっても備えをしないのは為政者として怠慢だ。

 というのは、ペイスが王とその周囲を説得した言葉である。

 所長としても、口外無用と含みおきつつも交渉結果については知らされていて、こと大龍に関わる研究であればモルテールン家に隠すことは無い。

 ただし、寄付金次第で、である。

 隠したいわけでは無いのだが、スポンサーのたっての意向であり、そこは研究継続の為という大義名分を使えるのだ。と、所長は考えている。


 「それはありがたい。勿論研究内容については全て伺おうと思っております。しかし、今日は別の要件がありまして」

 「別の要件?」


 しかし、何やら雲行きが怪しい。

 ニコニコ顔の少年のあどけなさに、一抹の不安がよぎる。


 「実は、寄付を行いたいと思っております」

 「ほほうそれはそれは」


 気のせいだったか、と懸念は脇に置く所長。

 わざわざここまで手練手管を使わせて勿体ぶったのだから、半端な寄付では済まさない覚悟である。


 「幸いにして当家は“臨時収入”がありました。喜びは皆と分かち合ってこそではありませんか?」

 「素晴らしい心がけですな。見習いたいものです。分かりました、そういうことであれば私がご案内いたしましょう」

 「所長自ら、ですか?」

 「ご不満ですか?」

 「不満などとんでもない。では、外にツレを待たせておりますので、その者と一緒にお願いします」

 「分かりました」


 勝った。

 ここまでくればもうこっちのものだろうと、内心で喜ぶ初老の男。

 膨大な金を持つモルテールン家の寄付ともなれば、最低でも金貨十枚、いや二十枚か。もしかしたら百枚以上ということもあり得る。

 うきうきとした気分で、モルテールン家の同伴者と対面した瞬間。


 「げえ!! ソキホロ……卿」


 思わず、失礼な態度を取りかけてしまった所長。

 外で待っていたモルテールン家の同伴者とは、貴族であったのだ。それも、王立研究所の研究員“だった”男。優秀さ故に当時の上司に疎まれ、成果を横取りされた上で左遷。その後も長く虐げられていたのだが、モルテールン家に引き抜かれて以降は大活躍している、という噂だ。

 何あろう、当時の上司とは今の所長であり、左遷も彼の手によるもの。

 つまり、明らかに恨みを持っている相手ということ。こんな人間を何故ここに連れて来ているのか。困惑と焦燥が男の胸中を埋める。


 「所長はご存じだと思いますが、ソキホロ卿は実に優秀な人材ですので、当家に迎え入れたのです。優れた頭脳と知識で、当家の施策に大いに貢献して頂いておりますよ」

 「そ、そうですか」


 待遇は、王立研究所に居た時の二倍や三倍では利かない。王立研の所長よりも遥かに良い待遇で雇い入れているし、何ならモルテールン家を通じて王族と直接繋がれる政治的地位も持つ。所長は認めていないが、余の研究員からすれば垂涎の立場であることは疑いようがない。既に、王立研所長とソキホロ卿の立場は逆転していると言っても過言ではないのだ。

 無言で睨みつけてくる(ソキホロ)に、居心地の悪さを感じる初老の政治屋。


 「今回の寄付の件、全てソキホロ卿に諮るつもりでおりますので、その点お含みおき下さい。よろしいですね?」

 「……承知しました」


 ペイスは、いつも以上に輝いた笑顔を見せていた。


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