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兵庫県文化賞受賞者 -新谷琇紀さん-





平成14年度 兵庫県文化賞受賞

  彫刻家新谷琇紀さん

    イタリアで触れた機微は愛の心言葉を超えるコミュニケーション





 
 昭和12年神戸生まれ。父は彫刻家の新谷秀夫氏。県立御影高校在学中に「関西総合美術展」に初出品、初受賞し、彫刻家への決意を固めました。
 金沢市立美術工芸大学卒業後、イタリアのアカデミア・ベルレ・アルテ・ディ・ローマに留学。巨匠エミリオ・グレコ氏などからイタリア芸術の真髄を学びました。
 帰国後は個展や父妹との家族展、グループ展など百回を超える展覧会を開催しています。都市環境と彫刻の調和を求めた彫刻制作にも熱意を注ぎ、街角芸術に貢献。
 昨年は前兵庫県知事の貝原俊民氏の肖像を制作、作品は県公館に展示してあります。

平成元年神戸市文化奨励賞、

平成11年神戸市文化賞受賞。

神戸女子大学文学部教授。

神戸市在住。65歳

 「親父は金沢出身の彫刻家で、故郷の古い町に反発したのか、神戸のハイカラさが好きでした。小さい頃、親父が買ってきてくれたお土産は、いつも『ドンバル』のパンにブルーチーズ。気が向いたらフレンチトーストやハンバーグを作ってくれました」
 戦前の古き良き時代の神戸。モボ・モガのハイカラな両親の元で育った新谷琇紀さん。彫刻家の父は極めてユニークな芸術教育を幼い琇紀さんに施しました。
「三歳ごろかな。親父がクレパスを手に持って、部屋を一周して部屋の壁やら襖にぐるりと線を引いていくんです。それでお前も描けってね。障子も指でプスプスと、いっぱい穴を開けていって、これもお前もやれって。子供にはおもしろいですよ。ただ母親には後できつく叱られましたが…」
 当時、毎晩のように訪れて父親と晩御飯を食べていたのが、異人館の油絵で有名な小松益喜さんでした。酒を酌み交わす二人の芸術家は、琇紀少年の描く絵を大いにほめてくれたそうです。アットホームでしかも高尚な芸術環境のなかで、琇紀さんの芸術的な関心や才能はどんどん進化していきました。
「金沢市立美術工芸大学に進学してからは、描いたスケッチブックを積み上げると自分の身長(百七十五センチ)の高さになるほど、一生懸命勉強しました。親の七光りと言われるのが、嫌だったからね。朝一番に学校に行って、守衛さんが帰れという午後七時までねばった。ストーブで燃やすものがなくなったら、壊れて捨てられた椅子を拾ってきて燃やしたり、針金につるした芋を焼いて食べたりもしました」
 しかし、真面目一方の学生ではなかったようです。下校した後は、ハワイアンやウエスタン音楽に夢中でバンドを作って演奏したり、関西弁でお笑いのステージに立ち、客に大受けしたり、ときには悪童のように羽目をはずして大騒ぎを起こしたりと、大いに青春を楽しんだ新谷さんでした。
 卒業後しばらくして、新谷さんはイタリアに留学する機会を得ました。
「イタリアで機微にふれた思いがします。やっぱりアモーレ(愛)ですよ。イタリアには様々な国の人々が集まってきている。言葉を超えた機微でコミュニケーションが成り立つんです。彫刻も絵も海も空も何もかもにアモーレが感じられました」
 五年間の留学の後、帰国。日本ではヨーロッパと異なり、街のなかに設置された彫刻が景観とマッチしていないことに心を痛めた新谷さんは、都市空間と彫刻の調和を目指した彫刻の制作に意欲を注ぎました。
 冒頭の「アルバ像」は、新谷さんのそんな思いが結実した作品です。金色に輝くこの作品は神戸市民に最も愛される彫刻の一つです。
 昨年、新谷さんは前兵庫県知事の貝原俊民さんの胸像を制作しました。
「貝原さんはイタリアのボラーレ(澄んだ青い空)のような透明な声の持ち主なんですよ。私はその声が聞こえるような胸像を作りたいと思いました」

 最後に、新谷さんに今年の抱負を語ってもらいました。

「二年前から、酒もタバコもやめました。芸術家は、ぐうたらではいかんのです。一日でも長生きして、一つでも多くの作品を残し、私が教わったものを若い人に伝えなくてはと思っています」






up date 2004/05/08

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