先日、私の職場に、社会福祉協議会の人が来ました。
児童が集めた募金を回収しに。
そして、車いすの私を見つけ
「お友だちがいっぱいいるから、こんど社協に来てね」
と言われました。
は?意味分かんない・・・
と思いつつも
「はい」
と答えました。
その数分後、社協の人たちが呼んでいるということで、校長室に呼ばれることに。
授業もはじまっているのに、、、と思いつつ、顔を出す。
社協の人は私が児童だと勘違いしたようで、教員だということを教頭から聞き、謝りたい、とのこと。
まぁ、私、小さいから、子どもと間違えられても仕方ないよね。
すると社協の人からの一発目の質問がこれ。
「ボランティアで働いているのですか?」
カチン。
すぐさま教頭が
「いえいえ、英語教員として、ちゃんと働いてもらっています」
と答える。
その次の質問、、、
「どこの施設にかよっているのですか?デイサービスなど」
は???本当に意味がわからないんですけど。
確か、今、私が働いている、って教頭から聞きましたよね?
「特定の施設には属してません。仕事もありますし。イベントに参加したりはしてますが」
と答える私。
「ではぜひ、今度社協に来てくださいね」
と言われる。
社協のこの人は、障がい者がちゃんと給料をもらって働いてる、働ける、だなんて思っていないのです。
こんな人が障がい者の支援をしているだなんて。
さらにこの人は、障がい者にいっぱい関わっていて、自分は障がい者のことをよく知っている、障がい者のためにいろいろやっている、そう思っているのでしょう。
だからこそ、こんな発言が出るわけで。
障がい者の本当の意味での自立、障がい者が社会の中で生きていくことを、この団体は考えていないのですね。
施設に通ってもらうことこそが、障がい者の幸せでもあり、障がい者にはそれ以外の道はない、そう言っているようにも私は聞こえます。
本当にいやだ。
怒りもこみあげてくるし、悲しすぎる。
この人たちに私の大好きな子どもたちの募金を預けたと考えるのも、やだやだ。
でも無気力にならず、障がい者は働ける、ということを証明し続けていきたいと思います。
児童が集めた募金を回収しに。
そして、車いすの私を見つけ
「お友だちがいっぱいいるから、こんど社協に来てね」
と言われました。
は?意味分かんない・・・
と思いつつも
「はい」
と答えました。
その数分後、社協の人たちが呼んでいるということで、校長室に呼ばれることに。
授業もはじまっているのに、、、と思いつつ、顔を出す。
社協の人は私が児童だと勘違いしたようで、教員だということを教頭から聞き、謝りたい、とのこと。
まぁ、私、小さいから、子どもと間違えられても仕方ないよね。
すると社協の人からの一発目の質問がこれ。
「ボランティアで働いているのですか?」
カチン。
すぐさま教頭が
「いえいえ、英語教員として、ちゃんと働いてもらっています」
と答える。
その次の質問、、、
「どこの施設にかよっているのですか?デイサービスなど」
は???本当に意味がわからないんですけど。
確か、今、私が働いている、って教頭から聞きましたよね?
「特定の施設には属してません。仕事もありますし。イベントに参加したりはしてますが」
と答える私。
「ではぜひ、今度社協に来てくださいね」
と言われる。
社協のこの人は、障がい者がちゃんと給料をもらって働いてる、働ける、だなんて思っていないのです。
こんな人が障がい者の支援をしているだなんて。
さらにこの人は、障がい者にいっぱい関わっていて、自分は障がい者のことをよく知っている、障がい者のためにいろいろやっている、そう思っているのでしょう。
だからこそ、こんな発言が出るわけで。
障がい者の本当の意味での自立、障がい者が社会の中で生きていくことを、この団体は考えていないのですね。
施設に通ってもらうことこそが、障がい者の幸せでもあり、障がい者にはそれ以外の道はない、そう言っているようにも私は聞こえます。
本当にいやだ。
怒りもこみあげてくるし、悲しすぎる。
この人たちに私の大好きな子どもたちの募金を預けたと考えるのも、やだやだ。
でも無気力にならず、障がい者は働ける、ということを証明し続けていきたいと思います。
Ads by livedoor
コメント
コメント一覧 (8)
珍しいんですよね、実際。
だからこそ+にも-にもなりうる。
そこんところをなるべく+になれるよう、そして相手の反応をこちらがフラットな状態で感じられるよう私はこころがけてるよ。
それにしても、まだ児童に見られるなんて羨ましい(笑)私最近はよくて「小さいお姉さん」だもん!
つーかさ、「お友達」ってなに?障害を持つ人は自動的に友達方式?ふざけているな、マジで。友達かどうかは、そいつ次第だろ?共通項があるということで、「友達」っていっているんだろうけど、まぁ、痛いよな。発言が。お友達になってあげて、とかじゃないからな。
まぁ、こういう機会だからいうけどさ。俺や首里高校の人間はそういう意味では、お前が身近にいることで「意識の壁」を無意識のうちに取っ払われた、貴重な経験をさしてもらったと思っているよ。そういう意味で、普通学校に障害をもつ人がもっと進学してほしいし(設備やフォローに諸々課題はあるだろうし、俺が想像できないほどの苦労はあると承知しているけど)、お前が教職をし続ける意味は、生徒やPTAや地域に対して、直接指導・教育だけでなく、その影響とか波及が少なからずあるはずだよ。
お前に使命感うえつけてもしぁーないけど。ムカついても、後々結果はでるんだ目に見えない形で。ようはがんばれってことだ。
ほんと、あなたの存在がノーマライゼーションにつながるはず。
この中に出てくる社協の人の言葉、なんか、人をこばかにしてる感じするね。いらっときたわ。
大抵の人の常識がさ、
・教師は子どもに教える存在で、子どもは 教わる存在。
・障害のない人は障害のある人を助けて あげる存在。障害のある人は助けても らう存在。
っていう、構図なんだよね。
私は今の養護学校に勤めるようになってから、むしろ
・子どもが教師に教えてくれる
・障害のある人から、障害のない人が助 けてもらうことだってもちろんある
っていう逆の発想に、自分の気持ちは近いんだ。そもそも障害があるとかないとかのくくりも、物事をつまらなくさせるよね。障害があってもどうしょうもない人もいるし素晴らしい人もいる。障害がなくてもそれは全くいっしょ。
私、なっちゃんの存在って、貴重だと思う。なっちゃんが普通に先生やるだけで、くだらない世間の常識がかなりぶっつぶせる気がするから
なんかむしろそういう人のが特別扱いするんですよねぇ。
普通でいいのにって思います。。。
気持ちがなかなかポジティブにはなれず、まずは怒りなのです。まったく、ふぅ。
>ぐ
コメントありがとう。そう言ってくれるだけで、本当にうれしい。もっともっと障がい者に社会に出て行ってほしいけど、現実は・・・障がい者本人も、周りも変わってほしいものです。変えます。
>セバ@うちなーぐち10期目、琉舞も始めた
すでに10期?講師になれますね、笑。琉舞もだなんて、すごいです。
私の存在そのもので証明してきます!!笑。
>ゆりの
ほんと、障がいがあるかないかのくくりって、つまらないよね。楽しくない。なんか、もっと、楽しくしたいよね。夏子、頑張って先生していくよ。そしてゆりのちゃんのような先生がいることが、本当に救いです。
>ぬまこ
本当にいらっとくるんだよね。やけに優しげ、上目線なのです。ぶーぶー!
脊髄炎で去年下半身不随になりました。しかし、今は危なっかしくも歩けるようになっています。
なちろーさんの生き方や言葉にはいつも励まされています。いろいろあるけれど、まけていられんよね。
宮崎の病院でつい最近ミニコンサートをしてきました。不自由ですが、持てる力を出し切ってわたしもがんばります!!
こんにちは。見てくれてありがとうございます。コンサートだなんて素敵ですね!私は今月長崎で講演会しますよ。
このブログにコメントするにはログインが必要です。