道重さゆみちゃんと自由恋愛社会

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横浜アリーナから一週間が経過するわけだが、わたしは未だにさゆロスが癒えない。人類は二度と塞がらない傷を負い疼痛をおぼえているのであり、茨の冠をかぶらされゴルゴダの丘に引き立てられるキリストを見送った後の心境なのである。土葬されて三日で復活するという奇跡は聖書の中でしか起こりえまいし、道重さゆみちゃんが20歳に戻る奇跡はない。一般人の25歳の道重さゆみちゃんが存在しているだけなのである。アイドルのキラキラした衣裳を着てステージに上がるのは苦しいにしても、生身の女としては、丁度いい具合の年頃でもあり、あたかも寿退社で去ったような印象すら残すわけである。道重さゆみちゃんは、自由恋愛社会へのアンチテーゼとして消費されてきた部分も大きく、つまり垂涎の品であり世界の至宝とも言える少女が、自由恋愛に身をゆだねずにアイドルをやっていたことが存在理由(レゾンデートル)の核心だったのだが、あまりにも交換不能な存在であるだけに、お役ご免という心境にもなれない問題である。20歳前後の道重さゆみちゃんの容姿に並び立つ人間が稀であるだけでなく、天才的なMCの能力や、賢明な人間性まで含めて考えると、これに代わりがいるわけがないのである。古くなったから新品に交換することで解決する類の問題ではない。もはや風紀の紊乱とは言えないくらいに自由恋愛が浸透している社会であり、そして自由恋愛とは、要するに新自由主義と同じで、富める者が富んでいくだけであるから、最下層の絶望は酸鼻を極めるのである。今後の道重さゆみちゃんの人生が困難だとすれば、あまりにも人間的な信頼を勝ち得過ぎたことである。小倉優子などは、レンタルのフェラーリに乗ってる金持ちに騙されてお泊まりしたりとかいろいろあったが、それでショックを受けるヲタもいなかったであろうし、今は普通に結婚して善男善女の一員となっているが、道重さゆみちゃんが同じように、あれこれと恋愛遍歴を重ねていくわけにはいくまい。自由恋愛が大地の隅から隅まで版図を広げているからこそ、天地開闢以来最も価値の高い美少女である道重さゆみちゃんがそれに参加しないことが、極めて特権的な特異点になったのだが、加齢によりアイドルを引退したとはいえ、25歳の一般人としてかなりの美人であるのは疑いようもなく、この生身の肉体を道重さゆみちゃんという賢者がどのように扱うのかが注目されているのである。小倉優子は何も背負ってないからいいが、道重さゆみちゃんは背負ってるものが多すぎるのである。道重さゆみちゃんは嫌われることがなくなり、声望が高まりすぎたので、その評判の高さゆえに今度は身動きが取れないという問題でもある。小倉優子なら橋本環奈と交換可能とも言えるし、女子としてコケティッシュの固まりであればいいのだから、この種のアイドルは供給が続くので、いつまでもアイドルを求められることはないのだが、道重さゆみちゃんは橋本環奈で代わりというわけにはいかない。キリストにせよ、釈迦にせよ、ソクラテスにせよ、人類の教師たる人物は自らの著作を遺していないのだが、なぜだろうと考えると、その人生そのものが著作だからである。文机にしがみつき羊皮紙に書き綴り理屈をこねたのではなく、人生そのものが教えなのであり、そして道重さゆみちゃんはまさにその系譜に当てはまってしまう問題である。あまり器用ではなく人間的な苦悩を抱えやすいという問題も含め、それがゆえに聖者となってしまうのである。いわば人類のために饗される生け贄と言うべき立ち位置を占めてしまったのであり、考えようによっては、これからの容姿の衰えも含めて、また苦悩を続けさせられるかもしれないのである。もちろん三年くらい沈黙して、道重さゆみちゃんが28歳になった頃には、さすがにわれわれも記憶が薄れているであろうし、そのあたりでひっそり結婚するというスマートな解決策もあるだろうが、人生そのものが畏敬の念を払われているからこその苦悩はあるであろうと思うのである。
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