2010年8月24日
琉球新報 落ち穂
助けられ上手は助け上手
「困っている人を助けましょう」と私たちはよく教えられる。では逆に「困ったら助けてもらいましょう」そう教えてもらうことはどれくらいあるだろう。
できないことも多い私は常に誰かに助けをお願いする。助けを求めることは、頭を使い、忍耐を伴う。少しでも思う通りにサポートしてもらうため、一つひとつの動きを細かく説明する。また人によってはお願いの仕方を変える必要がある。なぜなら「手伝って」と言われると「自分のことは自分でやってよ」と思ってしまうも人もいるからだ。でもそれはその人が「自分ことは自分でやりましょう」と教えられ続け、助け合うことに抵抗を感じてしまうだけのこと。その人も困った時に助けてもらえたら、人を助けることに嫌な気持ちはしないだろう。助けてもらったことがない人が人を助けることは難しい。助けられ上手になってこそ、助け上手なれるのだ。
障がい者の私はヘルパーと一緒に家事をこなし、外出をする。できないことはもちろんヘルパーにお願いするし、できても時間がかかることや、体の負担になることは、可能な限りやってもらう。でも今の日本では、ヘルパーができることにはかなりの制限がある。私は結婚しているが、ヘルパーは利用者(私)のパートナーが一緒に食べる食事を作ったり、私の洗濯物と一緒に彼の物を洗うことも、法律上やってはいけない。彼との共有スペースであるトイレやお風呂の掃除もだめなのだ。しかしキッチン台は身長1mの私には高く、水が入ったやかんは重くて持てない。それにも関わらずヘルパーを使う限り、お茶すらも二人分別々に沸かさないといけないのである。「障がい者の私」のためのヘルパーは「当たり前の生活」のためのヘルパーとは程遠い。法律上では当たり前の助け合いは存在しにくい。
そういえば障がい者がヘルパーを使いながら生活するテレビドラマを、私は見たことがない。ヘルパーと一緒に彼氏にお弁当を作るシーンがあると、それは法律違反で訴えられるのだろうか。その否を確かめるべく、私がモデルになるのも喜んで。