本日の日記

伝達は

2021年4月6日(火曜日)

行うべき時は行わないと相手に胸の内が伝わりませんが、行うべきことの内容によっては、相手のその時の状況を見て話さないと逆効果です。
「行うべきこと」この判断次第では次なる展開がわかれます。
でもね。
穏やかに行うべきことを話すと、人って聞く耳を持ってくれます。

松原照子の印

本日の世見

上杉謙信

2021年4月6日(火曜日)

  • 古代文明・歴史

人生は一度切り‥‥。
前世があったのなら前世の続きをしているのかもしれませんが、前世のことを殆どの人は思い出せません。
だからね。今の人生をしっかりと受け止めて、毎日を自分らしく生きなくては、来世においてやり残しを感じるかもしれません。
<前世> <今世> <来世>
人類が滅亡しない限り、地球で何度となく人生を送れるとしたならば、私達は、今の世で歩む日々を大切にすることで、来世にも花が咲く思いがいたします。
歴史に名を残した人々も、もしかすると今の世で新たな人生を送っているかもしれません。
今日は、毘沙門天の化身とも詞われた越後の雄・上杉謙信に近付いてみたいと思います。
上杉謙信は何故、生涯妻を娶らずに過ごしたのでしょうか。
謙信の生き様は様々なところで見え隠れします。
「自国に侵略するものはそれを許さず」
「だが、他国への侵略は心良しとせず」
謙信の時代は、隣国の甲斐には武田信玄が、相模国には北条氏康がいました。
関東の覇権を巡って競い合っていたのです。
謙信は、幼名を虎千代、その後、景虎(初名)・政虎・輝虎と改名していきました。入道してからは謙信(法号)と名乗りました。
謙信は、戦いにかけては卓抜な手腕を至る所で発揮し、気が付くと越後一国を瞬く間に平定したのですから凄い人です。
川中島の戦いでの車懸(くるまがかり)の戦法は神がかっていました。
部隊を車輪のように回転させ、信玄の本陣の側面に集中して攻撃するこの戦法は見事でした。
御旗に書かれた「昆」。この字をご覧になって懐かしく感じた方は、もしかすると前世で謙信と縁があったかもしれませんね。

松原照子の印