※本稿は、マット・リドレー『人類とイノベーション 世界は「自由」と「失敗」で進化する』(NewsPicksパブリッシング)の一部を再編集したものです。
原子力の民間開発は応用科学の勝利だった
20世紀に現れた革新的なエネルギー源はただひとつ、「原子力」だ(風力と太陽光もはるかに改良され、将来的に有望だが、まだ世界的なエネルギー源としての割合は2%に満たない)。
エネルギー密度の点からすると、原子力に並ぶものはない。スーツケースサイズの物体が、適切に配管されれば、ひとつの町や空母にほぼ永久に電力を供給できる。
原子力の民間開発は応用科学の勝利だった。その道は核分裂とその連鎖反応の発見から始まり、マンハッタン計画によって理論から爆弾になり、制御された核分裂反応とそれを水の沸騰に応用する段階的な工学設計へとつながった。
1933年に早くもレオ・シラードが連鎖反応の将来性に気づいたこと、レズリー・グローヴズ中将が1940代にマンハッタン計画の指揮をとったこと、あるいはハイマン・リッコーヴァー海軍大将が1950年代に最初の原子炉を開発し、それを潜水艦や空母に合わせて改良したことを除けば、この物語で目立つ個人はいない。
しかしこれらの名前から明らかなように、それは軍事産業と国家事業に民間業者を加えた「チームの努力」であり、1960年代までについに、少量の濃縮ウランを使って膨大な量の水を確実に、継続的に、安全に沸騰させる設備を、世界中に建設する巨大計画ができあがった。
「実験する機会の不足」で進化が止まった
それでも現在の状況は、新しい発電所が開かれるより古いものが閉鎖されるペースのほうが速いために、出力電力が減っている斜陽産業であり、時機をすぎたイノベーション、あるいは失速したテクノロジーだ。
その理由は「アイデア不足」ではまったくない。「実験する機会の不足」だ。
原子力の物語は、イノベーションは「進化」できなければいかに行きづまるか、そして後もどりさえするか、その教訓である。
安全規制強化によるコストの高騰
問題はコストの膨張だ。原子力発電所は数十年にわたって、容赦ないコストの高騰を経験している。そのおもな理由は、安全性への警戒が高まっていることにある。そしてこの産業はいまだに、確実にコストを下げるプロセス、つまり「試行錯誤」とまったく無縁である。
原子力の場合、錯誤は影響があまりに甚大になるおそれがあるうえ、試行にはとんでもなくコストがかかるので、試行錯誤を再始動させることができない。そのため私たちは、加圧水型原子炉という未熟で効率の悪いテクノロジーで行きづまり、原発反対運動に反応して不安がる人たちのために働く規制機関の要求によって、そのテクノロジーさえしだいに抑制されつつある。
しかも、きちんと準備ができる前に政府によって世間に押しつけられるテクノロジーは、もう少しゆっくり進行することを許されたなら、もっとうまくやっていたかもしれないところで、つまずく場合もある。アメリカの大陸横断鉄道はすべて失敗し、個人出資の1例をのぞいて結果的に破産している。原子力がこれほど急がず、軍事用の副産物ではないかたちで開発されていたら、もっとうまくいっていたかもしれないと考えずにはいられない。
従来の軽水炉とは異なるアイデアもあった
1990年に出版された『私はなぜ原子力を選択するか』(邦訳:ERC出版)のなかで、原子物理学者のバーナード・コーエンは、1980年代に原発の建設がほとんどの西側諸国で中止された理由は、事故や放射能漏れ、あるいは核廃棄物急増への不安ではなく、規制強化による止まらないコストの高騰だった、と述べている。その後、彼のこの分析はさらに真実味を帯びている。
これは新式の原子力のアイデアが足りないせいではない。エンジニアのパワーポイントによるプレゼンには、核分裂原子炉の異なる設計が盛りだくさんで、なかには過去に実用レベルの試作機の設計までたどり着き、従来の軽水炉と同じくらいの財政支援があれば、さらに先に進めたと思われるものもある。
大別すると「液体金属原子炉」と「溶融塩原子炉」のふたつだ。後者はトリウムまたはフッ化ウランの塩を、おそらくリチウム、ベリリウム、ジルコニウム、ナトリウムのようなほかの元素と一緒に使って機能する。
原理的にメルトダウンしない溶融塩原子炉
その設計のおもな利点は、燃料が固体の棒ではなく液体で入るため、冷却が均一で、廃棄物の除去が容易なことだ。高圧で稼働させる必要がないので、リスクが減る。溶融塩は燃料であるだけでなく冷却剤でもあり、熱くなると反応速度が落ちるというすぐれた特性があるため、メルトダウンは不可能になる。
加えて、その設計には一定温度以上で溶けるプラグが含まれ、燃料が区切られた室に排出され、そこで分裂を止めるという第2の安全装置もある。たとえばチェルノブイリとくらべると、こちらのほうがはるかに安全だ。
トリウムはウランより豊富で、ウラン233を生成することによって、事実上ほぼ無限に増殖できる。同じ量の燃料から約100倍の発電をすることが可能で、核分裂性プルトニウムを生まず、半減期が短くて廃棄物が少ない。
最大の欠点は「試行錯誤」ができないこと
ところが、1950年代にナトリウム冷却剤を積んだ潜水艦が進水し、1960年代に2基の実験的なトリウム溶融塩原子炉がアメリカで建設されたにもかかわらず、資金、教育、そして関心がすべて軽水ウラン炉の設計に注がれたため、プロジェクトはやがて終了した。さまざまな国がこの決定を覆す方法を検討しているが、実際に思いきって実行する国はまだない。
たとえそうしたとしても、1960年代に言われた「原子力はいずれ、メーターがいらないほど安価になる」という、よく知られた見通しが実現することはなさそうだ。問題は単純で、原子力はイノベーション実践の決定的要素に合わないテクノロジーである。
その要素とは「やってみて学習する」だ。
発電所はあまりにも大きくて費用がかかるので、実験でコストを下げるのは不可能だとわかっている。建設前に設計を通さなくてはならない複雑な規制が膨大にあるため、建設途中で設計を変更することも不可能だ。物事をあらかじめ設計し、その設計に忠実にやるか、振り出しにもどるかしなくてはならない。
このやり方ではどんなテクノロジーであれ、コストを下げて性能を上げることはできない。コンピュータチップも1960年の段階に置き去りにされるだろう。原発はエジプトのピラミッドのように、単発プロジェクトとして建設されるのだ。
福島原発事故の根本的な原因はなにか
1979年のスリーマイル島および1986年のチェルノブイリの事故のあと、活動家と市民はより厳しい安全基準を要求した。そして手に入れた。
ある推定によると、電力1単位につき、石炭は原子力のほぼ2000倍の死者を出すという。バイオ燃料は50倍、ガスは40倍、水力は15倍、太陽光は5倍(パネルを設置するときに屋根から落ちる人がいる)、そして風力でも原子力の2倍の死者を出す。この数字にはチェルノブイリと福島の事故も入っている。追加の安全要件は原子力をごくごく安全なシステムから、ごくごくごく安全なシステムにしただけだ。
あるいは、ひょっとすると安全性を低下させたのかもしれない。
2011年の福島の大惨事を考えてみよう。福島原発の設計には安全性に大きな欠陥があった。ポンプが高波で浸水しやすい地下にあったのだ。もっと新しい設計では繰り返されそうもない、単純な設計ミスだ。
それは古い原子炉であり、もし日本がまだ新しい原子炉を建設していたら、ずっと前に廃止されていただろう。コストの高い過剰規制によって核の普及とイノベーションが抑制されていたせいで、福島原発は稼働時間が長すぎたために、システムの安全性が低下したのだ。
必要以上の安全性は高くつく
規制機関が要求する必要以上の安全性は高くつく。原発建設に携わる労働者は大幅に増えているが、とくに書類にサインするホワイトカラーの仕事が膨大だ。
ある研究によると、1970年代、新しい規制のせいでメガワットあたりの鋼鉄の量は41%、コンクリートは27%、配管は50%、電線は36%増加したという。
実際、規制の歯止めが強まると、プロジェクトでは、されることさえないルール変更を予想して機能を加え始めた。きわめて重要なことだが、この規制環境のせいで原発の建設業者は、規制の修正につながることを心配して、予想外の問題を解決するための現場イノベーションの実践をやめるしかなく、それがさらにコストを押し上げた。
解決法はもちろん、原子力発電をモジュラーシステムにすることだ。工場組み立ての小さな原子炉ユニットを大量に生産ラインで生産し、各発電所の現場で、木箱に卵を詰めるように設置する。これならフォード社の「モデルT」と同じようにコストを削減できる。
問題は、新しい原子炉の設計を認可するのに3年かかり、小型だからといって抜け道はほとんど、またはまったくないので、小型の設計には認可の費用がより重くのしかかることだ。
核融合では同じ失敗を避けるべきだ
一方、核融合、すなわち水素原子の融合からエネルギーを放出させてヘリウム原子を生成するプロセスは、ようやく約束を果たし、これから数十年以内に、ほぼ無限のエネルギーを供給するようになる可能性が高い。
いわゆる高温超伝導体の発見と、いわゆる球状トカマクの設計でようやく、核融合発電は30年先だという、30年言われ続けた古いジョークがジョークでなくなったかもしれない。核融合発電は1基につきおそらく400メガワットを発電する比較的小さな原子炉がたくさんというかたちで、商業ベースで結実するかもしれない。
爆発やメルトダウンのリスクがほぼゼロ、放射性廃棄物は非常に少なく、兵器の材料を提供する心配もないテクノロジーだ。燃料はおもに水素であり、水から自分の電気で生成できるので、地球環境への悪影響は小さいだろう。
それでも核融合が解決しなくてはならない大きな問題は、核分裂と同じように、原子炉の大量生産によってコストを下げる方法だ。そしてコスト削減の教訓を得るためには、試行錯誤が許され、途中で設計し直すことができなくてはならない。
---------- マット・リドレー 科学・経済啓蒙家、イギリス貴族院議員(子爵) 1958年、英国生まれ。オックスフォード大学で動物学の博士号を取得。「エコノミスト」誌の科学記者を経て、英国国際生命センター所長、コールド・スプリング・ハーバー研究所客員教授を歴任。オックスフォード大学モードリン・カレッジ名誉フェロー。著書に『繁栄』『進化は万能である』『やわらかな遺伝子』(早川書房)、『人類とイノベーション』(NewsPicksパブリッシング)ほか。 ----------