2010年12月27日
琉球新報 落ち穂
乗車拒否は乗者拒否
先日、東京で電車に乗ろうとし、駅員に乗車拒否をされた。目的地の駅は階段しかないため、車椅子では利用できないと言われたのだ。総計100kgの車椅子を持ち上げるには人手が必要であり、万が一転んだ時のことを考えると危険とのこと。しかし私は友だちの結婚式を30分後に控え、どうしても乗車をしないといけなかった。交渉に交渉を重ね、他の駅からも駅員を呼び、階段を持ち上げてもらい、無事目的地に到着した。
車椅子ユーザーが乗車や入店を拒否されることは良くある。「当店は階段があり車椅子では利用できません」「介助者なしでは心配ですのでお断りします」などなど。サービス提供者は親切心からもそう考えがちだ。もちろん設備が整っていないと利用しにくいことはある。しかし手伝ってもらったらどうにかなる。いや、どうにかしないと困るのだ。私だって歩ける人と同じように毎日生活を送っているのだから。話題のレストランには行ってみたいし、結婚式には招待されるし、お正月には初詣にだって行きたい。たとえ階段があったとしても。
しかし第三者は私のことを、「普通の生活を送る人」というより「車椅子に乗った人」という視点から捉えがちだ。車椅子に乗っているということだけで、乗車を拒否すると言うことは、特定の人が乗ること(乗者)を拒否していることと同じことではないだろうか。拒否ではなく、問題を一緒に考える人が増えると、障がい者は生きやすくなる。
「障がい者問題」とよく耳にするが、障がい者以外の人が作りあげる環境や考えが、問題を引き起こしていることも多い。障がいがあっても、それはその人の一面にしかすぎず、他の人との共通点もあるのだ。いや、基本は同じ「人間」なのだから、他の人との共通点の方が多いと信じたい。
そんなことを楽しく伝えられたらと思い書かせて頂いた連載も今日が最後です。感想を下さった方々をはじめ、みなさん本当にありがとうございました。これからもみなさんといろいろな形で繋がっていけること願っています。そしてみなさんにとって幸せな年明けになりますように。
Ads by livedoor
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。