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ここがヘンだよ農業チート 作者:白椿
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「中世ヨーロッパでは播いた量の3倍しか収穫がなかった」

 はじめに言っておきますが、「中世ヨーロッパの収穫率(播種量→収穫量の倍率)が3倍程度だった」というのは資料上確かな事実であり、これ自体を否定する気は一切ありません。

 しかしながらここから「ヨーロッパの農民は常に少ない収穫に苦しんでいた」だとか、「30倍にもなる稲は麦より優れた作物だ」なんて話に進んでいくのを見ると、それはちょっとおかしいぞと思います。

 今回はそうした状況を生じる要因について見ていきながら、この数字のトリックを暴いていきたいと思います。



■灌漑に関する話

 農業の大きな区分として「天水農業」と「灌漑農業」があります。

 これらは作物に対する水の供給方法の違いであり、前者は基本的に降雨からのみ、後者は河川等から人為的に引き込む方法をとります。

 日本がどちらかといえば完全に後者が多く、代表的なのは言うまでもなく水田稲作でしょう。

 また学校教育の世界史なんかでも、文明成立=灌漑農業として書かれており、灌漑が農業に大切という印象を与えているように思えます。


 しかしヨーロッパがどうかと言うと、完全な天水農業地域です。


 二圃式農法とか三圃式農法とか輪栽式農法とかありますが、これらはどれも灌漑を行うような農業方式ではありません。

 実際に現代のデータで灌漑面積の比率を見ると、日本は81%という数字であるのに対して、世界平均は23%、西ヨーロッパにいたっては13%に過ぎません。

 ただ例外的に南ヨーロッパは夏に降雨が得られない地中海性気候下にあることから、中世盛期頃から灌漑設備の整備も進められており、32%と高くなっています。


 作物が必要とする時に必要な量の水を供給するように栽培管理をすれば、生産量が大きく増大する、というのは間違いないことです。


 しかしそれには多大なコストがかかります。


 河川から自分の土地まで水を引いてこようと思ったら、当然ながらその2点間で水路を掘削する必要が出てきます。

 現代では様々な重機を利用できることから、そこまで苦労はしませんが、古い時代であれば人力が主となるでしょう。

 また三面コンクリートのない時代の素掘りの水路などというものは、常に大量の水を地面に浪費していくもので、開発が進めば進むほど上流下流での水利権問題が表面化していきます。

 そしてただ掘れば終わりなんてことはなく、毎年の補修のための維持コストが発生し、資金と労働力を吸い取っていきます。

 さらに水が何故その場所を流れているかといえば「その土地の最も低い部分だから」であり、農地に施用するためには水門のような水位管理施設が不可欠で、歴史を見れば竜骨車や踏み車といった人力汲み上げまで行われています。


 灌漑農業を行うためにはそうしたコストを踏み越えていけるだけの経済的合理性が不可欠であり、ヨーロッパの多くの地域はこれに適合しないということです。

 そんなわけで灌漑を行うのは、灌漑無くして農業が成り立たないような乾燥地域や、稲の生産に適した高温多湿の地域、というのが主となります。

 話は本題から少し逸れますが、なろう作品でもたまに「農業には水が必要」というシーンを目にし、これが「水を引いてこよう」までいくと、違和感が大きい光景に感じます。



■三圃式農法に関する話

 中世ヨーロッパ風という世界観が多いなろうにおいては、その農業方式は基本的にアルプス以北で実施された三圃式農法になるかと思います。

 地中海性気候下では夏穀生産が不可能なことから二圃式農法、劣等地においては移動式農法やそれに常畑を組み合わせたものが主流となるでしょうが、今回それらは割愛。

 三圃式農法を教科書的に説明すれば、土地を3つに分割して冬穀コムギ・ライムギ夏穀オオムギ・エンバク→休閑(放牧利用)というローテーションを組む、といった程度でしょうか。

 しかしながらこの程度の説明では不足でしょうから、いくらか補足していきます。


 まずは栽培される穀物について簡単に、気候と土壌の要素から入ります。

 冬穀のコムギとライムギの大きな違いはまず寒冷地への適応性であり、ライムギの方が強固な耐性を持ちます。

 おおむねドイツ北部から先はライムギ優勢になるようですが、これについては数十年単位だと地球規模で寒冷期・温暖期の影響があるので、栽培前線は結構大きく前後します。

 また土壌の特性から見ると、コムギは中程度からやや粘質の土壌を、ライムギはやや砂質の土壌を好みます。

 これが顕著なのは大西洋沿岸の地域であり、ここは砂質土壌が広く分布していることから、温度的には問題なくともライムギ優勢となります。

 そして砂は水を保持する能力が低いことから、ライムギはムギ類の中で最も強固な乾燥耐性を持ち、またこうした土壌は酸性化が激しいことから、最も強固な酸性土壌耐性を持ちます。


 夏穀のオオムギとエンバクは、夏季に成長する性質上冬穀のように霜や凍結を意識する必要はなく、気候に関してはそこまで大きな違いはありません。

 土壌の特性から見ると、オオムギは中程度からやや砂質の土壌を好み、エンバクはやや粘質の土壌を最適としながらもさらに強い粘質土にも耐え、水さえ確保できるなら砂質土壌でも適応します。

 エンバクは水分要求量はやや高いものの、ムギ類の中で最も土壌酸度の適応範囲が広く、劣等地向けの作物でした。

 総じて言えば、コムギとオオムギは優良地を選んで栽培され、食味は良好で価値が高いものの地力の消耗は大きく、ライムギとエンバクは劣等地にもよく耐え、食味は悪く価値が低いものの地力の消耗は少ない、といった特性になります。


 次に三圃式農法を実施する農場の空間について。

 「三圃」とはありますが、実際には3の倍数として把握した方が適当なようで、六圃だとか九圃を想像してもらうのが説明しやすいです。

 このほか家屋や付属菜園や森林だとかは割愛しますが、最低限三圃式農法は広大な草地が不可欠です。

 休閑地は家畜の放牧に使われるとは言いますが、実際にそれだけで全頭飼養できるかと思えば不可能であり、適当な採草地や放牧地がどうしても必要となります。


 では具体的な農作業に移っていきます。

 まずは冬穀用の圃場の準備で、夏至の頃に休閑地を犂耕し、大きな土塊はハンマーで砕いたりしつつ播種に備えます。

 要求する土の具合も作物によって異なり、タッサーの農書だとコムギは土塊が多く残ったままでよいものの、ライムギはハローがけしてかなり細かくしてからが望ましいとのこと。

 厩肥の類はこの時に運び出されて畑に散布されるわけですが、基本的に量は不足しているので、耕地の6分の1だとか9分の1だとかの領域に集中して投下されます。

 そして秋、寒冷地ほど早めで温暖地ほど遅めという違いはありますが、種子を全量バラまきします。

 その後生育中の管理としてはローラーによる麦踏は見られたようですが、除草作業はよほどの小規模農家でない限りほぼ行われなかったようです。

 稲作は雑草との戦いというように言われますが、冬穀の生育シーズンは雑草の繁茂期とはやや外れ、さらに言うとそもそもヨーロッパは植生が貧弱かつ比較的冷涼なことから、東アジアほど雑草の影響力は強くないという差異があります。

 初夏には収穫期を迎え、基本的には子鎌で根刈りされますが、運搬に不便な地域では穂刈り、近世以降は大鎌収穫も増加します。

 収穫された冬穀はそのまま家屋等に運び込まれたようですが、湿潤地域では稲架懸けも行われました。

 収穫後の圃場では落穂拾いが行われ、その後家畜を入れて刈り跡放牧へ移行します。


 続いて夏穀用の圃場の準備で春先に犂耕するのですが、冬の間に土壌が堅く締まってしまうことから冬穀よりも回数をこなす必要があります。

 オオムギの土壌はコムギと同様土塊が残っても構わないものの、播種後にハローがけをしてした方がよいとか。

 基本的に施肥も行われず、夏穀は播種量を割増すといった違いはあるものの、以降の動きはほぼ同じです。

 そして翌年の夏至頃に犂耕を始めるまで放牧用地にあてられます。


 さて休閑を含めるとこれでとりあえず一周しましたが、問題も残ります。

 厩肥を集中的に投下された地域は非常に豊かとなり、価値の高いコムギとオオムギを育てることができました。

 しかし二周目に入る土地は休閑により多少回復したとはいえ、施肥もできず消耗した状態であり、再度コムギやオオムギを育てるとなると大幅な減収が予想されます。

 気候にもよりますが、優良土壌でなければ再度のコムギ作というのは厳しかったようで、作物のグレードを落としてライムギやエンバクにシフトするということも見られます。

 ここから三周目に入る場合は放牧を集中させるなど多少なりと地力の回復に努めますが、それでも一周目ほどの収穫とはいかず、状況が悪ければ休閑年数を増やすこともありえました。


 こうした生産性の平均値をとると概ね「3倍」程度に収束するというわけです。

 中世ヨーロッパ収穫率の低さはただ一事、絶対的な肥料の不足に由来します。



■生産性に関する話

 中世ヨーロッパ農業の収穫率が劣悪なものだった、というのは間違いないことです。


 しかしながら根本的な話として、収穫率というものは何の参考になるんでしょうか?


 ヨーロッパは播いた量の3倍の収穫を得て、日本は播いた量の30倍の収穫を得たとします。


 ではそれぞれが最初播いた量はどれだけなのか?

 最終的にそれぞれが収穫した量はどれだけなのか?

 それらを差し引いてそれぞれの最終的な取り分として残った量はどれだけなのか?


 こんなに穴あきだらけでは計算も何も成り立ちませんね。

 日本はヨーロッパの10倍もあるからなんとなく日本が凄いような気がする、と言うことはできても、そこから実質的な生活がどうだとかはさっぱり見えてきません。

 仮に種子10を30倍にすれば300で増加量は290ですが、種子200を3倍にすれば600で増加量400と、前提次第で簡単にひっくり返ってしまいます。

 収穫率というのはしっかりとした史料に基づき、研究者レベルでは意味のある数字なのかもしれませんが、これがネット上となると詐欺じみた数字のトリックで使われているように思います。



 そんなわけで具体的な数字に移ります。

 参考資料はどちらもネットで閲覧可能ですが、ヨーロッパについてはApostolides , Alexander; "English Agricultural Output And Labour Productivity, 1250–1850: Some Preliminary Estimates"から1300年のイングランドのデータを、日本については『内国統計全書』(東陽堂,1884年)から1881年の日本のデータを使用。

 日本の時代が大きく異なってはいるものの、これ以前の信用できるデータも見つからず、まだ開国による西洋技術の導入も限定的な時期としてご容赦ください。


 まずは土地生産性から。

 本題の収穫率という指標は厳密には資本生産性なのでしょうが、日本の場合そもそも収穫率という指標で生産性の把握を行っていないことから無理であり、土地あたりの生産性に置き換えて把握に努めます。

 そんなわけでここではお互いの土地生産性を表す指標として、両国の単位を揃えて反収を用います。

 特記事項として、日本の石高というものは玄米容積換算を行っており、籾の状態の約半分になることから、ここでは石高を全て倍にして種子高に変換しています。


 まずイングランドの栽培面積ですが、

  コムギ906万反、ライムギ204万反

  オオムギ428万反、エンバク1069万反

この収穫種子高は、

  コムギ483万石、ライムギ134万石

  オオムギ283万石、エンバク540万石

そして反収は、

  コムギ0.53石、ライムギ0.66石

  オオムギ0.66石、エンバク0.51石

となり、次に日本の栽培面積ですが、

  田2545万反、麦畑1459万反

この収穫種子高(石高)は、

  米5840万石(2920万石)、麦2098万石(1049万石)

そして反収は、

  米2.29石(1.15石)、麦1.44石(0.72石)

となります。


 両国を反収比較すると圧倒的であり、麦類だと2倍強、米と比較したら4倍近い大差が開いています。

 土地生産性という観点では、日本が絶対的に優位にあると断言できますね。


 さてお次は農地面積について。

 1人あたり農地面積に面積あたり生産量をかければ、単純計算で1人あたりの生産量が求められます。

 しかしながら特にヨーロッパでは耕地面積の中に休閑地という要素も絡んできますし、双方で穀物以外の生産に当てる土地だって広く存在しています。

 なのでここでは先ほどと異なり穀物のみに限らず、耕地面積全てを対象として、国民1人あたりの農地面積を求めて、両国の農業上の差異の把握に努めます。


 まずはイングランドの耕地面積と人口ですが、

  耕地4297万反、人口425万人

であることから、

  1人あたり耕地10.11反

となり、次に日本の耕地面積と人口ですが、

  田2631万反、畑1836万反、人口3636万人

であることから、

  1人あたり田0.72反、畑0.50反

で計1.22反となります。


 今度はイングランドが圧倒的であり、1人あたりの農地面積は日本の8倍強と、隔絶した数字を示しています。


 さて最後に労働生産性、あるいは1人あたりの所得について。

 現代を生きる私達に置き換えてみて考えると、私達の生活水準を分かりやすく表すのは年収かと思います。

 土地生産性のような過程というのは結局のところ実生活への影響はなく、最終的にどれだけの可処分所得が残っているか、私達は買い物等にいくら使うことができるのか、という点に尽きます。


 まずイングランドの1人あたり収穫種子高ですが、

  コムギ1.14石、ライムギ0.32石

  オオムギ0.67石、エンバク1.27石

で計3.39石となり、対する日本は、

  米1.61石、麦0.58石

で計2.19石となります。


 そしてここから播種に必要な分を控除すると、イングランドは1人あたり約2.26石、日本は1人あたり約2.12石となります。

 土地生産性や耕地面積で比べたら双方凄まじい格差があるように見えましたが、単純な「1人あたりの取り分」という話になると、最終的に両者が似たような数字へと収束してしまいました。



■結論

 日本はヨーロッパよりも圧倒的に土地生産性が優れていた、というのは事実です。

 しかしながらそのカラクリは温度と降水量の優越に加え、「日本は同じ面積に8倍の労働力と資源をぶちこんでいた」というものであり、そりゃ土地生産性は低いわけがない、という話です。


 両国は全く違う生産方式をとっており、ヨーロッパは広い面積を粗放的に経営して収益を上げ、日本は狭い面積を集約的に経営して収益を上げる、というシステムで農業経済が成立していました。

 たとえば水田では田植えという農作業を行います。

 これは腰を屈めた状態で苗を1本1本植えていくという大変な作業なわけで、1日1人あたり1反植えるのがやっとだったとか。

 対してヨーロッパの麦畑がどうかといえばバラまきであり、1日約15~16モルゲン、単位を直すと1日約45~48反と、比較にならない規模の違いが存在しています。

 除草をしてやらないと土地の栄養を吸われてしまって勿体ないか?

 いえいえ、ヨーロッパの人間から言わせれば除草に使う労働力が勿体ない、というわけです。

 稲というのは収穫率を高くできる作物ではありますが、その生産設備を用意するのにいくらかかって、毎年の維持費と作業人員はどれだけ必要なのか、というコストだって忘れてはなりません。


 収穫率が低いというのは何ら恥じるものではなく、単にシステムが違うというだけの話。

 最終的に懐にいくら残るかといえば、大して変わらないのですね。

農業全書「農人たるものは、我身上の分限をよくはかりて田畑を作るべし。各其分際より内ばなるをもってよしとし、其分を過るを以て、甚あしとす」

ローマの格言「畑をよく耕すことも大切だが、新しい畑を切り広げることの方がもっと大切だ」

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