引き続き『ひらめきの行動』からの抜粋だが、
計画は強い自我(エゴ)の顕れであり、
「無計画」こそ「ひらめきの行動」の基本となる。
計画は強い自我(エゴ)の顕れであり、
「無計画」こそ「ひらめきの行動」の基本となる。
本当の平和の近道は“心”である。
国際社会だ、世界は本当に兄弟である。
ロサンゼルス、ハワイ、韓国、インドネシア等の国々で
病苦に悩める大勢の人を施療した私は、
まるで外国にいるのを忘れて共に喜んだ。
言葉の交わりはできずとも、心から楽しかった。
韓国ソウルの国立劇場での講演会は二階、
三階とも多くの人々が埋め尽くしたが、
あの時の満場の歓喜の幸福は今も、楽しく蘇ってくる。
講演会が終わり、ソウル市内の大きな料亭に招待された。
新聞社の社長、経済界の有力者ら二十数名の歓待を受けた。
その時頂いた言葉に感激した。
「先生は何時でも来て下さい。誰よりも一番歓迎しますよ」
その言葉に嬉しくて涙が出た。
私が世界の主要20ヶ国にESPのま心で人々に接したならば、
本当に世界平和の原動力となれるだろう。
今でも世界の人々の喜びが目に浮かぶ。
インドネシアのジャカルタでの講演会は、宗教も超えて、
イスラム教ナンバー2の事務総長が熱心に応援してくれた、
会場は700余名の人達で満員、講演を始めて20分位経った頃、
突然会場から大きな歓声が起こった。
最前列に車椅子に乗った人が2人いたが、
その人が施療も何もまだしないのに2人とも自力で歩き出したのである。
そして暫くしたとき今度は会場の後ろの方でどよめきが起こった。
失明の青年の目に突然視力が戻ったのだ。
この様にして、インドネシアでの講演会は
大盛況は言うまでもなく、講演が終わるや、
「いつ帰るのか、今度はいつ来るのか」との質問の応待に嬉しかった。
ま心に迷いがあってはま心にはならない。
ま心と教養は比較してはならない。
ま心は先天的に授けられた人の心で、教養は知的品格で外面作為である。
人々一様ではないが、前者は先天的に人間に授けられた本能である。
だが人は皆、心の奥底は一様である。実証は簡単である。
例えば、講演会場で言葉も出ない、首も座らない、
歩けない幼児が数分もせずに言葉を発し、足に俄然力が入り歩き出す。
傍らでこの有り様を目撃した人々の目に涙が光る。
他人の幸せに涙する、この美しい場面は演技ではできない。
これこそ先天性の人間の心、すなわちま心でなくて何であろうか。
優しさも、意識的行動はま心でなく、
自ずと流れに乗り、人が喜ぶのがま心である。
優しさの行動には責任を自覚しているから明るい所以である。
数千人の会場より、どこに行っても治らない、
腰痛の人を着席のまま一分間の想念だけで治してしまう。
側湾症でも、湾曲した背骨がたったの一分で真っ直ぐになってしまう。
人によっては講演会で私の顔を見ただけで、肺ガンが消えていたという。
私は講演会場で現代医学をもってしても
治療困難な患者を僅か3~5分以内で元気にさせる。
十人であれば十人全員可能である。
札幌友の会では27歳の娘さんが蘇生したという話があった。
驚いたことに今は元気で生活しておられる、ということである。
いろいろと人間社会の間違いを指摘したいが、
物質教育に洗脳された人達は、愚者の戯言と相手にされないだろうが、
物資的、経済的悲劇は夢ではなく現実的にやってくる。
ハイテク科学者の中にも21世紀は心の時代だと言う。
心の時代とは何か、どうすればよいのか、今更修身の復活でもあるまい。
教育されただけの心は何の力もない。
乱世の風に抵抗力もない。
なぜならば人間の教えであるから、人と人との交流では教育の上下、
教養の優劣が何処からともなく顔を出す。
これでは人間の調和がとれようにもない。
それは意識的行動だからである。
しかしながら天は心の世界を創り始めた。
先の正直者が馬鹿を見ないで済む世の中になる。
心と科学の調和の21世紀である。
ESP社会から、人間社会への提言
念頭の講演会の第一声に思わず
「教育界に於いては受験のない進学、
経済界では約束手形の廃止で不安のない金融界の改革である」
と、この事を満場を埋めた皆さんに力強く提唱したところ
大きな拍手が会場を圧したのである。
その日にこの話をしようとは夢にも思っていなかった事である。
進学受験では小学校から中学校の九年間の学力を
僅か数時間の試験で子供の能力差別をする。
日頃好成績にかかわらず試験当日運悪く体調異変、
心境萎縮の動揺で不合格になった子供の哀愁を察すると、
教育の制度に怒りを感ずる。
勉強、勉強で疲れ果て、まだ頑是無い中学生で命を絶つ者もいる。
両親の嘆きは如何ばかりか。
そんなにまで刹那的試験で子供の記憶力を試したいのか。
記憶力は学力ではない。
学問による応用力が、又学問で培う発想(創造)が
本当にその人の能力と思うのは私ばかりであろうか。
何年前だろうか、どの新聞でも経済界は有名国立大出身よりも
某私大出身が大活躍との記事を読んだ事がある。
学歴よりも、学力が世の中を支配する。
時代到来と私は嬉しかった。
高校までは義務教育としたい。
時の変わりと共に人間の頭脳も自然に進んでいる。
大学の門は自由解放、無試験とし、常日頃の成績を重視、
卒業の門を固くすれば有力な人材が育成されると思う。
大学教育希望者は自由に行けばよい。
しかし常に日頃からしっかりと勉強しないと
卒業はできないようにすればよいと思う。
二宮尊徳精神でめでたく合格入学して喜んだのも束の間、
うつ病となり、廃人となる者の多い事。
息子が大学を出て立派な社会人になることを
期待した両親の悲嘆は如何ばかりか。
だからこの様な私の持論もぶつけたくなる。
激動、改革著しく、いつまでも学問をしていては社会は相手にしなくなる。
早く社会人となり、若さと情熱で人生を楽しく満喫してもらいたい。
21世紀はこんな時代であろう。
人間の知識、教養に固く形成された人は、
能のない虚実とそんな甘い世間で一笑に付されよう。
しかしそんなに用心しなければ生活できないと
思うような世間に対する見解では寂しい。
話が前後するが東欧諸国の一夜の改革に議論が行われたのであろうか。
否、人間の心と命の本能が日夜を問わず数十万、
数百万人近くの一般大衆の爆発が心の自由、生活の自由を成し遂げたのである。
善のエネルギーか、神の実在の大表現としか解釈できないのである。
21世紀はもう始動している。
今までの成功者、著名人は皆死ぬまで勉強、
修養と言われているが、もうハイテクの時代では通用しない。
私はこれからの時代は勉学、修養は30歳まで、
それからは社会人として発想のまま勇気ある行動をしてこそ
人間としての生き甲斐があり、人生の楽しみもある。
何も30歳過ぎてまで勉学に熱中しなくても、
生活の行動の中に今までの教育、教養が包容されているから、
心配しなくてもよい。
「勇気ある行動」という言葉が出てきたが、
私は「勇気ある行動2」というタイトルの動画で、
クラブのママさんに教育論を語っている。
撮影現場は私が1週間ほど店長としてバイトしていたBARだが、
何が「勇気ある行動」かというと、この動画を盗撮していた友人によると、
私がこのオバハンと対等に喋っていたことが「勇気ある行動」らしい(笑)
何故なら、私は、こんな危険な目にも遭いながら、
体を張って論争していたからである^^;
で、教育論を熱く語った後の反社会的行為が、少し前の動画である(笑)
「勇気ある行動3」というプチ226事件の動画も以前は公開していたが、
私の身に危険が及ぶ可能性が大なので封印した。
といっても、今後、世界征服を行動に移すことを思えば、
一連の「勇気ある行動」など赤ちゃんレベルに過ぎないが……
破天荒極まりなければ革命など起こせないことは当然である。
また、「獣の世界支配計画」というタイトルの記事を書いてきたが、
それは頭で考える限りの漠然とした計画の話であって、
実際には「目標を持たない」「計画を立てない」「ひらめきの行動」が、
私の「21世紀型成功哲学」であり、石井氏が説く生き方とも一致する。
心の行動には計画もなく目的もない
これでは無為無策の行動を勧めるようであるが、そう言う意味ではない。
人間の運命はすでに生命誕生の時から定められている。
根拠は乳幼児の表情をよく見ればよい。
大差ないようであるが、笑う時、泣く時、人が話しかけるとき感情が出ている。
二歳、三歳ともなれば大器、小器が微かに現れてくる。
これは神から与えられた心の挙動と思う。
心の挙動はその子供の時から、一生の目的が定まっているので、
幼児、少年期に子供心をよく観察し、子供の心を主体に温存して、
側面指導すれば子供は定められた目的に向かって直進している。
人の心の自由は幼少の時から与えられている。
この子供の自由な行動は、これこそ神から導かれる発想即行動であるから、
両親や特に母親は子供の心を大切に育て上げれば、
長じて頼もしい、良い青年となるであろう。
教育ママには余り感心しない。
特に子供の有名校への進学、英才教育のみに
狂奔している母親を見ていると憐れに思う。
たとえ英才教育で、社会に出ても人の模範となり、
人から信頼される人物が十人中何人いるだろうか。
英才教育もよいが、子供心を無視し学力だけに
洗脳しては人間味豊かな青少年にはなれない。
自分の知識、才能に溺れ、自己中心的になり、
人からの信頼心が薄いような気がするのは私だけではあるまい。
人の心を無視した知識中心の教育は、まことの教育ではない。
尚、私は「教育破壊」に対して教育熱心である。
教育破壊を訴えるスパルタ熱血教師だが、
これは全く矛盾しないZEROの視点での話である。
そして、私は思考力もZEROに等しい(笑)
だからこそ、無計画で心の行動が出来るとも言える。
東大をトップで卒業したN氏は、三千件近い特許権を持っている。
以前、私と対談した時、私はこんな質問をしたことがあった。
「先生の発明はすごいですね。
会社で働く人は皆さんエリートばかりなのでしょう?」
ところが意外な答えが返ってきた。
「いいえ。エリートは発明なんてできません。
私の会社の社員は百人が百人とも高卒で、しかもおちこぼればかりなのです」
学歴のない私は上級学校に行けなかったが、
人に負ける生活はしたくない強い根性があり、
そのために今の事だけをやっていれば、この世は思う通りに行く。
成るようにしか成らないのだが成るように成る、との信念が強く、
将来の目的や計画もなく、思う通りの行動をしてきた。
だから思うがままに動いた。
いろいろと考えたり、どうしようと思ったことは更にない。
その時から発想即行動の道を歩いていたのである。
人間の一生の中で、困難、障害は誰にでもあるのは当然である。
失敗もある。その度に意気消沈していたらどうなる。
人間の寿命は長いようで短い。
短いようでも仕事が楽しければ長くなる。
大きな心で仕事に対すれば楽しくなる。
私にも大難、小難はあった。
大難に直面しても動揺するよりも、
その瞬間に心が空虚になり、次には大きな心に変わっている。
「成るようにしか成らない」と、
この思いができれば諦めるより猛然と勇気が湧いてくるものだ。
「難事は良い事」と幼い時から心の奥底に秘められていたのかも知れない。
平常から自分を忘れて、仕事に夢中になっていれば悔いはない。
諦めも悔いもない生活。明るくて迷いもなく、
ここから発想即行動の強い信念が養成されていたと思う。
人間個人の教養は、確立した目的を持ち、
用意周到な計画をもって行動しなければ、仕事も生活も浮薄で苦労も多い。
これだから家の周りを塀で囲み、「外に出れば7人の敵あり」
という日本人だけの小さな島国根性を叩き込まれたのだ。
世界のお客さんのお蔭で経済大国になった日本。
欧州各国は二年後には固く手を握り、親類以上に仲良くなるであろう。
大企業は世界の中の日本の企業という立場を忘れて、
外面だけ世界の企業の化粧をして、外国に工場の分散を計画し、
実行が軌道に乗り出した。
大企業は助けてくれたお客さんを無視し、
利己的計画を実行したから、米国から経済構造協議を持ち出されたのだ。
便利過ぎて何もかも窮屈になった。
ハイテク企業は生産過剰を惹起し、人々は働く場所を奪われる。
私が21世紀を展望した所見であるが、大して間違いはあるまい。
ESP指導者が世界を評価するようにみえるが、
人間の幸福を目的とするESPだから言う必要がある。
人間社会の経済談義は唯物中心だから、
形だけの調和ができようが落ち着くことはないであろう。
思案無用。天は知る、ESPは知る、21世紀は心の時代だ。
要は人間の知恵のみに頼ってはならないという事である。
成功する考えは明快である。
楽しく生活してこそ幸福になれるのである。
「成るように成る」は空海の隠れた名言でもあるが、
私は石井氏と空海の因縁を強く感じている。
「難事は良い事」は日蓮からのテレパシーか?(笑)
また、「人間の寿命は長いようで短い。
短いようでも仕事が楽しければ長くなる」
とのことだが、中学の先輩の制服の刺繍の言葉を思い出す。
死ぬより辛いこと 咲かせた華なら散らせてならぬ
長いようで短い一生 一瞬にして捨ててはならぬ
ひと限り この命 楽しい時間よ 永遠に
故に、「難事は良い事」で「成るように成る」のだが、
次回はその続きを追ってみよう。
にほんブログ村
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。