オープンレター

女性差別的な文化を脱するために

研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ


 先日、著名な日本史研究者である呉座勇一氏が、大河ドラマの時代考証から降板したことが報じられました。原因となったのは、呉座氏がツイッターの非公開アカウントで過去数年にわたって一人の女性研究者(このレターの差出人の一人である北村紗衣)に中傷を続けていたこと、また他の多くの女性への中傷を含む性差別的な発言を続けていたことが明るみに出たことでした。これによって、呉座氏は所属先である国際日本文化研究センターから厳重注意を受けています。


 このオープンレターは、この問題について背景にある仕組みをより深く考え、同様の問題が繰り返されぬよう行動することを、広く研究・教育・言論・メディアにかかわる人びとに呼びかけるものです。


 私たちは、呉座氏のおこなってきた数々の中傷と差別的発言について当然ながら大変悪質なものであると考えますが、同時に、この問題の原因は呉座氏個人の資質に帰せられるべきものではないとも考えています。

 呉座氏の発言の中には、単なる「独り言」としてではなく、フォロワーたちとのあいだで交わされる「会話」やパターン化された「かけあい」の中で産出されたものが多くありました。たとえば誰かが、性差別的な表現に対して声を上げることを「行き過ぎたフェミニズムの主張」であるかのように戯画化して批判すると、別の誰かが「○○さんの悪口はやめろ」とリプライすることがあります。こうしたやりとりは、当該個人を貶めるために、「戯画化された主張を特定個人と結びつける」手法としてパターン化されています。そこには、中傷や差別的発言を、「お決まりの遊び」として仲間うちで楽しむ文化が存在していたのです。実際には、呉座氏の発言は大きな影響力を持っており、この「仲間うちの遊び」は3000人以上のフォロワーの目に見える形でおこなわれていたものでした。つまりその「遊び」の文化は、中傷や差別的発言をいわば公衆の面前でおこなわせてしまうものであり、そのことが今回の問題の背景にあると私たちは考えます。


 日本語圏では以前から、ツイッターを中心にSNSやブログにおいて、性差別に反対する女性の発言を戯画化し揶揄すると同時に、男性のほうこそ被害者であると反発するためのコミュニケーション様式が見られました。たとえば性差別的な表現に対する女性たちからの批判を「お気持ち」と揶揄するのはその典型です。今回明らかになった呉座氏の発言も、大なり小なりそうしたコミュニケーション様式の影響を受けていたと考えられます。そこでは、差別をめぐる問題提起や議論が容易にからかいの対象となるばかりでなく、場合によっては特定の女性個人に対する攻撃までおこなわれる一方で、自分たちこそが被害者であるという認識によってそうした振る舞いが正当化され、そうした問題点を認識することが難しくなります。これにより、差別的な言動へのハードルが極めて低くなってしまうという特徴があるのです。


 このような、マジョリティからマイノリティへの攻撃のハードルを下げるコミュニケーション様式は、性差別のみならず、在日コリアンへの差別的言動やそれと関連した日本軍「慰安婦」問題をめぐる歴史修正主義言説、あるいは最近ではトランスジェンダーの人びとへの差別的言動などにおいても同様によく見られるものです。呉座氏自身が、専門家として公的には歴史修正主義を批判しつつ、非公開アカウントにおいてはそれに同調するかのような振る舞いをしていたことからも、そうしたコミュニケーション様式の影響力の強さを想像することができるでしょう。


 他方で今回の一件は、日本のアカデミア、言論業界、メディア業界に根強く残る男性中心主義、すなわち中傷や差別的言動によって女性の正当な参加が困難になっていると同時に、そのことへの抗議に対しては強い「公正さ」が求められるような仕組みのあらわれでもあると私たちは考えます。

 呉座氏とともに中傷や差別的発言をおこない、あるいはそうした発言に同調していた人びとの中には、教育・研究やメディアにかかわる人びとが何人もいました。呉座氏が何年にもわたってそうした発言を続けることができた背景には、これらの人びとには彼の発言をたしなめようとする感覚がなかった、むしろそれを是認し時に一緒に楽しむような空気があった、という重い事実があります。

 それを考えれば、呉座氏の中傷発言を、いち個人の行き過ぎた発言であり氏と中傷された女性研究者とのあいだで解決すべき個人的な問題である、と主張することには大きな問題があります。それは、アカデミアや言論界、メディア業界におけるこのような男性中心主義を見逃してしまうことになるからです。

 同様に、呉座氏の一方的な中傷とそれに対する抗議とがあたかも適正な「議論」「論争」であるかのように扱おうとすることもまた、アカデミアの無自覚な男性中心主義のあらわれだと言えるでしょう。女性研究者への中傷を多くの男性同僚たちが見逃しているような性差別的な状況によって女性研究者たちはしばしば公正で冷静な学術的「議論」「論争」を阻まれてきました。中傷それ自体を「議論」の一環であるかのように扱うことは、そのような中傷が「議論」を成立させない効果をうんできた事実を、隠蔽してしまいます。


 要するに、ネット上のコミュニケーション様式と、アカデミアや言論、メディア業界の双方にある男性中心主義文化が結びつき、それによって差別的言動への抵抗感が麻痺させられる仕組みがあったことが、今回の一件をうんだと私たちは考えています。呉座氏は謝罪し処分を受けることになりましたが、彼と「遊び」彼を「煽っていた」人びとはその責任を問われることなく同様の活動を続け、そこから利益を得ているケースもあります。このような仕組みが残る限り、また同じことが別の誰かによって繰り返されるでしょう。


 以上により、私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。

 「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選択になるでしょう。中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。何らかの形で「距離を取る」ことを多くの人が表明し実践することで、公的空間において個人を中傷したり差別的言動をおこなったりすれば強い非難の対象となり社会的責任を問われるという、当たり前のことを思い出さなければなりません。


 このような呼びかけに対しては、発言の萎縮を招き言論の自由を脅かすものであるいう懸念を持つ方もいるかもしれません。近年では、そうした懸念は「キャンセル・カルチャー」なるものへの警鐘という形で表明されることがあります。すなわち、問題ある発言をした人物が「進歩的な」人びとによる「過度な」批判に曝され責任を追及されることが、非寛容と分断を促進するという懸念です。

 しかしながら、こうした懸念が表明される際にしばしば忘れられているのは、「問題ある発言」が生じてくる背景に差別的な社会の現実があるということです。差別を受ける側のマイノリティにとっては、多くの言論空間はそもそも自分にとって敵対的な、安心して発言できない場所であり、いわば最初から「キャンセル」されているような不均衡な状況があります。

 私たちは、政治的対立のある事柄について人びとが発言することを抑制したいのではありません。そうではなく、被差別カテゴリーに属する人びとを貶め気軽に個人を中傷することを可能にしている文化こそ、むしろ言論の自由を脅かし、ひいてはマイノリティの生を脅かしているということに注意を促したいのです。

 また私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。むしろ明確な線が引けない場合があるからこそ、言動に注意を払うことが重要な意味を持つのだと考えます。

 中傷や差別的言動を生み出す文化を拒絶し批判することで、誰もが参加できる自由な言論空間を作っていきましょう。



2021年44

隠岐さや香 名古屋大学大学院教授

小木田順子 編集者

金田淳子 やおい・ボーイズラブ研究家

北村紗衣 武蔵大学准教授

木本早耶 出版社勤務

河野真太郎 専修大学教授

小林えみ よはく舎

小宮友根 東北学院大学准教授

清水晶子 東京大学大学院教授

関戸詳子 勁草書房

津田大介 ジャーナリスト/メディア・アクティビスト

礪波亜希 筑波大学准教授

橋本晶子 勁草書房

松尾亜紀子 エトセトラブックス

三木那由 大阪大学講師

宮川真紀 タバブックス

八谷舞 亜細亜大学講師

山口智美 モンタナ州立大学准教授

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