当初、それは女性にとって「可能性」のように見えていた。しかし実際のところ、彼女たちは(多くの場合、男性には求められることがない)「美貌も実力も」「仕事も家庭も」「自分の仕事もおじさんのケアも」「あれもこれも」を求められるという不平等にさらされていたのである。そのうえ、大学入試や昇進など、さまざまなシーンで相変わらず性差別が行われていることも明らかになっているのだから、批判が出てくるのは当然だ。
そうしたポストフェミニズム的な女性であるということを、このCMに登場する女性はしっかりと語らされている——「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?」という台詞によって。
この台詞を最初に聞いたとき、この女性に背負わされた分裂気味の感性に、ぞっとするような恐怖を感じた。仕事をし、収入を得て消費をし、身ぎれいでありつつ社会問題にもそれなりに関心を持っているこの若い女性は、まさにオーストラリアのメディア文化研究者であるアニタ・ハリスが「意欲的な女の子(Can-Do Girl)」と名付けたポストフェミニズム的な主体である。
そしてまた、(男性には求められることのない)あれもこれもすべてを手に入れるプレッシャー——「あれもこれも」を手に入れなければ、この社会で男性と同等に扱われないという不平等——を宿命づけられた若い女性に、「『ジェンダー平等』とかってスローガン的にかかげてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と無邪気に言わせるセンス(の古さ)に唖然とした。