2010年10月15日19時29分
東京を東西に走るJR中央線で半世紀以上も運行されてきた、全面がオレンジ一色の電車が姿を消した。中央線の象徴だったが、全面塗装が不要な新型車両の登場で、その座を譲った。最後に残った1編成は17日、特別ツアーで松本駅(長野県松本市)まで走り終えると、そのままスクラップ処理される。
「寂しいけど、時代の変化の中で務めを終えた。ごくろうさまと声をかけてあげたい」。JR東日本・東京総合車両センター(東京都品川区)に勤務する小山栄作さん(54)はこう話す。
18歳で国鉄職員になって以来、塗装一筋。数え切れないほど、オレンジ色の車両を塗装してきた。むら無く塗装するため、車体の凹凸を樹脂のパテで埋め、塗料を吹きかけていく。手間はかかるが、仕上がった電車が走るのを見るのが楽しみだった。
腐食の心配が無く全面塗装が不要なステンレス製の新型車両の台頭で、塗装専門の担当者も、入社当時の300人から10人程度まで減った。
2008年10月、オレンジ車両の最後の塗装作業があった。パテを埋め込んだ場所は塗料の吸収がよく、大型機械で一気に吹き付けると色むらになる。普段はそのまま吹き付けるが、この時は社員2人がまんべんなくツヤが出るよう、はけで塗る一手間をかけた。「どこに出しても恥ずかしくない最高の化粧をしました」
オレンジ色の電車が中央線にデビューしたのは1957年12月。当時「国鉄初の新性能電車」と呼ばれた鋼鉄製の「モハ90形」(その後「101系」に改番)を塗装した。JR東日本によると、当時はほとんどの電車が茶色だった。オレンジにしたのは、乗り間違いを防ぐためだったという。
乗り物エッセイストの三好好三さん(72)=東京都小金井市=は、デビューの日が20歳の誕生日だった。学生だった三好さんは、沿線の吉祥寺駅(東京都武蔵野市)近くに暮らし、試運転でたびたび目にする明るいオレンジ色の電車に心が躍った。誕生日に営業運転が始まると知り、吉祥寺駅で電車を待った。乗り込むと、大型の窓から明るい光が差し込んできた。「新しい時代を象徴する新しい電車だった」
鮮やかなオレンジ色は話題になり、当時の東京・丸の内のOLたちは「きんぎょ」と呼んだ。山手線の黄緑、中央・総武線の黄色、京浜東北線の水色と、色とりどりの電車が首都圏のレールを飾った。
オレンジ色の電車は「101系」から「103系」、省エネ電車と言われた「201系」と3代にわたった。
80年代後半になるとステンレス製の新型車両が登場。塗装した鋼鉄製の電車は姿を消していった。中央線でも06年から、新型「E233系」への置き換えが進んだ。新型もオレンジのラインが入り、中央線の色は引き継がれる。
JR東の八王子支社によると最後の1編成は14日に通常運行を終えた。17日のツアーはすでに予約で満席で、午前10時19分に豊田駅を出発する。松本駅で乗客を降ろした後、長野市の長野総合車両センターに入り、スクラップ処理される。(宮嶋加菜子)