2001.7.3

柏に野馬が駆けていた頃

   

by=上野さくら


 地域情報紙に東葛地域の歴史コラムを連載して4年になる。
 といっても、私が書きたいのは教科書や歴史書には載っていない、小さな歴史。
その土地に生きる人々の暮らしぶりや、町や駅ができるまでの汗と涙など、名もない
人たちが築いてきた生活の歴史である。

 けれど、ある人は言う。「このあたりに歴史なんてあるの?ただの牧場で、語れる
ものなんか、何もないんじゃないの?」と・・・。

 確かに、東葛地域はかつて〈小金原〉と呼ばれる荒涼たる原野だった。日本史を騒
然とさせる戦乱や武将もうまれず、宗教や文化、芸術面においても特筆すべき事柄は
浮かんでこない。けれども、はるか昔からこの地で暮らし、土地を耕し、村や町を作
り上げてきた人たちがいたからこそ、今の柏があるのではないかと思うと、私は無性
にその〈時の積み重ねの記憶〉を知りたいと思うのである。

 〈小金原〉は、平安時代から軍馬の生産地として知られ、1183年「宇治川の戦陣争
い」で活躍した生数奇(いけずき)、麿墨(するすみ)を産出した牧。千葉常胤がこ
の2頭の名馬を当地で捕らえ、源頼朝に献上したと伝えられている。

 江戸時代になると馬の名手、徳川家康が下総の牧に関心を寄せ、牧制を確立。国内
に12の牧を儲け、本格的な整備にあたった。その中の一つが〈小金牧〉で、さらに5
つのエリアに分けられ、現在の柏市は流山市駒木付近とともに〈高田台牧〉と呼ばれ
ていたという。

 当時の柏は野馬が駆け、タヌキやシカ、野ウサギやイノシシなどの小動物が遊ぶ緑
の放牧地。人々はその牧を取り囲むように野馬除けの土手=〈野馬土手〉を築き、牧
と農地との行き来のための木戸を作り、この地で暮らしてきたのである。

 今ではその情景を思い浮かべることもできないが、わずかに当時の面影を残してい
る場所がある。柏駅東口から三小通りを抜け、日立レイソル球場手前、緑が丘交差点
の一角のこんもりと緑が繁る小山。江戸時代、人々が築いたという〈野馬土手〉の名
残りが、わずかだがここに残されているのだ。

 よく見れば、確かに不自然な地形。馬の背のように2mから4m位の土が盛られ、名
戸ケ谷方面に続いている。このあたりは昔から湧水が多く、名戸ケ谷湧水、小橋戸湧
水、増尾湧水などの名所では、今でも自然探索に訪れる人が多いという。

 高田台牧の馬たちもこの土手の向こうを駆け抜け、こんこんと清水の湧き出る湧水
で乾いた喉を潤したのだろうか。村で暮らす人々の生活は、どんなものだったのだろ
う。この土手はどこまで続き、人々はどの木戸を通って往来していたのだろうか。・
・・わずか数10mの小さな土手を眺めながら、先人の暮らしぶりに思いをはせれば、
歴史の夢は大きく膨らむ。

 現在、柏及び周辺には、「花野井木戸」「船戸木戸」「新木戸」「大木戸」という
名のバス停があるが、それらは昔ここに野馬土手が築かれ、木戸が設けられていたこ
とを知る、一つの手がかりとなる。また、駒木、馬込沢、馬洗戸など、馬に関係する
地名が多く見られるのも、小金牧としての歴史を振り返れば、なるほどと思うだろ う。

 雨上がりの夕暮れ、柏駅前のそごう本館13階にあるスカイラウンジを訪れてみた。
ゆっくりと回転するこの展望レストランからは、柏の街はもとより、遠くは東京の高
層ビル群や日光連山、筑波の山々が見渡せ、何ともすがすがしい思いにさせてくれ る。

 汚濁度NO.1といわれる手賀沼も金色に輝く夕陽を湖面に映し、周囲の水田やこん
もり繁る林の緑に抱かれ横たわる姿はなんとも美しい。駅前から続くビル群はやがて
住宅街の屋根とつながり、その一つ一つの窓に明かりが灯っていく様子はまた、ロマ
ンチックだ。昼間の柏とは全く違った風景を目の前に、ひとり、もの思いにふける至
福の時間を過ごすことができる。

 大きな山もなく、360度ただただ平らに続く台地を眺めていると、ここが昔〈小金原〉
といわれた荒涼たる原野で、野馬が駆け、野ウサギが遊んだ情景を思い浮かべる
ことができる。何百年という時の流れの中で、人々は荒野を耕し、道を作り、村やま
ちを作り上げてきた・・・。その時の積み重ねこそが今の柏の発展につながっている
思うと、なんだか胸が熱くなる。

 地域の歴史を訪ねることは、私にとって第二の〈ふるさと探し〉。先人の足跡をた
どってみれば、普段は何気なく見過ごしている風景も、何だかとてもいとおしく感じ
るから不思議だ。

 そして今・・・、この土地で生まれ育っていく子供たちのためにも、ふるさとの小
さな歴史を伝えていきたいと思う。