もし日本人であるとのアイデンティティを引き受けるなら(引き受けない選択肢もあり得る)、日本人としての誇りと同時に、その汚辱も引き受けざるを得ない。
アイデンティティは、自分がどう見られたいかという問題であると同時に、他者からどう見えるかという問題だから、〝いいとこ取り〟できない。
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返信先: さん
アイデンティティは「自我同一性」とも言われるが、他人から見れば識別のための記号なので本来中立的なものともいえる。
しかし、自己の有するアイデンティティに負の感情を抱く他者は常に存在するし、その感情が正当である場合もあるし不当である場合もある。
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例えば、LGBTというアイデンティティに他者から向けられる負の感情は不当なものばかりだと断定してよいだろう。
他方、日本人というアイデンティティに向けられた負の感情の中には正当なものが含まれている。
だから、日本人であることを引き受けるなら、これらの負の感情をも引き受ける必要がある。
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アイデンティティには、本来、自分が何者であるかを知るという側面があるだろう。
他方、自分が何者であるかは、他者の目を通してしか知ることができないという側面もある。
私が日本人でありヘテロ男性であるというのは、自分の認識と他者の認識が合致しているから、確信をもってそういえるのだ。
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そうすると、私のアイデンティティの一部である日本人男性という要素が何を意味するのかも、自分の認識だけでなく他者の認識を通して初めて明らかになる。
他者から見れば日本人というアイデンティティには正の面と負の面があり、これに向けられた負の感情の中には正当なものが含まれているだろう。
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他者の目を通してしか自分が何者か知ることができないとすると、自分のアイデンティティを知るためには、私の日本人としてのアイデンティティに他者から向けられる負の感情が何か知る必要が出てくることになる。
日本人であることの汚辱を引き受けない者は、自分が何者であるかは知ることができない。
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日本人としての汚辱とは、朝鮮半島侵掠であり、従軍慰安婦問題であり、朝鮮人虐殺であり、南京事件だ。
これらの事実を背負うことは、「原罪意識を持つ」のとは異なる。自分のアイデンティティに含まれる一要素が他者からどう見えるかを知ることであり、自分が何者であるかを知ることである。
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