離婚後共同親権に反対します。

離婚後共同親権は「チルドレン・ファースト」ではありません。

諸外国で採用されてきた従来の共同監護制(共同親権制)は、親の権限や監護分担が父母で均等であるべきという考えが基となって導入されました。しかしその結果、子どもの意思や権利が尊重されず、離婚後も暴力や虐待、両親の紛争にさらされるなど、DV被害者や子どもが苦しみ続けている実情が明らかになりました。諸外国は今、子どもの利益を最優先にするために、家族法やDV防止法の改正や検討を重ねています。

間違った認識や情報を根拠に、立法しないでください。外国での失敗を日本で繰り返すべきではありません。

2021年3月 離婚後共同親権に反対する市民の会

反対する4つの理由

共同監護制度(共同親権制度)には、致命的なデメリットがあります。

DVや虐待から逃げられなくなる

DVや虐待は、別居・離婚した後も続きます。加害者は子どもと会う権利や機会を利用し、支配を続けようとします。日本でも外国でも、証明できなかったDVや虐待は無いことにされるという問題が起きています。そのため、DV・虐待のある家庭でも共同監護が適用され、加害者に監護権や面会交流権が与えられてしまい、子どももDVや虐待の被害を受けてしまいます。

監護親の転居が制限される

別居する両親が共同で子どもを監護するということは、子どもが行き来できるよう、両親が近くに住む必要があります。そのため、共同監護が法制化されている国の多くでは、一方が居所を変更する場合には、相手との合意や裁判所の許可が必要というルールになっています。主たる監護親が実家の近くに引っ越す、就職のために転居するなどが制限されることになります。

両親の紛争が増加し
子どもに悪影響を及ぼす

両親双方に親権があるということは、子どもの生活に関する重要事項の決定や判断に際し、両親の合意や協議、相手の許可や通知が求められることになります。居所の変更や子どもの進学先などの重要事項を決める際に、両親で意見が衝突した場合、裁判所が関与した紛争になることもあります。両親の関係が悪い場合は、子どもが紛争や揉め事にさらされることになってしまいます。

今の制度でも共同監護できる
(立法事実がない)

日本は、離婚すると一方の親のみが親権を持つ仕組みですが、親権のない親と子の関係が切れるわけではありません。また、離婚後も両親が協力して子を共同監護することも可能です。実際に共同監護をしている離婚家庭は存在しており、親権が両親双方にないことで「子どもが」困っているという実情は明らかになっていません。つまり、立法事実がありません。

今、日本では親子法制の見直しが審議されている

2021年1月15日、上川陽子法務大臣が、離婚及びこれに関連する制度の見直しについて、法制審議会に諮問すると発表し、同年3月から検討する審議が始まりました。

この審議の議題は複数ありますが、私たちが最も危険だと考えているのが「離婚後共同親権(共同監護制度)の導入」についてです。

近年、日本では、「単独親権制によって離婚後に親子が断絶され、離れて住む親と会えなくなっている。子どもの利益のために共同親権を導入すべきだ」「諸外国は離婚後も共同親権だから、日本もそうすべきだ」という訴えが高まっており、その影響で法制審議会での検討に至ったのです。

これらの主張は、一見すると、もっともなように感じられるかもしれません。
しかし、日本では離婚しても法律上の親子関係が切れることはなく、扶養義務もあり、会うための法的な手続きも可能です。親権は子どもに会うことや監護することに影響しないのです。

また、諸外国で採用されてきた従来の共同監護法制は、子どもが健全に生育することを困難にしているということがわかり、見直されてきています。

さらに、世界で問題となっているDV(家庭内暴力)についても、日本は認識も対応も遅れています。また日本は他国と比較しても男性優位社会で家庭内に家父長制が根強く残っています。

このような各国の経験や、DVや虐待の問題、男女の格差がある日本で、離婚後共同監護制(離婚後共同親権)を導入しようとすることは、子どもを危険にさらすものであると言わざるを得ません。

日本ではまだ、共同親権がどのようなものか認識できている人が少ない状況です。間違った認識や情報で溢れている中で、間違いを根拠に日本での共同親権の導入が検討されていることに強い危機感を持っています。

正確な情報を知れば、共同監護(共同親権)はチルドレン・ファーストでないことがわかるはずです。

各国の法改正とこれまでの流れ

子どもの監護の分担や面会交流で起きている問題を解消するため、各国が法改正や検討を重ねています。

アメリカ

年に平均60人以上の子どもが面会交流中に殺されている

  • 調査により、子どもの監護権訴訟において、DV、児童虐待、児童への性的虐待がしばしば不問にされ、暴力的な親が監護権を与えられたり、監視なしの面会交流を許されたりして、子どもを危険にさらしていることがわかった(*1)。

  • 2008年〜現在(2021年3月)まで、離婚後または別居中に一方の親によって殺された子どもの人数が770人以上に及ぶ(*2)。

  • 2018年9月25日、米国連邦下院議会提案 H.CON,RES.72で、「離婚後の子の監護及び面会交流の裁判所判定においては子どもの安全が第一優先事項である。州裁判所は家庭内暴力が訴えられた場合の子どもの監護の裁定のあり方を改善する必要がある」との決議が出された。

  • 離婚後もDV支配を続けるための訴訟が続き、被害者が精神的にも経済的にも疲弊することが問題となっている。このようなDVは、米国では「ポスト・セパレーション・アビューズ(別離後の虐待)」や「リーガル・アビューズ(法的虐待)」と呼ばれている。

*1 離婚後の子どもをどう守るか 「子どもの利益」と「親の利益」70-71頁

*2 https://centerforjudicialexcellence.org/ より

オーストラリア

養育分担制度で失敗→法改正 子の安全を最重要に

  • 1995年、2006年、2011年に家族法が改正されてきた。

  • 2006年の改正では、養育分担の規定や「フレンドリー・ペアレント」条項(*3)が設けられたことにより、父母がそれぞれ子の生活に関わりを持つことの重要性が強調され、別居親との関与を促進することになった。しかしその結果、父母が自身の権利・利益のみを追求し、子どもの最善の利益が蔑ろにされてしまった(DVや児童虐待の主張が抑制され、子が暴力リスクにさらされる可能性を増大させた)。

  • 2009年、裁判所命令により実施した面会交流の場で、4歳の女児が実父によって橋から投げ落とされ殺害される事件(女児の名前から「ダーシー・フリーマン事件」といわれる)が起きた。母親は事件が起こる前から父親に対しての不安を訴えていたことから、「家庭裁判所が暴力の問題を軽視している」と批判される契機となった。

  • 2011年に再び法改正。「フレンドリー・ペアレント」条項を削除した。また家庭内暴力や虐待の定義を広げ(深刻なネグレクトや精神的被害など)、子の最善の利益の内容も、子が両親との有益な交流を持つことよりも、虐待やネグレクト、家族内暴力から保護することを優先すべきことが明確にされた。

  • 2019年4月、法改正委員会は、「将来に向けての家族法(家族法制度の調査)」を発表し、虐待やネグレクト、ファミリーバイオレンスから子を保護することが最も重要であると強調した。

*3 フレンドリーペアレント条項とは、子と一方の親との交流に対して、どの程度好意的かどうかを考慮すべきとした規定。

イギリス

子の福祉 個人主義から関係的福祉アプローチへと変化

  • オーストラリアの経験を踏まえ、2014年に法改正。子の生活に親が関与(involvement)することは原則「子の福祉」を増進すると推定されているものの、この「関与」とは直接交流である必要はないとされ、この規定から面会交流実施の形式的推定までは導かれないとした。また、この推定規定を適用すべきかどうか自体、個々の事案で(DVが主張される場合は特に)注意深く検討すべきとした。

  • 2015年、母親が父親から身体的及び性的なDVを受けたと主張し、父親と子(婚姻前後を通じて主に母親が養育してきた女児)の直接交流に強く反対していたにもかかわらず、父子間の監督付き面会交流を認める決定が出た。この決定に対し、母親に過大な負担を課すものであり、結果として母親と共に生活する女児の利益を害する可能性が高いとして、強い批判にさらされた(*4)。

  • 以前までの「子の福祉原則」は、子を取り巻く関係性や他者の利益からは切り離して個人主義的に理解されてきた。
    しかし近年の英国では、「子の福祉」とは、単に子自身の目先の利益だけではなく、当事者間の関係で過去に起こったことや未来に起こり得ることも併せて検討する必要があると考えるようになり、これを「関係的福祉アプローチ」として、英国控訴院での判断のベースとしている。

  • DVの定義については近年、「心理的、身体的、性的、財政的、感情的」であるかを問わず「支配的コントロール、強制的または脅迫的な言動、暴力または虐待のあらゆる出来事やパターン」と広く捉え、相手方を支配する行動パターンにその本質があることを明確に示す定義が用いられている。

  • 2021年、新しいDV法改正案が提言された。家庭裁判所での「禁止命令」の使用を明確にして、虐待的な元パートナーが被害者を繰り返し法廷に引きずり戻すのを防ぐことなども盛り込まれている(*5)。

*4 離婚後の子どもをどう守るか 「子どもの利益」と「親の利益」225-226頁

*5 GOV.UK - New laws to protect victims added to Domestic Abuse Bill

日 本

家庭裁判所によって面会交流が強要されている 

  • 2011年、民法766条が改正され、面会交流及び養育費の分担について明示され、子の監護について必要な事項を定めるに当たっては子の利益を最も優先して考慮しなければならないことが明記された。

  • 2012年、「別居親と子との面会交流は基本的に子の健全な育成に有益なものであり、子の福祉が害されるおそれがあるといえる特段の事情がある場合を除き、面会交流を認めるべきである」という東京家裁の裁判官らによる論文(*6)が発表されたことにより、家庭裁判所では面会交流を原則実施として決定を出すようになった。

  • 2014年頃、「父母の離婚等の後における子と父母との継続的な関係の維持等の促進を図り、もって子の利益に資すること」を目的とした「親子断絶防止法」の導入を推進する議員連盟が作られ、議員立法に至る直前まで進んだ。

  • 2017年1月に長崎県諫早市で2歳の息子を離婚後面会交流に連れて行った母親が父親に刺殺される事件が起きた。また同年4月には兵庫県伊丹市で離婚後面会交流中に父親が4歳の娘を殺害し自殺する事件も起きた。

  • これらの事件の影響で親子断絶防止法は立法には至らなかったが、「共同養育支援法議員連盟」に名前を変えて「離婚後共同親権」の導入を目指して現在も活動を続けている。

  • 2020年(令和2年)6月、東京家裁の裁判官らが「過去の論文が誤解されて原則実施論として独り歩きし、同居親に対する十分な配慮を欠いた調停運営が行われたことがあった」とする、新たな論文を発表した(*7)。

  • 2021年3月から、親子法制の見直しを検討する法制審議会が始まった。

*6「面会交流が争点となる調停事件の実情及び心裡の在り方-民法766条の改正を踏まえて-」家庭裁判所月報64巻7号1頁以下

*7「東京家庭裁判所における面会交流調停事件の運営方針の確認及び新たな運営モデルについて」家庭と法の裁判26巻129頁以下

離婚後共同親権にまつわる11の誤解

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誤解1. 日本では離婚で親権を失うと親子が断絶される?

離婚後に非親権者となっても法律上の親子関係は変わりません。監護や養育に関わることもできます。

離婚は、夫婦関係を解消するための仕組みであり、親子関係が解消されるわけではありません。離婚しても、法的な親子関係は変わりはなく、扶養義務もあり、監護や養育に関わることもできます。

日本の民法766条には、離婚後の子どもの監護や親子の関わりについて、次のように記されています。

  1. 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。

  2. 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。

  3. 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前2項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。

  4. 前3項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。

この条文のとおり、日本の法律は、非親権者が子に会って交流することや、離婚後も両親が共同で子を監護をすることが可能な仕組みとなっており、当然禁止もされていません。

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誤解2. 単独親権制度のせいで会えない親子がいる?

親権がなくても子どもに会うことはできます。家庭裁判所では原則、面会交流実施の方針で決定を出しています。

今の日本の法制の下で、離婚後も会って交流している親子や、元夫婦が協力して共同監護をしている家族は存在していますので、「単独親権制度のせいで子どもに会えない」という主張は、論理として破綻しています。

日本では、面会交流が法的な仕組みとして導入されています。面会交流や監護について当事者での合意や取り決めができない場合には、家庭裁判所に面会交流調停や審判を申し立てると、原則的には、面会交流は子どもの利益になるという基本的な方針を基に、実施するよう決定が出されます。面会交流が禁止になるのは、子どもの利益にならないと判断された場合のみです。
面会交流は、親権者(監護親)であるからといって、理由なく拒否する権限はありません。もし監護親が裁判所の決定を無視して拒否を続けると、罰金を課される(間接強制)場合や、非監護親の申し立てによって親権者が変更される場合もあります。

このような家庭裁判所の実務から考えれば、「子どもに会えない」「親子が断絶されている」という訴えには注意が必要です。もし、本当に一切子どもに会えないとしたら、裁判所によって交流が子どもの利益にならないと判断されている事例である可能性があります。「会えてはいるが、自分の思ったとおりには会えない」という意味だとしたら、実態よりも大げさに訴えて、単独親権によって親子が断絶されているかのようにミスリードしていることになります。また、「子どもが悲しんでいる」といった、子どもの気持ちを代弁するかのような主張も要注意です。子どもにとって何が利益かというのは、簡単に決められることではないからです。

そして、これらの訴えは、法的な共同監護も認める制度が導入されたとしても解決できません。共同監護制度でも相手と合意ができない場合は、裁判所が「子どもの利益を最優先に」考慮し、決定を出すからです。裁判所の決定に納得できない、取り決め内容に不服のある親は、自分の思い通りになるまで何度も訴えを続ける場合があります。

日本の現行法で親子の交流がスムーズにできない家庭は、両親の協力が難しい関係であると言えます。そのような状態の両親が、親権を共同で行使することは困難です。法制化によって無理やり共同親権や共同監護を強要しても、子どもの利益にはなりません。

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誤解3. 外国では共同親権?日本もそうすべき?

各国の法制度とその運用は多種多様です。「共同親権」という単語に集約し、多くの国で一様に採用されているかのように表現するのは間違いです。

各国の家族法や親子法で使用される法律用語は、「親権」という一つの概念だけではなく、世界各国で異なる概念が存在しています。

まず、日本の「親権」は英語では「parental authority」という言葉になります。外国では「custody」という言葉がよく使われますが、これは日本の法律用語では「監護」に当たり、「親権」(parental authority)とは区別されています。

法務省が2020年4月に発表した『父母の離婚後の子の養育に関する海外法制について』という調査結果にも、各国の法制度において「監護」(custodyまたはgurdianship)や「親責任」(parental responsibility)などの概念があることが記載されています(*1)。

また、このような複数の法律概念と制度について、実際にどう運用されているのかについては、さらに細かく各国で違いが出てきます。

いくつか例をあげるだけでも、

  • オーストラリア:「親責任(parental responsibility)」という概念で、離婚後に単独か共同かという考え方はない。同居親と別居親の「親責任」の内容は質的・量的に異なる(*2)。

  • アメリカ、ニューヨーク州:「監護(custody)」という概念で、さらに身上監護と法的監護として区別されており、法的な共同監護が認められるのは両親が敵対関係にない場合のみとされている。

  • 韓国:裁判離婚の場合は原則単独親権(日本の「親権」と同じ概念かは未確認)とする。

  • スウェーデン:両親の合意及び裁判所の許可の両方を得た場合にのみ、両親の共同権限行使が認められている。

  • 英国:「親責任」は未婚・結婚に関係なく法律上の親にある。婚姻時も離婚後も、どちらか一方による単独行使も可能。

  • 日本:親の義務は未婚・結婚・離婚に関係なく子を認知した両親にある。親権は婚姻中は共同行使(単独での行使が可能)、離婚後は一方の親による単独行使となる。監護に関しては両親やそれ以外の人物による共同実施も可能。

これだけ各国異なる法律概念と実務運用があり、日本もそのうちの一つでしかありません。

このような実態に対し、日本の法制度だけが特異であるかように表現したり、「共同親権」という単語に集約して各国で一様に運用されているかのように表現したりすることは、誤解を生むため避けるべきですそして各国の法制度が「<離婚後に>単独も共同も認められている」と表現するのも、適切ではありません。なぜなら、オーストラリアの「親責任」や日本の扶養義務の概念のように、婚姻中/離婚後、共同/単独、の区別がない国もあるからです。

法律(特に民法)は、その国の歴史や、信仰、文化の影響を受けて制定されているため、各国さまざまな違いがあるのは自然なことです。家族観や結婚に対する考え方、父母の養育への関わり方、離婚に至る理由も各国で違います。他国で採用されている制度が、どの国にも適するとは限りません。

そして何より、他国の共同監護制度は、子どもの利益になっていない実態が報告され、各国で法改正が繰り返されている最中です。この状況で「共同監護(共同親権)」制度を日本に導入することは、むしろ世界の流れに逆行していると言えます。

*1 法務省の調査結果では、「親責任」(parental responsibility)という概念を、すべて「親権」という言葉で表記していましたが、そのように統一して問題がないとする根拠は示されていませんでした。また、法律概念についての説明がなく単に「親権」という単語で表記されている調査対象国もあり、その場合に日本の「親権」(parental authoriry)と同等であるかは明確にされていませんでした。

*2 戸籍983(令2.6)、小川富之「戸籍事務関係者のための家事事件概説・アラカルト 第2回 共同親権制の議論について ①欧米諸国の多くでは共同親権制が採用されているか?」29頁

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誤解4. 欧米諸国では、共同監護制度によって離婚後も両親がほぼ均等に監護できている?

欧米諸国でも離婚した両親が均等に監護をしているのは少数です。

共同親責務としているイギリスでは、離別後に父母が均等に子の養育にかかわっているのは、わずか3%であると報告されています。また、オーストラリアでは、父母の均等な養育の定義を35%以上の関わりとされていますが、これは全体の1割強でしかないという報告もあります(*1)。

つまり、共同監護制度が導入されている国でも、大多数の家庭では、父母の一方が子の養育を担う家庭が多いということあり、離婚後の両親が均等に監護をしているというわけではありません。

また、イギリスでは、子の養育分担命令(shares parenting order)について、父母間に対立があり、父母がさまざまな問題を抱えている場合には、子の養育分担を原則とする規定を明記することは、子の養育環境として好ましくないとされています(*2)。

ちなみに、離婚後に子どもと別居親がコンタクトを取る頻度については、日本よりも外国の方が多いようですが、それはそもそも、父母の監護分担において日本は婚姻時(共同親権時)から母親に大きく片寄っており、外国とはその点で大きな違いがあります(*3)。つまり、離婚後に別居親が子に関わる頻度の日本と外国の差は、婚姻中からの問題であって離婚後の法制度の問題ではありません。婚姻中に実施できていないものを、離婚後に制度化して促進しようとしても、できるようにはなりません。

*1 梶村太市・長谷川京子・吉田容子『離婚後の子どもをどう守るか ー「子どもの利益」と「親の利益』215頁、Belinda Fehlberg and Bruce Smyth with Mavis Maclean and Ceridwen Roberts『FAMILY POLICY BRIEFING 7 Caring for children after parental separation: would legislation for shared parenting time help children?』2頁

*2 梶村太市・長谷川京子・吉田容子『離婚後の子どもをどう守るか ー「子どもの利益」と「親の利益」』210頁

*3 男女共同参画局 - 男女共同参画白書 令和2年版『コラム1 生活時間の国際比較

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誤解5. 単独親権制度のせいで、別居時に“子どもの連れ去り”が起きている?

主たる監護者が子を連れて別居することや、DVからの避難を「連れ去り」と表現するのは誤りです。そうする理由は親権を得るためではありません。

婚姻中に主に子の監護を担っていた親が、子を連れて別居することを「連れ去り」と表現するのは適切ではありません。DVから避難した被害者に対する二次加害になる言葉だからです。

離婚訴訟や、監護者指定審判(離婚成立までにどちらが監護するかを決めるための審判)では、裁判所は子が産まれてからの監護状況を総合的に見た上で、子の利益を最優先に判断しているため、「子を連れて別居すれば親権者になれる」というわけではありません(*1)。もし、主たる監護者ではない者が子どもを連れ去った場合(強引に主たる監護者になり親権を得ようとした場合)は、現行法でも違法と判断されることがあります(*2)。

婚姻中の監護状況を無視し、子を連れて別居した元配偶者に対して「連れ去りだ」と言って責めれば、当然ですが相手との関係が悪くなるため、別居後の面会交流や共同監護を困難にする要因になりえます。

DVがある、児童虐待がある、両親の間でいさかいが絶えず子どもを面前DVにさらしてしまう、といった家庭の場合、同居を継続すれば子どもに悪影響を及ぼすため、避難する必要があります。しかし、別居を開始する際に相手の同意を得ようとしても、それができないこともあります。離婚したいと伝えた瞬間、相手が激昂して攻撃が強まり、最悪、命に関わる事件になることもあるからです。
日本のDV防止法は、「命にかかわるような」暴力を受けていると証明ができた場合にのみ保護命令が出る仕組みです。証明できなかったDV、特に精神的なDVや経済的なDVは「命にはかかわらないもの」として軽視されているため、保護してもらえません。そのため、当事者の判断で逃げるしかないという状況なのです。

このようなDVの実情があるにもかかわらず、共同親権の導入を訴える人たちは、子を連れての別居を連れ去りと表現し、それを法律で禁止する(子どもの居所を変更できないようにする)ように訴えています。これは実質、DVからの避難や同意なき別居を禁止する意味を持つ、危険で支配的な主張です。そのような法律は、DV被害者と子どもを危険にさらしますので、制定すべきではありません。

*1 BuzzFeed Japan News - 親権争いは「連れ去ったもの勝ちではない」最高裁で勝った母側が会見 (2017年8月29日)

*2 主たる監護者ではない者またはDV・虐待加害者によって子を連れ去られてしまった場合や、主たる監護者である親だけが家を追い出され子と引き離されてしまった場合は、主たる監護者の下に子を戻してもらう手続きや親権者変更の手続きをとる必要があります。早急に法律の専門家に相談してください。

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誤解6. DVや虐待の事案は裁判所が除外して両親の合意を条件に適用すればいい?

DVを見抜くことや真の合意かどうかを判別するのは裁判所であっても困難です。

「DV事案を除外する」という発想は、DV事案が離婚事案の中では少数である、DVは見抜ける・証明できるという間違った情報や思い込みを基に生まれたものだと推察します。

しかし、日本ではDVや虐待を理由とする離婚は決して特殊で少数な事例ではなく、多くの離婚に関係していることがわかってきています(*1)。
また、DVとは診断書などで証拠が残せる身体的暴力だけではありません。精神的DV、経済的DV、社会的DVなど、証拠が残らない方法で非常に陰湿に行われるものもあります。その家庭にDVがあるかどうかを第三者が見抜くのは、たとえ裁判所であっても困難です。

DVの本質は「精神的支配」です。長期間続く暴力と支配により、被害者は自分が悪いんだと思い込まされていたり、精神的に不安定になっていたりするため、第三者から見ると被害者の方が「問題がある人間」かのように見えることがあります。逆に加害者は、外面を取り繕うのが得意で、冷静で子ども思いの親に見えることも少なくありません。

また、双方が合意していることをもって、両親の関係は良好で問題がないと判断するのは危険です。合意は、家庭内の強者(DV・虐待加害者)の脅しや誘導によって作られる場合もあるからです。DV等の支配構造のある家庭では、加害者が自分の言い分が通るまで説教を続けたり、脅したり、暴力したりして、自分の決定に従わせ、合意したことにされることもあります。また、相手に従うことが良いことだと思い込まされている場合もあります。

離婚後の共同監護制度を導入している国でも、こういったDVの問題を排斥できず、問題となっています。DV加害者や虐待加害者に監護権や面会権が与えられてしまい、監護や交流の機会を利用して子どもが殺されたり元配偶者が殺されたりする事件が起きています。

*1 NPO 法人しんぐるまざあず・ふぉーらむの調査結果より『離婚後の共同親権制度の導入の是非について 家族法研究会ヒアリング資料

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誤解7. 原則的な共同監護制度になれば、親権争いや養育費不払いが減る?

どちらが主たる監護親になるか、養育費をどちらがどれだけ払うかという争点はなくならず、さらに居所決定など新たな争点も出てくるため、紛争は増えます。

両親の協議による合意ができる場合は、そもそも争いにはなりません。争いになるのは、両親の関係が悪い場合や虐待的な親がいる場合(*1)です。

共同監護制度になったとしても、どちらがどのくらい監護をし、どちらがどのくらい養育費を支払うか、という、今の日本の法制度にもある争点はなくなりません。

さらに、両親が共同で監護を継続するためには、双方が近居である必要があります。そのため、共同監護制度を採用している国では、どちらかが居所を変更する場合は相手の許可が必要となっていることが多いです。居所を変更する際に当事者間での合意が難しい場合、裁判所に決めてもらう必要があるため、そこでも紛争になります。
養育費についても、共同監護を法制化している国では、監護する時間が多い親ほど相手に支払う養育費が減る形になり、養育費の支払いを免れたい親が監護時間を増やそうとして、争いになっています。

つまり、裁判によって決める項目が今の日本の仕組みより増えるため、紛争は減るどころか増加します

*1 ランディ・バンクロフト、ジェイ・Gシルバーマン『DVにさらされる子どもたち』116頁。DV加害者は訴訟を利用して虐待することがわかっています。面会回数の増加、養育費の引き下げ、その他の度重なる要求によって、被害者に精神的苦痛や経済的困難をもたらします。

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誤解8. 離婚後の共同監護制度があれば、虐待や養育放棄を防げる?

虐待は共同監護制度では防げません。適切な監護ができない親に法律でそれを義務付けてもできるようにはなりません。

虐待する親がひとりでもいる状態では、たとえ問題のない親が監護に関われる状態にしても、その家庭で起きる虐待を防げません。虐待や養育放棄などの問題のある親には、子の監護権も親権も与えるべきではありません。もし、別居・離婚後に主たる監護者となっている親が子を適切に監護できていないような場合は、親権者(監護者)を変更する手続きをとって、単独親権にするのが相応です。

また、家庭内でDVと児童虐待が同時に起きている場合があります(*1)。DVがある状態だと、加害親が家庭内を支配している状態のため、やめてと言っても聞いてもらえず、むしろ攻撃が増す場合もあります。もう一方の親によって虐待を防ぐ方法は加害者と離れるしかありません。

また、配偶者と子を置いて出ていくなどの監護放棄をしてしまう親に対して、監護をするように法律で義務付けても、子どもへの関心や監護する意識や能力が湧いて出るわけではないため、もう一方の親が主に監護を担うことに変わりはありません。

監護放棄を含め虐待の問題は当事者の努力に委ねても解決しません。国は公的な支援や社会保障を充実させ(たとえば、ひとり親のサポートやケア、養育費不払いなどの経済的な責務放棄に対しては国が立て替え強制徴収する、手当を充実するなど)、どのような家庭に産まれた子どもも健全に生きていける社会にしていくべきです。

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誤解9. 離婚後も両親と関わり続けることは、必ず子どもの利益になる?

各家庭の事情によって、子どもの利益が何かは異なります。両親や親子の関係が悪い場合や、DV・虐待がある場合など、子どもの利益にならないこともあります。

「離婚後も両親が揃って監護することが<必ず>子どもの利益になる」と決めつけるのは間違いです。子どもにとって、どのような養育環境が利益であり幸せであるかは、各家庭の状況と、その子どもの考え方や感じ方により異なるからです。離婚した後も両親と交流したいと思う子どももいれば、良い関係ではなかった親とはもう会いたくないと思う子どももいるのです。

今の日本の仕組みは、うまくいく家庭は共同監護できる仕組みです。にもかかわらず、うまくいかない家庭に対しても「親子が関わることが子どもの利益である」という信念を押し付け、両親が養育分担することや子どもが親と会うことを原則的に義務付けることは、より家族間の対立を余計に強め、子どもの利益にならないということがわかっています。

離婚後に子どもが両親とどれくらい関わるかという分担比率について、「子の養育分担が両親で均等であるか」という視点は、子ども側の主張から生まれたものではなく、親側からの主張から生まれた視点です。
親の一方が「養育分担の取り決めが不公平だ」と主張した場合に、その不公平を是正する(均等な養育時間を目指すように規定する)ことは、子の利益を損なう危険性があると指摘されています(*1)。

*1 梶村太市・長谷川京子・吉田容子『離婚後の子どもをどう守るか ー「子どもの利益」と「親の利益』216頁

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誤解10. 日本は国連から共同親権を勧告されている?

「共同親権」は勧告されていません。また、国連(児童の権利委員会)は日本の制度を誤解しています。

離婚後共同親権の導入を推進する団体が「国連が日本に対して離婚後に共同親権に法改正するよう勧告した」として、これを立法事実だと主張していますが、これは誤りです。

国連は日本に対して出した勧告の中には、共同養育(shared custody of children)を認めるために法改正をすることを求める内容も含まれていました(*1)が、これは、今の日本の法律を国連が「親子が永遠に断絶される法制度である」と誤解した上で出されたものだということがわかりました。また、この勧告には「共同親権」(parental authority)という言葉はでてきていません。つまり、「共同親権」を認める法改正を勧告されたわけではありません。

このときの審議と勧告の詳細ついては、下記のリンク「国連(児童の権利委員会)は日本の法律を誤解している」のページを参照してください。

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誤解11. 離婚後も協力できる家庭のために、共同親権を選べるようにすべき?

親権は子どもの利益のためにあるものです。両親に親権がないことで「子どもが」困る場面が無いのであれば、法制化する理由がありません。

まず、「協力して共同監護できる家庭には、親権が両親双方に必要なはず」、「離婚後に共同親権が必要な家庭が存在する」と思い込むのはやめましょう。

今、日本で離婚後共同親権の導入を訴える人たちは主に、子どもと別居している親たちであり、両親揃って共に訴えている人はいません。彼らは元配偶者の監護状況や行動を監視したり指図したりする権限を得る目的で「原則的な共同親権」と「子どもの連れ去り禁止」をセットで訴えています。彼らの考えを反映して立法されるということは、原則的、または離婚家庭全体に促進される形で適用されてしまう恐れがあります。関係が悪い家庭にとっては揉め事が増加・長期化し、DVのある家庭では加害者が共同監護を求める権利や親の権限を利用して様々な虐待を続け、子どもが苦しむことになります。また、現状の法制下で共同監護ができている家庭にとっても、親子の居所変更や重要事項決定の際に相手の許可や合意が都度必要になるなど、ルールが変わることで揉め事や紛争に発展してしまう可能性もあります。

欧米諸国での共同監護制度は、親の権限や監護分担が両親のどちらかに片寄るのは不公平である、両親で平等であるべきという親主体の考え(今日本で活発に活動している親たちと同様の考え)が基となって採用されてきた経緯があります。しかし、その結果、子どもの利益にはならなかったのです。

日本において、自主的に共同監護が実施できている家庭で両親双方に親権がないことで「子どもに」悪影響がでるような状況は明確になっていないにも関わらず、外国で失敗した法律の立法を望むというのは、非論理的で危険な主張であると言わざるを得ません。

「親権」は子どもの利益のためにあるものです。離婚後に親が共同で権限が行使できないことによって、もし本当に子どもの利益を害するような場面があるならば、それがどういう場面なのかを具体的に明らかにした上で、「共同親権以外で」解消する方法を考えましょう。

元配偶者と国による支配の実態

法的な権利や子どもを利用し、離婚後も続くDV。国は守るどころか、加害者との交流を強要しています。

Nさんの体験

話し合いが成立しない 無理やり合意“させられる”

私は婚姻中「妻は夫の言うことを黙って聞くべきだ」と夫から言われていました。生活で重要なことを決める際に意見が合わないと「人格に問題がある」などと毎回責められ、こちらが同意するまで話が終わらないので従うしかありませんでした。夫は浪費する・生活費を入れないなどの経済的DVもあり、耐えかねて離婚を伝えたときには「養育費を請求しないと約束しろ。そうすれば親権を渡して離婚する」などと言われました。もし当時、離婚後共同親権の選択肢があったら「共同親権にするなら離婚してやる」と取り引きに利用され、合意させられていたかもしれないと思うとゾッとします。離婚して数年経った今でも、元夫は裁判所の面会交流実施の決定も無視して自分の言う通りにするよう法的に申立てを続け、私を責める文面を送ってきます。
DV加害者は相手が言うことを聞くまで暴言や説教を続けます。相手を責め続けて自分に有利な条件に誘導し、合意するよう仕向けるという方法で自分の主張を通そうとします。一方被害者は、つらい生活から逃れたい気持ちで追い詰められているため冷静な判断ができなくなっていますし、相手の要求が理不尽でも受け入れるしかないと考えてしまいます。共同親権は家族を思い通りにしたいと考えるDV加害者に悪用される制度ですので、法制化すべきではないと思います。(Nさん)

Sさんの体験

子どもが嫌がる面会交流 国に強要され苦しむ

私は、離婚協議時にDV夫が子を遠方に連れて行き、しばらく子どもと引き離された経験があります。今は離婚が成立し、子どもを引き取ることができましたが、DVをしたうえに子どもを連れ去るような元配偶者との共同親権や共同監護は考えられません。
家庭裁判所の面会交流審判では、子どもが交流を嫌がっている状況や、婚姻中のDVの状況を訴えたにも関わらず、父親との面会交流を義務付けられてしまいました。実施するたびに子どもが泣いて逃げ出そうとしたり、精神的に不安定になったりするため、実施のたびに子どもに申し訳なく思い、苦慮しています。
家庭裁判所は、DVをする親であっても子との交流が必要という考えを持っているようですが、子どもの利益とは何かを充分に考慮していないと思います。この状況で離婚後共同親権または共同監護が導入されれば、面会交流と同様、共同親権・共同監護が子の利益になるのだからそうすべきだ、と押し付ける形で運用されることが容易に想像できます。離婚後共同監護が推進されている外国では、DVや虐待が見過ごされて共同親権(監護)にさせられている事例があると聞きます。日本での離婚後共同親権や共同監護導入には反対です。(Sさん)

強要によって人は壊される

DV・虐待加害者と同じことを、国がするべきではありません。

人と人との縁は、一方の気持ちだけではうまくいきません。相手がいることだからです。

家族内の人間関係に国が介入し、相手と共同で権限を行使しろ、どのくらいの頻度で親に会え、養育計画を立てろ、と命令されたら、どんな気持ちになるでしょうか。子どもは、本当にそういう形での家族の交流を望んでいるのでしょうか。

家族全員の合意で自然に交流が発生するからうまくいくのであって、もし国家(裁判所)によって決められたルールに従わなくてはならないとしたら、うまくいくものもうまくいかなくなってしまします。

人の心は常に揺れ動き、変化しています。ある時点では相手に会いたくない、会えないと思っても、しばらく冷却期間をおくことで改善する場合もあります(逆に最初は問題なく会えていても何かの出来事を機に会いたくなくなることもあります)。そのような当事者(子どもも含む)の気持ちの変化を無視して、他者に介入されたり、一方の意見だけで定期的に会うことを強要されたりすることで、関係が悪くなってしまう家庭があるのです。

繰り返しになりますが、今の日本では親子の縁が切れることはありません。子どもが実親を知る権利は侵害されていません。離婚後も当事者間で連絡を取り合えるような家族関係であれば、離婚後も交流している人たちがたくさんいます。この状況で共同監護制を導入する理由がありません。

元配偶者と協力ができない人たちのミスリードによって、日本の単独親権は「悪」にされ、逆に諸外国の共同監護制は「善」とされてきました。しかし、オーストラリアの経験からみても、協力が難しい両親に対して国家が家族の関わり方にまで介入することは、子どもの利益にならないことがわかっているのです。日本でも、子どもが嫌がる面会交流が国によって強要され、苦しんでいる子どもたちがいます。DV加害者と子どもの面会交流に苦心している人たちがいます。

当事者の気持ちがない状況での関係強要は、関係を壊すだけでなく、人そのものも壊します。

離婚家庭に対して、人間関係や家族の在り方を国が押し付け、強要したり促進したりする法制度は必要ありません。

参考文献

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