追憶
月日は流れる。人は旅立つ。
カルアが亡くなり、まるでそれを追うようにミアが次の年に亡くなった。
エルヴェナもまた、それからしばらくして。
それでも日々は続いていく。
けれど、終わりを迎えようとした日常であった。
三年と間を空けることなく、次はアーネが体調を崩し始め――
「雪崩みたいね」
昼下がりの午後。
ソファに腰掛けさらさらと、羽ペンを手に取り書き物をしていたセレネは言った。
その太ももを枕にだらしなく、ソファに転がっていたクレシェンタは向きを変えてセレネを見上げる。
「……一つ崩れるとあちこちが。でも、こういうものが幸せな終わり方なのかもね。同じ頃に生まれた人が、同じ頃に死んでいくって」
「どうだっていいですわ。それにそれは無能の言い訳。死が避けられないものだから、綺麗な言葉で飾り付けて満足したと言い張っているだけじゃないかしら」
ばっさりと切るように、セレネの言葉に言葉を返した。
「ふふ、あなたは本当クリシェと同じねクレシェンタ。言い方が違うだけで同じようなことを言ってるわ」
「おねえさまは確かにお馬鹿ですけれど、間違ってはいませんわ。セレネ様達に比べればずっと賢いですもの」
そう告げるクレシェンタの美しい顔を眺め、セレネは苦笑し頬を撫でた。
不機嫌そうに見上げるものの、麗しき女王は抵抗もしない。
「仮に人が皆不老であれば、死を美化する習慣なんてないのではないかしら。誰もが望まず忌み嫌うでしょう。……死が美しいだなんて単なる方便」
言い訳ですの、とクレシェンタは悪し様に続けた。
セレネは少し考え込んで、そうかもね、と微笑んだ。
「まぁ、社会的には美しいことにしておいた方が得ですもの。軍人は勝手に名誉のためにと命を賭けてくださいますし、悪いことではないですけれど……とはいえやっぱり、個人として考えるなら頭が悪いとしか思えませんわね」
「極論ね。あなたはもう少し、曖昧に物事を捉えるべきではないかしら」
「……曖昧?」
「そ。色んなことをね。……人の心なんて、曖昧なものだもの」
――あなたも含めて。
老婆は優しげな微笑で、横になる少女の額から髪を払う。
「あなたは本質的に、とても優しい子よクレシェンタ。クリシェとの違いは考え方の違いだけ。そうやって理解出来ない振りをして、他人を馬鹿にして拒絶するのは単に、認めることが怖いから。……でしょう?」
「わたくしはあなた達とは違いますわ。一緒にしないで頂けるかしら」
「些細な違いよ。同じ所の方がずっと多いわ。……誰だって傷つくことは怖いもの」
完璧主義者が多いのね、とセレネは静かに肩を揺らす。
「わたしもあなたも、ベリーもクリシェもみんなそう。理想ばかりがとても大きくて、だからちょっとした瑕にもこだわって。多かれ少なかれ誰にでもあるものだとは思うけれど、この屋敷にはそんな人間ばかりが集まってしまったのかしら」
己に価値を見いだせないベリー。
己の歪みが許せないクリシェ。
己の無能が受け入れられないセレネ。
そして己が完全無欠の存在であると、そう信じ込もうとするクレシェンタ。
「息苦しい生き方だわ。もっと肩の力を抜けばいいのに。……何も必死にならなくたって、体は自然と水に浮かんで漂うものよ」
「……何が言いたいのかしら?」
「分かってるくせに、素直じゃないわね」
くすくすと品の良い笑いを零し、行ってきたら、と部屋の外を指で示した。
「なんだかんだでお気に入りのアーネ。側で看病くらいしてあげればいいのに」
「十分してあげてますわ。それに、わたくしを何だと思ってますの。世界を統べる偉大な女王陛下ですのよ」
呆れたようにクレシェンタは言った。
「……最初から言っている通り、わたくしはおねえさまだけがいれば十分ですの。あなた達がどうだとか、そんなのは単なるおまけ。おねえさまが大切にしてらっしゃるからそれなりに扱うだけ。……今だってそうですわ」
「意地っ張りね」
セレネは苦笑するとソファに身を預け、クレシェンタの頭を撫で始めた。
それから目を細める。
「わたしも多分、もう長くはなさそうだわ」
ここのところは老いを感じる機会が多くなった。
魔力保有者は魔力を扱える限り、老化の影響はそれほど大きくはない。
激しい動きをした際に、息が切れやすく、関節が痛む程度であろう。
しかし近頃は、魔力の操作自体が段々と覚束なくなってきていた。
少なくとも、以前に比べてずっと細かい魔力の動きが難しくなってきている。
齢はもう百に近く――それなりに長生きもしていた。
魔力保有者としては長すぎる、というほどでもないが、寿命と考えればそれほど短くもない。
「……そうですの」
言って体を捻ると、セレネの太ももを枕にしたまま横向きに――自然と表情を隠す。
長く付き合うと、案外クレシェンタはわかりやすい少女だった。
「どうするかはクリシェに任せることにしたの。……だから、どうしたいかは二人でちゃんと、話し合ってから決めなさい」
「……意味が分かりませんわね」
「ふふ、……なんとなく、ね」
彼女の頭を撫でながら、セレネは目を閉じ続ける。
「物事に必要なものは決断で、決断に必要なものは納得で。そしてそのためには何かしらの通過儀礼が必要だと思うのよ」
セレネは少なくともそうであったし、ベリーもそうであったのだろう。
『……セレネが落ち着くまで、ちゃんと辛くなくなるまで。……クリシェはずっと、セレネの側にいますから』
どうであれ、あの日クリシェが部屋を訪れてくれたことが。
――セレネという存在を受け入れてくれたことが、今も心に深く刻み込まれていた。
だからこそ、いつの間にかほだされて、馬鹿馬鹿しいと思えるようになって――だからこそ色々なことを受け入れることが出来たのだ。
人は弱くて曖昧な生き物で、だからこそ切っ掛けが必要なのだと思う。
足をほんの少し、前に進める勇気のために。
「なんとなく、あなたはクリシェの願いを受け入れられていないような気がしたから言ってみただけ。……わたしの勘違いならそれでいいけれど」
その言葉に、クレシェンタは答えなかった。
セレネは特に言葉を重ねることなく、その頭を撫でた。
窓から差し込む陽光に、金の髪は赤に煌めく。
指通りはさらさらと、何十年経っても滑らかだった。
飽きることなくそうして撫でて、ふと、クレシェンタが口を開く。
「……このまま寝ますわ」
そう、とセレネは苦笑して、傍らの毛布を手に取り掛けた。
それ以上を尋ねることもせず、小さな体を余すことなく毛布で包み。
「……おやすみなさい、クレシェンタ」
愛情に満ちた声でそう言って。
それに答えることもせず、クレシェンタは瞼を閉じた。
――クリシュタンドのキッチンで、一人アーネはため息をつく。
屋敷には重い空気が漂っていた。
日に日にそれは強まるようで、アーネでさえそれが肌で分かる。
それだけ、彼女はクリシュタンドにおいて大きな存在であった。
彼女がいなくなってしまったら、一体どうなるのだろうか――
『っ!』
馬鹿な考えを取り払うように、パン、と両手で自分の頬を叩いた。
『……何を考えてるんですかアーネ。こういう時こそあなたがしっかりしないといけません』
自分に言い聞かせるように――いや、実際に言い聞かせて、目元を拭う。
強く叩きすぎたかも知れない。涙が出るほど痛かった。
自分で叩いた頬をさすりながら、玄関扉の開く音――外から翠虎の唸る声。
クリシェが戦場に向かったのだろう。
目を閉じ一つ頷いて、キッチンを出るとベリーの所に。
廊下を小走りに進んで二階に上がり部屋に入ると、
『アルガン様っ』
慌ててアーネは声を掛ける。
ベリーは衣装ダンスの前でしゃがみ込んでいた。
顔を伏せて、そのままじっと。
こちらに気付くと青い顔で苦笑する。
『……アーネ様』
『その、お体が……』
『平気です。ちょっとした立ち眩みですよ。……変に格好付けようとしてしまったせいでしょうか』
困ったように微笑みながら、エプロンドレスを指で摘まむ。
随分久しぶりのような気がする姿だった。
このところベリーは寝巻きでほとんどを過ごしている。
彼女は静かに目を閉じ、呼吸を整えて。
『アーネ様、着替えを手伝って頂いてもよろしいでしょうか?』
『は、はい』
アーネはすぐさま彼女の体を支えてベッドに腰掛けさせる。
それからネグリジェを取りだして、自分もベッドに。
エプロンを解いていた彼女からそれを受け取り、胸元のボタンを上から順に。
肩から丁寧に黒のワンピースを脱がせて、足元から引き抜くように。
くす、と小さな笑いが零れて顔を上げる。
『ふふ、お願いしておいて言うのはどうかと思うのですが……やっぱりなんだか恥ずかしいですね』
言葉通り頬に薄く朱を乗せて。
大きな瞳は柔和に細められ、長い睫毛が瞬いた。
以前と違い、髪を長く伸ばしたせいだろう。
使用人などには見えず、高貴な生まれの令嬢のようで、エプロンドレスを脱いでしまった彼女はただただ美しい。
小柄ながらもメリハリのある体付きはどちらかと言えば健康的に見えるはずで、けれど不思議と華奢に見えた。
なだらかで細い肩と、折れてしまいそうな腰の細さがそう見せるのだろうか。
初めて会った時から、どこか儚げな人だと思ってはいた。
今はそれ以上に。
一回りも二回りも細くなった手足のせいであるのかもしれない。
考えを振り払うよう首を振る。
『いえっ、恥じらいを覚える必要などどこにもありません! わたしの如き凡百には羨ましいほどの肉体美……わたしとしてはアルガン様のお世話をさせて頂けることは栄誉でありますっ』
『に、肉体美……』
困ったように彼女は目を泳がせた。
――肉体美はおかしかっただろうか。
自分の過ちを理解しつつも、ひとまずそれは後にとアーネは重ねる。
『これまでわたしが与えられた恩義を思えば遠慮などなさる必要はどこにもありません。えーと、そう、そうです、犬か何かのよう扱ってくださいませ』
心のままに言葉を紡ぐと、彼女は呆気に取られたように。
薄く口を開いて、アーネを見つめ。
それから顔を伏せると、口元に手を。
楽しげに肩を揺らして控え目な笑い声を零した。
またもや何か失言を――考え込むアーネにベリーは告げる。
『本当、アーネ様は楽しい方ですね。ふふ、本当……以前申し上げたように、アーネ様が来てからいつも思っているのですが』
『は、はぁ……』
『申し訳ありません、失礼を』
目元を拭って顔を上げ、いつものように彼女は微笑む。
『本当は……他の使用人と働くことが、少し不安だったのです。わたしは人付き合いが不得手な方ですから、仲良く仕事を出来るだろうか、と』
アーネの手から薄桃のネグリジェを受け取り、上から被り。
少し照れたようにしながら彼女は続けた。
『でも……アーネ様がいらっしゃって、エルヴェナ様がいらっしゃって、お二人とも真面目で仕事熱心で、優しい方で……今は本当、そのことにとても感謝しています』
『そ、それを仰るならわたしの方こそ……わたしの方こそアルガン様にはとても良くして頂きました。エルヴェナ様もきっと同じお気持ちのはず……』
それに、とアーネは目を泳がせる。
『わたしのほうは失敗ばかりで、アルガン様にはむしろご迷惑ばかりを掛けてしまっているような……』
『そのようなことは決して。……お屋敷も随分と賑やかになって、嬉しいことばかりでございますよ』
愛らしくも美しい――アーネよりも幼く見える童顔に、母や姉のような優しい微笑。
多分、自分はこれにやられてしまったのだろうと思う。
可憐で、どこか凜とした。
ベリー=アルガンとはそのような女性であった。
彼女はありがとうございます、と頭を下げて、そのままベッドの上の方に。
アーネも深く頭を下げて、彼女がベッドサイドのテーブルから、日誌を手に取ったのを眺める。
これまで作った料理の日誌であった。
十何冊もあるようで、随分前から暇を見つけては書き記していたものであるらしい。
途中から題名がシンプルな『料理日誌』から『クリシェ様との料理日誌』に変わっていて、今日はそちらの方であった。
中は彼女が――時折二人で同じページに何かを書き込み。
そんな二人を思い出すと何やら微笑ましく、アーネは言う。
『……セレネ様もクリシェ様も、早くご無事でお帰りくださると良いですね』
『ええ。……お帰りになったら何かお祝いをしたいところですけれど』
『お任せ下さい、ご指示さえ頂ければわたしとエルヴェナ様が協力致します』
ありがとうございます、とまた頭を下げて、礼など不要です、とアーネは答えた。
それからふと、同じくベッドサイドのテーブルに置かれていたはずの魔水晶が少し減っていることに気付き、小瓶を手を取る。
彼女の薬であった。
軽く振って中身がほとんどないことを確認すると彼女を見た。
『ああ……今朝に少し』
少し困ったように彼女は告げる。
痛み止めの薬だと聞いていた。
――見送りのために飲んでいたのだろう。
彼女が寝込んでいる原因がどのようなものかはアーネも聞いている。
『大丈夫でございますよ。念のために少し、口にしただけですから。……今日の調子はそれほど悪くないのです』
『……はい』
真実ではあるのだろうが、鵜呑みには出来ない言葉であった。
替えを取りに行こうと小瓶を手に、尋ねる。
『食事はいかが致しましょう?』
『そうですね……スープと果実か何か、お願いできますか?』
『はい、畏まりました』
食事を取れないほどではない、ということだろう。
ひとまず安心して、では失礼します、と一礼を。
それから扉を開けて廊下を出ると、キッチンへ。
薬の予備はキッチンの戸棚に置いてあることを知っていた。
小瓶の蓋を外して、小さな壺から緑色の粉末を中へ。
瓶の中を粉末で満たすと頷き、先に置いておこうと二階へ戻る。
『……女王陛下』
それと同じく、廊下に出てきたのはクレシェンタであった。
階段からは手前にあるセレネの部屋――クリシェが休んでいた部屋。
そこから出てきたらしい彼女は扉に背中を預けるようにして、小瓶を静かに眺めていた。
アーネに気付き視線を向けて、それからアーネの持つ小瓶に目をやった。
『中身が少なくなっていたので補充を――』
『……、珍しく気が利きますわね』
しばらくじっと、アーネの持つ小瓶を眺め、それから自分のものを。
なんとなく違和感があった。
『要りませんわ。……新しいのがありますもの』
ただ近頃、彼女の事でその機嫌が良くないことは知っている。
だから、恐らくはそれが理由であるのだろうとそれを流した。
『アルガン様のことは任せて、他の仕事を』
『……はい、畏まりました』
例えば、もう少し深く尋ねてみれば変わったのかも知れない。
側であれだけ過ごしてきたのだから、理解出来たはずだった。
その気持ちを察することが出来たはずだった。
いくら鈍感な自分であっても、きっと。
――それが確かな愛の形なのだと、疑う余地なく信じることが出来たのだから。
与えられた屋敷の一室。
「すみません、お手間ばかり……」
「……全く。アーネは最期までお皿を割るのが好きですね。無理をしちゃだめって言ってるのに手伝って倒れてお皿を割るだなんて」
「……すみません」
ぷりぷりと怒るエプロンドレスの少女に、ベッドの上からアーネは素直に頭を下げた。
見た目の上では少女と老婆――けれど今も、その関係は変わっていない。
「覚えてますか? アーネが割ったお皿はこれで合計百二十七枚です。割ったコップは七つ、折った箒は二本、割った花瓶は三つ、壺も二つ……何年務めても成長しないんですから」
「……はい」
「毎年一つ二つは何か壊してる計算ですからね。エルヴェナは精々お皿を五枚、セレネですら十枚くらいなんですから、これはものすごい数字ですよ」
両手を腰にクリシェはアーネを愛らしい顔で睨み付け。
それから眉をぴくりと揺らす。
「何がおかしいんですか?」
「……いえ、ふふ、まさかこんな歳になってもクリシェ様に怒られているだなんて、わたしは思ってもみなかったです」
「……クリシェが言いたいセリフです。どうしてアーネはそんなに不注意なんでしょうね」
もう、と少女へベッドに腰掛け、紅茶を注ぎ。
たっぷりと蜂蜜とミルクを混ぜてアーネに手渡す。
味覚がおかしい訳でも甘党と言う訳でもなかったが、アーネの舌は大雑把――濃い味を好んだ。
ありがとうございます、と礼を言って、紅茶に口づけ息をつく。
それから思い出したかのようにくすくすと、笑いを零して紅茶を置いた。
「歳を取ると自然に落ち着くものと聞いたのですが、やはり全然。まだまだわたしも努力が足りません」
「……アーネの場合、努力の方向性が間違っていると思うのです」
唇を尖らせて、もたれ掛かるように身を寄せて。
それからアーネのその頬を、まるで皺を伸ばすように引っ張った。
「あっちに行って元気になったら一から色々と教えなおさなきゃですね」
「……はい。ふふ、まだまだ学ぶ事ばかりですね」
告げるとどこかほっとしたように、険しい顔を柔らかく。
クリシェはアーネの太ももを枕に目を細める。
「……きっと、とっても楽しいです。膝が痛いだとか腰が痛いだとか言わなくていいですし、不安なこともなくて、みんな一緒。……新しい体に慣れるまではちょっと大変で不便かもですが、時間はたっぷりありますし」
エプロンの内側から魔水晶を取りだした。
以前より少し大きくなった魔水晶の内側に、光を放つは三つの光。
「……あら?」
「リラです。このままリーガレイブさんに仕えてクレィシェラナを見守りたいって……前にリーガレイブさんの所でそんな話をしてて。三日くらい前だったみたいですね」
アーネには原理が理解出来なかったが、死後には自然とこの内側に入り込むようになっているらしい。
近々、自分もそこに入ることになるのだろう。
「……なるほど。残っているのはもうわたしとセレネ様くらいだと」
「忘れちゃ駄目です、ぐるるんもですよ」
「あ、はい、ぐるるん様も……」
苦笑して窓の外に目を向ける。
果たしてあの大きな猫に寿命などあるのか――数十年経ってまだ成長しているように見えた。
最初の記憶よりも一回り、いや二回りは大きくなっている。
「大気に魔力が満ちたせいか、最近は特に元気そうですし……あっちに行ったらもっと元気になるかも知れませんね。……食べて寝てるだけですけれど」
「ふふ、それがきっと一番の幸せなのでしょう。エルヴェナ様がいなくなって、少し寂しそうでしたけれど」
餌やり係がエルヴェナであったからか、クリシェやベリーの次にぐるるんはエルヴェナに懐いていた。
それを思い出して静かに微笑む。
――目を閉じると最近は、思い出ばかりが瞼の裏に浮かんでくる。
体が以前ほど動かなくなったせいか、考えごとをする時間が増えて、懐かしむ時間が増えた。
悪い気分ではなくて、心地良く。
仮にこのまま眠って目覚めなくとも、それで良いとさえ思えてしまう。
「……多分、ガーレン様はこのようなお気持ちだったのでしょうね」
「……?」
輝かしくも温かい、無数の思い出に包まれて。
そうして一生を終えるというのは何より幸福なことなのだろう。
少なくない人達が、この優しい少女を深く愛していたに違いない。
しかし少女が胸に抱く魔水晶には、僅か三つの光だけ。
その理由はよく理解が出来た。
若い頃にはただただ怖いもののように思えていた、
けれど死とは決して、悪いものではないのだと思う。
花が咲いては枯れるように。
『――人生において、選べることなんて些細なものです。穏やかな流れに身を任せるか、激流に身を投じるか、それとも外れた支流を流れてみようか』
川上から川下へ、水が流れていくように。
『それとも……側を流れた花びらに、この身を添わせてみようか、だなんて』
愛おしげに語られた、いつかの言葉を思い出す。
『折角の自由、惰性で進むよりは、進む先を選んで流れる方がずっと幸せなことです。仮にその先後悔したとて、自分で選んだ道ならば最低限の納得は出来るもの』
劇的なものではない。
これはもしかすると、惰性で流れた結果であるのかも。
しかしこの流れに身を任せるのは心地良く、それで良いと思える何かがあった。
そこに理由は必要ないのだろう。
なんとなく、それで良いと思えたからそれに従う。
自分は昔からそのような人間で――そしてそれでも、そこに納得があればそれで良いのだと。
「クリシェ様」
「なんですか?」
その上で自分に出来ることはなんだろうかと考えて、アーネは告げる。
「お話ししたいことがあるのです」
「お話……」
頷いて、ほんの少し目を閉じて。
「……アルガン様が、お亡くなりになった日のことです」
静かにアーネは語り始めた。