ナチ・シンパであってもハイデガーを読む価値が減らないのと同様、ペドフィルであってもフーコーを読む価値は減じない。フーコーがセクシュアリティを主体の属性・選択とすることに異議を唱え続けたのを考えると、個人的にもペドフィルだったのはある意味一貫してさえいる。フーコーとは問題である。
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返信先: さん
前にも書いた記憶があるが、LGBTQにせよ、SMフェチ諸々にせよ、性的指向に関して寛容な虹色の世界で、なぜペドフィリーが徹底弾劾されるかといえば、ペドフィリーが法的主体の選択・合意で<ありえない>からだ。そのこと自体は、今のセクシュアリティ問題に関しても一考すべき事柄だと思う。
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