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これまでの光秀像を白紙に。
脚本家 池端俊策インタビュー
脚本を書くにあたって、何を大切にしたのか?
今回のドラマに登場する光秀は、どんな人物なのか?
『麒麟がくる』の脚本家、池端俊策氏に聞いてみました。
明智光秀。これは、
おもしろくなりそうだと直感した。

今回、大河ドラマのオファーが来たとき、室町幕府の後期、つまり戦国時代をやるというのは決まっていました。僕は以前『太平記』(1991年放送)で、室町幕府を開いた足利尊氏を書いたことがあり、いつかは室町幕府の後期を書きたいと思っていたので、ぜひやってみたいと。
では、誰を主人公に置くか? 織田信長との関係も深い室町幕府最後の将軍・足利義昭はどうだろうか?斎藤道三もおもしろそうだけど、早く死んでしまうから・・・。そんなときNHKサイドから明智光秀の名前が挙がり、僕はそれに飛びついたわけです。信長と義昭をつなげたのが光秀という説もあるし、美濃の出身といわれているので道三との関わりもあるはず。しかも光秀は、戦国時代の裏街道を歩いた人物の代表格です。僕は裏街道を生きた人が大好きなので、これはおもしろくなりそうだと直感しました。

道三や信長のことを、
どんな顔で、どう見ていたのか?

明智光秀の、特に若いころの資料はほとんどありません。光秀が歴史に登場してくるのは、義昭と信長をつなげるあたり。光秀、41歳のときです。それまでは、彼の正確なことはほとんどわかっていません。
戦国の世に生まれて、41歳になるまでどのように生きてきたのか?それは誰も知らない。ただ、斎藤道三や織田信長など光秀が関わったと思われる人たちには、何をやったのかある程度わかっている人もいます。同時代人として光秀は彼らのことを、彼らがやったことをどう見ていたのか?そのときどんな顔をして、どう感じたのか?道三や信長との関係を描きながら光秀の人間性や性格を解き明かしたり、自分なりに想像しながら書き進めています。

僕が描きたいのは、
名もなきひとりの青年の物語。

光秀というのは、頭はいいが陰湿で神経質なほど繊細な男だったので、信長とソリが合わずにいじめられ、それを逆恨みして本能寺で謀反を起こした。この光秀像は基本的に江戸時代の資料が元になっています。『信長公記(しんちょうこうき)』に書かれているのは信長側からの見方だし、江戸時代に書かれたものは徳川家康側から見た光秀です。多くの資料や文献は「光秀は逆賊である」という発想からスタートしているので、そこには客観性が欠如していると思われます。
僕がまずやったことは、これまでの光秀像を白紙にすること。美濃で生まれ育ったことは、ほぼはっきりしているので、そこでどんな家族のもとで、どんな景色を見ながら成長したのか?これまでの勝手なイメージを払拭(ふっしょく)し、名もなきひとりの青年が戦国という時代に振り回されながらも、何か一筋の光のようなものを求めて生き抜いていく姿を描きたいと思っています。

脚本を書き進めるほどに、
光秀は長谷川さんしかいないと確信した。

長谷川博己さんは、とても繊細で、誠実で、優しさがありますが、その中にもある種の殺気が感じられる緊張感のある役者さんです。
僕が描きたい若いころの光秀は、透明感があって、人のなかを探訪しながら、あるときは苦悩し、あるときは理想に燃え、一気に時代を駆け上がっていく人です。その後、41歳になると信長の家臣として歴史に登場してきます。豊臣秀吉のライバルであり、一時期は家臣の中でナンバーワンにもなりました。そういう人はどこか殺気をはらんだ緊張感にあふれた生き方をしたはずです。
透明感と緊張感のある光秀は、まさに長谷川さんです。脚本を書き進めるほどに、長谷川さんは光秀役のためにいる役者だという思いが強くなってきています。

まっさらな気持ちで、
戦国の世を探訪してほしい。

戦国時代は名だたる武将がたくさん登場します。その人たちと光秀がどのように関わっていくのかを書くのはとても楽しい作業です。自分自身が戦国時代を探訪しているような気分になります。
ドラマの前半では光秀は旅をしながら、いろいろな人と出会いさまざまな世の中を見て歩きます。たとえば、京都に滞在していたときは、松永久秀と話をする機会があったかもしれない、何かのきっかけで将軍・足利義輝と出会ったかもしれない。そんなふうに想像の翼を広げながら、歴史的な事実という点と点をつなげながら書くことは本当に楽しいことです。
ドラマを見てくださる方も、僕と同じようにまっさらな気持ちで戦国時代を探訪してもらえたらうれしいですね。

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