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本能寺の変〜明智光秀 長谷川博己 光秀にとって信長は自分の分身でもあります。ただ討つという単純な感覚ではなく、自分自身をも殺すという感覚でした。 本能寺の前で火が上がるのを見つめながら走馬灯のように色々(いろいろ)な記憶が蘇り(よみがえり)、非常に複雑で多様な感情が浮かび上がりました、
10分くらいずっとカメラを回してもらっていたと思います。
信長との出会い、志同じくして笑いあったこと、食い違いからの口論、関係性の修復できない苦しさなど、様々(さまざま)な思いが湧き上がり
気持ちが抑えきれず叫んだところなどもありました、自分の中にある全ての毒や暗部を涙とともに洗い流していくような感覚でした。
光秀は信長を討つことにより浄化されたのかもしれません。
このシーンは12月頭のロケで先に撮影され、そのあとに本能寺の変までの光秀の道程がセットで撮影されました。
終着地点を先に撮ることによってそこまでの心情の変化が感じやすくなりました。
43回のラスト饗応(きょうおう)のシーンや大樹を切る夢のシーンもそれを先に撮っていなければ、生まれなかったものもあったかもしれません。

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