強き雨
『……お兄ちゃん、お願いだから馬鹿な事を考えないで。私はいいから』
悪名高い貴族であった。
まだ幼かった妹はザルヴァーグとは違い華やかで見目が整い――それが原因で目をつけられ、使用人となるよう命じられて屋敷へ向かった。
ガルシャーン王国時代の貴族とはそのようなものだ。
絶対的権力を有する獣――平民などどのようにも扱える。
青い顔をした妹はザルヴァーグと共に逃げるという選択を取らず、己の運命を悟ったように貴族の所へ。
数年後、屋敷で盗みを働いたとして殺された。
妹に限ってそんなことがあるはずもなく、調べれば妹は子を孕み、それを堕ろすことを拒んで殺されたそうだ。
逃げだそうとしたところを捕まって。
よくある話――本当は、わかりきっていたはずの結末だった。
それでも利発で器量の良い妹ならば、きっと屋敷での生活にも慣れ、もしかすれば悪くない生活を送れているのかも知れない。
拙い字の手紙には、辛いことがあってもそれなりに良い生活を送れていると、いつも書かれていたから、それを信じようとして。
生まれて始めて剣を取り、屋敷へ向かった。
そして呆気なく捕まったザルヴァーグに、あの男が告げた言葉は良く覚えている。
『勿体ないことをしたと後悔をしているとも。くく、お前の妹は実に良い声で鳴いたのだがな』
オールガンによる反乱が重なったのは幸運だった。
処刑される寸前で反乱軍に助けられたザルヴァーグは、そのまま彼等と共に戦うことを決めた。
崇高な使命感があった訳ではない。
単なる復讐心だった。
その男を殺すためだけに人生を捧げることに決め、そのためだけに死に物狂いで剣を振るった。
誰より多くを殺せば、成り上がれる。
手柄を挙げれば重要な配置に選ばれる。
指揮官の首を狙って戦列を斬り込み、いくつもの首級を挙げた。
とはいえ、当時の記憶はそれほど残っていない。
『……ザルヴァーグと言ったか。話は聞いている。残念だったな』
覚えているのは、籠城した仇の部屋へと斬り込んだこと。
そこで呆気なく、服毒自殺していた仇の死体を見たこと。
『……私のこれまでは、何だったんでしょうか』
『仇は死んだ。お前の復讐はそれで終わりだ』
剣を仇の心臓に突き刺しても、何一つ返ってくることはなかった。
死んでいる。
妹を弄び殺した男は、大した苦痛もなく死んだのだ。
妹の受けたであろう、苦痛の一部も味わうことはなく。
『死体を辱めたいなら好きにするが良い。それでお前の気分が晴れるならば』
ザルヴァーグは答えず膝を突き、刃を引き抜き自分に向けて。
『だが、死ぬことは許さん』
男はその刃を掴んで止めた。
『……何故でしょうか?』
『お前は復讐のため革命軍を利用した。聞くところによるとお前の命を救ったのも、この俺の、革命軍だそうじゃないか。お前には俺に対する恩義があるとは思わんか?』
『……恩義?』
男――オールガンは笑い、ザルヴァーグの胸ぐらを掴んだ。
『どうあれ復讐は成った。これはお前の新たな人生の始まりだ、ザルヴァーグ。その人生をお前が捨て値で売るならば、俺がひとまず買い取ろう』
『売り物ではないつもりですが』
『なんだ、自暴自棄なわりにはっきりしているじゃないか』
そして額を押しつけるようにして、挑むように告げる。
『俺は最後の王族として、万人に平等なる世をもたらさねばならん。そのためにお前の力を貸せ』
『……私は』
『――などと聞こえの良い言葉を吐くつもりはない。安心せよ』
オールガンは楽しげに笑い、その手を離す。
『崇高な大義名分だが遊びの建前、別にお前や平民を不憫に思った訳ではないし、単に兄とその周囲の屑が気に入らんから喧嘩を吹っかけただけだ』
『喧嘩……?』
『そう、戦が好きでな。……お前の活躍はこれまで何度も耳にした。お前は俺の側で剣を振るうが相応しい男だと思っていた。復讐が終わって暇だろう、俺に手を貸すといい』
無茶苦茶な言い分であった。
『お前にあった悲劇など腐るほどある。そしてこの先も起きるだろう。だが俺に協力するならば、お前の妹に起きたような悲劇がこの先起きぬよう俺がこの国を作り変えてやろう。……戦を楽しむついでにな』
『……、狂ってますね』
『くく、無礼な奴だ。しかし狂いもせず権力を手放す王族がいると思うか?』
それでいて、吸い込まれるような力強い目であった。
『ザルヴァーグ、死ぬだけならいつでも出来るものだ。それでも死ぬというなら、ここで死ぬより戦場で死ね。俺がここで死ぬより良い死に様を与えてやる。それに仇にとどめも刺せず自刃したとなれば、胸を張って妹の前にも顔を出せまい?』
無精髭をだらしなく生やし、まともに眠れていないのだろう。目元には深い隈があった。
それでもその目は少年のように若々しく、輝きに満ちて。
その手甲に包まれた太い手を差しだした。
『……このガルシャーン最後の王、オールガン=ディケル=シャーニアが雨に誓い、後悔しかないお前の生に確かな実りを与えてやろう』
その手を取った理由がなんであったか、ザルヴァーグには今も分からない。
「ぅ……」
――目覚めれば草原の上に寝転がっていた。
折れた左腕は添え木がされてそのままであったが、両足は縛られ、右腕も胴に縛りつけられている。
「目が覚めたか、ザルヴァーグ。中々長いこと眠っていたな」
声の聞こえた方向を見れば、両手を後ろで縛られ、あぐらを掻いて座る主君の姿。
鎧には無数の傷、顔には青あざを作り、鼻血を垂らしながらも堂々と座している。
周囲では王国の兵士が慌ただしく走り回っていた。
ガルシャーンの旗は降ろされ、見えるのは天に剣の切っ先を向ける、傲慢なる王国旗。
「……負けですか」
「あの状況で勝ちなどあるものか。俺がガーカを討ち取り、その上アルベリネアを討ち取る強者にでも見えたか?」
「見えませんね。私が相手にもならぬ相手に、副議長が一合持つとも思えません」
「くく、相も変わらず無礼な奴だ」
オールガンは愉快げだった。
「完膚なきまでの敗北だぞザルヴァーグ。ははは、見事なものだ、いっそ清々しいほどの大敗。……俺はこれで歴史に名を残す無能となった」
「でしょうね。随分と楽しそうですが」
「悪くない気分だぞ、全力で向かって圧倒される気分というのは」
オールガンはただ笑う。
いつも通り、いつも以上に愉快げだった。
――その場に響くのはただ、轟音であった。
キルレアの戦列を突破したダグレーン=ガーカに対し、オールガンは受けの選択を取らず一人前へ。
応じるようにダグレーンも前に出た。
もはや勝敗は決している。
アルベランの勝利という形で。
それはその確認作業と言えるもの――数十年に及ぶ戦いの決着を示すもの。
「ガーカ! 勝者はアルベランと認めてやる、だがお前だけは殺すぞ!!」
「ハッハッハァッ! 負け犬の遠吠えだなオールガン!! 吠えることしか出来んお前に付き合ってやるわしの優しさを喜ぶといい!!」
ダグレーン=ガーカが響かせるは大戦斧を振り抜く轟音。
風を圧縮し、大地を削り取ってなお止まらぬ鈍い刃は鋼すらを圧断する。
対するオールガンが振り抜くのは身の厚い大曲刀。
五尺の刀身はもはや斧のそれであり、刃筋を立てれば万物一切を両断する。
鋼を打ち鳴らす音などこの場には響いていなかった。
仮に互いの手にする獲物を打ち合えば、受け手は必ず獲物を失うだろう。
故にどちらもそれを避けながら、そして互いに相手の獲物を狙い――その上で隙を狙って相手の胴や首を両断しようと試みる。
結果生じるは嵐と言うべき無数の風切り音。
刃にえぐり取られた大地には無数の傷痕が生じていた。
拮抗した勝負、先手を取ったのはオールガン。
僅かな隙を生じさせ、相手の上段を誘って躱す。
そしてダグレーンが振り下ろし、地面に叩きつけた大戦斧――その鋼で出来た柄に刃を叩きつける。
興奮から角度は浅く、切断は出来ず、しかし武器としての機能を失わせるには十分だった。
大戦斧の柄は中程からひしゃげてくの字に歪む。
アルベランの兵士から悲鳴のようなざわめきが広がり、しかし当然ダグレーン=ガーカもそれだけでは終わらない。
腰の長剣を引き抜くとオールガンの持つ大曲刀――柄を両断出来ずに生じた刃こぼれを狙って、正確無比な一閃。
その大曲刀を中程からへし折った。
今度はガルシャーン側から悲鳴のようなざわめき。
オールガンは大曲刀を失えば、短刀以外に武器を持ち合わせてはいない。
「させるか!!」
しかしオールガンは叫び、折れた大曲刀をダグレーンに投げつける。
全身を筋肉の鎧で纏った魔力保有者。その投擲は悪あがきの投擲などとは訳が違う。
命中すれば鉄板すらを貫く威力を持った、必殺の凶器であった。
咄嗟にダグレーンは向かってくる大曲刀を長剣で弾く。
粗野な見た目にそぐわず剣技は精緻――アルベランに伝わる王者の剣、正統剣術を学んだダグレーンは大戦斧を手放してなお、その身に染みついた技術を遺憾なく発揮する。
だが、折れたとはいえ常軌を逸した大曲刀。
それを弾けば体勢は崩れ、隙が生じ、そこに突進するは猛牛の如きオールガン。
筋肉で出来た六尺体躯を重厚な鎧で包み、その体をダグレーンの鎧に叩きつける。
その一撃は鋼を纏った筋肉塊と言えるダグレーンの体を優に一間弾き飛ばし、すかさず跳び乗ると右の拳を叩きつけた。
瞬時に首を捻ってダグレーンは躱すが、その拳は大地を深く陥没させる。
武器を失えど無手ではない。
彼の手甲は兜ごと相手の頭蓋を叩き潰す――それはそういう鈍器であった。
ダグレーンは右手の直剣を僅かに動かし、オールガンに回避を選択させ。
そしてその瞬間に仰向けになったまま左の拳をその顔面に叩き込む。
体重の乗らぬ一撃――しかしその高い鼻の骨をへし折るに足る一撃。
オールガンは仰け反りながらも右腕を振り、僅かに起き上がったダグレーンの頭部に手甲を叩きつけた。
両者脳震盪を起こしながらも僅かな距離を取って立ち上がり――
「……あの、ガーカ将軍、何してるんですか?」
周囲に巻き起こるのは暴風。
現われたのは銀の髪の少女――クリシェであった。
「男の戦いだクリシェ、邪魔をするな」
「駄目です。アルベリネアとして命じます、戦闘終了です」
クリシェは眉をぴくぴくと、怒ったように両手を腰に当てた。
そして頭上を指さす。
一頭のグリフィンからはロープでぐるぐるに巻かれた長身の男――ザルヴァーグがぶら下げられていた。
「オールガン副議長を殺しちゃったらクリシェとの約束はどうなるんですか、もう。わざわざそのために証人を連れて来たのに」
「なんとも空気の読めん奴だな……」
「……クリシェはガーカ将軍と違って遊びに来ている訳ではないんです」
途中から上空を旋回、指笛を鳴らして散々アピールしていたのだが、オールガンもダグレーンも完全にクリシェを無視していた。
不機嫌極まりない様子でクリシェはオールガンを睨む。
「あなたの予備による迂回も失敗。文句なしでクリシェの勝ちですオールガン副議長。約束通り降伏を。要求は即時停戦です」
オールガンはそんなクリシェの顔を見て、気を失ったまま吊り下げられているザルヴァーグを見る。
想像よりもあまりに早い決着であった。
せめて自分かダグレーン、どちらかが死ぬまでと考えたが、しかしそこまで保つこともなかった。
――いや、早かったのは全てにおいて。
想像を絶する早さで決着は付いた。
開戦から一刻にも満たない時間で、オールガンは半数の戦力に対し、大敗を喫したのだ。
「約束を破るなら皆殺しです。……捕虜を取らず、このまま全員虱潰しですけれど」
オールガンは未だ遠く響く戦場音楽を耳にして、首を振る。
「いや……誓いを破ることはせん。応じよう」
そして叫んだ。
「ガルシャーン軍総大将オールガンが告げる! ガルシャーン、アルベランの兵は即時戦闘を中止せよ!! 此度の侵攻はガルシャーンの敗北とし、聖霊協約に基づく停戦となったッ!!」
クリシェは耳を両手で押さえる。
それでも手甲の鋼が震えるほどの大音声だった。
「ガルシャーン兵士は武器を捨て、アルベランからの指示を待て!! また、これは聖霊協約に基づく停戦である!! 降伏したガルシャーン軍兵士に対し、アルベラン軍兵士は敵意を収めよ、以降の暴力を禁ずる!! これに逆らうものには聖霊が裁きが下されると思え!!」
まずは西部共通語で告げ、同じ文句をシャーン語で繰り返す。
攻め手はアルベランであったためだ。
それを二度繰り返すと、どっしりと腰を降ろして武装解除――短剣を大地に突き立てた。
「……そちらの勝ちだアルベリネア、これで満足か?」
「んー、ひとまずは。お話は後ですね」
クリシェは周囲を見渡し、それから頭上のグリフィン達に合図を送る。
そして再びオールガンに目を向けた。
「一応縛らせてもらいますね。……カルア、適当に縛ってください」
「あいさー」
「んー、シャーン語が出来る人がいないのが問題ですね。ガーカ将軍、シャーン語は?」
「おお、出来るぞ。早速グリフィンに乗る機会が出来たという訳か」
「そうですね、戦場が広いですし。クリシェはこの辺りを回るのでガーカ将軍は西側を。ベーグ、ミアを降ろしてガーカ将軍を」
「は!」
手早く指示を出すとクリシェは乗ってきたグリフィンの後ろに跳び乗った。
「ミア、この辺りは適当に。キースが来たらそっちに任せてください」
「はい」
「オールガン副議長、そういうことで。クリシェの勝ちなのでお嫁さんにはなりませんけれど、ちゃんと約束は守ってくださいね。……ヴィンスリール」
「は」
手早く用件だけ告げるとクリシェはすぐに上空へ。
続いて、恐る恐ると言った様子でグリフィンの後ろに跨がったダグレーンが告げる。
「くく、求婚の相手を間違えたなオールガン。あれはそうそう嫁に出来るような女ではないぞ。大敗の上振られるとは二重の苦だな、憐れんでやろう」
「ふん。さっさと行け。お前の右翼は未だ劣勢だろうに」
「わしが突破した時点でもはや逃げ腰になっておったよ。……よし、飛んでくれ」
ダグレーンは空へと舞い上がり、それを見上げてオールガンは息をつく。
「オールガン副議長、申し訳ありませんがお手を」
「ああ、好きに縛れ」
声を掛けてきた黒塗り鎧。
黒髪の美女を見て眉根を寄せた。
「ナクリアでも見た顔だな。アルベリネアの護衛か?」
「はい、副議長。カルアと申します。……お分かりの通り、アルベリネアは護衛など不要なお方ですが」
「確かに、側仕えのようなものか。……愚かに思うか?」
「……愚か?」
両手を縛りながら尋ね返したカルアに対し、オールガンは笑って頷く。
「そう、アルベリネアに挑み、これだけの大敗を喫した将を見て、正直にどう思う? アルベリネアを知る者として」
「……状況、お立場から見ても愚かとは。とはいえ、わたしが畏れ多くもオールガン副議長のお立場ならば、決して挑みはしない相手ですね」
くすりと笑って、カルアと名乗った女兵士は答える。
「まして、剣で勝って娶ろうなどとは」
その言葉にオールガンは吹き出した。
「っ、ははは、そうか! 確かに、あれを剣で購えるものなどおるまいな。俺はどうにもやり方を間違えたらしい」
そしてそう告げると一人頷き、グリフィンから降ろされたザルヴァーグに目をやる。
「俺は構わんが、軽くその男の手当てをしてやってくれ。縛ったまま出来る程度でいい」
「はい。……ミア」
「うん。ベギル、そのまま手当てを」
「あいよ、副官」
ミアと呼ばれた女副官――田舎から出てきた村娘のような、手練れには見えぬ姿を眺め。
「……あれが副官、か」
負けるべくして負けたのだ、とふと理解した。
「俺とは違う。あの娘は新しい時代を作るだろう」
オールガンは目を細めた。
ザルヴァーグは身を起こし、怪訝な顔で主君を眺めた。
「……キルレアもエルカールも、連れてきたのは皆良い戦士で指揮官であった。連れてきた獣もこれ以上ない。ガルシャーンの歴史を見ても、まさに最高の布陣――俺という人間の集大成。相手が誰であろうと圧倒出来るという自信があった。だが蓋を開けてみれば……」
周囲にある黒塗り鎧を眺め。
そして軽く肉片を取り除かれ、荷馬車に乗せられていく黒鉄の巨人を眺める。
「青銅の時代に鉄器が持ち込まれた時のような、徒党の時代に戦列が持ち込まれた時のような――これは時代の新たなうねり。故に旧来を率いた俺は敗れてこうしているのだろう。……それをこうして目に出来たことが俺は喜ばしい」
「……理解出来ませんね。あなたのことは昔から」
「お前が理解しようとせんからだ。目を閉じていては何も見えまいザルヴァーグ」
オールガンは空を見上げる。
降り注ぐ太陽の光で目を焼きながら、その瞳は雲を捉える。
「ガルシャーン、我らは強き雨を求める者達。雨が全てを押し流し、新たな実りを育んでいく」
――拝雨教、と呼ぶべき信仰だった。
国土の大半を荒野と砂漠が埋め尽くす厳しい土地。
そんな地に訪れるのは年に一度の雨期と嵐。
それが大河を氾濫させ、豊かな土壌を周囲一帯に撒き広げ、作物を実らせる下地となり、そしてその上にこそ人の暮らしが成り立つ。
「……硬直したものが壊れて、どう生まれ変わるかを見てみたかった」
ガルシャーンとは強き雨――その破壊と再生を尊ぶ言葉であった。
「しかし王家が潰えたところで何かが変わった訳ではない。……議会は俺を王の如く扱い、民衆は勝ち取ったとする栄華にただ笑う。かつての貴族は奴隷となり――立場が入れ替わっただけだとは、誰もが気付かず踊っている」
「これで少しはマシになる、とでも?」
「いいや。……若干の後悔だな。これならいっそ俺が強き雨となり、全てを壊してみせるべきであった」
オールガンは苦笑し、北を見た。
アルベランの王都がある方を。
「あの人を食った、傲慢そのものと言える女王を見たときにふと思った。俺の選択は正しかったのだろうか、と。――この結果は思えば妥当。強き雨となった者と、強き雨をと願った者の違いだろう」
愉快そうに肩を揺らした。
ザルヴァーグは呆れたように嘆息する。
「あなたの語る言葉は昔から難解です」
「馬鹿な振りはよせ。独り言は趣味ではない」
「お好きなように見えますが。……どうされるおつもりです?」
「……さて。まぁ帰っても殺されはせんだろう。結局この戦は議会の決定、俺は敗戦の責を追及され一時地位を追われかねないだろうが……アルベランが此度全ての戦争に勝利することはもはや既定事項。その結果を見れば連中も理解する」
ガルシャーン共和国議会自体が今回の戦を望んでいた。
先年の神聖帝国侵攻時にもその声はあったため、オールガンが望む望まぬに関わらず此度の侵攻は起きただろう。
当然敗戦の将となったオールガンに責任を問う声は生じるが、倍の兵力を圧倒し打ち破ったアルベリネア。
エルデラント、エルスレンを相手に失策を犯すとは思えず、アルベランはこの三国侵攻を上々に乗り切るであろう。
そうなれば彼等にも、オールガンを罵倒している余裕はなくなる。
「何も変わるまいな。キルレアもエルカールも失った。捕虜解放と賠償金の交渉、国防人事に議会は紛糾……纏められるものは俺しかおらぬ。……選択するならば、この辺りか」
「……今更全てを放り出すというのなら、あなたは私が殺しますよ」
ザルヴァーグは平然と言って、転がる。
両足を縛られた状態では、思った以上に座っておくのも辛い。
「あなたは私の生に実りを与えると言ったのだ、ガルシャーン王。私には未だ、それが何かもわかっていない。……それともこれが結実とでも?」
オールガンは楽しげに笑って、仰け反るように倒れ込んだ。
「ははは、ちゃんと話を分かっておるではないか嘘つきめ」
そして遠い目で空を眺め、
「……許せ、いっそそれも清々しい選択かとも思えた」
そう呟く。
「いっそその方が、良い形になるのかもしれんとな。……アルベランはいずれ嵐を起こすだろう。その濁流に呑まれさせた方が、あるいは実りも大きくなるかもしれん」
「……実りを生むのはあくまで人の手。鍬を持つ者は必要でしょう」
ザルヴァーグは草の匂いに目を閉じた。
この周囲では戦闘もなかったせいか、血の臭いも混じらない。
「今ある民衆が愚かというなら、あなたが鍬の持ち方を教えればいい。あなたが小麦の育て方を教えればいい。あなたはそれを知っているはずだ。……あなた方が民衆から奪い去ったものなのだから」
ゆっくりと目を開いて、雲を眺めた。
そこにあるのは、雨など振りようもない白き雲。
「……その嘆きは、やるべき全てを行ってからするものですよ、副議長」
春の風。
じきにガルシャーンは雨期に入るだろう。
「そして多分――あなたならば出来ると、そう思ったから私はここにいるのです」
実りをもたらす、強き雨が降り注ぐ。
「ははは、俺の人格に惚れたかザルヴァーグ。そう言われればやらざるを得んな」
「いえ、正直副議長のことは面倒に思っていますよ。今の気分は惰性です」
「抜かしおる。まぁ……どうあれ、あちらの出方次第、といったところだが」
見上げた空から大きな影。
「まずは全て、嵐が過ぎてから、か」
暴風が吹き荒れ、再び舞い降りるのは一人の少女。
「もう、グリフィンはスカートがぱたぱたするのが駄目ですね」
スカートを押さえて唇を尖らせ、グリフィンを見やり。
「お待たせしました、オールガン副議長。ぱぱっと話し合いをしましょうか」
それから少女は、紫色の瞳を二人に向けた。