神の目
「約束以上だなクリシェ! 流石のわしも度肝を抜かれたぞ」
夥しい血を浴びた獅子甲冑を身に纏い、大戦斧を肩に担ぎ。
戦列を抜いて現われたダグレーン=ガーカは楽しげに笑いクリシェの肩を叩こうとする――が。
血で汚れるのを嫌ったクリシェは咄嗟に飛び跳ね、それを避ける。
「ガーカ将軍には先にお見せしたと思うのですが……」
「とはいえ実際に戦場で見るのとでは大きな違いがある。……何故避ける?」
「……ガーカ将軍血まみれですし」
「かっ、随分な潔癖症だなお前は」
呆れたように両手を広げ、ダグレーンは背後を見た。
もはやこの周囲に組織的抵抗を行える集団はない。
ガルシャーン兵士達は背を向けて逃げだしていた。
敵の最左翼は生き残っているが、こちらの中央突破に困惑を隠しきれない様子。
当然であった。
ガルシャーンは両将を失ったのだ。
兵は指揮官あればこそ兵たり得る。
それを立て続けに失えば、兵の動揺を立て直すことは難しい。
旗色は誰にも理解出来るからだ。
ましてあちらは戦勝気分で浮かれていた兵達――その落差を易々と受け入れることはできない。
もはや勝利は確たるものであった。
「後で詳しくあれ……ぼんじゃらだったか、それについてを教えてもらいたいところだがそれは後だ。わしは予定通り、この1万5000でオールガンの所に向かう」
「はい、お願いします」
「……本当に良いのか? 流石にこれだけお膳立てをされて、美味しいところを横取りというのは気が引ける」
クリシェは銀の髪を揺らし、小首を傾げ。
「横取りではなく、元からそういうお話ですし。クリシェは軍の消耗を抑えたいのでそっちを優先です」
「なんと欲のない奴だ。……まぁ、お前が良いと言うならひとまずわしが動こう。そちらも後だな。好きに動け」
「はい。ヴィンスリール」
「は!」
後ろで待機していたヴィンスリールはクリシェの前にリットグンドを羽ばたかせた。
肩高五尺、獅子の体躯に猛禽の顔。
優美な青の翼が巻き起こす風は羽ばたき一つで暴風――クリシェがスカートを押さえるのを目の端で捉えつつ、ダグレーンの興味はグリフィンの乗り手。
血に濡れた槍を掴み、毛皮を着込み。
軽装と言うべきその戦士にはしかし、一目に分かる武人としての覇気が漂っている。
「ヴィンスリール殿、で良いか?」
「はい、ガーカ将軍。呼び名は気にしません」
ヴィンスリールは自分に何の用かと首を傾げ、
「そうか。戦が終わった後でいいんだが……わしも少し、後ろに乗せてもらって良いか?」
すぐに意図を理解する。
ダグレーンの目は何やら羨ましそうに、子供のように輝き、グリフィンを見ていた。
「一度空からの景色というものを味わってみたいのだが……」
なんとも恥ずかしそうに告げるむさ苦しい男の言葉に苦笑し、少し考えて頷く。
「グリフィンが疲れない程度であれば、否応はありませんね」
「ははは、これは楽しみが増えた。代わりに今宵はわしの秘蔵の酒を振る舞おう。この姫君の無茶に付き合わされて死なぬようにな」
「もう……ガーカ将軍、クリシェは無茶なんてしませんよ」
クリシェは頬を膨らませて、リットグンドの後ろに跳び乗る。
「言った通り、内戦とリーガレイブさんでもう懲り懲りです。この先は一方的に勝てる戦いしかしないって決めてるんですから」
――右手に槍を握り締め。
「……アルベリネア」
少し前――ザルヴァーグは精鋭3000を率い、アルベリネア軍左翼迂回を狙って先頭を進む。
アルベリネア軍を真正面に捉え、オールガン本陣は戦列を組んだ。
左翼には翼を曲げたキルレアの右翼が重なっている。
迂回するにはこちらの右翼しかなく、予備を率いてザルヴァーグが駆けだしたとき、ナクリアから飛び立ったのは三十の飛行騎兵。
アルベリネア本陣を攻め落とすためオールガンが予備を――ザルヴァーグを動かす。
そのタイミングを狙ったのだろう。
行動の全てが読まれているようだった。
いや、事実読まれているのだ。
開戦からここに至るまで、全てをアルベリネアは計算している。
そうでなければ、この動きはあり得ない。
エルカールの軍を即時壊滅させられたオールガンは本陣決戦の構えを取り、そして右翼からザルヴァーグに精鋭を率いての翼端迂回を狙わせる。
事前にそうすると決めていた訳ではない。先ほど決めたのだ。
しかしまるで未来でも見通したかのように、その動きの全てをアルベリネアは読んでいた。
「ザルヴァーグ様!」
「今は無視しろ」
敵の左翼を過ぎたところ。
遠く、キルレアの側で得体の知れない爆音が響いていた。
それが何を意味するかを理解している訳ではなかった。
ただ分かるのは、敵の狙いは少数による本陣奇襲などではないということ。
キルレアが率いる左翼の壊滅――ガーカ軍による正面突破、本陣強襲こそが敵の狙い。
ザルヴァーグは論理ではなく、もはや直感でそれを理解した。
アルベリネアが望むのはただ勝つことではない。
最大戦力で臨んだガルシャーンに対する、完全勝利を望んでいるのだ。
圧倒し、打ち負かし、もはや立ち上がることすら出来ぬように。
――少女の無機質な、紫を思い出す。
宝石のように美しく、深い色。
そこに宿っていた絶対的な自信と、傲慢。
まるで虫けらでも見下ろす子供のようであった。
王都で見て、そしてナクリアで見て、アルカザーリスを討ち取った姿を見て。
ようやくザルヴァーグも、アルベリネアという存在を理解していた。
彼女に取っては単なる遊戯。
戦士達が命を賭ける戦場など、彼女には蟻の戦争に過ぎぬものなのだ。
そして、それをそうするだけの力を持っている。
ガルシャーンはただ、アルベリネアという個人によって破れるだろう。
勝ちはなく、あるとすればこれを単なる敗戦へと変えることだけ。
アルベリネア本陣を即座に潰せれば、少なくとも敵の足並みを乱し、ここから撤退の時間を稼ぐことは可能であろう。
「……アーグランドと言ったか」
敵左翼の一部――そして敵本陣は既に迂回に対する構えを見せていた。
ザルヴァーグの正面にある敵兵力は2000と言ったところ。
ただ、その最先頭に見えるのは見覚えのある鎧であった。
敵戦列の中央――虎を模した兜と重厚なる甲冑。
王都でアルベリネアの側にいた軍団長。
恐らくはアルベリネアが側近なのだろう。
最先頭とは剛毅であったが――しかし、正しい選択。
あれは間違いなく、ザルヴァーグを止めるために選ばれた戦士であった。
そして敵前列の両翼から現われたのは黒鋼の巨人がそれぞれ二体。
「……中央は我らにお任せを」
「許せ、エーリュケ。……お前に任せる。――旗を!」
背後の旗が大きく翻る。
ラッパの音が響き、全軍が突撃体勢に。
同時にあちらでは一斉に弦の鳴る音が響いた。
敵から放たれるのは矢雨。
同時、ザルヴァーグは正面にある虎鎧ではなく、正面の敵、その左翼に向かって駆け出す。
狙うはこちらの戦列へと駆けだした二体――黒鋼の巨人。
――巨人の弱点は頭にある。
エルカールの最期の言葉は兵を通じて伝わった。
戦列と戦列の間を斜めに駆け、そして手に持った槍を構えた。
巨人――その頭部の瞳から青き光が明滅し、瞬時に反応。
左翼にあった二体がこちらに動く。
近づけばはっきりと分かる八尺の体躯。
肘の先に付いた巨大な湾刀、どこまでも異質な化け物であった。
恐らくはアルベリネアの魔導兵器。
一目に分かる速度、そして重量と装甲――兵士が恐れるのも無理はなかった。
巨大な足は走る度、大地に深い爪痕を残す。
並の兵士では相手取ることすら不可能だろう。
優れた魔力保有者であっても、返り討ちになりかねない。
恐れて距離を開けば、致命傷を与え損ねれば殺される。
ザルヴァーグは視線を一瞬左手に――敵の軍団長はこちらに向かって走り出していた。
時間を掛けても殺される。
賭けであった。
だが、ザルヴァーグはエルカールが最期に残した言葉を信じて進む。
『――はっはっは、あれだけの戦果を挙げたお前が元靴屋か。俺は元々大工でな……しかし本当、この軍には色んな奴がいるものだ。共に頑張ろうじゃないか靴屋のザルヴァーグ。この大工のエルカールと共に、オールガンというイカレた英雄のために』
命を賭したエルカールの言葉。
そこに嘘があるはずもない。
巨人は右剣を大振りに。
その瞬間をザルヴァーグは踏み込み、その頭部――瞳の中心にある鉄格子へと、手に持つ槍を突き立てた。
それを手放すと同時に跳躍、その肩を足場に前へ。
――双剣のザルヴァーグ。
特に、二刀流を好んだと言う訳ではなかった。
多くの敵を殺すため敵中に飛び込めば、周囲四方が敵となる。
単に剣を一本よりは複数を相手取りやすかった、という単純明快な理由。
一本の剣で五人を殺せるならば、二本の剣なら十人を殺せる。
そういう安直な発想で、初めは落ちていた剣を拾っただけのこと。
敵を殺せればなんでも良く、ザルヴァーグには武器に対するこだわりなどなかった。
奥の一体は既に左剣を振りかぶっている。
巨人には仲間が仕留められたことに一切の動揺もなく、その反応は鋭敏。
その時点で並の手練れ以上の脅威であった。
ザルヴァーグは転がるように巨人の脇をすり抜ける。
曲刀を引き抜き、頭部と胴の繋ぎ目――その首を両断する。
想像通り、伝わる感触は金属のそれ。
ザルヴァーグの剣技は板金鎧すら容易く両断するが、しかし繋ぎ目には若干の厚み。
首を飛ばした曲刀に刃こぼれが生じたのを感じ、眉を顰めた。
軽微であるが、しかしこの得物もこの戦が最後だろう。
瞬く間に二体の巨人を機能停止に追い込み。
ザルヴァーグは背後から聞こえる大歓声――自身の武勲を讃える声を耳にしながら冷静だった。
理解するのは、これで一時、彼等は持ちこたえるという事実だけ。
そして彼等の役目はそれだけだった。
3000の内、2500は囮でしかなく、そして彼等もそれを理解している。
こちらが連れてきた精鋭、その最右翼からラクダ騎兵500が更なる突出。
ザルヴァーグが最終的に率いるのはその500であった。
敵の軍団長は重装鎧。軽装のザルヴァーグには追いつけない。
ザルヴァーグにはコルキス=アーグランドと勝負する気など更々なかった。
戦士同士の一騎討ちなどに興味はなく、求めるのは結果だけ。
双剣のザルヴァーグは武人ではなく、軍人であった。
――ザルヴァーグは指笛を戦場に響かせる。
それを合図に右翼から飛び出るは犬を連れた兵士であった。
彼等が連れるのは訓練された中型の狩猟犬――本来は軽装散兵を狙わせるもの。
重装歩兵を中心とする敵に致命傷とはなるまいが、時間稼ぎにはそれで良い。
敵の軍団長の足を止めさえすれば良かった。
「ローゲリウス!」
「は!」
曲刀を鞘に。
騎兵隊長が連れたラクダに跳び乗ると、側にいた騎兵の一人から槍を受け取る。
前方に見えるのは敵本陣であった。
中心とするのは弓兵。
更に黒塗り鎧を着た、アルベリネアの狩人達が数十あった。
「矢が来るぞ! 散開、三つ矢だ!」
――流石は敵本陣守護。
こちらの突破から一斉射撃までは素早かった。
いや、こちらの突破を読んで、最初から隊列を組んでいたのだ。
本命がラクダ騎兵による更なる迂回突破と気付いて。
少なくとも敵本陣の指揮官は先頭を行くザルヴァーグに騙されてなどいなかった。
騎兵に矢を防ぐ手段などは存在しない。
500を三つに分け間隔を広く、矢の密度を薄め当たらぬ事を祈るだけ。
それも覚悟の上だった。
要は、敵将を取れるだけの人数が残れば良い。
ザルヴァーグはどのような時も単純明快に考えた。
こちらがどれだけの被害を受けるか、ではなく――重要なのは敵将の首を獲れるか否か。
左手――オールガンの戦列に対するアルベリネアの戦列。
そこからは黒塗り鎧の兵士達が滲み出るように現われていた。
一人一人が騎兵の如き疾走――魔力保有者。
三つに分けた騎兵の内、左はそれに殺される。
敵本陣後方からは300ほどの騎兵が飛び出してきていた。
三つに分けた騎兵の内、右はそれで足止めを喰らう。
ラクダの放つ悪臭を馬は嫌うが――とはいえ、その突破には多少の時間を要する。
王国騎兵はガルシャーンや他国と比べて数こそ少ないが、貴族出身の魔力保有者が多く精強だった。
とはいえ、わかっていたこと。
最初から本命は、ザルヴァーグのいるこの中央150名。
五十間の距離に近づくまで、三回の一斉射があった。
精鋭の弓兵。ラクダ騎兵の突撃に対し、怯えることなく、射撃間隔は狭い。
狙いも正確であった。
ザルヴァーグは迫る矢――千に届く矢から自身に当たる数本だけを見極め槍にて弾く。
そして弓兵の列から滲み出るは黒塗り鎧――数は50。
150人からは既に三分の一が脱落している。
彼等の槍――恐らくこれで脱落は半数になるだろう。
彼等が手に持つは投槍ではなく白兵槍。
しかしそれを容易く担ぎ、彼等は単なる投槍の如く。
そして魔力保有者の投槍は、見えていても容易く受けられるものではない。
踏み込み、構え。
放たれた槍の内、十は指揮官たるザルヴァーグを狙うものだった。
瞬時に跳躍、乗っていたラクダが無数の槍で串刺しにされるのを見ながら踏み込んだ。
前方から現われたのは一人の老兵――無骨な鎧を纏った男。
この本陣の副官か、あるいは護衛か。
その左手に持つは鋼の大槍、右手に持つものは球体の何か。
ザルヴァーグは手に持つ槍を逆手に構え。
そして男も右手に掴んだ何かを放った。
それはザルヴァーグの頭上を越えて、青く明滅する。
――それは何か?
未知の物体。見覚えはない。明滅する青き光――魔水晶の発光。
何故このタイミングで――何か意味がある。
この戦場で何があった――キルレアの戦列での爆音。
「――総員、ラクダを盾にしろッ!!」
叫び、踏み込む。
背後で響いた爆音を聞きながら逆手に構えた槍を握り。
大地へ足跡を刻むような踏み込み――槍を放つ。
全身の力をその手に集約、反動を殺すように転がり立って。
しかし、男はそんなザルヴァーグの飛槍を弾き防いでいた。
相当な手練れ――この距離からザルヴァーグの投槍を防げるというだけで並の相手ではない。
瞬時に右の曲刀を引き抜く。後ろのことは気にしない。恐らく何十人かが死んだ。突撃力を失った。しかし全員死んだはずもない。
対する男は大槍を構え踏み込んでいた。
見覚えがある。帝国貴族が使う槍術。
しかし怪我を負っているのか、あるいは何かの後遺症か。
左手の動きが甘く、重心は芯から僅かに傾いていた。
――突きは鋭く。
それを半身で躱してザルヴァーグは右手、男の左側面に。
身を捻り、全身で弧を描いて放つは一閃。
男もまた身を捻り、首を狙ったその一刀を左腕で庇おうとした。
判断力から透ける経験――名のある武人に違いなかったが、しかし承知の上。
左腕ごとザルヴァーグはその首を両断するつもりだった。
「――ッ!?」
だが、響いたのは鈍い金属音。
鋼の手甲を裂いたザルヴァーグの曲刀は、その骨を切断出来ず。
曲刀が折れる前に、刃を食い込ませる前に身を引いた。
手甲の内側、そこにあるのは肉と骨の感触ではない。
先ほどの巨人と同質のものだった。
老兵が再び放つは鋭い槍の穂先、それを躱して身を捻り。
ザルヴァーグの左腿を飛来した一本の矢が浅く裂いた。
放ったのは馬上から、短弓に矢を番える白髪長き老兵――見覚えがある。
ナクリアの会談で見た、恐らく魔力も使えぬであろう老人であった。
だというのに三十間の距離から、正確にザルヴァーグの動きを捉え狙っている。
「ザルヴァーグ様!!」
悲鳴のような騎兵隊長の声に一瞬身を引き。
ザルヴァーグのいた場所を貫くは、轟音奏でる白兵槍。
「ワルツァ、無茶をするなと言っただろう」
「は、油断ならざる相手に見えました故」
黒塗り鎧を夥しい血で汚し。
象の上からも目に留まった、アーグランドと並ぶ腕利き。
長剣を担ぐように、左にあったラクダ騎兵を突破して抜けてきたのは彼一人であった。
それで十分と見たのだろう。
事実、左手に分かれた騎兵達は横から投槍を喰らい、既に半ば崩壊している。
「この状況だ。……降伏すると良い。貴君は西部共通語を理解すると聞いたが」
突出した相手は一人。
殺せるかと考え、無意味だと断定する。
半ば理解していた。
これは単なる悪あがきでしかない。
先ほどの突撃――それを最高の結果で終わらせたなら成功していたかも知れない。
しかしそれを受け止められ、その上でザルヴァーグは敵の手練れを仕留め損ねた。
乱戦になってしまった時点で、ザルヴァーグの目論見は失敗だった。
いや、あるいはそれも最初から。
男の頭上から、グリフィンの巻き起こす暴風。
舞い降りるのは一つの影。
スカートがまくれ上がらないようにか両手で摘まみ、その着地には重さもないように見え、音すらもしなかった。
銀の髪はさらさらと流れ、その隙間から紫の瞳が陽光に輝いていた。
「えへへ、グリフィンは早くていいですね」
無邪気な声と美麗な笑み。
空から舞い降りたのはアルベリネア――クリシェ=クリシュタンドであった。
「お早い到着で、クリシェ様。もう少し遊べるかと思ったのですが」
迂回に迂回を重ねての本陣奇襲。
黒塗り鎧はそれを見越して戦列後方で待機させ、本陣にはザルヴァーグの突撃を一瞬の間受け止めるだけの戦力を配し。
「言ったでしょう、クリシェはすぐに戻るって。もう、にゃんにゃんが逃がすからじゃらがしゃが二体も壊れちゃいました。後で叱らないと」
「はっはっは、まぁ仕方のないことでしょう。アーグランド軍団長の今日の活躍を考えれば、ジャレ――」
「じゃらがしゃ、ですっ」
――あの僅かな時間で、キルレアを容易く始末したのだろう。
一滴の血すらも浴びず、彼女が手に持つはキルレアの愛刀。
彼女に取っては、今日戦場で起こった全てが既定事項――全てが掌中の遊戯であった。
ここにこうして彼女が現われるのもまた、その『スケジュール』に組み込まれていたのだ。
少女は黒塗り鎧の男を見上げて、両手を腰に頬を膨らませ。
それを見たザルヴァーグは半ば無意識に踏み込んだ。
腰の双曲刀を引き抜き、少女に振るう。
隙だらけの少女は一瞥を。
少し困ったような顔を見せながら、ザルヴァーグの振るった最速の右剣――そこに残った僅かな刃こぼれを正確に捉え曲刀で『両断』する。
ザルヴァーグにもはや動揺もなかった。
こちらの右手から背後に抜けた少女――ザルヴァーグは全身を捻り、振り向きざま左の一閃。
「――!?」
だが、曲刀を手放し、大地に手を突いた少女は既に腰を捻っていた。
鎧を纏わぬ二の腕を、左の踵がへし折る。
そしてザルヴァーグの残った右腕を掴み、その長身を大地に叩きつけ。
胴と右腕を踏みつけると、ザルヴァーグの首に腰の曲剣を突きつけた。
「っ、ぐ……」
「この状況はどうにも出来ませんし、意味のないことはやめるべきですね。クリシェの方がずっと強いですし、ザルヴァーグさんはクリシェと比べてずっとよわよわです」
衝撃に薄れゆく意識の中。
手甲に包まれた指を立て。
子供でもたしなめるように少女は言った。
「あなたは単なる勝負の見届け人で」
疑う余地なく、当然のことを語るように。
まるで神が理でも示すように、紫の瞳が輝いて。
「――勝負はクリシェの勝ちなんですから」
クリシェ=クリシュタンドはそう言った。