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少女の望まぬ英雄譚 ※本編完結 作者:ひふみしごろ

八章 死を振りまくもの

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善意の殺戮者

魔水晶とは魔力の結晶体。

当然ながら、それそのものが通常の物質とは比べものにならないほどの魔力を有していた。

常魔灯や導水管、加熱冷却の調理器具――この世界では様々な用途で用いられる魔水晶であるが、こうして用いられる場合にはあくまで術式の媒体として。

魔水晶そのものが秘める魔力自体を用いているわけではなく、これはあくまで術者の込めた魔力を様々な形へ変化させる変換器としての役割でしかない。


では、魔水晶そのものが持つ魔力を使ってみればどれほどの力が発揮されるのか。

発想はそんなもので、その目的のためにクリシェが刻み込んだのは一つの術式。

その術式が引き起こすのは魔水晶を魔水晶たらしめる、結晶構造の崩壊。

言葉にすれば実に単純なものであった。


「んー、1300人くらいでしょうか。大体一発で巻き込みは4人ほど……まぁ、安物ですしこんなもの。ちょっと散らばったのが良くなかったですね。投下時のグリフィンの傾きが思った以上に……」


空の高みから戦場を見下ろし、不満げに少女は言った。

グリフィンに乗る他の59人全員が自分たちの生じさせた結果を見ていたが、誰一人として歓喜の声を上げる者はいない。

あまりの惨状に誰もが唖然と言葉を失っていた。


説明を受けてはいたし、使用法を解説され、それが引き起こす現象と結果も理解していた。

とはいえ実際に生じた結果を見れば、やはりそれは想像を超えている。


「やっぱり金属片の大きさはもう少し考える必要がありますね。重装歩兵にはいまいちでしょうか。まぁ、数を優先した急造品ですし……」


戦獅子長を始末できたのでよしとしましょう、などと一人平然としながら結果についての感想を述べ、アルベリネアは目を細める。


「ヴィンスリール、このまま西に移動を。隣の戦列に残りを投下します」

「……は」


ヴィンスリールはどこか固い声で答えた。

戦場というものを想像はしていたし、彼女のやり方にも理解はある。

一方的に、被害を出さず。

狩りというものは、そして戦いというものはそういうものだ。

空中からの一方的な奇襲と攻撃――元より獅子鷲騎兵の運用も古来そのようなものであったし、彼女が行ったそれも、その運用からは全く外れたものではない。

そうわかっていながらも、しかし。

生じた感情の全てを一息で飲み込むことなど、彼には出来なかった。


だが、これも受け入れざるを得ないことなのだろう。

胸の内でざわつく何かを感じながら、ヴィンスリールはそれを飲み込もうと努力する。


少なくともこれが、竜と並びしアルベリネア――クリシェ=クリシュタンドの描く戦争というものなのだから。









キルレア軍は押し込まれながらも、必死でガーカ軍の猛攻に耐え。

ガルシャーン右翼の壊滅は最前列で戦う者を除き、ほとんどの者が気付いていた。


キルレア軍戦列の後列――戦獅子長キーニアの後ろにいたダズールも同様。

心の底ではこの恐怖から解放されたい、逃げ出したいとは思いながらもこの場に残っていたのは、少なくともこの戦列から逃げ出す仲間はいなかったからだ。

どうして自分は今回の募兵に志願したのか。

そのことを強く後悔しながらも、百人隊長や中隊長の言葉に応じるよう、声を張り上げ心を保っていた。

声を張り上げなければ、立っていることも出来なかったのだ。


アルカザーリスや戦象の無残な死はここからでも見えた。

敵の歓声も、味方の悲鳴も聞こえていた。

未だかつてない大軍勢によってアルベランを踏みつぶすという当初の目論見は、兵卒であるダズールですら失敗に終わったと気付いている。


指揮官達は恐れるなと声を張り上げ、ダズール達に語る。

予想以上にアルベラン軍が強かったことを正直に伝え、その上で今もなおこちらが優位であるとダズール達に何度も繰り返した。

相手は5万でこちらは10万、数の差を思い出せ、と。


確かにその言葉の通り――数の利は未だこちらにあった。

初動で押されてしまっただけ、そういうことなのだとダズールも必死で思い込もうとする。

この状況にも関わらず、ダズールの前にいる戦獅子長キーニアは力強い指揮を見せていた。

それどころか側の副官や護衛に男らしい笑みすら浮かべて見せる余裕があり、それを見ればダズールの恐怖心もいくらか和らぎ。

更に前方、最前列の辺りは崩れていなかったし、何とかなるのではないか、とも思え――


「……う、ぐ……何が……?」


ダズールは倒れた体を何とか起こし、四つん這いになる。

一瞬、意識が飛んでいた。水溜まりに寝転んでいたらしい。体のあちこちが痛んでいる。

視界から色味が薄れ、揺れ滲んでいた。

何が起きたのかと、直前の記憶を辿る。


――上だ、上を見ろ!


そんな声と共に東、城郭都市ナクリアから飛び上がったのは数十の獣。

黒い旗を掲げながら――目の良いものはアルベリネアが騎乗していることがわかったらしい。

こちらの本陣を狙う気なのだと誰もが考え、緊張を強め。


しかし空飛ぶ獣に騎乗した彼女らは後方のキルレアやオールガンの本陣に向かわず、ガーカの戦列上空で奇妙な隊列を組み始めた。

空中で二列縦隊、誰にも意図はわからない。


しばらくすると彼女らは無数の何かを投下しはじめ――風の影響か、内の一個はダズールの前にいた班長の眼前まで流れ、青く輝き。


――次の瞬間、響いたのは無数の轟音であった。


記憶を整理するように直前のことを思い出し、そしてあるべきものの姿を探す。

彼の前にいたはずの班長はいなかった。


次になかったはずの感触に首を傾げる。

この水溜まりは一体何か。地面はしっかりと乾いていたはず。


四つん這いになっている彼の右手が、ねっとりとした感触を味わう。

水というよりはどこか粘りけのある液体。

何か柔らかいものに触れて、それを掴み上げ。

色味が失われていた目が、ようやく普段の光を取り戻す。


肌色か、桃色か――長い何かであった。

ぬらぬらと濡れるそれが何かに一瞬気付くのが遅れた。

ダズールが肉屋であればそれも見慣れたものだろう。

ただ、ダズールは肉屋でもなかったし、その加工後の姿は知っていたが、それも『腸詰め』という食材としてでしかない。


「ひ――!?」


目の前に転がっているのは、胴の千切れた班長であった。

慌てて飛び上がり、尻餅をつき、自分が掴んでいたものの正体に気付いて腕を振る。

しかし班長の一部は腕に絡みつくように纏わり付いた。


訳の分からない声を発しながら、ダズールは全身を暴れさせる。

左手で掴んで外せばいいという単純な解決法にも気付かず、血と腸の内容物を周囲にまき散らしながら悲鳴を上げ続けた。


ようやくそれから解放されても、体の震えは止まらない。

先ほどまでの光景が戻ってくるわけでもなく、誰かいないか――ようやく周囲に意識を向ける。

周囲にあったものはそのほとんどが倒れているか、ダズールと同じように悲鳴を上げて転がり回り、あるいは狂を発したように笑っていた。


落ち着け、隊列を整えろと叫ぶ声も聞こえたが、しかしそうした声は少数だった。

見れば、ダズール達の前にあった戦獅子長の姿すらないのだ。

旗を失えば死罪とされる、旗持ちですらが旗を手放して蹲り――いや、その手や足が千切れ飛んで倒れ込んでいるのが見えた。


そして、周囲に転がる戦友の一部も同じく、動かないものは四肢のどこかを欠損しているか、あるいは無数の金属片を全身に突き立てられているか。

起き上がってくるものもダズールと同様、何が起こったか分からない、といった様子で呆然と周囲を眺めていた。


前方で戦っていた戦列からは、音が消えている。

一部はダズール達と同じように倒れ、あるいは戦うことをやめてこちらを振り返っていた。

味方の――いや、敵の声すらも響いていない。

歓声も、喊声も、悲鳴も。

鋼を打ち鳴らす戦場音楽はこの周囲からは消えていた。


それが一層不気味に思え、生じた怯えに尿を漏らしながら、尻を引きずるように後ろへ。

右手が兜に触れ、視界の端に映ったのは一角獣を模した勇壮な兜であった。

戦獅子長の兜――それを見て、慌てて声を掛ける。


「戦獅子長っ」


戦獅子長キーニアはオールガンの下で内戦を戦い抜いた、歴戦の戦獅子長。

先ほどまで彼が浮かべていたゆとりのある笑みを思い出し、それにすがろうと考え。


「起き――」


だが、揺り起こそうと触れた兜は呆気なく転がった。

兜だけではなく『中身』も入っていたが、それだけ。

その勇壮な鎧はそこに繋がってはいなかったし、キーニアの整った、男らしい顔はそこに存在せず、あったのは普段見えない戦獅子長の『内側』であった。


ダズールをギリギリ保っていた理性は、それで壊れた。




――魔水晶の魔力暴走、それが引き起こす爆発によって周囲に金属片をまき散らす。

単純明快なその兵器には、ぼんじゃら、などと巫山戯た名前が制作者によって付けられていたが、それを信じるものはいないだろう。

周囲三間を殺傷範囲に収め、効率的に死を撒き散らす――どこまでも悪意に満ちた兵器は、ほんの一瞬で戦列の一部分を消し飛ばし、壊乱させた。


少なくともこの世界における人同士の戦争、その歴史の中でそれ以上の瞬間的殺戮が起きた事例などは存在しない。

その光景はガルシャーン軍のみならず、ガーカ軍すらを困惑させていた。

頭上から一方的に――無造作に撒き散らされた死の威力は、それだけ彼らの常識を超えたものであったのだ。


敵と真正面で刃をぶつけ合っていた男達ですら響いた轟音、血と肉片の雨に、戦いの手を止め、呆然とキルレアの戦列後方を見ていた。

彼らも戦闘開始直前に、アルベリネアの新兵器による援護があるとは聞いている。

それを合図に突撃を開始――乱れた敵戦列を突破するというのが命令で、しかし彼らの指揮官すらが突撃の命令を下せず硬直していた。


再び、彼らの西で何かが落とされる。

青い光を放ち、轟音を響かせる。

再び空に人体の一部が舞い上がり、赤い靄と生々しい血肉の雨が降り注いだ。


どこまでも現実感を消失させる光景だった。

兵士達は呆然とそれを見つめ、


「――何をしている!!」


背後から響いたのは突撃ラッパと怒声。


「敵戦列は乱れたぞ! 進めぇッ!!」


それは最前列に現れた将軍――ダグレーン=ガーカの声であった。

その豪腕が振るう大斧の音色と共に、彼らは正気を取り戻す。


ガルシャーンの兵士も、同じく

彼らも自分たちの状況をようやく理解して、迫り来る敵を見て。


ようやく、悲鳴を上げて逃げ出すことを許された。









二度の爆音――飛び散った兵士の血肉。

エルカールの右翼と同じく、兵士達からは逃げ出すものが現れていた。

敵兵は喊声と共に、背を向けた兵士達に槍を突き立て、あるいは斬り殺していく。

先頭を進むは巨大な斧を掲げたダグレーン=ガーカ。


「……まさか、奴らは」


――ようやく、キルレアは全てを理解する。


当初考えた、一点突破による本陣急襲などではない。

10万を超える軍に対し、5万足らずの寡兵を持っての圧倒――敵が狙うは堂々たる全面突破であった。

右翼、左翼などと区分けすらない。

どちらが主攻であるかなどと、そんな揺さぶりや小細工などではない。


真正面から倍するガルシャーンを圧倒し、打ち破るアルベリネア。

これはそもそもがそういう演出なのだ――戦後を見据えた。


あのような爆撃を行えるならば、そもそもオールガンの本陣を狙えば良い。

それで勝負は付いただろう。

それでもあえてキルレアの戦列を狙ったのは、完膚なきまでの大勝を手にするため。


アルベリネアは勝利を確信していただけではない。

その勝ち方すらを選んでいたのだ。

三国同時侵攻という状況、ガルシャーンの全力に対し、寡兵を持って。


キルレアは背筋が凍り付くのを感じていた。

美しく勝つことを目指すのは、指揮官として当然の心理――だがまさかこの状況ですらそのようなことを相手が思い描いているなどと誰が想像するのか。


アルベリネアはエルカールを亡き者にした。

しかしそれは単に、突破のためではなく、ガルシャーンという国から将軍を奪うことが目的なのだ。

そしてキルレアを討ち取り、その上でのオールガンの本陣陥落――戦後数十年、アルベランに刃向かうことが出来ぬよう徹底的にガルシャーンを打ち砕く。


アルベリネアの役割は、三国同時侵攻に対する盾ではない。

彼女は剣。

――国そのものに致命傷を与えるべく、アルベラン女王が向けた刃であった。


「させるものか、そのような真似を……!」


無様に貶め、穢し、踏みにじり。

これは愚弄であった。

遥か遠くの未来の果てまで、キルレア達は汚名を残すであろう。

これまで手にした栄誉、武勲は失われる。

アルベリネアに挑んだ思い上がりの愚か者として、消えぬ記録が記される。


数に驕った無能として、果ての未来まで笑いものにされるのだ。


しばらく空から前方の戦列を眺めていたアルベリネアは、ガーカの突破を確信したか。

こちらへ向かい、頭上を通り越すようにキルレアの本陣後方へ。

そして同時に、先頭のアルベリネアともう一騎から落とされる何かを目にしてキルレアは叫ぶ。


「――旗を捨ててもいい!! 全員、地面に身を屈めろ!!」


それを言い切るのが早いか、キルレアは象の上から飛び降り地面の上に寝そべった。


瞬時に考えた対応策。

判断が正しいか――半ば賭けであった。

アルベリネアのあれは意図的に爆発を引き起こすもの。

原理は不明、そのサイズから考えれば想像も出来ない威力であったが、それが引き起こす破壊から逃れるためには被爆面積を最小限に縮めることが最も効果的に思えた。


「っ……!!」


そして、それは英断。

キルレア本陣に直撃したその青き光は破壊を撒き散らし、多くはキルレアの真上を抜けた。

判断力優れたキルレアの精鋭達も半数は彼の声に身を屈め、その窮地を乗り切ったものの――とはいえ咄嗟の声。

残る半数は物言わぬ肉塊へと変わり、その鍛え上げた能力を発揮することもなく生を終えた。


ここに落ちたのは精々40発。

本陣を狙ったもので、純粋な損害という意味ではそこまで大きなものではない。

だが爆撃と共に本陣から失われた旗の存在は大きく、そして前方からはガーカ軍が戦列突破を半ば成功させていた。


キルレア本陣にあったゆとりは、もはや完全に消え失せてる。


「――――ッ!!!!」


鎧の隙間から突き刺さる金属片は大した事もなかったが、


「くそっ!!」


キルレアが叫んだのは、自身が乗っていた戦象――それが暴れまわる姿を見て。


あれに象を殺せるほどの威力はなかった。

ただ、その体に無数の傷を作るには十分。

響いた轟音と重なる痛みに象は恐慌。何とか生き残っていた騎手を振り落としながら前方――本陣戦列を後方から蹂躙し始めた。


この戦、戦象の最初で最後の蹂躙は、味方を踏みつぶすという結果。

突如その牙を剥いた戦象の圧倒的な暴力に、味方の戦列は薙ぎ倒される。

キルレアの後方では悠々と、アルベリネアを含んだ獅子鷲騎兵が着地を始めていた。


そして銀の髪を揺らしたアルベリネアは、既に槍を逆手に掲げている。

時間にすれば一瞬にもかかわらず、流麗そのものと言うべき動き。

誰より早く踏み込んで、誰より早く間合いを詰めて。


――放たれるのは当然、大気すらを圧壊させる常軌を逸した魔槍であった。


「――キルレア様!!」


幼き少女の踏み切りに死を覚悟し、キルレアを救ったのは勇敢なる副官オルカ。

咄嗟に彼は体勢の整わないキルレアの体を横から跳ね飛ばし、


「っ、オルカッ!?」


そして転がりながらキルレアが咄嗟にそちらを見れば、残っていたのは下半身。

鋼の鎧ごと弾けて飛び散り、腰から上が血煙を上げ、その残された一部も崩れ落ちるように大地へ沈む。

槍は人一人を殺してなお、鋼の鎧を粉砕してなお止まることはなく。

キルレアの本陣前にあった兵士の肉壁を背後から貫き、その鎧の破片すらが死を量産した。


エルカールの初動を完全に圧倒し打ち砕いた、黒塗り鎧の放つ槍。

しかしそれも所詮、これを前には児戯であった。

アルベリネアが放つ槍は、前に立つものを無造作に破壊し、蹂躙する。


――それはまさに、絶対者の一撃であった。


まるで己が神か何かであるかのように、戦場を睥睨する異端。

あらゆる努力と意志を踏みにじり、当然のように他者を見下す究極の才覚者。


アルベリネアとは、人を示す言葉ではない。

人を超えたものを示す、唯一無二の呼び名であった。


「ッ――将軍をお守りしろ!!」


暴力を解き放ち、転がるように受け身を取って、身を沈めたまま前進し。

そんなアルベリネアの前に、踊り出るは十数名の兵士達。

本陣護衛――先の爆撃にも生き残り、未だ戦意を失わない精鋭であった。


しかし彼女と彼等の交錯は一瞬。

三度剣閃が輝き、三人が首から血を噴き出しながら倒れ。

当然のように抜ける銀の髪。


キルレアはもはや無意識に曲刀を引き抜いていた。

弧を描く鋭利な曲刀は、戦場で使う刃としては薄く、軽く――しかしその刃で斬り殺した敵の数は百を超えた。

鎧の隙間を抜き、剣線に歪みなく。

曲刀術の達人と言うべきキルレアには、これほど馴染む獲物もありはしない。


相手が仮に全身を鎧で覆っても、その隙間を狙えるという自負。

自身の剣技に対する絶対の信頼こそが、この戦場での無謀を成立させる。


「やらせるものか――!!」


右手に歪な曲剣を、鎧すら着込まず、外套を棚引かせ。

長く優美な銀の髪をまとめるでもなく、結って流したアルベリネア。

外套を引っかけることもなければ、髪を掴まれることもなく、ましてや自分の体に傷を負わせる相手などもありはしない。

混沌に満ちた戦場に無謀を持ち込み、容易く実行する異常者。


彼女はキルレアと似て、しかし超えてはならぬ一線すらを超えている。

それは傲慢を通り越して、対する戦士への冒涜であった。


五間の距離から三間を詰め、彼女は右手に掴んだ曲剣を横薙ぎに振りかぶる。

薄い刃――繰り出されるのは最速の一閃。

キルレアが合わせるのは逆袈裟からの後の先であった。

アルベリネアの刃は自分の命を確実に奪う――それを理解した上で、後の先を狙う。

首を裂かれながらも、必ず一刀を斬り込み深手を負わせると。


「っ――!?」


しかし、少女の剣は奇妙な動き。

次なる踏み込みで間合いを完全に押し潰し、右の刃でキルレアの首を払う寸前――慣性に逆らい真逆にその剣先を揺らす。

キルレアの振るう刃が十分な速度に達する前に、横から曲剣の背で叩く。

――彼女は魔力操作、仮想筋肉というものに対する熟練度でキルレアを圧倒していた。


つま先から指の先。

生まれ持った人体構造から、筋力には必ず歪みが生じる。

利き腕では100、しかしそうでない左腕は80しか発揮出来ず、そうした不均衡は必ず人の体に癖を作り、筋力の更なる偏りを生む。

振り下ろしが100ならば、振り上げは60に過ぎず、右の薙ぎが90ならば左の薙ぎは70で――総合的には精々80。

それは言わば、生物としての限界と言えるだろう。


だが自身の肉体、その全てを魔力によって操るクリシェにとって、人は関節の繋がっただけの操り人形のようなもの。

一つの動作に対し、仮想の筋肉をその都度最適化させ、理想の肉体へと作り変える。


投槍の際には、それに特化した筋肉を。

人を蹴り殺す際には、それに特化した筋肉を。

首の肉を引き裂く際には、それに特化した筋肉を。

流動的に、常に魔力によって作り変えられ最適化される肉体は、自身の行うあらゆる動作に本来あり得ぬ100の結果を叩き出させる。


曲剣でキルレアの首を払う寸前、彼女は自身を操る仮想の筋肉を真逆のものへと作り変え、反転――真逆の方向に曲剣を再度振るったのだ。

100の力によって振るった刃、そこに働く慣性を同じ100の力でねじ伏せ、逆らい、速度の乗り切る前にキルレアの曲刀を弾き飛ばし。


「ぁ――」


そして左手が腰から引き抜いた刃もまた、100の力で振るわれる。

既にクリシェの肉体は、左の曲剣でキルレアの首を刎ねるためだけのものへと変化していた。


キルレアは達人と言うべき、この世界でも有数の剣士であった。

特筆するほどの長身という訳ではなかったが、手足も長く、魔力保有者としても魔力に優れ、剣豪という名に相応しい技量を有する。

得意とする逆袈裟もその切っ先、最高剣速だけを見るならば、クリシェのそれすらを上回るものがあるだろう。

彼の数十年はある一点において、その肉体が生み出し得る限界――それに極めて近い所にまで届いていた。


だが、彼女を前にはただそれだけの事実でしかない。


ある一点の剣速勝負で勝てたところで、相手はそれ以外の全てで勝ちをもぎ取る人外。

時間すらを超越した思考の中で観察し、優位を取り、主導権を奪い、相手の勝利を消失させ、自分が勝てるところで当然のように勝利する。


アルベリネアとは戦技無双、千変万化の化生であった。

単なる達人の如きが勝てる相手などではなく、それを相手に影すら踏ませぬ超越者に他ならない。


故に剣豪キルレアは、自分の首が中程から裂かれる現実を見る他なく。

首を裂いた美しき怪物にも驚きはなく。


宝石のような紫は見開かれ、無機質にそれを眺めていた。


そして彼女はその体を蹴り飛ばす。

噴き出す血の一滴すら浴びることなく。

彼女だけは血肉撒き散らされる戦場にあって、唯一の穢れなきもの。


――人触れ得ざる、神の如き異端であった。


「んー、こっちを最初に使った時と感覚が近いですね。重量配分がとても良いです」


クリシェは左剣『重いの』から血を払い、乱れのない刀身を眺め満足げに微笑む。

前から使ってる右剣『軽いの』に比べて硬い刀身というのは確かであるらしく、皮膚と肉を裂いて摩耗は軽微――ほぼ存在しない。

単純な切れ味ならばすっかり痩せてしまった『軽いの』が優れるが、数十人も斬り殺せば切れ味が明らかに鈍ってくる『軽いの』と違って、この調子なら二、三百人は問題なさそうであった。

一人斬り殺した際の摩耗具合もそうであるし、重みがあるおかげで多少切れ味が鈍っても問題はない。


後ろに目をやり、護衛として飛び出て来たキルレアの部下が獅子鷲騎兵とカルア達に殺されていくのを眺めると、自分の仕事は済んだとばかり。

キルレアの死体、そのズボンで丁寧に二本の剣を拭い、鞘に収めた。

落ちていたキルレアの曲刀を手に持つと、半分切れていたキルレアの首を両断する。


「あ、これも結構切れ味が良いかもです。しばらく使わせてもらいましょうか」


言いながらとてとてと歩き出し、ぼんじゃらの爆風でボロボロになり落ちていたガルシャーンの旗を拾い上げ、周囲からよく見えるよう大地に突き立て。

キルレアの頭を掴むとぴょんと飛び跳ね、その先端で首を突き刺し。

どこまでも愛らしい少女は、無邪気に晒し首の工作に励んでいた。


「ふふん、こんな感じですね。ああいや、前じゃなくてオールガン副議長の方に見せた方が良かったかも……」


アルカザーリスを討ち取った尋常ならざる投槍。

戦列の後ろで実際にそれを目撃していなかった者にも、それを誰が放ったかを理解していた。

先ほど彼女のその手で実演されている。

その上で敵本陣に精鋭を置き去りに一人斬り込み、武名を馳せた剣豪キルレアを容易く殺し。

今は彼等の目前で、彼等を率いたその将の首を弄んでいるのだ。


怒りよりも先に不気味さから来る恐怖が湧いて、本能が彼等に静止を強要していた。


彼女がそうする間、誰もそれを止めることも、動くことも出来なかった。

いっそ隙だらけに見えるほどの自然体。

祭りの準備でもするような調子で、平然と敵地でその将の首を弄んでいるというのに。


「き、ざま……っ!!」


爆発で腕を失い、気絶していた護衛の一人が身を起こす。

よろよろと立ち上がり、憎悪に満ちた目で少女を睨み、


「――っ!?」

「もう。起きちゃ駄目ですよ」


流暢なシャーン語の響きと共に。

鋭利な曲刀が鮮やかに、その首の肉を削いだ。

少女はそのまま男の体を蹴り飛ばし、転がらせる。

一瞬遅れて血が噴き出して、少女は血を浴びることもなく。


「っ……」


単に、血で汚れることを嫌ってそうしているのだと彼等は気付いて、その身を静かに震わせる。

戦場で返り血を浴びることを厭うことが出来る人間など、彼等の理解を超えていた。

そうした彼等――キルレア本陣後列の兵士達の視線を眺め、少女は指を立てる。


「クリシェ、無意味に人を殺すのは別に好きじゃないのです。ここの戦いは大体終わり、理解した人間は剣を捨ててあっちにでも走って行ってください」


クリシェは西――樹海の方を指で示した。


「そうすればガーカ将軍もあなたたちを追いかけてまで殺しませんし、クリシェも同じく。戦いが終わった後に捕虜として、聖霊協約に則った扱いを約束しましょう」


そしてそう告げるクリシェの背後には黒塗り鎧の精鋭が集まり、頭上には再びグリフィン達が空から彼等を見下ろしていた。


「――それとも、まだ見せしめが足りないのでしょうか?」


戦場でただ一人美しい少女は、指先を唇に、困ったように小首を傾げた。

無機質な紫は冷ややかに輝いて、まるで作り物の人形か何かのようで。


彼等の前方では、前衛がガーカ軍の突撃に悲鳴を上げていた。

彼等の後方には、狂った少女の化け物がいた。

本陣直下――どれほど勇壮な兵と言えども彼等は人間、限度があった。


「あ、ぁ……っ」

「待てッ! 隊列を乱すな!!」


将軍の仇を取れと、命令も下せなかった隊長達が声を上げた。

兵士達はそれを無視し、剣を投げ出し叫び声を上げて西へと走り出す。


無垢なる魔性の紫はそれを満足げに眺め、うるさい百人隊長の首に拾った短刀を投擲する。

悲鳴は更に波を起こした。


「うっへぇ……なんて言ってたの?」

「クリシェ、人殺しは好きじゃないので、逃げれば殺しませんよって」


カルアは呆れたようにクリシェを見て、周囲の惨状を眺めた。

ぼんじゃらなる凶悪な爆弾と投槍で飛び散った肉片、旗に突き立てられた敵将の首。

彼女の言葉は真実であったが、彼女はどこまでも真実からは遠い存在だった。


「うさちゃんはいい子だなぁ……おねーさん、うさちゃんのそういう、ちょっと頭が病気なところ好きだよ」

「むぅ……病気?」

「ああいや、病気に見えるくらいのいい子だって意味。ミアが――」

「わたしは何にも言ってない!」


最小限に死人を抑えるため、無慈悲で残酷に人を殺す。

見せしめには躊躇せず、冷酷で、彼女の求める効率は数字上のものでしかなく。


――彼女は善意の殺戮者。

戦場という狂った世界の生み出す、歪みというべき何かであった。

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