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少女の望まぬ英雄譚 ※本編完結 作者:ひふみしごろ

八章 死を振りまくもの

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開戦礼

見渡す限りの晴天に、春を感じる暖かな風。

王国の南――ミルヒレア平原。


しかしこの場のアルベラン軍兵士に春の陽気を楽しむ者などはいなかった。

誰もが寒気と震えを押し殺し、ただ訓練の通り、教えられた通りに真正面へと目を向けて立つ。

彼等の前方にあるものは、10万を超えるガルシャーンの大軍勢。

それに対するこちらは高々、4万6000。

自分達はまさに死地に立っているのだと、誰もがそう考えた。


数日前から理解していたこと。

されど相手はガルシャーンの弱兵、獣さえ打ち倒せば勝機は見えると指揮官達は言葉を重ねた。

そしてこの戦いは王国の存亡を賭けた一戦、逃げる先などはなく、ここで勝利を手にしなければ王国の全てが蹂躙されるのだと。

厳しい戦いであれど立ち向かう他に選択肢はないのだと。


彼等もそんな上官の言葉に勇気を奮わせ、崇高な使命に身を捧げるべくここに立っている。

仮に自分が死んだとしても、必ずやこの侵攻を食い止めるのだと気を吐いた。

アルベラン軍を指揮するのは猛将ガーカ、そして内戦の英雄、天剣の姫君クリシェ。

ただ一方的に敗れることなどはあり得ない、そう信じて。


――しかし、彼等のそんな小さな勇気を踏みにじるものが対面にあった。


「あんなのをどうやって……」

「弱音を吐くな、図体がでかいだけの単なる獣だ」


年若い兵士の言葉を百人隊長がたしなめた。

象や砂蜥蜴、巌の如き一角獣。

伝え聞くそうした獣を想像はしていた。

身構えもあった。

だがその中央にある一頭は、そうした彼等の想像、その範疇外にある。


近づけば見上げねばならぬだろう。

遠目にもこのナクリア、その城壁の高さにある象の巨体すらが小さく見えた。


それはまさに、砦。

事実背中に背負われているものは巨大な櫓と言える。

その体躯は巨大な象を縦に二つ、横に二つを重ねたようで、戦列を組むべくただ歩くだけで地鳴りを響かせ――まるで動く小城であった。


部下の弱気を叱る百人隊長ですら、それを前には怯えを消すことはできない。

あのような化け物を前に、戦列など何の意味があるのかと――その胸に生じるのは本能的な恐怖。

ただ前に進むだけで兵列を薙ぎ倒し、突き抜ける様は容易に想像出来た。


王国のために、この命すらを賭して。

最先頭を任されてなおそう考える崇高な軍人であっても、犬死になどは望まない。

自分の命に何かしらの意味を持たせることが出来るから――だからこそ命を投げ出せるのだ。

それすらも叶わないのならば果たして、自分はなんのために命を失うのか。


失うことを恐れぬものなどどこにもいない。

代わりに名誉を得られるならばと騙しても、ただ無意味に失うことを耐えられる人間などはどこにもいなかった。

過酷な訓練の日々、そして戦場で得た武勲。

家族や恋人、友人達――これまでの人生で努力し、勝ち取り、積み上げてきたものの重みが、そのまま彼等の恐怖へと変わる。

戦場の混乱に紛れてどこかへ逃げ出すべきだと本能は訴え、理性ですらがそれに流されかけ。


「道を空けよ! アルベリネアのお通りだ!」


大柄の馬に跨がり、先頭を切って兵列から現われるのは二人の軍団長。

銀の虎を象る勇壮な鎧兜を身につけ、第二軍団長コルキス=アーグランド。

同じく、陽光を跳ね返す銀の色。

女神を象るハーフプレートを身につけた細身の男、第三軍団長ベーギル=サンディカ。


「はっはっは、道を空けねば食い殺されるぞ、もっと詰めたまえ」


どちらもその顔には、恐れなどを感じさせぬ笑みがあった。

白髪交じりの顎髭を撫でるベーギルに、声を掛けるは甘い声。


「ベーギル。ぐるるんは賢いですから大丈夫ですよ、もう」

「いえしかし、クリシェ様のスカートの内側を覗き込もうとする不届き者がいるかもしれませんからな。気を付けなければ」

「……ベーギルは妙にクリシェのスカートを気にしますね。長いので大丈夫ですよ」


そして悲鳴が僅かに聞こえ、その背後からは馬を超える巨体の化け物。

人の高さを優に超える、肩高八尺、優美な翠に黒のライン。

まさに怪物と言うべき魔獣の上――当然のように横乗りで座るのはアルベリネア。

長い銀の髪を二本の尾のように垂らして揺らし、黒い外套の内側には白いワンピース。

やや無骨なブーツと優美な手甲を除けば鎧らしき鎧も身につけず、妖精の如き美貌を見せつけ――普段とは何一つ変わらぬ姿でそこにあった。


「にゃんにゃん、ベーギル、挨拶に行ってきますから適当に」


馬上から敬礼するコルキスとベーギルの間を抜け、クリシェはアルベラン軍とガルシャーン軍、その中央に。

コルキスとベーギルは自らの軍団の前へと向かう。


そうして戦列に挟まれた草原を進み。

クリシェは翠虎を歩かせながら右翼からダグレーンが出てくるのを眺め、真正面から一頭の象が歩いてくるのを捉えた。


「ほらぐるるん、あれが象です。今晩のご馳走ですよ」


ぺちぺちと翠虎の肩を叩きながら言って、翠虎は分かっているのかいないのか。

ぐるるぅ、と唸って前へと向かう。

心地良い陽気にクリシェは小さく欠伸をし、主人に倣うよう翠虎も眠たげ、歩きながら声もなく欠伸をした。

基本的には夜行性である翠虎にとって、朝のこの時間には眠気もある。


そうして歩けば中央にて、アルベランとガルシャーン、両将が相まみえる。

口を開いたのはまず、獅子を象る鎧を身につけた、ガルシャーンの総指揮官。

英雄オールガンであった。


「怯えず良く現われたなガーカ、アルベリネア。まずは二人の勇気を称賛しよう」


笑いながら告げると象の上から飛び降り、そして同じく獅子彫刻の彫られた軽装鎧――ザルヴァーグが続く。

オールガンは左腰に大きな曲刀を。

ザルヴァーグは後ろ腰に二本の曲刀を提げていた。


ザルヴァーグは無言でクリシェを睨み、その場を動かず。

オールガンだけが前に出て、それを見たダグレーンは笑う。


「こちらのセリフだオールガン。わしらに怯えてそのまま逃げ帰ると思っていたが」


互いに揃えたように、ダグレーンが身を包むのもまた獅子を象る鎧であった。

意匠は違えど全員が獅子――クリシェは感心したようにそれを眺めた。

きっと、全員が揃ってにゃんにゃん好きなのだろう。


「知っておるか? ガルシャーンとアルベラン、重要な戦いの勝者は常にわしだぞ」

「勝敗数で考えるなら俺の勝ち越しだガーカ。そして今回、俺はお前を決して逃がしはせん」

「は、戦など最後に笑った者の勝ち。小競り合いでの勝利を誇るとは悲しいものだな」

「その理屈ならばお前との勝負、最期に笑い勝利するのは俺のようだな。小細工程度でひっくり返せる差ではない」

「……なんだかやっぱり、二人とも仲良しですね」


ベリーとセレネの喧嘩を見るような心地であった。

困ったようにクリシェはそれを眺め、象を見上げて目を細める。

外皮はそれなりに硬そうに見えた。矢の曲射ではやはり、貫くことは難しいだろう。

大きさ、目に見えて分かるその力。

真正面からのぶつかり合いとなって負けるのもやはり兵士の方。

対処を誤れば面倒であったが、それだけの話であった。

これは単に、戦場の一要素でしかない。


「……ようやくこうして、約束通りお見せすることが出来た。この日が訪れたこと、嬉しく思いますアルベリネア」

「えと……ありがとうございます。でも、折角連れてきてもらったものを殺してしまうというのは少し、悪い気がしますね」

「くく、そう容易いことと思われるな。あなたにとってはそうであっても、兵に取っては違うでしょう。……特にあれは、あなたであっても舐めて掛かれる相手ではない」


オールガンは象から生まれた青き怪物――アルカザーリスの巨体を手で示し、そしてアルベラン軍を見て笑う。


「私にはあなたの軍から生じる怯えの声が伝わるようだ。あなたも魔獣を飼い慣らすとはいえ、所詮は虎。それではあれに敵うまい」


アルカザーリスはあの巨体でありながら、象と変わらぬ疾走を見せる。

強靱な肉と骨――城壁すらを蹴破る力。

いかに優れた魔力保有者とはいえ、一度走り出したアルカザーリスに取り付くことは至難。

そして背中に乗る操手や護衛も選び抜かれた精鋭であり、まさにアルカザーリスは歩く城砦。

攻城弓や投石機を駆使し、城攻めでも仕掛けるつもりで挑まねば打ち倒す事など不可能であった。


「んん……ぐるるんは単なるクリシェのペットなので、そもそもそういうことに使うつもりで持って来たのではないのですが……乗りやすいから馬の代わりにしてるだけで」


自信に満ちた言葉を聞きつつ、クリシェは残してきた馬――ぶるるんの事をぼんやり考える。

丁度種付けの時期が重なったこともあって、今頃は子作りに励んでいる頃であった。

実に体格が立派で、良く走る馬――良い馬であることは確かであったが、どうにもいつぞやの貴族伝令から噂が広まったものらしい。

セレネの窮地にクリシェを乗せ、飛ぶように走った名馬であるのだと名前が売れたようで、コルキスをはじめ、あちこちからそういう依頼があった。

彼も今は中々の人気者。

おかげでクリシェも安心して彼を置き去りに、ぐるるんを連れてくることが出来ていた。


乗り心地、速さの点でぐるるんはぶるるんを圧倒しており、燃費の悪さを除けば完全なる上位互換である。

流石のクリシェもぐるるんが来てから用なし扱い、散歩を除けば毎日暇そうな彼には多少悪い気はしていたため、丁度良い。


「……ペット?」

「はい。変に怪我をされても困りますし……森ならともかく、こんな何もない平原じゃやっぱり大きなにゃんにゃんと変わりませんし、別に戦闘で使うつもりはないですよ」


その背中を撫でつつ、アルカザーリスに目をやる。


「それに、見た感じあれもやっぱり大きくなっただけの象ですし……魔力を吐き出すでも空を飛ぶでもなく」


宝石のような紫を、銀の睫毛で包み込むように細め。


「きっと士気効果を狙ったものだと思うのですが……失敗でしたね。むしろああやって一番前の狙いやすい位置に持って来てもらって助かりました」

「……?」

「オールガン副議長はクリシェのことを勘違いしているみたいです。……こういう分かりやすい威圧というものは、失敗に終わると諸刃の剣。兵士はともかく、クリシェはびっくりしてませんし……」


そしてその瞳をオールガンへ。


「――クリシェには単なる大きな的ですよ」


優美な微笑に、瞳だけがただ無機質に浮いていた。

絶対的な自信と自負心がその紫色を輝かせ――オールガンは眉間に皺を寄せる。


どこまで本気か、正気であるのか。

それを探るように見返し、笑う。


「……なるほど。まずは将来の妻のお手並みを拝見とさせてもらいましょう」

「クリシェは負けないので、将来そうなることはないのですが……えへへ、でもちゃんと約束は守ってもらいますね。……ガーカ将軍?」


笑って聞いていたダグレーンはクリシェに水を向けられ、頷く。

そしてその視線をオールガンへ。


「この通り、随分な自信家の娘だ。わしも心境はお前とさして変わらんが……わしはその上で勝てる勝負とこの娘に有り金全てを張ったのだ。そのことを侮らぬ方が良いな」

「くく、随分な博打を打ったなガーカ。正気の沙汰とは思えぬが……」


オールガンは睨むように視線を返した。


「合意の上で決まった勝負。今更引けはせんぞ?」

「ああ。……だがそれは互いに、だ」


ダグレーンはそう告げると踵を返し、クリシェも同じく。

それを見送りながら残された二人は跳躍し、象の背中へと乗り移る。


「アルカザーリスは?」

「今更動かせん。どうあれ、何をする気であるかに興味もある。まずはアルベリネアがどれほどのものか、見せてもらおうではないか」








コルキスとベーギルが各軍団の前で指示を飛ばすのを眺めつつ、翠虎に座った少女は戦列の前を進んで行く。

きょろきょろと戦列を見渡す姿は戦場にはどこまでも不似合いで、恐ろしいはずの翠虎ですらがどこか可愛らしいものであるかのように見えた。


「クリシェ様」

「ハゲワシ、ちょっと探したじゃないですか、もう。今後は分かりやすいよう人混みにいるときは兜を取らせた方が良いですね」

「も、申し訳ありません……お許しを。最終確認に少し」


ぷりぷりと頬を膨らませるクリシェに頭を下げると、すぐに背後へ振り返る。


「コーザ、旗を」

「は!」


弓兵隊長コーザは三日月髑髏、黒旗特務の隊旗を掲げて前に出る。

4万を超える戦列の前で旗を掲げるという役割が嬉しいのか、傷のある強面は少し楽しげであった。

ミアとカルアがそれに続き、その後ろにいたアレハが担いでいた槍をクリシェに手渡す。


「いやはや、クリシェ様が直々に見本を見せてくださるとは。兵達も士気が上がるでしょう」

「こういうのは下の人間の仕事、アレハはもっと投槍を磨くべきです。……クリシェ、本当は後ろで紅茶でも飲みながら指揮を執りたいんですから」

「は、今後は更に努力致します」


アレハは整った顔に微笑を浮かべて敬礼し、カルアは呆れたようにクリシェを見る。


「……うさちゃんが黙って後ろに座って、大人しく指揮を執るという姿はあんまり想像出来ないなぁ」

「仕方なく前に出ているんです。本当はクリシェが動かなくていいように敵をぱぱっと倒して敵将の首を獲ってくるのがくろふよの役目なんですからね」

「うさちゃん基準じゃ、その要求が完全に満たされる日は来ないんじゃないかな……」


黒旗特務全員がコルキスのような超人になったとしても、この姫君は不満を口にするに違いない。

何よりクリシェ自身の自分への評価が『そこそこ強い』止まりである。

あんな竜と互角に渡り合ってなお、何がそこそこであるのかは疑問であった。

不満げにクリシェはカルアを睨み、咄嗟にカルアはミアを自分の前に置く。


「って、ミアが言ってました」

「えぇ……?」

「むぅ……ミア、そういう考えが駄目なんですよ。ミアはすぐに諦めるんですから」

「か、カルアっ! そういうのやめてって――」

「こほん、クリシェ様、ひとまずお叱りは後に……」


ダグラにはこちらに向けられる兵士達の戸惑うような視線が痛かった。

この普段通りな姿も全く悪いものではない。

話を聞いていた兵士には笑うものまでいて、良い意味で力の抜けるもの。

とはいえ、今から歴史に残るような戦が始まるというのに、どこまでも緊張感のない三人の姿には頭が痛い。


「ん、ああ……そうですね。ミア、後でお説教の続きですからね」

「な、なんでわたしが……」

「副官殿、兵の前で上官に口答えは示しが付きません」

「……うぅ、この……っ」


ミアは文句を言いたげにカルアを睨みながらも、ダグラに睨まれ口をつぐむ。

ダグラは呆れたように苦笑しながら、コーザに目をやり声を張り上げた。


「――傾注、俯く兵士は顔を上げよ!」


クリシェはそのまま右翼へと向かって進み、コーザは旗を大きく振り回す。


「敵は十万、操るは未知なる巨大な化け物。しかし怯える必要はない!!」


ダグラはそれに続き、兵士達一人一人を見ながら続けた。


「私の名は黒旗特務中隊隊長、ダグラ=リネア=アルカス! 諸君らと同じく、敵中を最先頭にて斬り込むものだ!」


そして男らしい笑みを浮かべる。


「しかし今の心に恐れはなく、怯える心もありはしない! 敗北などはあり得ぬと知っているからだ。……私が勝利を疑わぬ理由が何か――私と諸君らの違いがなんであるかを教えてやろう!」


馬にも跨がっていないダグラの姿は最前列の兵士の目にしか映らず、多くの者には声だけが届いた。


「諸君を率いるアルベリネアがどのような存在であるか――私はそれを知り、そして諸君らは知らない! 違いはただそれだけのことだ!!」


しかしそれで良い。

注目させるべきは自分の姿ではなかった。


「――私はアルベリネアの下、王国の栄誉ある百人隊長として、神聖帝国との戦、そして内戦を戦ってきた。だからこそ知っている。この方について行くならば、敗北などありはしないと――その経験が私に教える!」


戦列後方の視線は必然、前を翻る旗と巨大な翠虎に座るクリシェに吸い寄せられ、そして更に前方――巨大な怪物へと向けられる。


「まずは刮目し、見届けるがいい! そして知れ! アルベリネアが諸君らを指揮するという意味を!! すぐに諸君らもまた、私と同じ心を持つに至るだろう!!」


その言葉を聞きながら、クリシェは右翼中央――アルカザーリスの真正面へ。


「アルカザーリス、全てを蹂躙するものなどと大層な名だそうだが、片腹痛い! 奴らもすぐに、アルベリネアの前に連れてきたことを後悔するだろう」


クリシェは翠虎から飛び降りると、渡された槍を確かめるようにくるくると振り回す。

いつも通りの白兵槍。

重さは十分、手に馴染む。


きょろきょろと後ろを確認し、兵士達の視線が十分に集まっていることを感じると、槍を逆手に持ち替えた。


「何故ならば――王国がアルベリネアを前には、兎と変わらぬ小物であったと思い知ることになるからだ!」


そんなダグラの声を聞いて。

いつも通りの踏み込みであった。


まるで立ち眩みでも起こしたかのように、倒れ込むように姿勢は低く。

踏み込む角度を限りなく垂直に、風の抵抗は最小限に。


静止状態の一歩から、滑り込ませた二歩目にはすでに最高速であった。


無意識にその身が体現させるのは、理論上の最大効率。

アルベリネアの本質は強さではない。

全ての理屈、理論の最上を問答無用で叩き出す、常軌を逸した正確性であった。


机上の空論を現実に。

物理的な限界へと、その体は容易く至る。


踵を叩きつけるように急制動。

途端に行き場を失う運動エネルギーを膝で受け流し、余すことなく上体へ――振り子のように体をしならせ指の先から解放し。


――少女の指先奏でるは、神をも殺す破壊の音色。


瞬時に一里を貫いた槍。

それを追えた者などいないだろう。

しかし誰の目にもはっきりと映るは、頭蓋を砕かれ内側の肉を咲かせる化け物と、その周囲に降り注ぐ血の雨だった。


いっそ幻想的な光景に、一瞬遅れて何とも言えぬ破砕音が遠くに響く。

それと同時に、置き去りにされた現実をゆっくりと取り戻す。


敵兵を鼓舞していた指揮官達の声すらも消えていた。

巨獣はただの一投で崩れ落ち、地鳴りを響かせ。

戦場にあった全ての視線は、再び魔獣へと跳び乗る少女へ。


常識外の戦果に対して、その力を誇るでも、雄叫びをあげるでもない。

彼女に取っては当然のこと。

――それはまるで、虫を潰すように些細なことであったと、そう示すようだった。


「――真に恐ろしきは誰か!」


彼女の代わりに声が響き。


「理解したならば声を上げよ! 刃を捧げよ!! 諸君らにはこの、アルベリネアの加護があらんっ!!」


三日月髑髏の旗が大きく頭上で振り回された。

あるいはそれは爆音に似て。


「――――ッ!!!!!」


――弾けるような歓声が弾けるように場を埋め尽くした。


先ほどまでの怯えが嘘であったかのように、誰もが声を張り上げ、槍を、剣を突き上げるようにアルベリネアへと捧げていく。

纏わり付くような全てが消え去り、狂熱にただ身を委ねる。

眼前にある獣以上の獣性をその目に宿し――彼等は今、人と言う名の獣に変わる。


「うぅ……」

「はっはっは、本当に呆れるほどの方だ。――道を空けよ! アルベリネアがここを通る!」


耳を押さえるクリシェを見ながらアレハは笑う。

彼もまた背後の兵士と同じく、狂ったように頬を吊り上げた。


「後のことはお任せを。ご要望通り、後の些事は私とダグラ隊長が」

「……はい、ハゲワシ、アレハ。後は適当に」

「は! お任せください」


敬礼するダグラとアレハを後に残すと、旗持ちのコーザ、ミアとカルアを先導に。

クリシェは嘆息し、迷惑そうな顔をしながら兵士達によって作られた槍のアーチを潜っていき――それを見送った後、ダグラはアレハに声を掛けた。


「アレハ副官、この様子ではやはり旗での合図は難しかろう。一番槍を頼みたい」

「はは、実際の所は二番槍ですが――お任せを。昔を思い出すようです。そのまま私は蜥蜴の足止め、兵の掌握はそちらで」

「了解した。――アレハ副官」

「……?」


ダグラは拳を突き出した。


「かつて刃を向け合う立場にあったとはいえ……しかしこうして、貴君のような栄誉ある武人と共に戦えること、心より嬉しく思う」


アレハはその拳とダグラの目を見つめ、驚きを顔に浮かべ。

微笑を作ると手を伸ばす。


「私の言葉です。このような立場の人間を当然のように受け入れ、大役をお任せ頂けるとは思わなかった。――この恩義は剣で返すほかありますまい」


そして拳を突き合わせ、


「……今宵は共に、勝利の美酒に酔いましょう」

「もちろんだとも。……前は任せた」

「後ろを預けます、ダグラ隊長」


二人は互いに笑いあった。

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