求婚の対価
「良く来たオールガン! 元気そうで何よりだ」
「お前こそ腹でも壊していないか心配していたぞガーカ。はっはっは、この様子では心配も無用だな」
ガーカ家大屋敷にある応接間の一つ。
流石に会議室に用いられている場所とは別ではあったが、入って早々敵国の将軍同士が抱き合う姿というものは何とも言いがたい。
むさ苦しい絵面――毎度の如くミアは一歩後ずさり、呆れたようにカルアはこれでいいのかと困惑を浮かべた。
ダグレーンの副官――顔に無数の傷跡残る武人ダルケリスもまた目頭を揉んでいた。
そのままダグレーンはオールガンの肩を叩き対面のソファを勧め、従兵に護衛の男達にも酒を与えるよう告げるとソファへ腰を降ろし、クリシェも少し彼から間を空けて座る。
部屋の中にはガーレンもおり、なんとも言えない様子で二人とクリシェを見ていた。
「次は戦場で、と先日は別れたものだが……まさか戦を前にこうして会うことになるとはな。少し驚いたぞオールガン」
会談の行き帰りでオールガンはここに立ち寄っていた。
互いにこれまでの戦いを肴に酒を飲み交わし、次が最後となるであろうと笑いあって別れたものだが、ダグレーンは実に愉快げ。
オールガンの酒杯へとワインを注ぐ。
「俺もそのつもりであったが、どうにも気に掛かることがあってな。……もはやそれも半ばは解決したところであるが」
オールガンはそれを受け取り、クリシェの方へ目をやった。
出来れば紅茶が良い、などと従兵に要求していたクリシェは、その視線に首を傾げ、オールガンは苦笑する。
「この戦、どうやり合うかを聞きに来た。知恵比べがやりたいのか――それとも腕比べをやりたいのか。どちらにせよ有利はこちら、やり方はお前に任せよう」
「……ふむ」
ダグレーンは愉しげにオールガンを見た。
両者髭など伸びるがまま、野盗の如き悪貌――そんな二人が顔を突き合わせれば、この場は会談と言うよりも賊の集会である。
このような二人を見ては、誰も二人が両国の中でも血筋貴き生まれなどとは思うまい。
まるで兄弟のような二人であった。
明らかに場違いなクリシェは注いでもらった紅茶に蜂蜜とミルクを注ぎつつ、そんな話の推移を見守る。
「お前も今ここにおいては国の命運を左右する立場、あらゆる手段を尽くし、知恵比べと来るならば残念だが仕方ない。軍人として正しい在り方だ」
オールガンはそう言いながらも、尋ねるように続けた。
「それを否定はせぬが……俺とお前の戦いの決着が小賢しいやりとりで終幕というのはどうにも味気ない。少なくとも俺はそう思う。お前はどうだ?」
「同じことを思っているともオールガン。わしが望むのもお前と同じく……小細工抜きの腕比べ、真正面からの戦いだとも」
当然のようにダグレーンは答え、その様子にオールガンは満足げに頷いた。
「それでこそ友――しかし、気に掛かるのはお前にそのつもりがないように見えるところだ。何故兵力を後方に温存する? 一軍規模の兵力が恐らくまだ残されているだろう。よもやこの五万足らずの軍で俺と真っ向からやり合う気かね?」
そして酒杯を煽り、テーブルに置くと、挑むようにダグレーンを睨んだ。
「――実り育む雨に誓おう。真っ向からの決戦をアルベランが望むのであれば、このオールガンは正々堂々、武人の誇りにかけ、全軍を持ってそれに臨む。……数日程度は待とう。政治戦略的都合など考えず、持てる全てをぶつけてこい、ガーカ」
気迫のこもった声であった。
激昂するような調子ではなく、むしろ落ち着きすらあり。
けれど部屋の金物を割りかねないほどに声は深く響く。
聞いていた者は皆、背筋を強ばらせ、
「えと……やっぱり和平の使者じゃないんでしょうか?」
一人困ったように少女は告げる。
戦の前の使者である。
未だに交渉や平和的解決のためにやってきたものなのではないかと僅かに期待していたクリシェは、どうにもやはり違うらしいと眉尻を下げた。
「くく、ご冗談を。……十万の兵を率い、五万足らずの軍に降伏する将がどこにあると仰るのか。降伏を求めるならばいざ知らず」
「数字を考えれば、まぁそうかもですが……十万いたって五万を殺すには時間が掛かりますし、戦は首の取り合い。その前にクリシェがオールガン副議長の首を飛ばせばおしまいでしょう?」
顔に冷や水をぶちまけるような挑発であった。
「クリシェもそこそこ内戦では活躍しましたし、オールガン副議長もこの前の様子だとクリシェの方が強いって分かっていらっしゃるように見えましたから……」
近頃のクリシェは『そこそこ』戦にも圧勝し、『そこそこ』の有名人である。
その上、以前会ったときには噂通りの方、武人として会えて光栄などと言われているのだ。
クリシェの実力を知り、その上で武人としてクリシェを格上に見た言い回し――向かい合ったときの反応からすれば社交辞令などではなく、少なくともクリシェの方がずっと強いことも理解しているように見えた。
「だから、このよく分からないタイミングでいらっしゃったのもてっきり、クリシェが来たことにびっくりして和平に来てくれたのかと」
仮にこちらへ降伏を求めるならば、軍が到着してからで良い。
普通は十万の軍という力を見える形で誇示して、相手を怯えさせ、兵士達の目という盾を用いながら降伏を勧告するのが普通である。
しかしオールガンはこちらを警戒させぬよう、僅かな手勢でここに訪れた。
この状況、こちらには聖霊協約を無視してこっそり彼を始末するという選択もあり、生殺与奪を握っているのはこちら――まさか彼等が一切そのようなことを想定しないということはあるまい。
オールガンがあくまで軍の指揮官として立つならば、わざわざ暗殺の危険に身をさらし、下手に出て、このように危険な状況に自分の身を置く必要も理由もなかった。
あるとすれば誠意のみ。
――オールガンは恐らく、何かしらの申し出なりこちらへの願い事があって訪れたのだ。
そのようにクリシェが考えるのは一応のところ、ごく一般的な考えからも遠く離れたものではない。
当然常人であればオールガンとダグレーンの因縁や、敵が倍の戦力を持ちながら、決戦のみを考えまっすぐと軍を進めている様子――それらの事情から理由はある程度察することは出来るものだが、しかしクリシェにはそのような融通性のある思考回路などは備わっていなかった。
相手は下手に出ている。
クリシェがとても強いと知っている。
――なるほど、彼等の目的はクリシェに恐れをなしての講和であるに違いない。
彼女は短絡的にありのままの状況を、合理的に判断したまで。
まさか戦を正々堂々、最大限楽しむため、などという非合理的な理由で、のこのこ敵陣を訪れる間抜けな敵将などありはしない――と彼女はつい先ほどまで思い込んでいたのだが、どうにもしかし、様子がおかしい。
獣を見せたい、などとクリシェにやたらと『気を使う』のも敵に回したくないと思ってくれているからなのではないかと考えていたのだが、この様子を見るとそうではない。
『クリシェの強さを周知して敵を退けよう大作戦』が成功したわけではないらしい。
どこで間違ったのかとクリシェは考え込み。
オールガンは面食らったように。
そして護衛の男達は再び声を荒げかけ――ザルヴァーグに手で制される。
しばらくしてオールガンは再び笑い出す。
「くく……なるほど、なるほど。先ほどのお言葉はやはり冗談でも挑発でもなく」
そしてすぐに目を細め、クリシェを睨み付けた。
「……その様子では本気で、私を相手にこの兵力差で真っ向から勝てると、そう仰るのか?」
「はい。別に突如の奇襲というわけでもないですし、普通は勝算もなく戦うことの方がずっと変だと思うのですが……何かおかしいですか?」
「いいや。しかし、大層な自信がお有りのようだ」
オールガンは頬を吊り上げた。
アウルゴルン=ヒルキントスに対し、劣勢からの圧勝。
黒獅子ギルダンスタインをも容易く破った。
過去には神聖帝国との戦にも顔を出し、ただ一戦でリネアの叙勲を受けている。
漂うのは一目に分かるほどの武――少女とは思えぬほどの圧力。
どこか無機質な紫色、そこに宿るは傲慢なまでの自尊心。
遥か高みから見下されるような心地であった。
その瞳は人であって人でないものかのような、底知れぬものを感じさせている。
――竜を相手に刃を向け、その力量を認められ盟約を交わした。
普段なら一笑に付す下らない噂話も、この少女ならば然もありなんと思わせるものがある。
「……個人としての力量は所詮個人のもの。確かにあなた個人の実力は逸話に疑う余地なしと感じるものがあるが――個人の武など万を超える戦場において微々たるものだ。……二度は問いません。その上であなたは、私の率いる軍に真っ向から勝利すると仰るのだな?」
クリシェは少し考えながらも答え、微笑む。
「んー、真っ向の定義にもよると思うのですが……まぁ単純な一会戦とするならそうですね。クリシェはオールガン副議長よりずっと強いですし、賢いのです」
呼吸をするように罵倒しながら。
改めてそれを尋ねる理由は何かと探り、彼女の優れた頭はすぐに回答を導き出す。
「えへへ、やっぱり戦いをやめて和平を結ぶ気になってくれました?」
「いいえ。むしろ、やる気に満ちたと言うべきでしょう」
「……え?」
オールガンは笑みを浮かべるダグレーンに目を向けた。
「……ガーカ、お前もそれで異論はないのか?」
「その娘には借りがあり、今となっては一応わしの上官。顔は立てねばなるまい。その上で真正面からの決戦をと告げるのであれば、わしに拒否する理由はなく」
ダグレーンは笑いながら、ワイン瓶を手に持った。
「……そしてわしはその娘に残る五万の兵を見た。わしの目からは勝負は対等、お前に対する侮りも驕りもない」
そして酒杯を差し出すよう、オールガンに目で告げる。
「――後はお前が受けるか否か。お前の目に、この娘がどう映るかだ」
オールガンはじっと自身の酒杯を見つめた。
そしてそれを掴むと差し出し、注がれたワインを一気に煽る。
「……いいだろう、それでこの勝負、受けて立つ」
そして獣のような笑みを浮かべると、未だに困ったような顔をする少女を見つめた。
「しかし侮りと感じるところもある。このような勝負を私に飲ませたのだ。アルベリネア、その自信が驕りであったならばその身を頂く」
「……ほう」
面白そうにダグレーンは笑みを濃く。
クリシェはただただ首を傾げた。
「身を頂く……?」
「王家の血も終わりと、妻を娶る気はなかったが――その傲慢さは実に気に入った。負ければこのオールガンの妻となれ。……それだけの大言壮語を吐いたのだ。よもや否とは言うまいな?」
ミアとカルアは唖然とした様子で顔を見合わせ、ガーレンは渋面を作る。
他の者達は驚きを浮かべつつも、それほど動じることもなかった。
勝者が虜囚となった姫を手にするというのは戦乱の世の常。
別段おかしな事ではない――
「えと……クリシェがオールガン副議長のお嫁さんになるってことでしょうか?」
「いかにも。聞き間違えたということはあるまい?」
「……おぉ、クリシェ、初めて求婚というものをされました」
が、一番驚いた様子を見せるのはクリシェであった。
両手を頬に当て、落ち着かなさそうにふりふりと体を振る。
先ほどまでの様子から平然と即答するのかと思いきや、この反応である。
緊張感のない子供のような姿に誰もが困惑を浮かべた。
「あっ、なるほど。クリシェようやくわかりました」
「……?」
「以前から何度も獣を見せたいだなんて、どうしてオールガン副議長が会って間もないクリシェに気を使ってくれるのかと思っていたのですが……いわゆるこれが、ベリーの言う一目惚れというやつだったのですね。クリシェ、そうとは知らずすっかり勘違いを……」
今も絶賛勘違い中であったが、一人気付かぬクリシェは自分の勘違いに恥じいるように頬を染める。
「えーと、先代のご当主様に拾われた恩義がありますから、今はその恩を返すので精一杯……いえ、そもそも今はクリシェ、ベリーのなので……んー……」
そして何やら断り文句を考えているらしいクリシェ。
見ていた者達は顔を見合わせ、見かねたカルアが小声で耳打ちする。
「……あ、あのねうさちゃん、負けたらお嫁さんになれってことなんだから、別に断らなくていいの。絶対勝つんでしょ?」
「あ、そうでした。いきなり求婚されるとは思ってなかったので、クリシェちょっと混乱を……」
恥ずかしそうにクリシェは言い、オールガンは愉しげに笑う。
「くく、はっはっは! どこまでも愉快な娘だ! 今日一日でひと月分は笑った気がするぞ。……してアルベリネア、返答は?」
「んー……要するにクリシェに勝ったらご褒美にクリシェをお嫁さんにしたいってことですよね?」
「そういうことだ。理解したか?」
はい、と頷きながらもクリシェは少し考え込み。
そしてあからさまな不満を顔に浮かべた。
「……でもですね、クリシェが勝つとは言っても、賞品をこちらが出すだけというのはなんだか釣り合いが取れないような気がするのですが」
相手が勝った時にはご褒美。
しかしクリシェが勝っても何もないというのは明らかに損である。
唇を尖らせオールガンを睨めば、オールガンはまたも笑う。
「そんなことか。好きにするといい。十万の軍勢を率いて半数以下の相手に敗れるとあっては言い訳も出来ん。煮るなり焼くなりどうとでもすればいいさ」
「んー……」
「このオールガンに二言はない。望むなら裸で兵の前を逆立ちで回ってやってもよいだろう。この場にあるものが証人だ」
「はぁ……副議長」
「止めるなザルヴァーグ、これほどの挑戦を受けておきながら引けはせぬ。それともお前も俺の負けに賭けると言うのか?」
ザルヴァーグは呆れたように両手を広げた。
「……クリシェ、別にオールガン副議長に裸で逆立ちをしてもらっても何も嬉しくないのですが」
筋肉質な体と濃い体毛。
裸で逆立ちをするオールガンという狂気をクリシェは真面目に想像し、却下する。
面白くもなければ特に見たいとも思わない。
どう考えてもクリシェとはつり合うまい。
「単なる例えだ、アルベリネア。そちらが勝てば雨に誓い、望みの全てを叶えよう。私に出来ることであれば、という但し書きは付くが」
「……望み」
クリシェは再び考え込んで、思いついたようにぽんと手を叩く。
「じゃあ、そうですね。オールガン副議長が敗れればガルシャーン軍は抵抗をやめ、すみやかに王国領から軍を引く、というのでどうでしょう?」
「……ふむ?」
「その上で講和、以降は静観。いかがでしょうか?」
微笑み告げるクリシェに対し、オールガンは目を細め真意を探り。
そして苦笑すると尋ねた。
「……思ったよりもささやかな願いだな?」
「オールガン副議長が王様ならともかく、議会制の副議長で、侵攻軍総指揮官とはいえ単なる将軍。現実的に望めるならこのくらいかと思ったのですが……」
指先を桜色の唇に押し当て、クリシェは首を傾けた。
単なる遊びであったが、彼女の返答はどこまでも明確で、先を見据えたもの。
自らの勝利を既定事項として見ていた。
「このような戦を前に、負けた時の話し合いなど真面目にやるものではないな」
傲慢で――どこまでも自信家な少女。
オールガンは笑い、いいだろう、と告げた。
「……実り育む雨に誓って、このオールガンがその勝負、受けて立とう」
護衛の男達は顔を見合わせ、オールガンはそれを気にせずダグレーンに。
話を聞いていたダグレーンはなんとも愉快げに笑って言った。
「わしはお前が裸の逆立ち姿で兵の前を歩く姿が見たくあるな、オールガン」
「抜かせ。俺が勝てばそうなるのはお前だぞガーカ。首を刎ねた後は裸で逆さに吊るしてやる」
軽口に軽口に返し、オールガンは自身とダグレーンの酒杯にワインを注いだ。
言葉もなく、揃ったように酒杯を差し出し、打ち鳴らし。
話は終わりだ、と口を開くはオールガン、
「これまで通り、お前の武運と――」
そして、結句を紡ぐはダグレーン。
「――死を祈る」
互いに酒杯を煽ると机に叩くように置き、オールガンは立ち上がった。
「行くぞザルヴァーグ。……次は戦場で会おう、友よ。そしてアルベリネア」
そして踵を返し、大股で部屋を出て行った。
慌てたように護衛が続き、ザルヴァーグは呆れたように主人を見送った後、
「……どうしました?」
首を傾げる、銀の髪のアルベリネアに視線を向ける。
「副議長はあのような方ですが……戦となれば全力でそのお命、狙わせて頂く。この戦、お考えになるほど容易きとは思わぬことだ」
返答を求めず、そう言い切るとザルヴァーグも彼等の後に続いた。
クリシェはただただ首を傾げ、ダグレーンが笑う。
「厄介な相手を本気にさせたなクリシェ。ザルヴァーグはああ見えて、執念深く苛烈な男だぞ」
「んー……戦で本気じゃない指揮官もあまりいないと思うのですが」
返答に困ったようにしながらも、クリシェは告げる。
「まぁザルヴァーグさんがクリシェを狙ってくれるなら何よりではないでしょうか。それならきっと、積極的に予備も動いてくれるでしょう」
オールガンの剣、ザルヴァーグ。
平民からその剣腕と天性の頭脳でオールガンの片腕にまで成り上がった人物で、基本的には本陣側で予備を率い、オールガンの周囲を固める。
最前線で剣を振るうことはあまりないが、彼の指揮する戦士は勇猛果敢。
ひとたびオールガンから放たれれば、必ずと言っていいほどの大戦果を挙げてくる。
オールガンの切り札とダグレーンから聞いていたクリシェは冷静に答え、
「きっと、空振りに終わるでしょうけれど」
美麗な顔に微笑を浮かべた。