今客観的にドラマを見ていると大河ドラマというのは、スタッフキャスト含め作品全体が熟成度を増していくものだと思いました。
そして1年半同じ役を生きるという本当に貴重な体験、役をここまで深めていけるという贅沢さを改めて感じています。
十兵衛の役を通して学んだことはたくさんあります。本来主役であるべき者を支える者が主役の本作。
困難の多い現代を生き抜くヒントがあるように思えます。
最終回で信長は光秀に「そなたが、わしを変えたのじゃ!」と言い放ちます。また、「将軍を殺せ!」とも。ふたりが対峙(たいじ)する最後のシーンです。信長は自分のことしか見えていません。演じながら、その場に自分ひとりしかいないような、真っ白な何もない世界にいるような孤独感を感じました。そして、救いようのない悲しみも・・・。そんな信長を凝視する光秀。そのときの光秀の目を見て、もう信長は殺されたと感じました。それほどの眼光でした。
本能寺のシーンでは、攻めてきたのが光秀であったことへの喜び、悲しさ、切なさが入り混じった複雑な感情が巻き起こりました。そして、安堵(あんど)。やっと、自分が自分から解放される。「織田信長」という亡霊から解放されるという安堵です。だったらもう、最期の戦を思いっきり楽しもう、と。最期のときは、相手が光秀という歓喜と興奮に包まれていたように思います。
信長の人生が幕を閉じる、1年以上演じてきた信長が終わると思うと、僕自身も興奮したし、同時に切なさも感じました。
撮影が終わり、今はふだんの生活に戻ってきた感じがしています。1年半という長丁場を振り返ると、やはり異質な時間でした。撮影時はもちろん、撮影を離れていても、どこか頭の片隅でいつも信長がぐるぐる回っている感覚がありました。そんな異質な時間から得たものは、間違いなく自分の宝です。
長谷川博己さんをはじめ、『麒麟がくる』の共演者、スタッフのみなさん、そして作品を楽しんでくれたみなさん、本当にありがとうございました!
撮影に入る前に監督から、「この作品での秀吉は悪役です」と言われました。主君を裏切った謀反者といわれる光秀が主役なら、確かに。『よし。しかるべき役どころ、如何(いか)なる悪事を働いてやろう⁈』と勇んで臨んだものの・・・。実際にその立ち位置で演じてみたらば、『儂(わし)が悪いのか?待たれい、左様に言われるのは筋違いじゃ。ならば、こちらもしかたあるまい・・・』と意外に弱腰、防戦気味。ただ、客観的には謀略知略を尽くし出世街道驀進(ばくしん)、天下人へ。今作では光秀しかり、信長、家康、皆それぞれ、立場が変われば、事象のとらえ方も変わって見えました。
秀吉はふだんから大層大仰な立ち居振る舞いでした。それは、彼が必死に生き抜くためのひとつの手段だったのでしょう。もちろん僕なりの秀吉の芝居は考えていましたが、どこか彼のこの芝居がかった物言いをそばで見ていた気もします。ドラマという仮想ではありますが、秀吉の見地でこの戦国の歴史を生きたこと、ありがたく幸せに感じます。そしてすべての放送を終えた今、秀吉というこの上なく役者にとって楽しみがいのある玩具(おもちゃ)をお返ししなければいけないのが少し寂しいです。
今作では途中、撮影に当たり困難な状況もありましたが、強固なスタッフ、キャストのおかげで完走できました。何よりも、皆の道標として、常に天に向かって真っすぐ立ち続けてくれた明智十兵衛光秀に感謝です。長谷川博己さんは最後の最後まで、最高のヒーローでした!秀吉から見ても(笑)。
そして、改めまして、視聴者のみなさまの応援は、ドラマの大きな力強い推進力でした。
本当に、ありがとうございました。
多くの方の家康像は、徳川幕府初代将軍の家康だと思います。僕はこの作品で、まだ何者でもない家康を演じさせてもらいました。最終回を迎えた今でも、僕の演じる家康はまだ天下人の素養は備わっていないと思っています。これでやっと自分の駿河が少しは落ち着くかなと思っているくらいだと・・・家康がのちに天下人になるなんて、誰も想像していないはずです。
ただ、明智光秀という男と出会い、彼が描きたかった未来を知り、それが転換期となり、やがて天下人としての素質、覚悟、意思が開花していくのだろうと思います。
そういう意味では、これからの徳川家康の物語の第1回が、『麒麟がくる』の最終回だったと思っています。
最後まで、『麒麟がくる』を見届けてくれたみなさんに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
伝吾は光秀さんのことが、好きで好きでたまらない。美濃にいたころから、その思いは微塵(みじん)も変わることがなく、それどころか歳月を重ねるほどに思いは増していったように思います。そしてそれは伝吾だけでなく、左馬助にも利三にも、ほかの家臣たちみんなにいえることだと思います。
最終回で、「信長様を討つ!」と宣言したシーンで、光秀さんは「わしが間違っておると思うなら、わしの首をはねよ」と家臣たちに言います。その言葉を聞き、生涯をかけてこの人に仕えてきてよかった、という思いが胸の中に渦巻きました。
光秀さんは決して、ひとりではなかった。家臣だけでなく、その人間性、魅力にひきつけられた者たちが多くいました。それは長谷川さんが演じた光秀だからこそ、そう思えたんだと思います。
これからも視聴者のみなさんが「明智光秀」のことを好きでいてくれたら、僕たち家臣団にとってもそれは大きな喜びです。
父・光安の死とともに美濃を追われて越前に逃れ、そこで苦難の数年を過ごし、その後上洛し、本能寺へと至るまで、左馬助はずっと光秀様の背中を追いかけてきました。意気揚々とした背中、苦悩にさいなまれている背中、いろいろな背中を見てきました。そして最後に、火の手の上がった本能寺を見つめる背中は、とても切なかった。
歴史は脈々とつながっています。もし、明智軍が本能寺に向かわなかったら、今、僕たちがいる世の中はどうなっていたんだろう?
約1年にわたり『麒麟がくる』を楽しんでくださり、本当にありがとうございました。
斎藤利三は、主君に忠実な男であると同時に、主君に対して自分の理想や信念ももっていた男だと思います。光秀が、地位が高いからとか、信長に気に入られているからとかではなく、その人間性にほれ込んで家臣に加えてもらったのでしょう。そして、光秀こそが自分が仕える最後の主君だと思っている。ですから、信長を討つと聞いたときも、迷いはなかったと思います。
本能寺のシーンでは、セリフはほとんどありませんが、信長がいる本能寺を見つめるまなざしだけで、多くのことを表現しなければいけないと思いました。また、僕の前にいる馬上の光秀さんの背中を見ていると、頼もしくもあり、切なくもあった。長谷川さんの芝居は、背中を見ているだけで複雑な思いが伝わってくるものでした。
僕は物語の終盤からの参加でしたが、最後、明智光秀と運命をともにすることができて光栄でした!
たまは忠興のもとへと嫁いでいきましたが、父のことを慕う気持ちは変わりません。
そんな大好きな父上が悩んだ末に選んだ道を信じ、むしろ誇りに思っていると思います。
最終回のラストシーンは、私自身としても、たまとしても、救いとなり、希望をもらえるシーンでした。
また光秀に会いたい、そう願う人がいる限り、光秀は生き続けているのだと思います。
『麒麟がくる』を、そして、たまを最後まで見守っていただき、ありがとうございました。
養子として入り、育ててもらった名門の細川家を絶えさせてはならない。このことは劇中では描かれてはいませんが、戦国の世にありながら細川家をあるべき姿でちゃんと後世に残すことは、藤孝にとっての大きな命題だったように思います。
光秀は盟友だったことは間違いない。武士としても、ひとりの男としても光秀のことは大好きだし、大きな信頼も寄せていた。でも、最後の最後に光秀と行動を共にできなかったのは、自分は何がなんでも細川家を守らなくてはいけないという強い思いがあったからではないかなと思います。
演者として作品に携わりながら、ひとりの視聴者として『麒麟がくる』は1回も見逃すことなく見てきました。藤孝は全面的に物語に関わっているわけではないけれど、それでもひとつの時代を見届けてきたような感覚があります。
そして最後にひとりの視聴者として言わせてもらえば、この大河ドラマ、おもしろかった!
帰蝶は、宿命みたいなものを感じながら生きてきた女性だと思います。
父・道三は、戦に送り出すような気持ちで帰蝶を織田家に嫁がせましたし、その思いを帰蝶もくみ取っていたと思います。「父のことは大嫌いじゃ」と言いながらも、最後の最後まで父の思いを貫いたように思います。
何かを成し遂げるためには手段を選ばない面もありましたが、その裏側には平和な世の中になってほしいという純粋な気持ちやブレることのない強い信念がありました。彼女が戦国の世に存在したことで見ることができた景色もあったはずです。
振り返ってみると、私が演じたのは、とても大事な役でした(笑)! 女優としての自信や誇りにもつながりましたし、何よりこのドラマに携わることができたことが、私にとって奇跡のような出来事でした。約1年間、本当にありがとうございました。
若き関白としての地位にありながらも、二条晴良との権力闘争に敗れて朝廷を追い出され、前久は悔しい思いをたくさんしたと思います。でも、どんなときも伊呂波太夫は、近くで見守ってくれました。手を差し伸べてくれました。
明日の命さえもどうなるかわからない時代に、公家という立場にありながらさまざまな問題に積極的に関わっていく近衛前久の姿は、演じながらかっこいいと思っていました。
『麒麟がくる』を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
菊丸は最初のころとそれほど変わっていませんが、光秀さんは出世するほどにどんどん変わっていきました。撮影終盤の光秀さんは、顔をまともに見ることも畏れ多い・・・という雰囲気でした。美濃のころとは、たたずまいも、しゃべり方も違って近寄りがたい感じ。やっぱり、本物の役者さんはすごいなと思いました。
菊丸はオリジナルキャラクターなので、いつ死んでもおかしくないと思っていました。それが、どうでしょう、最終回まで生きのびました!戦乱の世を生きのびました!!
しかも、第1回にも最終回にも登場することができたなんて、こんなに幸せなことはありません。
駒ちゃんへの恋はかないませんでしたが、菊丸も喜んでいると思います。ありがとうございました!
憧れの人は、心の中にいる。
実在の人物が登場する物語の中にあって、架空の人物であることに最初は戸惑ったし、悩みました。でも、旅芸人という異色の設定や、オリジナルキャラクターということで、たくさんの人と関わることができ、演じていてとても楽しかったです。
ただひとつ残念なのは、帝にお会いできなかったこと(幼少期にはお会いしていますが)・・・でも、それでいいんです!憧れの人にすぐに会えてしまったら、そこで夢は終わってしまうような気がするから。帝のことを思って、いろいろな人とつながりをもつことができたし、助けることもできました。会えなくても、伊呂波大夫の心の中にいつも帝はいらっしゃる。それでいいんだろうなと思います。
すてきなキャラクターを演じさせてもらって、本当に楽しかったです!
約1年半、本当に貴重な時間を過ごさせていただきました。この作品に登場するオリジナルキャラクターは、名もなき庶民の代表として脚本家の池端先生が登場させたのだと聞いています。とはいえ、実在した歴史上の人物たちに囲まれて演じるのはとても難しく、回を重ねるごとに駒が物語に深く絡んでいけばいくほど、その難しさを感じながら撮影していました。
でも、すべての撮影が終わって振り返ってみると、「ほんとうに楽しかった!」という思いが一番強いです。多くの魅力的な役者さんと1年半にわたりお芝居をさせていただけたことも良い経験でしたし、何より1年半、同じ監督、スタッフのみなさんとお仕事できた喜びは計り知れません。
壮大なスケールで、たくさんの共演者のみなさん、スタッフのみなさんが一丸となってひとつの作品を作り上げる大河ドラマ。そこに参加することができとても光栄に思っています。
共演者・スタッフのみなさん、そして『麒麟がくる』を応援してくださったみなさん、ありがとうございました。
役者冥利(みょうり)に尽きる役。夢中になりました。感無量でございます。
まだ僧侶だった覚慶から演じさせてもらったことに大きな意味がありました。将軍・義昭からやるのと覚慶からやるのでは、全く違う人物になってしまったでしょうから。
僧侶から将軍に担ぎ上げられて、思い通りにならなくて、ほえて、泣いて心が壊れた。最後は心穏やかに釣りをしながら生きている。世の中に振り回され、利用された悲しい人ではあるけれど、誰よりも長く生きた。落ちぶれても生き残ることに執着した。生きる選択をした義昭の人間くささにほれぼれします。なかなか巡り合うことのないすばらしい人物、人生でございました。ああ、楽しかった!
帝(正親町天皇)の資料が大変少なく役作りは難しかったです。その中で、「象徴的な存在であり得る、そして絵作りに堪えうる役作り」を考えなければなりませんでした。また、「絶対的な存在」でありながら「抽象的な存在」としての心と形も大事だと思いました。どんなことがあろうとも、しなやかに時代を生き抜いていった帝であること、そして流麗で柔らかさをもっていることを大切にしながら演じさせていただきました。
この作品での明智十兵衛には、学問があり、わきまえがあり、帝とは心の通じ合う柔らかい人間だったと私は解釈しています。そんな人間だったからこそ、この世を平らかにし、平和と調和をもたらしたいという思いに駆られ<本能寺の変>に至ったのだと感じました。一方の織田信長は、大業は成し遂げましたが和歌を詠むような心得はなかったということです。
最終回では、明智十兵衛に未来への夢をもたせた終わり方になっていました。そこが今回の大河ドラマ『麒麟がくる』の大きな意味だと思います。
帝(正親町天皇)しかり、明智しかり、権力者や地位の高い者は孤独なのだと思います。でも、そういう孤独感をほかには見せないし、見せたくないと思っている。
一方、東庵は、権力闘争や戦とは無関係のところにいます。帝も明智も、裏表がなく、柔らかな空気のような東庵の前では、すっと肩の力が抜けて本音を漏らすことができたのでしょうね。そういう意味では、身体(からだ)だけでなく心のケアもやっていたのだと思います。
この作品を楽しんでくれている人から「東庵先生や駒ちゃんが出てくると、見ていてほっとします」と言われたことがありますが、それはもしかすると帝も明智も同じだったのではないかと・・・。そして、命というものが軽んじられる戦国の世にあって、数多くの庶民の代表として、ずっと命の重み、大切さを訴えてきました。
そういう東庵の立場や信念をも、全44回にわたり貫くことができたことに感謝しております。ありがとうございました。