アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2021年03月 >
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スピリチュアル

沖縄の御嶽①うるま市伊波「火神と水神の和合は土神」

沖縄の御嶽①うるま市伊波「火神と水神の和合は土神」
驗(しるし)の魂(たま)
かつて石川に住む昔の古老達は「テーミの世(弥勒世)」がくると伝えていた。

うるま市(前石川市)の「伊波」は、1610年「伊覇」を用いていましたが、1736年には「伊波」となりました。
「伊波(イファ)」という言葉は海浜の意味である「伊保(イーフ)」から転訛したもので、「沖積層(2万年前の地層)」のことをいうそうです。

伊波グスク付近の地層は大変古い地盤で、その古さ故に不思議話の多いところでもあります。

古い資料の記録によると

美里間切
伊覇村「世立初め」
天太子の御子宜野湾加那志
(在所は根所死骨は宜野湾喜友名村嶽内の穴)
伊覇村「地組初め」
金武同村並里按司の三男並里大親
(在所は根屋)
屋敷囲い初め北山大按司の御子美里按司(在所は仲門と云う)其の子は、七男七女あり。

伊波の最も「古い家」は「伊波の大屋」といわれています。そして「美里按司」の子孫「仲門」があります。更に「美里按司」の前に世立て初めとして、「天太子の子」である「宜野湾加那志」が入られて、その子孫がいるはずです。元々の住人らは「アマミチュウ(巨人)」や「アマミキヨ」らの子孫であると思われます。
その証拠に石川から仲泊へ抜けるところには「アマンチュの足跡」が残されているという伝説があります。

伊波の創造者の直系「大屋」を以て祖霊とし「大屋門中」が「大屋」に集まってから、「伊波・嘉手苅・山城・東恩納・石川」の祀り事は行う習わしになっています。
「大屋門中」の伝承によると、「伊波按司」について、北山王怕尼芝に滅ぼされた仲昔今帰仁「仲宗根按司」が「伊波の娘(仲門)」と夫婦となり、男の子三人を生んで「伊波グスク」を築き、そして「山城」を島立てしたといいます。

三元(三ムートゥー)
長男・・・前殿内
次男・・・安平(女系)もあり。
三男・・・下庫理屋阿
この三兄弟は「ヤマグシク(山城)」の「ウタキ(ウガミ)」と呼ぶ丘陵に住みついたことから、山城は始まったといいます。

また伊波貝塚は長浜貝塚遺跡や荻堂貝塚遺跡と並ぶとても古い遺跡です。(縄文後期約三千五百年前)
そこは計画性をもった集団の移住によりできたといわれ、約三千年頃のものと思われます。
北から南下したグループがいました。
辺戸岬近くの「宇佐浜(うざはま)」を起点に東海路と西海路に分かれ移動を始めたのは「アマミキヨ(男系農耕祭司族)」のグループです。

ちなみに琉球列島にはすでに
「アマミチュ(父系巨人)」のグループがすんでいました。更に遡れば「アマミク(母権母系祭司族)」また更には「アマク(原住民小人)」のグループです。
海は離れた島と島の人々を繋ぎ、更に大陸の人々をも繋いでいたのです。

しかし、琉球の地が荒れ始めました。
北山、南山の争いは、「天孫族」到来後に起こります。歴史上よくある「本家と分家」の争いです。
この「天孫氏族」は「武=剣」を持つグループでもありました。

さて、今では「アマミキヨ=アマミチュ=アマミク=アマク」となっています。彼らは混血を重ね、相手の歴史に入り込み始祖をひとつとしています。
しかし、時代の違いを言葉仕掛けに先人達は遺してくれました。
「アマミク」グループの到来は12000年前といわれています。

話を「伊波」に戻します。
伊波に入った初期グループの「アマミキヨ」達は、伊波グスクに「創世神(村立)」を祀ったものと思われます。

琉球国由来記による
「伊波」の御嶽は、全て伊波グスク内
伊波グスク内の御嶽だけが記載されています。
・森御嶽ー神名「オソクヅカサノ御イベ」
・中森城之嶽ー神名「カヅマロヅカサノ御イベ」
・三ツ森之嶽ー神名「イシノ御イベ」


沖縄の御嶽①うるま市伊波「火神と水神の和合は土神」

彼らは「古我地原」へ移動し、泉に恵まれたここを住居地としたようです。
その証拠に「古我地原貝塚遺跡」には 竪穴住居の 跡も発見されています。

初め伊波貝塚人達は、伊波グスクから伊波小学校に向かっての「ダンジ原」という所に住んでいたようです。しかしこの地域は残念ながら、戦後の開拓によって貴重な岩石や自然が破壊されてしまったようです。
この地域は伊波グスクと同じ高さの岩山原でしたが、今では影も形もありません。
伊波貝塚の上の方には「チヌヒンチャ(角下)」といわれる「巨石」があったようですが、これも破壊されなくなってしまいました。ここら辺を「ダンジ原」といい、巨石近くの屋敷内には「世の始まりの人」が埋められていると伝承が残っており、毎年供養を行っているそうです。

またこのダンジ原周辺が「源泉」であったと思われますが、それも破壊された為に、水の流れもかわり、この一帯の地盤にじわりじわりと影響を与え、磁場の異変へと繋がったと思われます。
そのため、この一帯は「不思議話し」が後をたたなくなってしまったのでしょうか。

沖縄の御嶽①うるま市伊波「火神と水神の和合は土神」
水の教えに従い、「水根の神=ミクマリ(水わけ)神」に感謝を。
土の教えに従い、樹木を以て氣を鎮め地(磁)場を整え和(なご)し賜れ。

荒れた土地は人の心に影響します。それは、荒れた心を生むのです。
その荒れた「霊」を「靈」に和らげ、「魂」へと人の力によって整え導くことは可能です。
人の力に為し遂げらないことはなく、また、人が心を持たされたその「理(ことわり)」を知り、「徳=解く」による力を以て整えることこそ人の道です。

火には水を、荒れた心には「優」をもって言葉とし、また言霊(ことだま)によって和らげることを願います。
「和」とはありのままを認め受け入れ、お互いの譲る心で「和合」となることを知ってください。

「火之神」と「水之神」は「土地神」の力添えで和合をとることができるのです。


全ての繋がりに感謝。


byはやさすら










タグ :沖縄の御嶽

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