写真を追加したので再掲載いたします。
学生時代の
白川郷の写真を紹介したのを機会に、もっと昔の写真を紹介いたします。幼稚園(3歳)から小学校4年生(10歳)まで広島市の井口という場所に住んでいました。その時の住所は広島市井口町で今の住所は広島市西区井口です。私が住む以前の地名は佐伯郡井口村でした。1956年11月1日に広島市に編入されて広島市井口町となったそうです。「井口」は戦国時代以来の古い地名で、当時は広島湾に突き出す半島であった鈴ヶ峰が「猪の口」の形に似ていたことに由来するという説と、隣接する古江の入り口すなわち「江の口」が転じたという説があるそうです。
防波堤が先端まで写っている写真を、実家のアルバムで見つけたので追加させてもらいました。私の生まれたころの写真や祖母と祖父の写真も見つけたので、後ろの方に追加させてもらいました。
その井口では昔は海岸に面しており、私が住んでいた家も海に面していました。上の写真も下の写真は住んでいた家の庭から撮った景色で真中の島のように見えるのが小己斐明神(こごいみょうじん)で別名で男明神(島)または小己斐島です。私が引越して来た時にはありませんでしたが、昔は女明神(島)という小山もあり夫婦島として有名だったそうです。
今は、この海は埋め立てられて海岸線は遙かかなたですが、赤い線(
━━)が私が住んでいたころの海岸線です。通っていた広島市立井口小学校と聖モニカ幼稚園などの近所の場所も記載いたしました。
私の住んでいたころには男明神の横は漁港でした。上の写真でも小舟が沢山停泊しているのがわかってもらえると思います。
Google地図に直接マークを入れました。赤色マークが住んでいた家があった場所で、緑色マークが男明神や女明神や庭の小山のあった場所です。赤色ライン(
━━)が昔の海岸線で青色ライン(
━━)が防波堤のあった場所です。マークやラインをクリックすると説明文が表示されます。
左が男明神で左が女明神と思われた小山の写真です。実は女明神と思われる小山が家の庭にありました。庭と言っても国道と庭との間にありました。この山の上に登ったり、くりぬいて作られた防空壕に入ったりして遊んだ記憶があります。右の写真の小山は無くなって今は手打うどん店の敷地になっています。お店の名前は
純手打うどん香房・広島本店です。

女明神の明確な写真がなかったのでネットで探して拝借して掲載いたしました。この写真の角度はよくわからないのですが、2つの明神の接近ぐあいから見て、庭にあった小山は女明神ではないかもしれません。さらに調べると女明神は1933年に姿を消したそうなので庭にあった小山は女明神ではないことがはっきりしました。
もう一枚、1924年の写真を拝借いて紹介いたします。右が男明神で真中が女明神です。左の線路の向こうに小山が見えます。その中の一番手前が庭の中にあった小山だと思われます。それ以外の小山は我々が引越してくる前には削られてなくなったようです。上の写真は東から撮られたもので、この写真は西の方角から撮られたものようです。それにしてもずいぶんと海岸に近いところを線路が走っていたものです。私が住んでいた頃は線路と海岸の間に国道2号線がありました。
さらに古い一枚をお借りいたしました。明治初期のころの写真だそうです。
こちらの写真も家の庭から撮った男明神です。近所の子供たちが、このコンクリートの壁の上から海に飛び込んでいました。実は冒頭の写真を見てもらうとわかるようにこの壁から海までは高いだけでなく距離もありました。霞んでいますが男明神の向こう側に宮島が写っています。
幼稚園の遠足で宮島に行った時の写真です。黄色い丸印(
○)が私です。クリックすると拡大いたします。
コンクリートの壁がどのくらいの高さであったか知ってもらうために、この写真をを掲載いたしました。コンクリートの壁の下には人が通れる段がありました。この上から海に飛び込むのは勇気が必要だったと思います。この右の壁の上に我々の住んでいる家が建っていました。
この段の部分ではよく親父が夜釣りをしていました。チヌ(黒だい)が目的で潮が引いた時に餌のゴカイを一緒に採りました。アサリもよく採れたので、お袋とはアサリ採りでした。そんな思い出の場所でした。
我々(姉と私)のバックに男明神が写っているのがわかってもらえると思います。男明神と一緒に撮った我々にとっては、たった一枚の貴重な写真でもあります。
瀬戸内海の島々もきれいに見えました。近所の同級生の写真ですが、庭から海の方を撮った写真はこの一枚だけだったので使わさせてもらいました。右の方の綺麗な稜線の山は安芸小富士です。
こちらが住んでいた
家です。幼稚園から小学校4年までの短い7.2年間でしたが海の近くの生活を体験できました。この後、神戸市東灘区の岡本に引越しました。小学校は神戸市立本山第一小学校です。突然に生徒数が6倍の学校に変わるなど田舎から突然に都会に出てきて戸惑うことが多かったです。電車が空中を走る(高架)は絵本の中の世界だけのだったが現実になったのが印象的でした。現在は、この場所にマンション「ヴェルディ井口明神公園」が建っています。現在の住所は広島市西区井口明神2丁目です。
このころから写真を撮っていたようです。家の感じがわかりやすいと思うので紹介いたしました。
庭は結構、広かったです。
聖モニカ幼稚園で山口県の錦帯橋に遠足に行ったときの記念写真です。
聖モニカ幼稚園での学芸会の風景です。真中が私ですがなぜか男の子は私一人です。

下の写真が小学校の入学式の記念写真です。黄色い丸の部分が私です。この写真に写っている大人が、小学校の先生全員です。一学年一クラスだったのです。右の写真は入学式の日に家の門の前で撮った記念写真です。
数少ない家が写った写真ですが家の塀は板塀でした。小学校ま低学年の記憶は断片的なものになってしまっていますが写真を見ると小学校の頃のことを思い出します。4年生の夏に広島市井口町の井口小学校から神戸市東灘区岡本の本山第一小学校に転校したわけですが、担任の先生から職員室に呼ばれて、野口英雄の伝記と牧野新日本植物図鑑の2冊の本を

餞別にいただいたことが、今でも鮮明に記憶に残っています。下の写真の右端に座っている若い先生が担任の先生でした。右の小さな写真は全体の写真から、その先生のアップに移動して最後は私の写真になります。写真をクリックすると大きな全体写真を表示します。
懐かしく思い最近、引越ししてから初めて井口に行きました。そのときに小学校にも寄りました。写真の大きな桜の木が上の写真の花が咲いている桜の木だと思います。長い間に大きくなったようです。新しいシーソーも昔のシーソーと同じ場所か近い場所にありました。
広島の担任の先生に頂いた携帯版の牧野新日本植物図鑑がボロボロになったので買い替えたのが下の写真のフル版の牧野新日本植物図鑑です。こちらもボロボロになりました。
男明神の昔の写真と最近訪問した時の写真を比べてみます。松の形は変わってしまったようです。

現在の男明神の大きな写真も掲載いたします。
男明神の裏側からの写真です。昔は海でしたが男明神の周りは池として残されていました。白い建物のあたりが私が住んでいた家が建っていたあたりです。鳥居は昔もありました。

こちらが昔の鳥居です。どうやら朱色ではなく白木のようです。右の写真が私と姉の記念写真です。下の写真の野球帽の男の子は私の同級生でした。
平安時代の終わりごろ、平清盛が厳島神社や鳥居を新築した際に鈴ケ峰から木を切り出して、井口で製材し、刻印をうち、いかだに組んで厳島に向けて送り出した由緒あるところで「刻印の明神」と名付けて祀ったそうです。18世紀末、新開地造成の時、己斐・旭山神社の分身がその守護神としてここに合わせまつられ、小己斐明神と呼ばれるようになったそうです。子授けの神としても敬われ、子乞(ご)い明神ともいわれてきたそうです。この写真は私が4年生なので神戸に引越しが決まったので小己斐明神(男明神)で記念撮影をしたのだと思います。
海が近かったので海水浴にもよく行きました。
ちょっとした悪ガキでもありました。裏山の鈴ケ峰のハイキングは近所の人たちとよく行きました。後ろの真ん中は姉で両サイドが近所のお友達です。

ブログのアイコンに使っている写真はこの頃の写真です。
写真のピントが姉の方に合っていることから、おそらく写真を撮る瞬間に私が前に乗り出したのだと思います。これも今となってはいい思い出になります。撮ってくれた親父に感謝です。
私が1歳のときの写真です。私は9ケ月で歩いたそうです。私は2歳の時に兵庫県西宮市夙川から広島市平野町に引越してきたので、こちらは夙川に住んでいたころの写真だと思います。左の建物は野球場だと思いますが場所は思い出されませんが1歳から2歳までは兵庫県西宮市夙川に住んでいたのでネットで画像を探した結果、2004年に取り壊された阪急西宮球場の可能性が高いです。実家に帰った時にでも確認してみます。阪急西宮球場は阪神甲子園球場に対抗して1937年に完成した大きな球場で完成当時で57000人収容の日本屈指の球場だったとそうです。もし阪急西宮球場だとしたら昔の貴重な写真になるかもしれません。そして右手に見える山は六甲山ということになります。
お揃いの服です。これは手作りかな。上の写真よりも少し大きくなりましたが年齢からみて、これも夙川時代だと思います。この後に広島に引越したのでした。
こちらは会社のクラブハウス(宝塚)で撮った家族の記念写真です。1月生まれなので私は6~7ケ月目ぐらいだと思います。これ以降の写真も今回追加したものです。
こちらが山口県熊毛群周防久保にあった父方の祖母と祖父の家です。子供のころはよく行いった思い出の家です。写っているのは祖父です。
こちらが祖父と祖母です。今は亡くなっていませんが私の大切な写真なので掲載させてもらいました。
こちらが母方の祖母と祖父です。右端が祖母で左の2人が母の妹でその右側が祖父です。それ以外は私と姉と母と父です。母の兄弟にはここに写っている以外に弟が2人います。この写真は山口県岩国市にある母方の実家の家です。今は母の弟である長男(私の叔父さん)が住んでいます。
生れてから今までに住んだ場所をプロットいたしました。住んだ順番は兵庫県(2)→広島県(2)→兵庫県(3)→大阪府(1)→兵庫県(1)→千葉県(2)でした。
兵庫県 6ケ所
広島県 2ケ所
大阪府 1ケ所
千葉県 2ケ所
タイムトリップですねぇ!
by COLE (2012-11-17 22:31)
COLEさん こんばんは
この時代の写真を残しておきたくて掲載いたしました。思い出がいっぱいです。
by SORI (2012-11-17 22:40)
我が家は写真(SORIさん家)よりもずっとずっと貧乏でしたが、
自分が子供だった頃を思い出しました。
ぼくは広島ではありませんが、写真から、子供時分の懐かしい
風景が蘇りました。
ありがとうございました!^^
by song4u (2012-11-18 01:13)
モノクロの写真が、ノスタルジーを誘います。
ずいぶん大きなお宅にお住まいでしたね。
お庭も広いし、バドミントンのネットも張ってありますし、
SORIさんは「いいとこのボンボン」だったのですね♪(笑)
夫婦島だったのが、埋め立てられて片方が失われたなんて、
ちょっと寂しいエピソードですね。。。
by まほ (2012-11-18 03:25)
song4uさん おはようございます。
私も、自分の昔の写真を見ていると昔が思い出されます。子供時代で、最も印象に残ったころでした。
ちなみに最後の写真のバックの建物は西宮球場のようです。
by SORI (2012-11-18 04:37)
まほさん おはようございます。
女明神は是非とも残してほしかったです。女明神は陸側にあったようなので道路を通すためになくなってしまいました。
海に沿った細長い庭だったので親父がゴルフの練習をしていました。ショートアイアンの練習だったと思うのですが球が落ちるあたりで球拾いをやった記憶があります。
台風の時は迫力がありました。海面までの高さは写真のように沢山あるので浸水などは心配はいらないのですが、風に乗った海水が二階の屋根の上まで届いていたことを鮮明に覚えています。
by SORI (2012-11-18 04:47)
おはようございます、訪問ありがとうございます
とても懐かしい写真のようですね。
子供たちやお母さんの髪形を見ると、私(63歳)の子供の頃の
雰囲気です。白黒写真ってなぜか落ち着いてホッとしますね。
by プー太の父 (2012-11-18 07:32)
プー太の父さん おはようございます。
一度は記録を兼ねて子供のころの写真を掲載するつもりでしたが、やっと実現させました。
書いていて思い出してくるものが沢山ありました。
by SORI (2012-11-18 07:49)
貴重なお写真拝見させて頂きありがとうございます!自分も昭和30年代の物がありますが懐かしいですね。
by 茶の間おじさん (2012-11-18 08:43)
お早うございます。
素敵なお写真ですね〜 ! 想い出の写真がイッパイ !!
子供のころからカメラマン(?_?)
by yakko (2012-11-18 08:50)
茶の間おじさんさん おはようございます。
やっぱり幼稚園から小学生低学年は懐かしいです。興味を持っていただけてうれしいです。
by SORI (2012-11-18 08:57)
yakkoさん おはようございます。
おもちゃに近いカメラです。でもチャンと撮れました。男明神の写真は画像があまり良くないことから、そのカメラだと思います。親父は6x6の2眼レフを使っていました。
並べてみると思い出されることが沢山ありました。
by SORI (2012-11-18 09:02)
SORI さんの写真から 自分の子ども時代を懐かしく思い出すことができました
子どもの髪型が時代を感じさせますね
わたしも同じようでした
着ている服も…
わたしの子どもの頃の写真は シャツが必ず出ていて
「ぶしょったいねえ」
と言われていました
by ハマコウ (2012-11-18 09:19)
ハマコウさん おはようございます。
懐かしく思い出されて、写真を掲載してよかったです。やっぱり髪型は特徴がありますね。着ているセーターはおそらく手作りです。
by SORI (2012-11-18 09:28)
仲良し姉の明神さんもお元気なんでしょうね。
by 旅爺さん (2012-11-18 09:41)
旅爺さんさん おはようございます。
はい、元気にしております。
プリントアウトして実家に持っていってお袋に見せるつもりです。
by SORI (2012-11-18 09:47)
おはようございます。貴重、なつかしく、楽しい写真ありがとうございました。モノクロはより保存に適しているようですね。
by yes!genesis (2012-11-18 10:39)
昔の写真って写真乾板で粒状性がきわだってたとしても
当時の面影をキチンと伝えてくれるのみならず、水墨画
のような淡いトーンがきっと日本人の感性によく合って
いたのでしょうね。そうした風景を完全に失われる前に
よくぞ撮っておいてくれたものだ、とつくづく思います☆
by TOQ (2012-11-18 10:49)
yes!genesisさん こんにちは
撮っている時は普通の写真でも時間が経つと貴重な存在になる場合があります。これからも大切に保存していきたいと思います。
by SORI (2012-11-18 11:22)
TOQさん こんにちは
ドットが規則正しく並んでないところがいいのかもしれません。やっぱりデジタルと違うところがありますね。
by SORI (2012-11-18 11:25)
何度もスミマセン!^^
>最後の写真のバックの建物は西宮球場のようです
うわー、これはすごい!!
この時代の建物にしては一際目立つ建物で、かつ変則的。
何だろう?・・・と思って見てました。
言われてみれば、なるほど。これは競技場に間違いありませんね。
親子4人でお出かけされ、お父さんがちょっと先回りして残り3人を
撮られたショットでしょうか?
それにしても、建物以上に目に焼きつくのが母上さまの美貌とセンス。
まるで映画のワンシーンのようですね!^^
by song4u (2012-11-18 13:27)
過去への旅ですね。思い出もたくさん、詰まっていることでしょう。
by okko (2012-11-18 14:36)
song4uさん こんにちは
西宮球場に間違いなさそうです。画期的な建物だったようです。このような建物が戦前に作られていたとは驚きです。
私は2歳にまだなっていなかったので、さすがに覚えていないけれで、この写真には惹かれるものがあります。
song4uさんのコメントをお袋に話すと喜でくれそうです。来月に帰省する予定があるので、いろいろと聞いてみます。
by SORI (2012-11-18 14:36)
okkoさん こんにちは
さすが、いい言葉をご存じです。
今回の記事を書くことで、まさに過去への旅となりました。
by SORI (2012-11-18 14:40)
私が宮島の記事を書いた時
SORIさんがアイコンの写真の由来をご説明してくれましたが
この頃の写真だったんですね。
いいお写真が詰まってますね。
by PATA (2012-11-18 15:44)
PATAさん こんにちは
覚えていいていただいたのですね。うれしいです。ありがとうございます。
いつかは紹介したい経験でした。小さい時の思い出はいいものですね。
----------------------------------------------------------------
http://pata-schanze.blog.so-net.ne.jp/2011-10-21
PATAさん おはようございます。
偶然ですが、宮島には娘が学校の友達と行ってきました。それに私が小学校の4年まで広島に住んでいた場所が宮島に近かったので宮島は懐かしい場所です。私のアイコンに使っている写真はそのころのものです。
by SORI (2011-11-04 04:32)
soriさん>
こんばんは~
宮島思い切って行きましたが、今でも行ってよかったと思っています。
娘さんいいご経験しましたね。
soriさんにとっても宮島は思い出深い場所なのですね・・・。
私も将来チャンスがあったら、また行きたいと思っています。
by PATA (2011-11-04 22:27)
by SORI (2012-11-18 16:28)
素敵な想い出、ありがとうございます。
私の好きなNovalis の言葉をお贈りします。
Gegenwart ist alle Erinnerung.
現在は全て想い出に繋がる。
by ぼくあずさ (2012-11-18 16:39)
その人の歴史・・・感慨深いものですね。
今日が明日につながり歴史となるんですね、素敵な思い出、ありがとう。
by yuuri37 (2012-11-18 18:07)
ぼくあずささん こんにちは
このころの経験が多くが今につながっています。一見つながって引用でもあのころが存在するから今があるのかもしれません。
Gegenwart ist alle Erinnerung.は奥の深い言葉です。
言葉として理解できても実感できる域になった方は少ないと思います。素晴らしい言葉す。
by SORI (2012-11-18 18:28)
yuuri37さん こんばんは
3歳の時に井口に引越してくる車に乗っているところから記憶がはじまっています。印象的なことがあると覚えているものですね。小さい時を、いい場所で過ごすことが出来ました。
by SORI (2012-11-18 19:18)
SORI様の記事で昔の広島を見られるなんて~
しかも井口、私の地元からは少し離れていますが、
昔はこうだったのかと、すごく見入ってしまいました。
このあたりは現在は埋め立てが進んでしまい、
昔の面影はほとんどありませんが、
所々に残る小高い山や岩等が往時を忍ばせてくれます。
by プント (2012-11-18 21:44)
プントさん おはようございます。
井口あたりの昔をご存じの方に見ていただけてうれしいです。
引越してから最近初めて行ってみて驚きました。昔のままのところもあり懐かしかったです。
by SORI (2012-11-19 06:27)
過去があるから今の自分があるわけで、タイムスリップしてみるのも良いですね。
ブログのアイコンに使われている写真の謎?が解けました^^;
by まー坊 (2012-11-19 19:53)
まー坊さん こんばんは
記事を書いていていて、両親から大切にされていたこと感じました。
そんな思いがあるから今が今があるのかもしれません。
やっとアイコンのころのことを紹介出来ました。思い出の世界でした。
by SORI (2012-11-19 22:14)
とっても貴重なお写真ですね!
今、撮っている写真も同じようにいつか貴重なノスタルジックな写真となるのですかね~(^_^;)
by wonwonwon (2013-01-07 08:47)
wonwonwonさん おはようございます。
将来は今撮っている写真も思い出深い貴重なものになると思います。
by SORI (2013-01-07 09:38)
貴重な歴史の記録ですね。私の子供の時代は写真が普及していなかったので、記念の時のものしかありません、羨ましいです。
by JUNKO (2013-01-07 10:03)
JUNKOさん こんにちは
親父が沢山写真を撮ってくれていたおかげです。いい思い出になりました。
by SORI (2013-01-07 12:14)
これは大変貴重な写真ですね。
子供の頃の写真は見る自分の年齢が違えば
それだけ別々の感慨があるように思えます。
たくさん撮っておられたお父様、良い仕事をされましたね^^
by 昆野誠吾 (2013-01-07 13:19)
瀬戸内海の風景はやっぱり見ていて落ち着きますね
生まれたところの写真っていうのは大事ですね
by アニ (2013-01-07 15:00)
住まいや着ている洋服、学校の校舎などに時代を感じて懐かしくなりました^^。最近は昔の写真を見ることもなくなったので定かではありませんが、地域は違っていても、ぼくの子どもの頃の周囲の環境も同じような感じだったと思います。もう、写真でしか見ることのできなくなってしまった風景もたくさんありますよね~。
by NONNONオヤジ (2013-01-07 16:33)
昆野誠吾さん こんにちは
このような写真を残してくれた親父に感謝です。中学生くらいからですが8mm映写機で撮った動画もあります。実家の方に保管されているので早く変換したいと思っています。
by SORI (2013-01-07 16:56)
アニさん こんにちは
瀬戸内海の海に面した場所に住んでいたのは思い出です。その写真が残っているのは本当によかったです。
by SORI (2013-01-07 16:59)
NONNONオヤジさん こんにちは
長い年月の間には変わってしまうことを痛感いたしました。校舎も建て替えられてしまっていますが、それでも昔の雰囲気が残っています。
関西に帰った時には回ってみたいと思っています。
by SORI (2013-01-07 17:03)
郷愁をさそう良い写真です。あの舗装されてない砂利道が良いですね。
海水パンツは裕福なご家庭だったようですね。自分は子供の頃から皮のランドセル、キャノネットカメラ、ステレオなどを買い与えられて育ったので僻まれたり妬まれたりしました。
by beny (2013-01-07 20:10)
benyさん こんばんは
砂利道など注目されるところがすごいです。私は何気なく見逃していました。確かに町の中で舗装していない道は見ることがなくなりました。ランドセルの写真を探してみます。
by SORI (2013-01-07 20:18)
貴重なお写真、堪能しました。
よく残されていましたね。
私は、小さい頃の写真がほとんどありません。
我が家にカメラが来た?のは、昭和36,7年頃。
「オリンパスペン」と言って
1枚の35mmを1/2ずつ使うという倹約型?のものでした。
母はよくそれを持って旅行に行きましたので、
母のはありますが私のものがない・・・・。
SORI さんのお宅は、
やはり町のお坊ちゃまご出身のような感じがいたします。
すごく羨ましいです。
歳を重ねるごとに
こうした画像記録が大切だと分かりますね。
by ちずのこ (2013-01-07 21:57)
ちずのこさん こんばんは
個人的な写真ばかりですが、見ていただけてうれしいです。
景色があまりないのは、人物が中心だったようです。私もオリンパスペンを知っています。ハーフサイズのカメラを一時期使っていました。もしかしたらオリンパスペンだったのかもしれません。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Olympus_PEN-EE_S_%28meio_quadro%29.jpg
by SORI (2013-01-07 22:22)
これはまたすごいエントリーだ。
見ごたえありますよ。
幼少時代のお写真が、時代考証になってる。
by Huck_Finn (2013-01-07 22:50)
Huck_Finnさん ありがとうございます。
この場所に住んでいたことに感謝です。小さい時にいろんな場所を経験出来ました。
現在の地図にプロットしてみました。 http://goo.gl/maps/Dn5KW
by SORI (2013-01-07 23:07)
初めまして☆どうぞよろしくです☆
懐かしい写真が並んでいるのでびっくりしました
白黒写真に郷愁を覚える年齢のワタクシです
ここだけの話、亭主は井口高校第一期生です
by ムサシママ (2013-01-08 08:51)
貴重な写真を見せていただきました
心に残る懐かしい風景 大切になさってください
by きんれん花 (2013-01-08 15:50)
ムサシママさん こんにちは
ご主人が井口の高校出身なのですね。よろしくお伝えください。昔の写真があると記憶が鮮明になりますね。
by SORI (2013-01-08 16:29)
きんれん花さん こんにちは
ありがとうございます。お袋や姉にもこの記事を見せたいと思います。今月の末にも実家に帰省するので記事のコピーを持っていきます。
by SORI (2013-01-08 16:48)
私の小さい時の写真も白黒でした。
父が写真を撮るのが好きだったのと、
私は一番上なので、沢山の写真がありました。
でも、小さい時は写真をプリントするのが高かったので、
細長くて、小さい写真が4枚くらい並んだのもあるんですよね。
錦帯橋に遠足って凄いですね。
私にしては珍しく、行った事があります。
広島から行ったのですが、どうやっていったんだろう?
by youzi (2013-01-21 21:54)
youziさん こんにちは
昨日、このブログを印刷したものを母に見せました。すごく懐かしく、写真の説明をしてもらえました。名前も教えてもらいました。宮島にもよく行きました。懐かしいです。
by SORI (2013-01-22 13:38)
明神さんのお写真拝見できてとても嬉しいです。
私の父は大正15年生まれで井口の出身です。
写真を見てとても喜んでおりました。
沖にあるとても小さな島に木茂り島の大きさより木の高さが高いような印象でとても印象深く記憶に残っています。
父は天の邪鬼の島と言っており、幼少時に親と船で島に行ったと言っておりました。
私も昭和42年頃井口に行くと明神さんや鈴峯に登っていました。
貴重なお写真有難うございました。
by masuda (2013-05-03 23:16)
masudaさん おはようございます。
明神さんや井口に関わりのある方に見ていただけて掲載した甲斐がありました。見ていただけてうれしいです。ありがとうございます。
幼稚園から小学校四年までですが、私にとっては故郷のような場所です。この海で泳いだことや父か夜釣りをしていたことは印象的なことです。
by SORI (2013-05-04 04:48)
貴重な情報ありがとうございます。
SORIさんの広島時代のお住まいの、当時の沖合数十mのところに転居してきた者です。「小己斐明神」という名前も、今日大歳神社に参拝してそこの説明で知ったばかりです。
当時の海岸線など、色々想像を巡らしましましたが、こちらの情報を拝見して、納得・感動しました。
また、SORIさんの情報のイメージが強すぎて、今、井口魚港を出ていく船に乗っている気分を味わっています。
因みに今の明神様の松はSORIさんの写真の時よりも寂しくなっています。
ありがとうございました。
by ファンタジア (2013-06-02 00:30)
ファンタジアさん おはようございます。
あのころの近くにお住まいの方に見ていただいて感動です。ありがとうございます。ほんうに目の前にお住まいなのですね。ここを訪問した時に一度歩きましたがきれいな街並みになっているのが印象的でした。
井口には3歳~10歳(小学校4年)の間ですが、最も思い出深い場所です。海岸で採ってきたアサリを味噌汁などに料理してもらったことや、海で泳いだことや、親父が釣りをしていたことや、小学校に通ったことが思い出されます。沢山の思い出が残された場所です。
現在のGoogle地図にマークを入れた地図です。
http://goo.gl/maps/V2EBO
by SORI (2013-06-02 05:50)
中高の寮が古江から坂を上がった所にあったので井口は良く知ってます。狭くてきたならしいが、お好み焼きの美味しい店がありました。
by enentsunagi (2018-03-13 17:48)
enentsunagiさん こんばんは
この近くを御存じなのですね。古江の地名を覚えています。
中高ともに寮から通われていたとは知りませんでした。
広島焼きは大好きです。親父につれられてお好み焼きを食べに行ったことを覚えています。
by SORI (2018-03-13 18:06)
義理の母は昭和5年生まれですが、なんとなく、雰囲気を感じることができました。
お知らせくださり、ありがとうございました!
by 森田惠子 (2019-01-25 19:38)
森田惠子さん こんばんは
義理のお母様は宮島口生まれなのですね。宮島口辺りには遊びでよく連れて行ってもらいました。本記事を見ていただけてうれしいです。
by SORI (2019-01-25 19:59)
佐伯郡!ああ、びっくりです。
長崎で生まれ育った私の本籍は佐伯郡大柿町です。
父は外地育ちですが、基本は呉弁で、わたしは江田島から周防大島辺りの人の言葉を聞くのが好きです。
写真拝見していると、当時の言葉が聞こえてきそうです。
by COPP(コップ) (2020-08-23 09:44)
COPP(コップ)さん こんにちは
私が子供の頃に海を挟んで見ていた島々が佐伯郡大柿町なのですね。島から井口辺りも見えたのでしょうね。佐伯郡の名前が出てきたことは記憶に残っています。本記事を広島に関係した人に見ていただけてうれしいです。ありがとうございます。
by SORI (2020-08-23 12:53)