年金vs.年金

前回取り上げたGM破綻について、企業年金という視点からもう少し踏み込んで見ておきたい。

まず破綻処理の中で、株主と債権者を犠牲にして、既存の労働者の権益を守ったことについて触れたけれども、再度確認すると、これは今回会社が潰れた時点で急に、また労組よりの民主党政権の支持で始めたことではなくて、ふだんから会社自身が伝統的にやってきたことだった。GMがまだ生きている頃から既に後者を手当てするために前者の利益は損なわれ、後回しにされていた。また同じ文脈の中で、当然ながら顧客もより多くの経営資源を投じた優れた製品とサービスを受け取る権利を奪われ、蔑ろにされていた。

私は昨年出版した「ホワイル・アメリカ・エイジド(仮訳:米国が老いた間に)」で、年金債務がGM衰退の原因だと主張した。年金と医療保険給付金が数十年間にわたって膨れ上がったため、GMはフリーキャッシュフロー(純現金収支)を退職者に向けざるを得なくなったのだ。その結果、株主にはほとんど何も残らなかったわけだ。
私はこの本で、あたかもGMが知らぬ間に退職者とその扶養家族へと売り渡され、その所有物になっていたかのようだと表現したが、ごく一部は正しかったようだ。再建後の新生GMの17%株式を全米自動車労組(UAW)が、残りの大半を政府が保有する見通しだからだ。

GMは年金に関しては常に最先端にいたが、退職者向け基金に資金を注ぎ込んだためにエンジニアリングやモデルチェンジに充てる予算が減る事態になった。もちろん株主配当も後回しにされた。15年間にGMは年金に550億ドルを充てたが、株主配当は130億ドルにとどまった。株主は「公民権をはく奪された」と私が述べたのはこのためだ。(引用元同上)

また、これは単に企業年金が他の都合に「優先」されたというにととまらず、最後には外部から調達された資金を事業活動にまったく使わずに右から左に年金にそのまま流し込むということにさえなっていた。

GMの破産法適用申請の要因となった債務のうち、2つは従業員給付金に直接関係している。2003年にGMは過去最大規模の135億ドル(現在のレートで約1兆3000億円)を起債。調達した資金を年金基金に充てた。07年には、UAWのストライキの後、GMは退職者医療保険基金の特別信託に300億ドル余りを注ぎ込むことで合意した。(引用元同上)

次に、この「株主・債権者」対「労働者」の利害対立は、古典的な「資本家・富裕階層」対「賃金労働者」の単純な対立ではない。前者の中身もまた「年金」であり、加入者の資金を運用するために(外部の)年金基金が出資したり、社債を買ったりしていた。GMは伝統的な独占企業として社会的信用が厚かったため、引退した労働者が、老後の資金を運用する最も安全な方法として個人でGM社債やGM株を購入する例も多く、これもいわば基金を経由しない「個人年金」である。一方、従業員側の権益もまた年金が主役のひとつだったことを考えれば、ここで起きていた対立、上記のように以前から水面下で長く続き、破綻を機に顕在、激化した対立は、資本家対労働者というような素朴なものではなくて、いわば「年金対年金」の対立であり、二つの系統の年金が企業を舞台に金の奪い合いをしていたというのがひとつの実態だった。実際、これはクライスラーの例であるが、公務員の年金を運用するアメリカのある州の年金基金が政府の破綻処理に異を唱えて提訴している。

より精確にみれば、「株主・債権者」の面をかぶって動いていた資金は、GM(あるいはクライスラー)以外の労働者の年金受給権であり、これに対して労組側の権益は、もちろんGM自身の従業員のそれである。前者はGMにとって金のつながり以外ではかかわりのない部外者であるのに対して、後者はGMという組織を構成する当事者、車を作ったり売ったり組織を回したりしていた当の本人たちであり、当然これまでの運営とその破綻について責任の一端をになう。

しかも前者の「外なる年金」はリスクを取って投資し運用していたのに対して、後者の「内なる年金」は労使協約によって運用の外側の世界に保護されていた。運用環境がどうなろうが会社の業績が左前になろうが、支払わなければいけないものとして「契約」で決められていたのである。本来こうしたリスクからの隔離と庇護は、それを保証している契約母体が破綻すれば当然ともに打ち切られるべきもので(そうでなければ無限保証になってしまう)、そのような鉄板の権利をそのまま維持するために、リスクにさらされている部外者の資産が限度損失を超えたところまで差し出されるというのは本末転倒のはずである。

このように、今回の救済処理は、外側にいたGM以外の労働者の利益を生贄(いけにえ)にすることで当事者としてその責任に連なる破綻企業の労働者の権益を守ったという側面があった。そしてオバマはこの無理筋の処理を道義で補強するために、自分たちの当然の権利を主張したこの外部者を悪役に仕立てて、「相場師ども」とまで呼んで非難したわけである。しかも保護を受ける方といえば、企業存命の折りには、上記のようにこれらの外部の(年金)資金を自身の年金資金に右から左に横流しし、他人の年金資金を自分の年金資金にそのまま化かして澄ましていたような者たちであり、そういう資金である。しわ寄せを受けた方からすれば、そもそもなんの道義的正当性をもって、という思いは当然あるだろう。企業破綻という不幸な出来事によって誰かの老後が割を食わなければいけないのだとしたら、それはその企業を信頼して金を預けていた外部の労働者のそれか、それとも破綻した当の会社の労働者のそれか、どちらなのか、と。現実にGM従業員の厚遇ぶりが「GM貴族」と称されるほどだったのに対して、GM株やGM社債を保有していた個人株主・債権者が虎の子の老後資金を失って、スクールバスの運転手などの薄給を求めて再び働きに出る姿などを見ていると、いったいどちらが特権層でどちらが労働者なのか、あるいは、オバマは弱い立場の労働者を守るつもりでほんとうにそうできたのか、という疑問も増す。

このように年金が資金の流れの主役を演ずる状態を、ドラッカーは他ならぬGMの事例研究から「年金社会主義」と呼んで予言していた。今回の米政府の対応は、経済全体の融解を回避するためにぎりぎりの妥協点を探ったという見方はあるけれども、そこにはこのような、単純に金融危機を引き起こした悪い金持ちを叩いて一般労働者の権利を守ったというだけでは済まない深い歪みが伏在しており、今後これがどのような形で表に出てくるのかが注目される。

また、視点を後ろにひけば、さらに大きな恐るべき問題も視野に入ってくる。上の記事でも指摘されているように、実際の資金的基盤を無視した過剰な年金負担は、GMに限った話しではなくて、公的年金も含めた全体的な傾向だった。するとどうなるか。まず「内なる年金」は運営母体の原価が年金まみれになって土砂に埋まったダムのように本来のサービスができなくなり、社会から見放されてやがて破綻するだろう。また、それが外にさまよい出た「外なる年金」は、必然的に運命づけられた隠れ負債、積立て不足を取り戻そうと、より攻撃的な運用に打って出てかえって元本すら失う例が増えるだろうし、それを回避しようとみんなで保険(CDS)に駆け込めば、天井裏に溜まりたまった毒の大皿が一気にひっくり返って経済全体が全壊することにもなりかねない。その意味ではGMという定点で観察された上記のような事態は、部屋の一方の出口から出て反対の入り口から入り直してきたヘビの頭が、部屋に残っていた自分の尻尾自身と戦っていたようなところもあった。ともに根にあるのは上げ底された実現不可能な無理な約束である(高齢化そのものが直接の要因でないことに注意されたい)。今回の金融危機で年金基金の果たした巨大な役割が指摘されているけれども、馴れ合いと先送りによって生まれた未来からの甘い誘惑は、こうして将来どころか現在の足場すら堀り崩し、膨大な税金(による救済)という形で結局自分自身に返ってくることになる。このあたりのメカニズムは専門家による詳しい分析があればみてみたい。


なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠 なぜGMは転落したのか―アメリカ年金制度の罠
Roger Lowenstein 鬼澤 忍
日本経済新聞出版社




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2009/07/28 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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