大不況の経済学

今回の経済危機に関する経済誌の特集で、東洋経済が面白かったのは以前書いたが、週刊ダイヤモンドも特集を組んでいた。こちらは買い損ねて読めなかったのだが、先日図書館でたまたま見つけたので、だいぶん間が空いてしまったが目を通すことができた。こちらも気鋭の経済学者を集めてそれぞれの専門分野に関する分析を書いてもらっていて勉強になる。以下特に目に留まった箇所の抜き書きである。


「雇用はどうすればよくなる?」 川口大司 一橋大学大学院経済学研究科准教授

労働市場における賃金の相場とは、労働の需要関数と供給関数の交点であり、労働量と賃金が連動して柔軟にスライドできる状態であれば、不況であっても、好況時と同じように労働資源の効率的な配分は実現される。しかし賃金には下方硬直性があるため、労働需要が落ちても賃金が連動して下がらず高止まりすると、そのギャップの分が失業になる、と説明している。

この指摘は明快でなるほどと思った。確かに景況に連動させて賃金をそのまま応分に上げ下げしていたら、一般の労働者は生活に支障を来すことになるし意欲も下がる。防波堤を設けて組織の港の内側では波の強さをある程度は緩やかにしないといけないが、しかしそれは、その状況の賃金相場で本来雇用可能だった労働者をその分だけ外に締め出すことになる。つまり既雇用の労働者の不況下での緩衝分の賃金は、本来失業している労働者に行くはずだったものを奪ってきて補填されたものだということになり、そこには本質的な不公平が存在している。身もふたもない話しではあるが、言われてみれば事実その通りだろう。

また、川口准教授は、この立場から、雇用状況の改善には逆効果だとして雇用規制の強化には反対であり、非正規雇用や新卒者などのようなリスクを取る余裕がいちばん小さい人たちに一身にリスクを背負わせているといって批判している。どちらかといえばむしろ上記のような防壁を緩めて、守られている側も負担をもっと公平に分担しないといけないくらいなのに、保護の強化によって外側にはじきだされていいる人たちにますますしわ寄せが強まるからだろう。


「若者は損する宿命?」 鈴木亘 学習院大学経済学部准教授

いずれも大きな問題を抱えている年金・医療・介護等の社会保障について、少子高齢化による人口変動の中で、世代間の不公平があまりに大きすぎるため、子ども世代の拠出で高齢者世代の面倒を見る現行の賦課方式を廃止して、自分の世代の分の保障は自分の世代の積立で賄う積立方式へ移行すべきと主張している。

また、現在の社会保障は、国庫から資金が補填される等、相互扶助や所得再分配と本来の保険の機能がごちゃごちゃに混ざっていてこれが混乱のもとなので、本来の純粋な保険の機能に戻し、再分配や福祉は税など本来それが担う分野にまかせ、きちんと両者を区分けすべきとも述べている。これも鋭い指摘だろう。なんでもかんでも混ぜこぜに取り込んでいたずらに複雑化し、わけがわからないようにしてしまうことが公的部門の肥大化と年金で見られたような放漫な浪費の温床なので、保険は保険としてきっちり限定してしまえば、どれだけ払ってどれだけ保障があるのか、すっきり分かりやすくなっておかしなこともやりにくくなり、不安も解消する。このことはあまり言われていないようだが、重要な視点だと思う。

その上ではじめの保障方式の話しに戻ると、私も世代間格差を緩和するために当然そのように変更すべきだし、そうするしかないだろうとは思うものの、なおすっきりしないものが残るのは、もともと公的年金というものは、制度をはじめる時は常に「賦課方式」からはじまるものではないかという疑念があるからである。そうでないと最初の世代は積立がたまるまで年金が出ないからである。しかしそれは明らかに高齢化・少子化のような人口変動とは相性が非常に悪い。そこで社会の成熟化によってこのような根幹の分配方式の切り換えをどこかで余儀なくされる定めにあるというなら、もともと最初にそのようなことを始めたこと自体どうだったのか、その是非からここで立ち止まって振り返っておく必要はないのか。つまりこの件でよく言われるように、後は野となれ山となれ式の詐欺的な「無限連鎖講」なみに、当然予想される未来に対する配慮もなく適当に始めたものではないのか、ということである。そうであるのなら、ここにきてそのような基本的な保障方式の変更が検討されなければならないのだとしても、そのことは、それすらも所詮場凌ぎの補い薬でしかないかもしれないという、さらに俯瞰的な見通しの中で、納得ずくで選びとられるべきものではないかと思う。


以上の他、まとめの項で、今回の金融危機における保険の演じた役割について触れていた部分があって、考えさせられるものがあった。もともと保険というものはセーフティネットのための存在だったが、今回の金融危機では、金融商品にみんな保険がついていて、それが過剰で、より危険な領域へ踏み込ませる要因になった、保険という命綱の存在がかえって暴走と大惨事を招いてしまった、という指摘である。このことは今回の危機の本丸が(リーマンブラザーズではなくて)AIGという保険会社であったこと、また、そももそもの震源である住宅ローンについて、政府系の住宅金融機関がしんがりで事実上の公的保証をかけていたことが、不良ローンの激増を呼び、問題を巨大化させたことを考えると、たいへん本質的で深い洞察だと思う。今回の危機の反省から金融機関をどう技術的に規制していくかということが国際的に議論されているけれども、この保険というセーフティネットの役割をどう考え、リスクをリスクとしてどうきちんと取らせるか、という視点はその中にまだ十分出ていないようにみえる。





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2009/09/11 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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