衆院選のもたらす帰結

衆院選は下馬評どおり民主党の大勝に終わったが、今回の結果で興味を惹かれるのは、これが小選挙区制下における二大政党交代時代のはじまりといえるのかという点である。多くの人がそこに疑念を抱いていると思うが、そのもやもやしたところを言語化するとどうなるか、以下目についた点を自分なりにまとめてみた。


旧与党は立ち直れるか

旧与党である自民党は自浄能力の欠如と長い停滞、それがもたらした数々の失態によって世論の怒りを買い、単に負けたというよりは「壊滅」した。事実上の副党首だった与謝野馨氏は、思わず所感で「一敗地にまみれた」という語を口にしたけれども、この語の本来の意味は「一敗したが巻き返しをはかる」ではなくて「臓物を地にぶちまけるほど敗れて再起不能になる」という意味だそうであるから、その意味では的を得ていよう。

あとに残ったのは、戦犯そのものであり、選挙民からは退場勧告を受けて敗退しながら、党内序列の高さだけで比例復活で蘇ったのを無邪気に寿ぐ老残の党幹部たちと、無駄に強い選挙地盤を引き継いだだけの、ひ弱で感覚のずれた二世議員だけである。もはや何のエネルギーもない、単に政治家であることを伝来の家業にしている者たちに政党助成金で飯を食わせるための互助団体のような存在になった。

党を再建するには、これらの無意味な旧勢力を全部一掃し、これまでの利益誘導に変わる根幹のアイデンティティも再構築する必要があるが、むずかしいだろう。

さらに今後の展開の中で、以下の政治リスクも小さくない。
     
  • 政権与党や他党への鞍替え、脱党者の続出  
  • 公明党の離反と選挙協力の終了  
  • 与党時代の機密や癒着暴露による新与党からの攻撃  
  • 党財政の破綻(扶養対象の大量の落選議員、スタッフが出て出費は変わらず助成金、献金は激減)  
  • 同党に不利な方向への選挙制度の変更
これらは、例えていえば、大怪我をして集中治療室に担ぎ込まれた瀕死の患者が、チューブにつながれたまま掃討戦に駆り出されて敵を迎え撃つようなものである。結局同党は、今回一度死んだのちにさらに二度死にするような形でこのまま衰弱し、分解して消滅するという結末がいちばんありそうである。するとどうなるか。二大政党のうち一角は脱落して欠損するという状態になる。


新与党は生き残れるか

一方で大勝した新与党の民主党もけっして安泰ではない。今回示されたのは、自民党のような分厚い組織基盤を持つ、伝統ある党ですら、操舵を誤れば一晩で塵も残さず吹き飛んでしまうということである。その洗礼を受けるのは今度は民主党の番で、今現在何百議席持っていようが何の保障もない。失敗すれば次回の選挙で跡形もなく消し飛んでしまうのであるから、いわば喉元に刃物を突きつけられながらピアノを弾かされるピアニストのような心境で暗中を進んでいくことになる。

また有権者は、今回積極的、熱烈に同党を支持したわけではなく、明らかに旧与党に対する懲罰として新与党に流れた。それに対して、同党はそのことに対する自信のなさから、あまりに多くの夢を振りまき、あまりに多く約束しすぎた。海外を含めた多くの識者がそれをうつつならぬ魔法を見るような目で見ているけれども、それがその通りうまくいけばよし、何の変哲もなくそのまま順当に失敗すれば、その時には上述のような、一夜にしてすべてが瓦解し、雲散霧消する破滅が実際に身にふりかかることになる。

するとどうなるか。もともとが自民党よりもさらに安普請の新与党は今度は自分が木端微塵に粉砕され、一方で旧与党を振り返ればそれは既に腐乱して虚しく空を仰ぐ骸(むくろ)と化している。これを言い換えれば、次の次の選挙では、どこにも投票する党がない群衆が大量に路頭に投げ出されるということである。二大政党どころか「無・大政党」である。新しい家は潰れ、戻る古い家もない。「経営者の党」も「労働組合の党」もダメだとなったら、お得意の「空気」だの「風」だのは、その行き場のない憤懣を次はどこに持っていけばいいのか。


小政党の躍進

今回の結果で最も意外感があったのは、自民・民主の改革派議員が脱党して急ごしらえで作った「みんなの党」の躍進である。比例では候補が足りなくなるくらい得票し、既存のミニ政党をはるかに追い抜いて、もし候補を十分立てていたら、社民を抜いて共産党にも迫るくらいの議席数を獲得した。もちろん自民を見限り民主も良しとしない改革志向の強い有権者層の受け皿になったものとみられる。筋を通し、捨て身のリスクをとって飛び出したことが吉と出たわけで、称賛に値することだし、自民側に残って党の守旧化の巻き添えを食って玉砕した改革派も、自分も移ればよかったと臍を噛んでいるだろう。落選組も含め、これから大移動が起きる可能性もある。

今回の比例区の結果で関係者を驚かせたのは、みんなの党の予想以上の得票だ。党の結成は、公示日の約1週間前。それが県内比例区で約7万票を取った。十分な組織がない政党なのに、労組などに強い支持基盤を持つ共産、社民の両党の得票を上回った。(略)みんなの党に得票数を抜かれ、共産党県委員会の最上清治委員長は「あぜんとした」と驚きを隠さない。自民、民主に満足しないが、社民、共産には共感しない層が、みんなの党に流れたとみている。

このことは、現行の制度においては、小党でも適切なスタンスをとり民意をつかんで臨めば、新しく立党して打って出ても十分戦っていけることを示している。一般に小選挙区制では、二大政党に票が収斂して、新政党は新しく作るのも難しいし、生き残って存続していくのも難しいと言われるが、比例代表がかませてあるため、そうはならないわけだ。


地殻変動の本質と「第三の党」

ところでこれらの表面的な現れの底に流れる本質的な動きとは何だろうか。海外における日本政治研究の第一人者であるジェラルド・カーティス教授は、日本では選挙結果の揺れが大きすぎて小選挙区制は向いていないと指摘して話題になった。

ジェラルド・カーチス米コロンビア大教授は31日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、「選挙のたびに浮動票が一斉になびき政権交代が続けば、重要な政策が遂行できず日本は取り返しのつかない下り坂に入る」と警告した。さらに「日本のように(右派や左派の)固定票がなく、同質性の高い社会には小選挙区制度は合わない」と分析。世論の雰囲気に影響されにくい中選挙区のほうが日本の政治風土に適していると指摘した。

自分の見たところでは、日本人か欧米人かはあまりこの点は関係なく、中選挙区に戻せば何かがよくなるわけでもない。本当の問題は「支持する政党が見つからない層」が長く日本の真の第一党であり続けていることにある。調査が示すように、この層はますます増えて、最大のボリュームを維持し続けている。またこの暗黒物質みたいな層は、団子になってかなり一体的に行動する。ふだんの潜在的不全感のまま、非励起に収まれば投票率が下がって既存与党と固い固定票を持つ宗教政党が伸張するが、何か突き動かされるものがあれば、右向け右で雪崩のように一カ所に流れ込んで、どこかが勝ちすぎたり負けすぎたりということが起こる。二回の小選挙区選挙では、いずれも名簿に名前を貸しただけの幽霊候補が当選するという珍現象が起きたが、同じ文脈の中の事象であり、政党側からみれば、見放される時も押しかけられる時も、どちらもうわのそらで関わりが浅く、中身はたいして見られていないのだ。

マーケティング的な視点からみれば、これは既存の商品・サービスのどれにも満足していない層が最も大きなシェアを占めているということで、参入が可能ならば、たいへん潜在的可能性の高い状態である。こうしたケースで、どこにも取り込まれておらず、宙吊りになって振り子のように揺れているのは、彼らが「贅沢」であり「移り気」であるからだなどと、顧客の側に原因を求めてそれに安住する市場参加者はいない。この多数層が「もともとなにも欲しがっていない」不感な存在ではないことは、ことある時には果断に行動することからもはっきり示されている。それが「浮動」であり「浮遊」しているのは、本当に自分に合う衣裳がまだ見つかっておらず、サプライヤーである自分たちの側が怠けているか、能力に欠けているためそれが提供されていないからだ、と当然そのように見て戦略立案と商品企画に勤しむだろう。

そして上記からわかるように、新しいプレーヤーの参入は実質的に可能である一方、政権に主導的に関与する大政党の方は、常にギロチン台に首を載せられた、薄氷を踏む状態に置かれていて決して安定しないし、二回も選挙をやれば両方とも半端でない形で潰れて共倒れになる確率も高い。このことは、これから新しく生まれる新勢力が食い込んで橋頭堡を築き、一定の資金的裏付けを与えられれば、民意の自家中毒的な怒りによって焼き尽くされた焼け野原のさなかで、案外速やかに枢要な地位にまで駆け登って勢力図を一挙に塗り替える可能性があることを示唆している。

また、そのための戦略も提示された。民主党の選挙戦略をになった小沢一郎氏が取った戦法は、まず参院を抑えて政権与党を心肺停止状態に追い込み、醜態をさらさせたうえで衆院も制圧するという手法で、これが非常に当たった(安倍首相はこれで具合が悪くなり、麻生政権は海外紙からは「walking-dead(歩く死体)」と呼ばれていた)。また上述のように、小政党がその中に割って入ることができるということは、議席の均衡状態によっては、小党であってもこの戦法を取りうることを意味する。「沈黙の多数派」の強い支持が議会に送り込んだ、木の実の核のように硬い、確信に満ちた小政党が、扇の要で断固としてこの戦法をとったとしたら、与党どころか野党も含めた全党が立ち腐れて、なすすべなくしおれてしまうということもありえないことではない。

一方、既存大政党の側から見れば、本質的な意味においては、この通路を塞ぐ手だては持っていない。自分自身は、この見えない第一党の支持者たちからは常に浮動票という、つれない形でしか支持されることがないからである。しかし、機械的にそれを阻止するというのであれば、選挙制度を変えて、脅威の芽となるような、危険な小政党が出てこれないようにしてしまえばよい。しかし本当に地滑りが動きだした時には、それは決壊した洪水を土のうを積んで押しとどめようとするようなもので、最終的な結果はたいして変わるところはないだろう。

この新しい、理論上存在しうるがまだ存在していない「暗い馬(Dark Horse)」はどのようなものだろうか。それはわからない。それはどのようなものか誰も知らないがゆえにまだ存在していないようなものだからである。人びとが分かっていて、現にそのように振る舞っているのは、既製の仕立てはどうもしっくりこないということでだけであり、まだ見ぬ選択肢については「顧客は目の前に実際にそれが置かれるまでは自分がそれを必要であることに気づかない」(リエンジニアリング革命)のである。もし一ついえることがあれば、それは、パソコンメーカーにたとえると、ちょうど「デルコンピュータ」のような存在になるのではないだろうか。つまり、従来のすべての供給者が自分本人の何らかの思い入れを製品の中に注ぎ込んでそれを顧客に受け入れてもらうなり妥協するなりと悪戦苦闘するのとは違って、この組織ははじめから意図的に無心無色であり、逆に顧客側の望みと思い入れをそのまま自分の中に迎え入れて製品、サービスの形に効果的に仕立てて送り返すのである。ともあれいずれにしても、それは今あるどの店構えともまったく違ったものになるだろうことは違いなく、そもそも現在の政治や社会の諸制度を前提として許容するものであるかどうかすら保証の限りではないだろう。




2009/09/13 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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