一見具合良さそうなこの方法の決してうまくないことは、サービス自体については前回も列記した弁護士やあるいは医療の業界を、また格付サービスについては、ISOやプライバシーマークに端的にみられるような、公的性格の強い格付・認証サービスの無残な現状を考えればすぐに合点がいくことであるが、ここからはこの問題の奥にあるものをもう少し踏み込んでみていくことにする。
ここ最近の「バックラッシュ(揺り戻し)」こそあったものの、近年長く民間でできることはできるだけ民間に任せて政府機関の役割は縮小しようという流れにあった中で、官営事業の維持拡大を支持する立場からも、政府ならではの役割・機能を再確認し、その正当性を理論的にも再保証する強い必要が生じていた。その中の有力な根拠として最も偏愛された印籠、錦の御旗が、他ならぬこの「情報の非対称性」の考え方である。これは政府の重要かつ置き換えのきかない役割の一つが、事業者と消費者の情報格差において消費者の側の情報を公的な信頼できるものとして補完し、情報格差による被害から消費者を保護することにあるというもので、平たくいえば人を騙して一儲けしようという悪い業者がはびこり、百鬼が夜行するような恐ろしい民間の経済活動の中で、善良なるか弱い消費者がひどい目に合わないように、営利から離れた第三者の立場で彼らを守りましょう、ということである。この視点で政府機能とそのコスト負担を合理化し、理論武装できそうだとする考え方は広く浸透していて、実際にたとえば消費者庁の「取引・物価対策課」(旧内閣府 経済財政運営統括官付 物価担当)という部署が運営する「公共料金の窓」というサイトでは以下のように説明されている。
さまざまな財・サービスを購入する消費者にとっては、1つ1つの財・サービスについてはいわば素人です。一方、個々の財・サービスを供給する企業はその財・サービスに関してはプロフェッショナルであるので、必然的に双方の間には情報の非対称性が存在します。企業はライバル企業の情報を把握してさまざまな価格戦略で消費者を獲得しようとする、消費者はいちいち全ての企業の動向を把握して価格を比較して購入しようとする時間や余裕がありません。そこで政府の料金規制が必要である、ということがよく言われます。
役人が情報の正当性を最終的に保証するというこの考え方は、なにかというと「お上頼み」の性がいつまでも抜けず、なにかトラブルが起こると「国がちゃんと規制していないからだ」という世論が沸き上がる日本の依存的な国民性からすれば、ごく自然に嚥下できる、すこぶる相性のよい考え方である。一方で、これまでのように産業政策の形で直接的な影響を振るい、権限を拡大することが難しくなった官僚機構の利害という面から見ても、今度は逆に消費者を味方につけて官製の「認証」を通じて民間経済の生殺与奪の権を握ることでいわば川下から逆流して影響力を再拡大し、いわゆる「天下り」先も製造・確保するということは、新しい利権の形としてその利益に大きく適うものともなっているし、これらの囲いの内側で税金に養われて生計を立てている種類の人々にとっても、この考え方は自分の職業生活を正当化、鼓舞してくれる安心できるものでもあるだろう。このようにこの問題は、理論と実利が強力に絡まりあった、かなり根の深い問題である。
情報の保証に政府機関が関与する仕方には、認証・格付サービスを官営で運営すること以外にも、述べてきたようにサービス自体を官営で行って一定の品質保証をすること、また、各種の規制を強化することも含む。前回取り上げた葬儀業界でも、引用にみたように、業界正常化を目的として公的機関である国民生活センターや公正取引委員会の調査が入っているのであるが、その報告書をみても、この分野に充分な法的規制や国や自治体への事業者の登録、許認可制度がないことが大きな原因であるとの指摘が繰り返しなされ、規制を設けるよう強く促している。それは官の側の発想としては上記のように自然なことでもあるし、また、逆にいえば、将来的な規制介入を見越し、その露払い、斥候として、これらの機関が出動して事前調査の形で下拵えをしているという面もあるだろう。事業者の品質保証のために、国や自治体への登録を義務化するという方法も、このように頻繁にとられる対応であるが、これも一種の(営業すら許さないという意味での)デジタル的な公営による「認証」「格付」とみなすことができる。
では、あらためてこのような「官営による情報保証」「情報の非対称性に起因する課題の官営による解決」はどの程度まで可能で、どのような問題があるだろうか。それを次にみていこう。