これらの官製格付サービスの多くは、財団法人や社団法人のような公的性格が強い団体で、トップは中央官庁からの天下り、という形態によって運営されている。このような公営サービスがどの程度実際に機能するかを判断する事例として、ビジネスの世界にいる人々にとって最もなじみが深いもののひとつがISO認証だろう。
しかしながら同時に、かつただちに言わなければならないことは、格付サービスとしては、それがもはや人々にとって空気のように何ものでもなくなったということである。なるほどISO認証基準に基づいて社内で自社の業務を点検し、標準化することは、あいかわらず問題点の発見や仕事の品質向上に役立つことも多いだろう。しかしそれは外側の者が見る格付評価とはもともと別の次元の話しである。そういうことなら、店先に吊り下げさせて外側に向けてなにごとかを期待させ、その判定の目印になるものと誤解を招くような紛らわしい売り込み方をすべきではなかった。今では専門コンサルタントの指導を受けて、一時的に膨大な書類と体裁を整え、高額の費用を投じて名刺と自社サイトに貼りつけるための空疎な勲章を買うという実態が広く知れ渡ってしまったため、箔つけとしての価値も低下し、撤退するところも相次いでいる。
誰も公然と裸であることを指摘しないことによってのみ維持されていたこの権威が、どのようなものであったが社会一般にも共有されるようになったのが、三菱ふそうや不二家の不祥事だった。社内体制や業務プロセスに大きな問題があることが明らかにされたこれらの企業も、ひっかかりなく認証を通過し、それを掲げて顧客の信用を集めようとしていたことでその効能が大きく疑われることになった。特に後者の例では認証を取得しようとしたことそのものが業務品質を低下させ、事故の引き金になったとされた点が注目を集めた。とはいえこの手の社内プロジェクトにかかわった中で、こうした体裁的な認証を獲得するための活動が、かえって業務プロセスに不自然な負荷をかけたという経験に覚えのない人がはたしてどれくらいいるだろうか。
経産省は、財団法人「日本適合性認定協会」を通じて、不二家の認証取得を担当した民間の認証機関に臨時審査を求めた。これを受け、認証機関が事実関係の調査に乗り出した。(略)協会は、消費期限切れの原材料を使った洋菓子を出荷していた時期が06年10~11月で、品質規格の取得直後である点を重視している。さらに、問題が判明して以降、埼玉工場で牛乳の在庫記録を残していなかったほか、札幌工場では原材料の仕入れ時期などを製造記録台帳に記載していないなど、品質管理のずさんさが相次ぎ明らかになっている。また、不二家は11日の会見で、「埼玉工場はISO認証を受けており、廃棄物が一定量を超えると、是正報告書を書かなくてはいけないため、(消費期限切れの牛乳を)捨てづらかった面もあったようだ」と釈明した。この点についても、協会は「ISOは、品質管理や環境への配慮を目的としているのに、体裁を整えることを優先しては本末転倒」と事態を重く見ている。過去には、三菱ふそうトラック・バスが大型車の欠陥・不具合を隠していた問題で、認証登録を失効したほか、神戸製鋼所やJFEスチールが工場の排出物のデータを改ざんし、6か月の登録停止となった事例がある。
同様に、情報セキュリティの分野でも、一千万件近い膨大な情報流出を起こした大日本印刷がプライバシーマークの取得実績を誇らしげに掲げていたことが大きな驚きを呼んだ。これも事故を受けて資格の取消が検討されたが、それが躊躇されたのは事業者間の取引条件に資格保有が条件になっていたから、という本末転倒の議論がなされている。
個人情報を適切に取り扱う企業に対し「プライバシーマーク(Pマーク)」を発行している日本情報処理開発協会は23日、800万件以上の個人情報を流出させた大日本印刷に対する処分として改善要請を出したと発表した。Pマーク取り消しには至らず、関係業界では「流出規模の割に処分が軽く、マークの信頼性にかかわる」との声も出ており、議論を呼びそうだ。(略)金融機関、電話会社や自治体があて名印刷など個人情報を取り扱う業務を外部委託する際、委託先選定の条件にPマーク取得を含めているケースが多い。大日本はこの種の受託事業のシェアが大きく、いきなりPマークを取り消すと企業や自治体の業務に支障をきたす恐れがあるため、現実的な処分にとどめたとみられる。
このような経験を通じて、サービス利用者としてのわれわれは、それらの怪しげなお墨付きマークはありがたく素通りして、それ以外の情報と自分の努力を頼りに企業の信用を「与信」しなければならないことを自然に学んできている。しかるにそうだとすれば信用判定の根拠としては無視される、空気のようなそれらの格付は、気休めのお守りという以上のいったいなんの意味があるのだろうか。
われわれの知るところでは、これらの官製認証サービスの問題点は既に述べてきたことの他にも二つある。一つは、民間格付サービスのような営利的意図を持たないという触れ込みが嘘であることである。それらは前回も触れたように官製資格ビジネスの利益を最大化させるという露骨な営利的意図に基づいて計画、遂行されている。そしてこれらの官製認証サービスは公的な権威のみを原価に他の元手はなにもかからないため、打ち出の小槌のように恐ろしいくらい「儲かる」のである。官僚の「第二の人生」の保養地として、これくらい金城湯池の、楽園のような世界はない。「漢検」や「TOIEC」の問題で一般にも知られるようになったが、ビジネスの世界でこれらの官製認証にかかわったことのある人は、この手の団体が異次元といっていいくらいにいかに金回りがよく、羽振りがいいかを目にした人も多いはずである。このためこれらの官製サービスでは審査の内部コストをできるだけ抑えて合格証の発行数を引き上げること自体が「売り上げ拡大」として目的化し、認定票、認定マークを大盤振舞いでいくらでも発行していくことを歓迎するようになる。すなわち自分の足で立って食っていこうとする営利事業が悩む利益相反がここには存在しないという神話は事実に反し、自分たちの側に立った誠実な格付認証が欲しいという利用者の願いとは明白に食い違う、別の形の利益相反がここにもれっきとして鎮座しているのである。
もう一つの問題は、第一のそれと絡んで、格付評価をいったん発行すると発行しっぱなしで後は野となれ山となれのほったらかしのことが多いことである。これは前回述べたような弁護士や医師、あるいは教師のような公的資格についてもそのままいえることでもあるし、あるいはサブプライムローンの債権格付のトリプルAとなにも変わらないことでもある。このため量りに乗る時だけ無理にダイエットしてあとはかえって戻り太りして悪化するということにもなるし、目の届かないところでそれが悪用されることにもつながる。
葬儀の回で見たように、格付評価の結果に責任を持ち、後工程まで目配りするというのは、たいへんにコストと気苦労のかかることである。ビジネスの論理の中では、やろうとすればそれは利用者にとっての費用対効果に見合う落とし所に四苦八苦しながら自律的に調整されるものであるが、行政事務としては、公のお墨付きだから頼りにしたのにこの体たらくはなんだというクレームに対して、そんなことを言ったって後面倒をみる人手も時間もわれわれにはないのだ、文句があるならやってやるからもっと税金と人員を寄こせと(公務員ブログによくある不平のように)それを逆手に開き直って焼け太りの予算追加を所望されるだけの話しだろう。すなわち、民営の格付サービスを(たとえばサブプライム住宅債権格付を)公営にすればそれだけで問題が夢のように解決して品質がよくなるわけではなくて、どちらがやるのであれ、あくまで審査の事業プロセスの中身自体とその運営の効率性の問題なのである。そうであるのならば、あえてそれを官営でやることの根拠はここでは見つからない。
既に述べたが、事業者や団体の参入規制、国や自治体への登録規制も官製格付サービスの一種に含めることができる。葬儀について国民生活センターや公取委が主張していたように、事業者登録と参入規制を設け、それを強めることが業界の品質向上に寄与するという主張が繰り返されるとき、これも情報を一手に集めたのはいいが、後の面倒まできちんとみないとかえって有害な結果を生むことになり、そのためのリソースをどうするのかという点で上の話となにもかわらないことになる。現在まさにその点が大きな問題になっていて、現実の実態を見せつけられることになっているのが、宗教法人と公益団体の登録制である。両者ともいったん認証登録が通過するとあとは放置されているため、法人格が闇取引され、中身が空になった見かけ倒しの公的免許が悪用される事例が横行し、むしろそれがない状態よりも事態がずっと悪化している。
全国約18万の宗教法人のうち、宗教法人法で毎年義務付けられた国などへの報告がない法人が昨年、5年前の2倍近くの1万3400に上ったことがわかった。宗教法人は税制面で優遇されており、法人格がブローカーらに売買されて脱税に悪用されるなどの事例が後を絶たない。大阪府東部のある宗教法人。所在地とする寺は、現地にそれらしい跡形はない。20年以上前から立っているのは部品工場だ。寺の代表権を買い取った会社社長(50)は、東京・六本木ヒルズの高級マンションの住人で、巨額詐欺事件を起こした豊田商事の元営業マン。代表者になった1989年以降、寺の名前を使い、東京の繁華街で、多数のアジア系外国人に托鉢(たくはつ)僧の格好をさせ、金を集めさせていたという。(略)京都市内にある別の宗教法人の所在地には、表門に暴力団の代紋を染め抜いた幕が張られている。「宗教団体?そんなものはないですよ。あそこに出入りしているのは暴力団関係の人ばかり」と、近所の女性は声を潜めた。宗教法人は「信教の自由」への配慮から認証取り消しは出来ない。文化庁は約10年前から、「不活動法人」の解散を進めるよう都道府県に指導。行政側が裁判所に解散請求もできるが、1件あたり数十万円の費用がかかるうえ、命令まで1年以上もかかるケースが多く、同庁が促す自主解散もほとんど進んでいない。
休眠状態の公益法人が売買され、税逃れに利用される-。税制上の“特典”に目をつけた取引はバブル期以降、ブローカーを介在して横行しているとされるが、表面化することはあまりない。ブローカーの間では「闇の錬金術」とも呼ばれる公益法人売買。国は経営の透明化を目指しているが、ブローカーは水面下で暗躍しており、実態把握は困難と指摘する声もある。
<「連絡も取れない」>
ブローカーを通じた“身売り”が発覚した財団法人東興協会。文部科学省に届け出た所在地に現在事務所はなく、事務所の電話番号も使われていない。同省の担当者は「ここ数年、役員とはまったく連絡が取れず、かろうじて関係者と接触できている状態」と話す。元皇族で戦後初の首相、東久邇稔彦(なるひこ)氏が設立したとされ、当初の理事には閣僚経験者や文化人らが名を連ねた。武道の振興を目的に競技会などを開催していたが、平成10年の脱税事件以降活動は縮小し、19年以降はほとんど活動していないという。内閣府は、3年以上事業を行っていないなどの基準で休眠法人を分類。20年12月現在で公益法人2万4317団体のうち145団体が該当した。他に、登記の記載はあるが主務官庁の名簿に登録がなく、活動実態が分からない「幽霊法人」も1882団体に上った。
<格好の標的>
休眠法人は、ブローカーにとって格好のターゲットになる。狙いは社会的信用と税制上の優遇措置。法人税法上、公益法人への課税は33種類の収益事業に限られ、相続税や固定資産税もかからない。収益事業でも30%の法人税率がかかる一般企業に対し、公益法人は22%と低率になっている。(略)実態のない公益法人に寄付名目で資金を集めれば、税を免れる。売買にはフロント企業や暴力団関係者が介在し、トラブルになることも少なくないという。
<売買想定せず>
日本漢字能力検定協会トップの背任事件など、公益法人をめぐる不正は後を絶たない。一方、天下りの受け皿になっているという指摘もある。会計検査院の調査では、官庁OBがいる法人の補助金交付額は、OBがいない法人の約7倍となっていることも判明した。
ここに露わになっているのは、行政的管理において、監督が必要と認めた対象に対して「性善説」を措定するというちぐはぐな自己矛盾である。国家が出ばって自分で監督までしなければならないということは、そのままでは水質が悪化することへの恐れを持てばこそのはずである。にもかかわらず、免状を発行したあとは追跡せず、制度を堅牢に設計せず、隙をつかれることを想定せず、そうなった時の対処策もなにも用意しない。あとにきまり悪げに残ったのが、悪用可能性を口実に使った単なる管理のための管理、管理にかこつけた権力行使を通じて、そこから甘い汁だけ吸おうというひどく「私的」「営利的」な動機だけだとしたら目も当てられない。
以上みてきたように、格付・評価の事業サービスは、それを民営から官営に変えることによって自動的に品質向上が達成されるものではなく、あくまでサービスの中身が問われる同格同等のものであり、社会コストの適正化への動機条件という点では前者の方がまだ若干優れている。同時に、より一般的なところまで視点を後ろに引けば、当然のことながら同じものを公営ではなく民営でやることは、それだけ政府コストを圧縮するだけでなく税金の持ち出しに依存しない雇用も新たに創造し、うまくいけば余計に税金(法人税や従業員の所得税等)まで払ってくれることになる。従ってそれを公営でやるということは、税金を払う人から税金を使う人に運営を移すことで相殺分の二重の租税コストを費消してより劣ったサービスを購入するということになるが、そこまでして民間の経済活動の機会と工夫を取り上げた方がいいのかどうかは、述べてきたような勘所を充分勘案したうえで行われるべきことだろう。
こうして国家の認証に依拠すれば事業者の選別と業界の健全化に寄与するのではないかというわれわれの期待と先入観は、その中身を丁寧に洗っていけば粉々といっていいくらいに粉砕されることになる。当たり前のことであるが、国家がやるものであれ民間がやるものであれ、きちんと設計されていない格付サービスは結局役に立たない。見てきたように公的な格付サービスは、情報保証の根拠を、公的権威のみに依拠してそれを支える具体的な工夫、プロセス価値をなにも持たないため、内実はほとんど空っぽで無効であるものが多い。それらが信用に足るとまだ思っているのは情報から遠く、事情にも疎い、素朴で根っからの善良な人々だけである。しかし本当は格付評価という情報判定の代行サービスの恩恵を受けなければならないのは、まさにそれらの情報に疎い人たちこそであろう。情報の弱者に該当する人々が、効果もあやしい高額のお守りを売りつけられてそれに精神的に依存しなければならないとしたら、それ自体が定義そのものにおける悪質商法であり、真っ先に避けられるべきことである。