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「官製」格付サービスを格付する
情報の非対称性の解決に行政機関またはそれに準じる組織が関与する仕方について、葬儀の稿で述べたような「評価サービス」を官営で行う場合について次に検証していこう。われわれの周りにはこのような官製サービスが実はすでにたくさん存在しているが、民間企業がそれを行う際に避けて通ることのできない利益相反の問題を、税あるいは公務員による運営という形でいわば空中に止揚し、利害関係と営利的意図のない第三者が仲裁することで、一般の消費者、サービス利用者にとって課題の良好な解決がはかられるだろうか。あるいはたとえばサブプライムローンの債権や葬儀事業者の格付は、国営化して公的機関がそれを運営すればうまくいくことが見込めるだろうか。それを比べてみたい。
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情報の非対称性と「政府」の役割
葬儀にみられるような情報の非対称性が強い業種では、良質な事業者を評価する格付サービスの役割が重要になってくるが、その格付サービス自身も基盤の設計がなかなか難しいということを前回論じた。事業者の格付がそのように社会にとって重要であり、それを事業として構築することにも困難があるのなら、その評価サービスを、行政機関やそれに準じる組織の官営で行う、あるいはそもそも評価される側のもともとの事業そのものも、品質を保つためにいっそのこと官営サービスとして行うのはどうかという提案がなされうる。これは、運営費用を誰からもらってそれらのサービスを維持するかという根本問題に対して、そのサービスを利用する当事者のうちの誰かからそれを徴収するのではなく、基本的に「税負担」の形で広く薄く集めて社会全体でまんべんなく負担するという発想である。こうすれば費用を当事者のどこかに依存する際の利益相反も避けられるので適切な対処のようにもみえ、実際、金融債権の格付については、サブプライムで痛い目にあった米国内でも私的企業による運営をやめて機能を国有化しようという動きがあるようだ。
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「脱経済」の経済
以前取り上げたドラッカーの処女作「経済人の終わり」の後半分は、著者の専門に近いところで、大戦時のドイツ経済の分析が中心になっている。当時のドイツの経済運営については、一般には、世界恐慌の中でアメリカの向こうをはって国家規模の巨大な公共投資を打って失業の苦しみから国民を解放し、短期的にはアメリカを上回る大成功をおさめて、それが政権に対する信任を決定づけたこと、反面それは軍国主義、軍需産業と一体不可分になっていたため、経済面に限ってもどのみち行き詰まりが避けられなかったことなどが俯瞰されることが多い。しかしここにおいても若きドラッカーの筆は、そうした表面的ななぞり書きをはるかに超えて因果の裏側にまで突き通った独自のものになっている。
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衆院選のもたらす帰結
衆院選は下馬評どおり民主党の大勝に終わったが、今回の結果で興味を惹かれるのは、これが小選挙区制下における二大政党交代時代のはじまりといえるのかという点である。多くの人がそこに疑念を抱いていると思うが、そのもやもやしたところを言語化するとどうなるか、以下目についた点を自分なりにまとめてみた。
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