バターが高関税と国家貿易による公的独占によって自由な輸入が禁じられていることは既に述べた。この規制が行われる表向きの目的は、国内の生産農家を保護することを前提に、供給と価格のふたつの安定化をはかるというものであるが、政府介入によって二点の水準は改善されずに、逆に明らかに悪化している。
まず、供給については、2008年から震災以降の現在に至るまで、たびたび極端な品薄、欠品が発生し、スーパーの棚からバターが消え、全国のパン屋や洋菓子店が調達に奔走する騒ぎを起こしている。国内産の生産量の増減に合わせて海外製品の輸入を独占的に調整するという国家による一種の配給制度は、配給というものがすべてそうであるように、供給の安定化に貢献しておらず、逆に混乱を拡大している。
次に価格についてみると、バターに上乗せさせれている輸入関税は360%という尋常でない税率で、それがそのまま内外価格差につながっているが、ふだんからそれだけの「ゲタ」を履かせているからといって、価格高騰時に下げるわけではなく、知らんぷりしてそのまま取っているから、価格の安定化とはなんの関係もない。前回引用したように、他に調整金なるものまであり、流通が混乱するほど国家貿易を独占する天下り行政法人の収入が増える仕組みになっている。その分け前は官僚と生産者団体で山分けされるので、彼らは生産の安定供給と価格の安定化にではなく、適当な理由をつけてサボタージュし、欠品を引き起こして、価格も乱高下させることの方にむしろ強いインセンティブがある。このやり方で供給と価格が安定化するはずがなく、現にそうなっていない。
この結果、バターというなんということもないありふれた基礎食品が、ふだんから価格が高止まりしてなかなか口に入らない高級品扱いになったり、まるで共産国家の消費者のように、主婦や洋菓子屋が空になった店頭の棚から棚を渡り歩いて右往左往するということになっているが、この状況について、次の料理研究家の方の記事では「まるで戦時中のよう」とまで書かれている。
「いちどに二百グラムも使うんじゃ、作れない」私はピカン・パイのレセピを手に言った。「悲鳴ね、まるで」アミが笑った。「笑いごとじゃないわよ。バターの量を心配するなんて。戦争中じゃないんだから」私は声を高めた。
そう。バターの使い過ぎを気にするのは、コレステレールや、太り過ぎへの配慮であって「バターが手に入らない」からじゃない。ところが、それが起きているのだ。バターが店頭から姿を消してずいぶんになる。
なかでも一ポンド(四百五十グラム)の無塩バターが貴重品になった。このサイズには加塩バターもあるけれど、フランス料理とお菓子には、無塩でなくちゃ。「ヘンね、最近」嵐のまえの灰色の雲を空の隅に見て〈異変〉を感じたのは、去年の十一月。カッパ橋の店で、気軽に一ポンドの無塩バターの冷蔵棚を見たら、空だ。「あら、ないの?」と驚くと、店の主人が「いま、入荷が少ないんですよ」と奥から一つ取り出してきて、そっと手渡した。なんだか、モノ不足の戦争中みたいだ。
そのような高い障壁を設けて国内生産を守っているのは、究極的には、戦争のような非常事態で輸入が途絶したような際にも、国民にバターを供給できるようにしておくためというのが目的であろう。しかしそのためにやっているはずのことで、実際に戦争が起きて供給が途絶する前に平時に供給途絶を人為的に起こし、国民に「まるで戦争中のようだ」とまで言わせることにいったいなんの意味があるのだろうか。まさかほんとうに戦争が起きて輸入途絶になったときにいきなり辛い思いをしないように、予行演習でもやっておこうというのか。それなら戦時になったらせいぜい訓練の成果を生かしてひもじい思いをすればいいのであって、そのときのためにわざわざ国内生産を保護しておく必要などはじめからないではないか。
また、このような供給の不安定化と価格の引き上げによって、バターそのものが気軽に口に入りにくいものになっている結果、国民を代用品のマーガリン中心の利用やバターを使わない調理法の工夫、あるいは自家製のバターの製造といった本末転倒の不毛な方向に走らせ、無用の労力を浪費させている。マーガリンはもともと人造バターと呼ばれて、戦時の代用品として開発された食品だそうで、これらもまた戦争中に起きるような涙ぐましい現象であるが、これらが政府の失敗によって(なにもしなければ別に製品が手に入らないわけでもないのに)人為的かつ常態的なものとして固定されている。
「白いモノ(コメ、麦、乳製品)を扱うと出世する」(農水省OB)
これらは農水省が独占する国家貿易品目。同省は麦500万トン、コメ80万トンを輸入する世界に冠たる“輸入商社”である。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で、農水省が恐れるのは国内農業の壊滅ではない。「農業保護」を名目に享受してきた輸入独占権を失うことにある。
これらの作物は輸入が増えるほど、国家貿易のマージンが増え、農水省の特別会計が増える構造になっている。毎年1000億円超。農水省や天下り団体が無税で輸入し、関税より低い国家マージンを業者に課す、上納金のシステムが出来上がっているのだ。
コメの輸入も同様だ。WTOの懲罰処置で毎年、農水省は消費量の7・2%に相当する約80万トンを、加工・飼料用として無税で輸入している。国家マージンでもうけたうえ、食管法廃止後に余った数千人の農水省地方職員に「輸入米の保管・管理」という仕事を割り当ててもいる。(略)
食料自給率を上げるための制度というが、同省幹部は「自給率向上政策がなくなると、俺たちが食えなくなる」と本音を漏らす。
さらには、農水省には「バター利権」もある。畜産の高関税品目であるバターは、農水省の天下り団体が独占貿易を行っている。結果、現状のバター不足を引き起こし、世界的にも異常に高いマーガリン・シェアを人口的にもたらした。
雪印メグミルクも10月1日の出荷分から、家庭用バターやチーズ計9品を1.2~5.3%値上げする。「雪印 北海道バター」(同)は365円から370円に、「雪印 北海道バター食塩不使用」は405円から410円に値上げしたほか、「雪印北海道 さけるチーズ」(60グラム)はプレーン、スモーク、とうがらし味が190円から200円に値上げする。一方で、「まるでバターのようなマーガリン」など25品を発表。バターの味わいに近づけながらも、生乳を使わない料理用のマーガリン(263円)と、パンに塗る「やわらかソフト」(189円)を9月1日に発売。バターの代替需要として売上げ増を狙う。
いま、お菓子作りには欠かせない材料である「バター」が原料不足のため品薄状態となっています。2007年にバター不足になったことも、記憶に新しいと思います。そこで共立食品では、バターがなくても手作りお菓子を楽しめる方法をお伝えいたします!
・バターがないとき、どうしよう?
―バターを何かで代用できる?
―バターを作ってみよう!
―バターいらずのレシピをご紹介!
価格の点では、関税によって海外価格の数倍もの国内価格を強制することで、当然ながらいちばん被害を受けているのは、所得が低くエンゲル係数が高くて食料品の家計に対する影響が大きい低所得者層であり、高関税は彼らが「ほんものの」バターを手軽に口にする機会を無慈悲に奪っている。後述する砂糖もそうだが、バターも多くの食品の原料にもなっているから、それらの価格にも転嫁されて食品価格を全般に引き上げ、輸出する際には自分からかける事実上の輸出関税にもなって食品産業の価格競争力も引き下げ、事業収入と雇用を縮小するなど、その害毒は直接消費以外の広範なところまで広がっている。これらの影響が逆進的な形で集中するのも、低所得者層にほかならない。
さらに、国家貿易によって緊急輸入されるのは、工業用の原料バターのみであり、ヨーロッパ他の伝統的な食文化が育んださまざまな風味の特色ある最終製品は高関税なしには簡単に輸入できない。もちろんこれらもまた、躊躇せずに買い物カゴに入れて家庭で楽しめるのは、高給輸入品を扱う富裕層向けスーパーで買い物をしているような層だけだろう。それらの魅力ある競合製品を締め出しているから、国内勢もそれに対抗する製品開発をしなくてよく、この結果、バターの国内の製品開発は、代替品のマーガリンに比べてさえ驚くほど貧弱な状態が十年一日のごとく続いている。上記の記事でもマーガリンの方が活発に新製品の開発が行われているのに対して、バターの方は昔からある味もそっけもない製品の値段が上がった下がったの話だけである。そもそも開発しようにも元のバターが手に入らないのだから話にならない。一方、マーガリンの方の製品開発も、品名をみると、上にあるように「バター風味のマーガリン」「まるでバターのようなマーガリン」「バターが好きな人のためのマーガリン」など、消費者はほんとうはどちらを食べたいと思っているのかは一目瞭然であり、製品名を見ただけで気の毒で涙が出そうである。このように国家による配給は、一般国民の食生活、食文化の向上発展ではなく逆に貧困化の方におおいに貢献している。配給によって国民生活が豊かになったことなど一度もないのであるから、これも当然なるべくしてなっていることである。マーガリンがそれほど発達しているなら、本来の用途どおり、緊急時にはそちらを一時的な代替の選択肢としてもっておけばいい話である。
これらのことから、バターの貿易統制は、一般の国民に戦時にも平時と同様に安定的にバターを確保して食べさせるためではなく、逆に戦時にも平時にも安定的にバターを「食べさせない」ために行われていることがはっきりと分かる。北朝鮮の政府が国民に食わせるためではなく食わせないために統制経済をやっているのとまるっきり同じである。ふつうに輸入すれば本場で本職の生産者が作った優良な製品を充分かつ安価に調達できるのにそれを禁じ、素人の国民が仕方なく牛乳から自分でバターを作る方法を横渡しでやり取りしているなどというのは、なんという馬鹿げた状態であることだろうか。国民に食料を供給することを誇りとし、それをもって生計を立てている職業人がそのような状態をみてなぜなんとも思わないのか。平時はもちろん、たとえ戦時下になって、国内農家が一部の製品を同程度に供給できたところで、禁止的に高価なことには変わりはないのであるから、それを買えるのは一部の特権層だけであってどっちみち貧しい世帯の口にバターが入ることはない。では、そうまでしていったいなぜ国内生産を形の上だけ守っているのか。それはもはや生産農家とそれにぶらさがっている規制当局がそこにたかって自分の生計を得、利権にありつくため、という以外の理由はない。国民により安定的に、安価な価格で製品を供給するという本来の目的はほっぽり出してそれを行っているのであるから、それらの保護政策はただそのためだけ、自分たちの私的利益だけのために行われているのであり、一般の国民は適当な巧言に誑かされて無理やりそれに動員され、バターも手に入らず、その他のところで稼いだ金まで彼らにあてがうという二重三重の形で収奪されているのである。どんなにかそれは国民経済と生活向上の足を引っ張って底知れないほどの損害を与え、また同時にまじめに消費者とだけ向き合って、いい製品を提供して喜んでもらいたいと心から願っている、真にまっとうな生産者の姿勢をも邪魔し、侮辱していることだろうか。
農林水産省が8月3日にバターの緊急輸入を実施することを決めたことについて、JA全中畜産・酪農対策委員会の飛田稔章委員長(JA全中副会長)は同日、コメントを発表した。飛田委員長は、東日本大震災・原発事故の被害による生乳生産量が減少しているなか、TPP交渉参加問題に対する不安や配合飼料価格の高騰による経営悪化への懸念などにより「酪農の生産基盤が縮小傾向にあり、現在、酪農生産者・生産者団体が一丸となって生乳生産の回復・拡大のための取り組みをすすめているところ」と指摘。そのうえで「政府は緊急輸入したバターが国内の生乳需給に影響を与えないよう慎重に取り扱うとともに、牛乳・乳製品の需要を満たす生産が可能となるよう、生産基盤の回復・拡大に向け徹底した政策を早急に確立すべきである」と強調している。
海外から輸入される原料糖は、国内産の砂糖に比べてかなり安いので、このままでは国内産の砂糖は売れません。そこで、国の政策として、海外から安い砂糖が輸入される際に当機構が、輸入者(精製糖企業など)から一定の調整金を徴収し、その調整金を主な財源として国内の農家と国内産の砂糖の工場へ交付金として支援しています。この仕組みにより、輸入品は調整金の分だけ高く、国内品は交付金の分だけ低くなり、両者の間の価格のバランスがとられ、国内の価格は同じ水準となるようになっています。これが砂糖の価格調整制度です。(略)
私たちがお砂糖を買うと、まわりまわって沖縄のさとうきび畑や北海道のてん菜畑が守られることになるのです。あま~いお砂糖が入った袋には、消費者に安定的にお砂糖を届けるための、さまざまな仕組みも詰まっているのです。
一般に何かの業を営む事業者が自分の収入を得て生計をたてることができるのは、他を選ぶこともできた中からわざわざ自分を選んで売買契約をしてくれた顧客からの支払いによってだけである。彼らは自分の収入とその職業生活のすべてを自分の製品を買ってくれる消費者に頼っており、消費者だけが頼りである。だから彼らは顧客からの愛顧を得られるように、彼らに気に入ってもらえる安くて良い製品を作り、彼らを困らせたりしないようにすることに全神経を集中させる。しかしこのバターのような領域では、それ以外のところから安定して収入が入ってくるのであるから、その分だけ注意がそちらに向くようになり、それが入れば入るだけ生産した製品を利用する顧客のことを気にしなくていいことになる。むしろ万一戦争にでもなったら本当の本気を出してもらいたいという名目のもとに、欠品や価格高騰で最終消費者を困らせれば困らせるほどそれが増えるのであるから、彼らは実際のところは、価格と品質で消費者に喜んでもらうようなバターを作っているのではなく、そのふりをしながらバターの補助金をもらうためのバターを作っているというただのアリバイを作っているのである。製品の方はほんとうはどうでもよく、消費者はできたものをできた分だけありがたく受けとって黙って食っていればいい、という社会主義国の自動車メーカーのような思い上がった感覚だから、品切れで需要者がどういう不便ををしているのかとか、見放されて競合にが顧客が流れて事業が続けられなくなるといった、通常なら事業者が抱く当然の配慮のまったくない、政治家だけの方を向いた上のようなコメントが出てくることになる。
災害対応という点からいっても、先に述べたような自国に起きた災害では、想定されていることとは正反対に、官製の一国安全保障はかえって国民の首を締めることになるという視点からの軌道修正は、大震災を機に自然災害の活動期に入ったとされる中で喫緊の最優先課題である。いざとなってからふだんやりつけないことを慌てて見よう見まねでではじめてもうまくはできないし、突然大量買いつけを行って相手国の食料価格を暴騰させたうえに輸入したものを廃棄までした1998年のタイ米輸入騒動のときのように、とばっちりで他国の国民にまで大きな迷惑をかけることになる。グローバル企業のような洗練されたやり方に一足飛びに追いつくのは難しいにしても、ふだんから「疑似グローバル」な仕組みづくりとその運用に入念に取り組んでおく必要がある。それはすなわち官僚が余計なことをしない、貿易障壁を下げ、介入から手を引いて、民間の流通がふだんから自由に動けるようにしておく、そのパイプを充分太くしておくということに他ならない。繰り返しになるが、それこそが真の国民の安全保障であり、災害対策である。予測されているように、富士山の噴火のような事態が起きて、放射性物質の代わりに東日本一帯に火山灰が大量に降り注ぐようなことにでもなったら、上記のように通関の上前をピンハネすることに汲々とし、平時ですら欠品が起きようが価格が数倍になろうが知ったことではない、といった硬直的、役所仕事の供給体制では、緊急時の国民の生活を支えるうえでまったく対応できない。