プロ野球代理人で考える雇用契約交渉

労働問題について考える中で、プロ野球をはじめとしたプロスポーツ選手の契約交渉を例にあげた。この交渉事は、われわれの間で下世話な興味を集める季節的な関心事になっているが、それらの記事に接する一般の労働者は、それをとびきりの才能と幸運に恵まれた一部のトップエリートの遠い世界の話だと思っていて、自分の身に引きつけて考えることまではしない。同じことをわれわれもできないのかを探るために、こちらの実状はどうなっているのか、もう少し詳しく確認してみよう。

日本の有力選手がアメリカのメジャーリーグに移籍するとき、よく有名交渉代理人の誰々というのが報道に出てくる。腕のいい、相談しやすいエージェントは、選手の間の口コミでだいたい相場が決まっているようで、同じ名前が何度も繰り返して登場することが多い。ところで、これらの腕利きエージェントは、向こうの世界で「弁護士(法律家)」なのだろうか。明らかに彼らはエージェントが専業で、弁護士ではなさそうにみえる。調べてみると、メジャーリーグの契約代理人になるのは、リーグに登録すればいいだけで、別に弁護士である必要はないらしい。選手と球団の契約交渉やその更新交渉は、明らかにひとつの法律行為であり、多くの場合、最も激しい紛争行為でさえあるが、交渉人は代理仲介をするのに、その部分に絞った法律知識を自分で勉強して持っていればいいだけで、法律家としての職業免許は必要ないわけだ。当然ながら、野球選手の契約交渉をするのにほんとうに切実に必要なのは、法律知識そのものはただの出発点にすぎず、その競技に対する理解の方がはるかに比重が大きい。弁護士であるなしにかかわらず、競技そのものを深く理解していなければ、その選手の代理になって、業績評価や雇用条件で雇用側と丁々発止の駆け引きをすることはできないからだ。

では、翻って日本はどうかというと、先にみたとおり最近ようやく代理人をたてた契約交渉が認められるようになってきたのは一歩前進だが、代理人になれるのは弁護士に限られるのだという。もっともこれは、それが「非弁」行為で(日本の法律で)法律違反だから、というよりも、球団と選手会の間の「取り決め」だというのが「たてまえ」のようだ。

もし弁護士以外を交渉人にたてても法律違反でないのが確かであるのなら、資格免許(それも弁護士という野球とはまったく無関係の資格)よりは、交渉能力そのものに的を絞った人選を行えるようになるはずだが、選手たちがそれを実際に押し通そうと試みたときに、ほんとうに日本の弁護士法に違反しないかどうかは、微妙である。逆にいえば、その曖昧さが一種の牽制になって「自主規制」を生んでいるともいえ、(他の例に違わず)弁護士法の業務独占規制が最大限に拡大解釈的に適用されているともいえる。上記の理由からも、交渉人の候補を弁護士に限っていることは、選手の契約交渉力にとっては、不利な方向に働いていると考えられる。母集団を(ただでさえ日本ではタマの少ない)法律家に限定することで、この特殊な交渉に対応可能な弁護士は、小さな池の中で魚を取り合うような、非常にわずかなものになるため、ごく少数の弁護士に依頼が集中したり、競技そのものに対する知識不足から、かえって交渉が悪い形にこじれて、選手のキャリアにまで影響を与えるようなトラブルになっている例もあるらしい。

穿っていえば(数々の状況証拠からみても、おおいにありうることだが)、日本球界が設けているこの代理人資格の自主ルールは、(法律家でない)専業のメジャーリーグ交渉人が日本市場に参入してきて、選手年俸が大幅に引き上げられるのを防止したい球団側と、非弁規制を強い形で維持したい弁護士業界が、暗黙の共謀によって設けている「貿易障壁」の一種であるとも考えられる。言葉の壁などは(通訳をつければいいだけで)なんの関係もないのだから、この自主制限がなかったら、メジャーリーグの代理人業界はもちろん日本市場に参入したいはずで、選手の側も「素人」の弁護士などではなく「本職」の交渉専業の人間に頼みたいひとは多いはずだ。能力・経験的にも、アメリカ球界への移籍でメジャーの球団とはるかに厳しい交渉をこなしている交渉人が、日本球団を相手にできないはずがなく、それどころか、それこそ赤子の手をひねるようなことにさえなりかねないだろう。

球団側は、日本人選手の代理人制度の導入にあたり、以下の条件付けを行っています。

1.代理人は日本弁護士連合会所属の日本人弁護士に限る。
2.一人の代理人が複数の選手と契約することは認められない。
(略)

1.について

代理人制度の導入当初は、代理人の資格者に関する試験的運用状況から、日本プロ野球選手会選手代理人規約においても、弁護士法(昭和二十四年法律第二百五号)の規定による弁護士に限っておりましたが、選手会は、2003年オフから、メジャーリーグ選手会公認代理人にも、代理人資格を拡大しました。2010年1月時点で、選手会登録代理人数は236名(内訳は、弁護士233名、メジャーリーグ選手会公認代理人3名)、弁護士代理人経験者は61名となっています。

しかしながら、球団側は、現在も、代理人の資格を、日本弁護士連合会所属の日本人弁護士に限るという条件を緩和しておらず、メジャーリーグ選手会公認代理人による代理人交渉を否定しています。

選手会としては、外国人選手に関しては弁護士でなくても代理人交渉ができている実態や、メジャーリーグなどから復帰する日本人選手については、メジャーリーグ選手会公認代理人による代理人交渉ができている実態に鑑み、球団側に対して、選手会が認めるメジャーリーグ選手会公認代理人による代理人交渉を要望しています。

2.について

球団側は、一人の代理人が複数の選手を代理することで生じる問題点、弊害として、選手間の利益相反の問題や、いわゆるスーパーエージェントの問題などを上げています。しかしながら、日本において、まだまだ代理人交渉のノウハウを十分に蓄積した弁護士代理人が少ないことを考えると、有能な一人の代理人が一人の選手しか担当できないとすれば、実質的に多くの選手の代理人選択の自由は著しく害されてしまうことになり、代理人交渉を導入した意義が失われる結果にもなりかねません。

プロ野球選手会労組は、長年、契約更改にあたって選手が代理人をともなって交渉できることを要望してきました。米大リーグでは代理人交渉が定着していますが、日本では「プロ野球に第三者が介入すれば、球団と選手の信頼関係が揺らぎかねない」として選手の権利行使が抑えられてきました。

代理人制度は、選手と球団が対等な立場で交渉する最低限の条件です。諸種の契約交渉に弁護士などを代理人に立てるのは、法律で認められた正当な権利です。「日本プロフェッショナル野球協約」でも禁止していません。

しかし、これまでの契約交渉は、選手一人に球団側は複数で対応するなど、とても対等・平等とはいえないやり方がとられてきました。交渉に振り回されることなく、オフは調整に専念したいというのが選手の思いです。年俸や戦力評価の交渉に「契約にたけた専門家」の同行をのぞむのは、当然の要求です。

その要望がみのって、今オフから、ようやくセ・パ両リーグの十二球団でつくるオーナー会議が「今季をテストケース」との条件をつけて認めました。それでも、機構側は一代理人が抱える選手は一人だけという条件に固執しています。さらに、巨人・渡辺恒雄オーナーは「代理人を連れてきたら年俸カット。それがいやなら自由契約(解雇)」などと発言、選手を威圧する始末です。

日本共産党の大森猛衆院議員がこの暴言を国会でとりあげ、「不当労働行為ではないか」と追及し、スポーツ紙などが大きく報道し反響を呼びました。


もちろん、これに関して選手側の方も完全に無垢とはいえないのであって、それは彼らもまた「外国人枠」という参入制限によって、自分達の雇用を守っているからである。非弁護士・外国人代理人の要望がすんなり通らず、微妙なかけひきが必要なのも、「それなら選手自身はどうなのか」という「弱み」を雇用側に握られていることが理由のひとつだろう。とはいえ、「外国人枠」を「まったく」認めていない代理人分野の方が、部分的に認めている選手分野より、極端にアンフェアな状態にあることに変わりはない。


以上の確認からは、一般化された労働契約・雇用契約の代理人交渉という視点からみて、いくつかの意義深い示唆が得られるだろう。

ひとつめは、なんといっても、雇用契約の交渉代理、紛争代理は、弁護士でなくてもなんの問題もないということである。そのことは、厳然たる事実として、現に、また歴然と、この実例を通してわれわれの目の前に顕示されている。特定の職業分野に関して精通した専業の交渉人は、多くの場合、生きた人間に対する経験の乏しい法律バカの法律家よりもはるかに役に立つ。依頼者の交渉行為にとって、幅広い分野について深い法的知識を蓄えた法律家と、当該分野に特化して掘り下げた経験を積んだ専業の交渉人の、どちらが有利に働き、望ましいかは、簡単には甲乙つけられない。いわんや一方の当事者の法律家が、依頼者自身に代わり、先回りしてにそれを決めつけることなどできない。依頼者本人が自分で熟慮して、弁護士ではなくてもその交渉人の方がよい、外国人で、非・弁護士の、メジャーリーグ交渉人の方がよい、と思ったのなら、それが阻止されなければならない理由はない。この当たり前のこと、当たり前であるが日本では当たり前にそうなっていないことが、あらためてこの例から確認される。

第二には、たとえそうであってもこの分野の需要を満たすには、弁護士自体の人数も足りなすぎるということである。たかだか千人足らずのプロ野球業界で交渉代理人を割り当てるのに四苦八苦しているくらいだから、日本全体の膨大な労働者の需要を賄うことがどれだけ悲劇的に絶望的であるかは推して知るべしである。現状では、他は頼んではならないといいながら、頼みたいと思っても数が足りないという二重に理不尽な状態で、需給を人為的に崩して価格を釣り上げている供給者以外には、誰の得にもなっていない。あるいは、逆からみれば、供給を絞って価格を釣り上げるためには、外側に参入制限をかけて穴を塞いでおかないと成功しないから、そうしているのである。

第三には、これらの職業免許の強すぎる、また自己目的化した業務独占規制が、本来の限定的な領域を超えた、幅広い範囲まで有害な影響を及ぼしている可能性についてである。この雇用契約以外でも、法律上の紛争性のある代理人交渉が、「非弁行為」に当たるのではないかというおそれが強い牽制になって、その任にあたりうる専門家が萎縮・躊躇し、結果として、サポートを受けられない契約当事者が、放置された真空状態の中で一方的に不利な契約の食い物になるという事態が、多くの分野において多発している。たとえば、大きな問題になっている金融サービスの契約がそうで、現状では、知識量では事業者とは比較にならない一般の顧客が、自分が結ぼうとしているサービスの契約内容について、チェックを受け、助言を受ける「すべ」が事実上存在していない。これらのひとたちは、なぜ「FP(ファイナンシャル・プランナー)」にそれを依頼することを考えないのだろうか。あるいは、FP自身はなぜ(これほど問題視されているのに)それを売り物にしない、あるいはできないのか。ファイナンシャル・プランナーは、本来、金融事業者と顧客の間にある圧倒的な情報量の格差を埋め、後者を支援するのが役割の、まさにこういうときこそが出番の業務資格のはずである。現状では、顧客がそれを望んだときに、非弁規制による牽制で手を縛られて踏み込んだ相談にはのりきれない金融専門の助言者か、金融については素人丸出しの法律家のどちらを選ぶか、という選択肢しかないが、これはなんというひどい話であることか。その両方をいっぺんに同一のコンサルタントに依頼したいという顧客の当たり前の願いは、現実に膨大な詐欺被害と、泣き寝入りが発生している中にあって、なんの理由と正義があって無視されなければならないのか。

「操縦する知識も技術もないまま、クルマを運転するようなものだ」──。ある投資ファンドの関係者は、年明け以降、潜在顧客から相談を受ける機会が増えてきたと話す。中には投資知識や経験に乏しい人々もいて「危なっかしい」と肩をすくめる。AIJ投資顧問やMRIインターナショナルが顧客資産を消失する事案が相次いだ。個人投資家が、金融に対する知識や理解を高めて自衛する必要性は、従来より高まっている。足元で活気づく市場環境では「それに乗じる悪徳業者にも警戒する必要がある」(金融庁幹部)という。

AIJやMRIインターナショナルの不正発覚と並行して見えてきたのは、政府の人員不足による監視の限界だ。金融庁や証券取引等監視委員会が受け持つ業者数は規制緩和で増え、足元では7000社程度になっている。

とはいえ、急激な人員増は期待薄だ。このため、当局は人員配置や、検査対象の抽出方法を改良することで「監視の質を落とさず効率を上げる」(金融庁幹部)方策を模索している。ただ、全ての業者をきめ細やかに点検する「ウルトラC」は簡単には見当たらない。

いきおい、規制強化論も浮上する。確かに手段の一つだろうが、過度な規制は健全な市場取引や金融技術の進化を阻害する恐れもある。しかも、規制を強化することで、より状況を悪化させかねない側面もある。ネットワークのグローバル化が進んでいるためだ。

デリバティブ(金融派生商品)取引の途中解約で不当に高額な解約金を支払わされたとして、大阪産業大学(以下、大産大)が野村証券に約12億8000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地方裁判所が野村証券に約2億5000万円の支払いを命じた。判決理由は、勧誘の際に為替レートなどによっては解約料が膨らむケースがあることを、野村証券が十分に説明しなかったという、説明義務違反を認定したものだ。(略)

当時、私立大学が通貨スワップなどのデリバティブ取引などによる資産運用で多額の損失を被るケースはめずらしくなかった。駒澤大学が07年11月にデリバティブ取引の失敗で154億円もの損失を計上、理事長が解任される事態に至ったのは記憶に新しい。米サブプライムローン問題の発覚で急激に円高が進行したことや、それによる株価の下落など、運用環境が悪化したときだっただけに、慶応大学や早稲田大学、明治大学など、大学は軒並み資産運用に失敗。大産大も例外ではなかったというわけだ。


監督機関のやみくもな拡張なしに自由な経済活動と消費者利益を両立する、上記でいう「ウルトラC」にあたるのは、既に民間に育成しているが掣肘されていて生かされていない専門助言者を、消費者の味方役として十分に活用することであるが、これは別に離れ業でも手品でもない、ありふれた基本的な考え方にすぎない。その選択肢が初めから存在しないかのように意識から消去されていることで、(上記記事の「いきおい」という合いの手が端的に示しているとおり)あたかも公的な介入の拡大がやむを得ない必然であるかのように見せかけられ、誘導されているのであり、このすり替えとトリックの構造は、企業間の契約における公正取引委員会労働契約における労働基準監督署で仕組まれていたものと、まったく同じである。

ところで、以上の問題性がとりわけ鮮明に浮かび上がるのは、外国人弁護士の問題を考えた場合である。上の野球の例で、単に交渉人を弁護士に限るだけでなく「日本人」弁護士に限るという、強烈に排外的・差別的な規定を入れているところに、弁護士業界との示し合わせの痕跡が強くうかがえるが(弁護士業界の権益と関係の深い共産党も、この点だけは奇妙に看過している)、仮に交渉人の条件を弁護士以外にも緩和拡大し、メジャーリーグの専業交渉人も許容するように同意がなったとして、今度はそこに日本以外の弁護士資格を持つ代理人が混じっていたらどうするのか。そうなると、外国人弁護士が日本で代理人稼業に進出することになり、日本の弁護士法に抵触するので、その者だけは除外されるのか。ではそのとき、外国人の法律分野の「非」専門家・素人が交渉人になってもいいのに、法律の専門資格まで兼ね備えているような強力な受任者が、選択的に排除されなければいけない理由はなにか。あるいは、そのように(法律の)素人は受け入れて(外国人)弁護士を締め出すのなら、もともとなんの合理的理由で、代理人を(日本人)弁護士に限っていたのか。なにより「法律知識の専門家でない、顧客を食い物にする恐ろしい素人代言屋」という脅しのキャッチフレーズはどこにいってしまったのか。さらには、それではさすがに馬鹿げているということで、そこも容認してしまうのなら、プロスポーツ選手の契約交渉という、もっとも繊細で厳しい法的交渉のひとつで、外国人弁護士が日本で仕事を立派にできるのに、他の多くの分野で、顧客の強い要望にもかかわらず、厳しい参入制限をかけ続けなければいけない理由はなにか。

反対側からみれば、業界団体は、これらの恐ろしい矛盾が表にに吹き出てこられてはまずいので、「日本人」弁護士に限るという不自然な規定でそれを彌縫(びほう)、糊塗していたと考えられる。ここを通過させるとそれが蟻の一穴になって、これまで積み上げてきた砂の城がなしくずしに全部崩れてしまうからである。外国人の市場参入に対して警戒心が強すぎるために、スポーツ選手の労働契約の分野にまでそれが顔を出して、かえってはなはだしい自家撞着に陥り、馬脚を表す結果になっているし、逆に、こんなに簡単に突き崩されるのは、いかにそれが無理な作り物で、根拠薄弱だったかも示している。現実に野球界以外で、はるかに世界に開かれ、グローバルな移籍市場に組み込まれているプロサッカーの契約交渉では、弁護士以外の代理人もふつうに認めているようで、登録者のリストをみると弁護士はわずかしかない。サッカー選手の交渉代理人の仕事に食い込みたい弁護士は、自分の強力な法律知識を売り物にして、競技そのものの評価力や海外とのコネクションをアピールする専業の代理人たちと競争し、選手からの受注を争わなければならないが、これが本来の望ましい姿である(とはいえ、日本のサッカー界が上記の法的な問題をどう整理したのか、あるいはただ無視しているだけなのかは知らない)。雇用契約に関するヘッドハンティング、スカウティングの業界、金融契約に関するコンサルティングの業界も、同じように業務の分断とお見合いが解消され、裾野が広げられなければならない。

そして最後に、またなにより言えることは、雇用契約の交渉代理人は(たとえ法律の専門家でなくても)このようにおおいに役に立つ、頼りになるということである。共産党もいうように、賃金や業績評価の交渉において、そう望んだときに「契約にたけた専門家」の支援を仰ぐのは、労働者にとっての「当然の要求」なのである。「当然」であるからには、それこそ裁判のときに被告が弁護士を立てることを妨げられないのと同様に、誰もそれを妨げることができないということ、すなわち、単に使用者によってそれが妨げられないというにとどまらず、代理人の供給団体である弁護士業界自身も、候補者は日本人に限るとか弁護士に限るとかいった形で、依頼者当人が自分で望んだことを妨げるべきではない、ということである。共産党や弁護士会の主張は、使用者の妨害を言い募るのはいいが、自分たち自身がそれをどれだけ妨げているのかという、この点についての自覚が抜けているのだ。また、依頼者がせっかく弁護士に頼みたいと自分から要望してくれたのに、供給量が足りなすぎて事実上ほとんどの場合でそれがかなえられない、ということも立派に「妨げ」のひとつにあたるし、それどころか、そのもっとも重大なもののひとつである。需要者の需要に対して「欠品」を引き起こすことくらい、供給者にとって責務の放棄になり、恥ずかしいことはないからだ。そして、その供給は、もちろん国費による補填や補助金の積み増しといった、必ず失敗する社会主義的方法ではなく、自由市場における民間みずからの自主的なやり方によって解決されなければならない。

私たち飲食店のあらゆる仕事は、すべてお客様のために行われている。作業の効率化や標準化にサイゼリヤが力を注いできたのも、すべてはお客様にいつも同じ品質の料理を提供し、喜んでいただくためだ。しかし、そうした努力を台無しにしてしまいかねないほど、お客様に迷惑をかけてしまうのが、品切れ・欠品だ。

「あの料理を食べよう」と思ってわざわざ店に来てくださったお客様をこれほどがっかりさせることはない。だから、食材の発注作業はとても重要で、経営者や店長など、その店で一番能力が高い人間が必ず担当し、適切な在庫を確保しなければならない。

しかし一方で、過剰な在庫を持ってしまうとロスが生じて、収益を圧迫する。適正な利益を確保できないというのも中長期で考えれば、お客様に迷惑をかけてしまう。これも避けなければならない。


こここそがこの問題の真の要諦(かなめ)である。それを阻んでいる枷(かせ)、をすべて外さなければいけない。野球界でいえば有力球団のわがままで傍若無人なオーナーみたいなもの、それがすべての労働者にとっての法曹業界の規制、人数規制と業務規制である。





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2013/09/29 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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