通貨を切り下げるとなぜ雇用は良くなるのか

自民党の政権復帰後の、大規模な通貨切り下げ政策がもたらし、それが正当化されるプラスの効果のひとつとして、雇用情勢の好転ということが言われている。

実際には、統計をみれば、リーマン・ショック後の極端な落ち込みからの反動による復旧と、少子高齢化による人手不足の顕在化が、民主党政権時代をはさんで一本調子に続いているだけで、政策効果がどこまでのものであるかは疑問もあるけれども、ひとまず、巷間言われているように、それに一定の効果があったとしておこう。ここで取り上げるのは、それがなぜ起きたのか、というメカニズムについての考察である。

雇用が良くなったというのは、その逆が良いことではなかったから言われるのであるが、それは具体的には、失業者が多い、失業率が高い、ということである。

では、失業はなぜ生じるかといえば、労働契約、雇用契約とは、働き手が自分の労働力を雇用者に売ることであるから、売値、すなわち労働者にとっての賃金が高すぎて売り物の価値と釣り合っておらず買い手が買いたがらないことが、その主要な理由である。そのようなミスマッチが構造的な要因で広範に増えれば、当然失業も増える。

このため、売値を売り物と需給のバランスに合わせたところまで柔軟に下げれば、売れるようになる、すなわち失業が解消する範囲は、はるかに広くなるが、現実の雇用環境では自由にそうできない事情が存在する。

その事情のことを経済学の用語で「賃金の下方硬直性」と呼ぶが、その中身は、いわゆる正規社員(無期雇用)を中心とした雇用保護規制非正規社員(有期雇用)も含めた最低賃金規制である。双方とも行政の介入による規制、もっといえば価格統制であり、前者は、主に正規社員が所属する労働組合に対する法的保護も含む。つまり、「賃金の下方硬直性」とは、実態は、人為的に作られた作為による縛り、ということである。

この「下方硬直性」は、通貨切り下げ政策の有効性を論じる文脈では、必ず強調され、決定打といってもいい要因とされている。

経済学の通常の説明に依ると、デフレの弊害として特に3点を挙げることができる。まず第1点は名目賃金の下方硬直性と関連するものである。需要の減少と物価下落とが進む中で名目賃金が下落しなければ、企業は利潤の減少に対応するために労働者の首を切らざるを得なくなる。名目賃金の硬直性(特に下方硬直性)とデフレとが相伴うことで(実質賃金の高止まりという結果を招くことになり;訳者注)需要の減少によって引き起こされた経済活動の低迷がさらに深刻なものになるのである。

デフレの大きな弊害は、賃金などに下方硬直性(下落しにくい性質)があるために、実質賃金が割高になって、失業が発生することだ。ただ、第2次世界大戦前には、組合運動もそれほど盛んでなかったため、賃金の下方硬直性もあまりなかった。現在ほど失業問題が重要視されていなかったこともあってデフレでも実質経済成長した期間は多い。


通貨切り下げ政策の理路によれば、この下方硬直性に直接対処しようとしても突破がきわめて困難であるため、バイパス的に経済環境全体の通貨価値を中銀が切り下げて、別の経路で強制的に全員の賃下げを行う。すなわちこれによって「実質賃金」が低下し、労働力が売れるところまで売値が下がることから、失業率が改善し、雇用が「良くなる」。

しかしながら、ここまではっきりと書けば、よほどの混乱がない限り理解できると思うが、この「政策」の問題、というよりもっといえば、不正なところは、賃下げのために通貨全体を切り下げることで、無関係な人たちまで広範に巻き込んで道連れにしてしまうことである。切り下げは、すでに釣り合いが取れたかたちで自分で契約している人たちの(実質)賃金まで勝手に下げて目減りさせてしまう。さらに、われわれが使う通貨は、賃金だけのためのものではなく、労働から引退した人たちや子育て中の母親、病気で療養中の人たちなどが、貯金を取り崩して生活したり、国外から国内では調達できない原料や生産品を輸入したりするためのものでもある。こうした、雇用とは関係ない面で、通貨切り下げが甚大な被害を出しているのは、現に見られるとおりであり、しかもこうした横車を、政府権力を使って、断りなく勝手に行う。

急激に進んだ円安が、東日本大震災の被災者が目指す住宅再建に悪影響を及ぼしつつある。復興需要を背景にした輸入資材価格の上昇に拍車を掛け、建物の建設費にも跳ね返りかねないからだ。12月2日公示の衆院選では、安倍政権の経済政策「アベノミクス」が争点の一つとなる。為替変動を招く大きな要因となった政策に、被災地からは恨み節が漏れている。(略)「時間がたてばたつほど物価が上がる。なぜ被災者の負担が増す政策が続くのか」

11年から東京の企業でデザイン関係の仕事をしている男性は、最近給料が大幅に減ったと感じている。月給は約30万円だが、現在の為替レートで計算すると約1万5500元。2年前は2万元以上だっため、実質的に25%前後給料が減った感触を受けている。男性は「上海に両親を置いて日本に働きに来た。消費税率が上がればさらに出費が増える。毎月手元に残るお金はとても少ない。中国に帰って働こうかと考えている」と語った。


政府に課されている最も重要な義務のひとつは、憲法にも明記されているとおり、国民の財産権を侵害しないことであるから、いくら景気がなかなか良くならないのでヤケになったからといって、国民の資産の計算単位自体を人為的に水増しするようなことは、本来は絶対にやってはいけないことである。それは、たとえていえば、暖を取ろうとして一山を丸ごと焼いてしてしまうようなものであり、一街区の火事を消すために街ごと水浸しにして関係ない住民まで寒さに凍えさせるようなものである。

驚くべきことは、このような異様な「政策」を、なにか万能の妙薬のように政府に進言する経済学者がおり、それどころか、国民を騙してそれを実際に採用させることができるくらい優勢な勢力だということだろう。

そして、さらに困惑させられるのは、この人々がしばしば「リベラル」派を自称し、同時に、雇用規制、賃金規制の熱心な支持者でもあるということである。彼らは正社員の保護を正当化し、労働組合の法的保護を擁護し、最低賃金規制も評価して、そのさらなる引き上げを推進する。その結果、国内に失業という隙間が必然的に生じると、今度は一転して、無謀にも通貨全体を切り下げることで、無関係な人たちまで巻き込んで打撃を与えることで、それをなにか大きな成果であるかのように誇っているのである。これ以上に異様な「マッチポンプ」「自作自演」が他にあるだろうか。彼らは解決すると称する問題をあらかじめ仕込んで自分で作っている。彼らが問題を解決するのではなく彼ら自身が解決されるべき問題そのものである。雇用を「恵まれた」人たちにとっても、規制によってそれを取り上げていた張本人の手を通して受け取るのであるから、強盗から盗み金の一部を返してもらったことで涙を流して随喜しているのと同じで、まったくもっていい面の皮であり、気づかないでいられるほど愚かならまだ幸せ、といえるくらいに惨めで、哀れである。

そのような切羽詰まった奇手詭道に頼らずに、賃金それ自身の法的な下方硬直性を外して、需給が均衡するところまで自由に動かせるようにするとしたら、それは良くないことなのだろうか?しかし、失業が解消する、労働が売れる、とは、どの道つまりはそういうことなのであり、通貨切り下げにおいても、それが中心的なメカニズムであることは、はじめに述べたように切り下げ推進派自身も認めている。だとすれば、そうなっていることを気づかせないまま行うという利点のためだけに、無関係な周り全体まで同意なく巻き込んで、多大な副作用を出しながら行うことと、どちらがより良くない治療であるかは、はじめから明らかではないか。

われわれが経済学という名で呼んで、もっぱら税金で食べさせている領域とその所属者たちの主流が、いまだにこんな考えで占められているのは、まことに残念という他ないが、実際には、実利的な意味でも、社会的な承認という意味でも、それ以上のものなのかもしれない。なぜといえば、そうした構えを政治家と選挙民を騙して呑ませることができれば、社会主義計画経済と同じように、あるいはエネルギーにおける原子力行政と同じように、本来は民間経済においてプレーヤーではなく単なる観察者であるに過ぎず、また、それ以外であるべきでもない「学者」が民間の経済活動の王者になり、その基調を決め、すべての演奏者がその指揮棒の先を熱く見つめる全能の指揮者として、馬乗りに君臨できるからである。





関連記事 バブルとカルト フォードの新労使協約が語るもの 市場vs.学者、もしくは原発計算論争


2015/03/28 | TrackBack(0) | 政治経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
FC2 Analyzer
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。