誰かの話に耳を傾けるとき、ぼくは無意識でラベルを貼ってしまうことがある。
たとえば、障害のある人や重い病気を患っている人、家庭環境が複雑な人。彼らを前にしたとき、咄嗟に「可哀想」と思い込んでしまうのだ。彼らがどんなに笑顔を浮かべていたとしても、「背景にはなにか困難があるはずだ」と、その笑顔をそのまま受け止めることができない。
それは「期待」にも似ているかもしれない。困難な生い立ちの人に対して、勝手に可哀想なストーリーを「期待」する。
ライターとして“社会的マイノリティ”の人たちに取材をする機会が多いぼくは、自分のなかに根付いている偏見と常に戦ってきた。思い込みを捨て、その人の言葉をそのまま受け止めたいのに、時折、彼らの「つらいエピソード」を引き出さなければいけないという想いに駆られる。
相手を可哀想だと思うことと寄り添うことは似ているようで、まったく別の話なのに。
どんな生い立ちの人にだって幸せな瞬間はあるし、もちろん哀しい、苦しい瞬間も訪れる。それは誰もがイコールであるはずなのに、どうしたってぼくは特定の属性を持つ人を色眼鏡で見てしまう。
それはときに、暴力性を伴う行為だとも思う。では、どのようにして他者と向き合い、その物語に耳を傾け、伝えていけばいいのだろう。
途方もない問いに対し答えをくれたのは、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんだった。
NPO法人Dialogue for Peopleで副代表を務める安田さん。彼女が写真の世界に飛び込んだのは16歳のとき。国境なき子どもたちの友情レポーターとしてカンボジアへ足を運び、現地で貧困にさらされる子どもたちの現実を取材したそう。
以降、写真の力によって現実を伝える活動を精力的に行い、2011年には東日本大震災が発生した陸前高田市へ。被災地の様子をカメラに収め、その写真は大勢の心を動かした。
そんな安田さんと対話を重ねたのは、NPO法人soarの理事も務める文筆家の鈴木悠平。先日、株式会社閒(あわい)を立ち上げ、文章の力によって誰かと誰かをつなげる活動に邁進している。
写真と文章。近しいようでまったく異なる領域で「誰かの物語を伝える」ことを生業としているふたりは、一体なにを語るのか――。
誰かから受け取った“バトン”を受け渡していく
鈴木:今日は、安田さんのようなジャーナリストやぼくみたいな文筆家が「自分ではない誰かの話を聞いて、届ける」という行為がどんな意義を持ちうるのか。他者の声を、文章やメディアを通して発信するぼくらの役割について考えていきたいと思います。
安田:最近は新型コロナウイルス感染症の影響もあってなかなか遠出しづらくなっていますけど、基本的に私たちは物理的に離れている人の元まで足を運び、彼らの声を持ち帰ってきますよね。
でも、いまはSNSもあるし、やろうと思えば当事者が発信できる。だから、「どうしてわざわざ現地まで行って、他者のことを持ち帰ろうとするんだ」って訊かれることがあるんです。
鈴木:そこでどう答えますか?
安田:これまで当事者にだけ背負わせていた荷物を、私たちにわけてほしいから、と答えています。
遠く離れたところにいる人たちのことを、どんな声が日本社会に伝わっていないのかを踏まえた上で取材し、持ち帰ることによって、それまで「他人事」だった問題が、ようやく肌感覚で受け止められるようになると思っているんです。
だから、いくらSNSが発達したとしても、取材し届けるという行為は必要なものだと思います。
鈴木:soarでさまざまな方のインタビューをしてきて、とても印象に残っているのが心臓病で生死を左右する心臓手術を受けた加藤徹生さんとの対話です。
じっくりお話を伺うなかで、「やっとバトンを渡せた気がする」と言われたんですよ。彼は大切な友人を亡くす経験をされているんですが、そのとき「亡くなった友人から、バトンを受け取った」と思われたそうで。そして今度は、インタビュアーであるぼくにその友人の話をすることで、バトンを渡した、と。
「聴く人」という他者が介在することの意味は、そういう部分にあるのかもしれません。
安田:そもそも「当事者」という言葉の使い方も難しい。ここで私たちが話しているのはきっと狭義での当事者、つまり「なんらかの体験をした当事者」ということかなと思います。そしていまのお話でいうと、バトンを受け渡していくことは、当事者だけに問題を背負わせないことにつながりますよね。
たとえば、沖縄戦を体験した方や原爆の被害を受けた方とお話をすると、心のかさぶたを何度も剥がすような体験を彼らにさせてしまうわけです。そこで私が意識していているのは、「もう忘れてしまっても大丈夫です」「つらい記憶を反芻しなくてもいいくらい、私たちが代わりにバトンを受け取ったので安心してください」と伝えられるくらい取材をすること。
「人生や記憶を継承していく」というと大仰になってしまうけれど、その人の肩にのしかかったものをわけてもらう、というのが私たちジャーナリストや文筆家の役割なのかもしれませんね。
他者の物語のなかに、自分との共通点を探る
鈴木:ただ、やはり誰かのお話を聞いて、写真や文章として編集して届けていくという行為は非常に危うい、まるで繊細な綱渡りのような行為だとも思うんです。安田さんが経験された、「陸前高田市の一本松のエピソード」もそうですよね。
安田さんが被災地で撮影した瓦礫のなかで真っ直ぐに立ち続ける松の写真は、押し寄せる津波に耐え抜いた「希望の松」と名付けられ、新聞紙面を飾りました。それはまさに希望の象徴だった。
でも、それを見た安田さんの義理のお父さんからは「見ていてつらくなる」という言葉を投げかけられてしまった。こちらが良かれと思って伝えたものが、誰かを傷つけるような結果になる可能性はゼロではないんですよね。
安田:そうですね。あの一本松の写真を見たとき、義父は「自分にとって、この一本松は津波の威力を象徴するものでしかなくて、見ていてつらい」と打ち明けてくれて。でも一方で、「あの一本松は希望だ、心の支えだ」と思ってくださる方も大勢いる。だから、義父の言葉が街の人の総意ではないわけです。
義父は亡くなるまで「自分は希望が持てないダメな人間だ」とか「復興に携われないから、ダメなんだ」と繰り返していたんです。希望を持てないということで、自分自身を全否定していた。
それを踏まえると、「希望」のように大きくなりがちな声だけを届けていくのではなく、義父のように置き去りにされがちな声を少しだけわけてもらって、それを届けていくということに軸足を置いてみると、自ずとどんなことを発信すればいいのか見えていくのかな、と思います。
鈴木:きっと二分法の方が楽なんですよね。希望と絶望、男性と女性、障害者と健常者。でも、そこに回収してしまうと、間にある複雑多様なものを見落としてしまう。だから、間にある葛藤のようなものに目を向けて、自分との共通点も探ってみるというか…。
当事者と取材者とは違う人間なんだけれども、もしかしたら意外な共通点があるかもしれないということを念頭に置きつつ、関わっていく。
安田:問題が複雑だと、「どこから考えればいいのかわからない」「面倒だから関わりたくない」となってしまいがちだけど、そんな風には思ってほしくない。だからこそ、いろんな写真や言葉に置き換えて届けていく作業が必要なんです。
鈴木:まさにそれが「バトンを受け取り、橋渡しをしていく」ということなのかもしれませんね。
安田:写真や文章で届けた声を受け取った人が、その後、それについて対話したり関わっていったりする。その前後も含めて、私たちのようになにかを伝える仕事をしている人たちにできることはたくさんあると思います。
心に種を蒔くように、ロングスパンで伝えていく
安田:そこで考えたいのが、「伝える仕事は、ロングスパンである」ということ。「すぐに社会を変えたい」「すぐに環境を整えたい」という気持ちはわかるんですが、社会はなかなか変わっていかない。もちろん、インターネットで記事が広まって大きな反響をいただくこともありますけど、どうしても焦ってしまうことがありますよね。
鈴木:わかります。そんな焦りとどう向き合っているんですか?
安田:幸いなことに、中学校や高校で講演をする機会をいただくことが時々あるんです。すると、講演の5年後くらいに、「あのとき、実は安田さんの講演を聞いていたんです」という方が写真展に足を運んでくれたり、イベントに遊びに来てくれたりする。
そして、なかには、「あのときの講演を聞いて、この春から新聞社に就職をするんです」とか、「メディアという伝える仕事では不十分な気がしていて、この春から医学部に進学するんです」とか報告してくれる人もいて。
そういう声をいただくと、私の活動を通じて、いろんな人の心に種を蒔くことができたのかな、と思うんです。それが育って、花開くペースは人それぞれですけど、そもそも種が蒔かれなかったら芽吹くこともないわけで。焦らずに長く続けることにはそういう意義があるのだと実感しましたね。
鈴木:ぼくも同じような経験があります。大学卒業から随分経ちますけど、記事を読んでくれた人から約10年ぶりに連絡をもらうことがあったりとか。その本人や家族が病気になってしまったタイミングで、それについて書いているぼくの記事を読んでくれたみたいで、参考になったと。すごくうれしいことです。
安田:「芽を出せ!」って狙っていないからこそ、ゆっくりと広がっていくのかもしれない。
鈴木:そのように「ロングスパンで考えること」を意識するのと同時に、記事を書くときには、「インタビュイーを単純化しない」ように心がけています。たとえば、障害や病気の診断名だけでは説明できないことがたくさんあります。
一人ひとり多面的な部分を持っていますし、当事者のなかでも葛藤しているというか、ちょっと考えあぐねてうまく話せないことだってある。そこもうまく表現したいんです。
もちろん、どうしても切り取ってしまう部分はありますけど、可能な限り複雑さや多面性を残したいと思う。
安田:複雑さや多面性といった視点では、文章と比較すると、写真の切り取り性の方が高いと思うんです。ひとつの写真に入れ込める情報量は限られていますし、逆に入れ込み過ぎてしまうと雑多になってしまう。すると、この写真がなにを伝えたいのかわからない状態になるんです。
だから、写真で全てを伝えようとするのではなく、「これってなんだろう?」「なにが写っているんだろう?」と、見た人の「知りたい」という最初の扉を開くものにしたいなって。それだけでは伝わらないから、その扉を開いてくださった後には、さらに丁寧に伝える作業が必要。
その役目を担うのは、もしかしたら文章のようにもっと情報量が多い媒体なのかもしれませんね。鈴木さんは、文章をどう捉えていますか?
鈴木:文章というのは、速さのメディアではないと思っています。古典文学がいまでもずっと読まれているように、長い時間を経ても届くものがある。しかも、読んだ人の数だけ受け止め方も解釈も異なりますし。
でも、やはり写真のようにパッと目を引く力は弱いので、その入り口になるのはビジュアルだと思います。一枚の写真が入り口になって、そこで興味を持ってくれる人が10人いたとしたら、10人それぞれが読み進めていくなかで、自分との接点や気になることを見つけてくれる文章が書けたらいいな、と思っているんです。
取材をする側もセルフケアが大事
鈴木:取材する側としては、やはりもっと慎重にならなければいけないと思います。悲劇であれ希望であれ、ぼくらがどちらかのストーリーを過剰に期待して、誘導するのは良くないこと。まずは相手に敬意を表明し、「あなたのことが知りたいんです」と話を進めていかなければいけない。
最初から悲劇的な報道をしようと狙ったり、逆に「生き生きした姿を見せてください」と強要したりするのは、すごく暴力的だと感じます。だから、取材する側がいかにバイアスを持っているのか、相手になにかを投影していないか、に自覚的になって、なるべくフラットな状態で関わろうとするのが大事かな、と。
安田:取材するときって、いろいろとリサーチをしますよね。もちろん、それはとても大事なことです。でも、ともすれば取材者として下調べをした情報に囚われすぎてしまい、まっさらな状態で相手を見られなくなることもあります。だからこそ、フラットな意識を持つことが大切なんだけど、なにか心がけていることってありますか?
鈴木:何よりも、自分がいい状態でいることが大切だと思っています。たとえばシンプルなことなんですけど、前日はなるべく早く寝るようにしたり。体調が万全でなくて身体が強張っていると、相手にも伝わってしまって、結果的に影響を及ぼすと思うんです。
安田:なるほど。確かにセルフケアは大切ですね。
鈴木:そうそう。フラットで素直な目線を持つためには、まず健やかでいなければいけないと思います。
安田:でも、取材者のセルフケアって、ときに「自己責任」で片付けられてしまいがちに思います。たとえば、災害の直後などに現地に行って、そこで目の当たりにした方たちの現状に共感すればするほど、疲弊もしてしまうんです。でも、そのときに言われてしまうのが、「自分の責任で行ったのならば、自分でなんとかしなさい」という言葉。
その言葉をぶつけられるのは私たちみたいなメディアの人間かもしれないし、NPOやボランティアなどの支援者かもしれない。いずれにしても、当事者をなにかしらの方法で支えようとする人たちが疲弊してしまったときに、それを自己責任にしてほしくない。セルフケアと同時に、支える人を支える、という考え方も必要だと思います。
医療や人道援助を行っている国際NGOの「国境なき医師団」は、そういった支援者のケアにすごく力を入れていると聞きます。紛争地に派遣された看護師たちで、自覚症状がない場合にも、カウンセリングをしてみたら実はトラウマを抱えていたっていうお話も伺いました。そういうお話を聞くと、あらためてケアの重要性を感じますよね。
人と比べて我慢する必要なんてない
鈴木:ぼくは小学一年生の頃に阪神淡路大震災を体験しているんです。幸いなことに家も家族も無事で、友人家族が我が家に避難してきて、一時的に15人くらいで共同生活を送っていました。
そんな体験をしたこともあって、大学を卒業した直後、23、24歳の頃に東日本大震災の復興支援で東北に渡ったんです。そこで被災者の方々に言われたのが、「あなたも阪神大震災で大変だったんですね」という言葉。でも、当時は「そんなことない」って自分自身に言い聞かせていたんです。
安田:どうしてですか?
鈴木:ぼくは小学生だったから、実際に大変だったのは両親だと思うんです。子どものぼくは別に傷ついてもいなかったし、その体験を過剰に同一視して東北に向かったわけでもない。第一、そんなの東北の人たちに失礼だとも思っていました。だから、心配されても「いやいや、自分なんか大したことないですよ」なんて笑って誤魔化して。
ただ、その後、しばらく時間が経ったときに出会った人から、「あなたも被災して、傷ついていたと思うよ」と言われたんです。そうしたらもう20年くらい昔のことなのに、ぶわーっと記憶がよみがえってきて、ぼくはぼくで傷ついていたんだ、と理解できて。同時に、傷ついた人を目の前にしたときに、自分とその人とを比べて我慢する必要なんてないことにも気づきました。
安田:東日本大震災のときはそれが顕著だったと思います。「自分は家が流されていないから」とか、「うちは家族がみんな無事だったから」と言いながら、みんな我慢するんです。「あの人たちの方が大変だと思う」って。
鈴木:ぼくも遠慮していましたから、その方たちの気持ちはわかります。きっと医療や福祉に携わる方や支援者は尚更そうだと思うんです。
それは日常的にも起こりますよね。たとえば、コンディションがよくない利用者の方にちょっと強い言葉を浴びせられても、「この人たちには障害があるんだから、私が耐えなければいけない」と、自責的になってしまう。真面目に、一生懸命向き合おうとするあまり、自分自身のケアを置き去りにしてしまうということは、珍しくないと思います。
安田:でも、人と比べて我慢する必要はないんです。自分にとってその体験はどうだったのか、が大事。ベクトルをもっと自分に向けていいと思う。
鈴木:そうですね。自分自身のことを大事にして、過剰に第三者に自分の願いや気持ちを投影したり、同一視したりしない。それはきっと両立可能なんだと思います。
同時に、そういった支援に携われなかった人たちのなかには、「申し訳なさ」を感じる人もいます。東日本大震災が起きたときも、「自分は仕事で精一杯で、なにもできなかった」という声をよく聞いていて。震災に限らず、社会的なイシューで同世代が活動しているのを見て、そこに関わっていないことに対して申し訳ないと思ってしまう人がいる。
でも、大きな社会問題が注目されているときに、それとは別で自分自身がしんどい瞬間ってあると思うんです。ぼくはそれを大事にしてほしいと思う。元気になったときに、それでも気になるなら関わればいいだけで、無理をする必要はない。
安田:後ろめたさを覚える人たちからは、「そういう活動に対し、募金をするだけでもいいんでしょうか」といった声も寄せられます。彼らは「社会活動に募金しかできない自分」がもどかしいんですよね。でも、それでいいんです。むしろ、それだってすごい力になっていますよ。それぞれに役割があるんだから、そこに優劣なんて存在しないんです。
ときには情報から離れ、休んだっていい
鈴木:安田さんがこれまで発信してきたことで印象に残っているのは、「過労死したお兄さんへの手紙」についての記事です。記事には、安田さんが中学生の頃、13歳離れたお兄さんが、仕事の過労が原因で亡くなったことが書かれていました。
なかでも特に忘れられないのが、「お兄さんの死がなかったら、私はフォトジャーナリストの仕事をしていなかったかもしれない。でも、決してお兄さんが亡くなったおかげで、とはしたくない」という語りの部分。
安田:兄の死を美談として回収したくない、という想いが強いんだと思います。兄は居酒屋の店長をしていて、過労の末に亡くなりました。それがなかったら私は「家族とはなにか」という答えを求めてカンボジアに行っていなかっただろうし、いまの仕事にも就いていないと思います。
そういう意味では、死者に生かされていまがあるという自覚を持っているんですが、それでも「おかげで」という言葉はすごく乱暴だと思っていて。
東北を取材していても、お子さんを亡くしたご遺族の方たちが「せめて教訓にしなければいけない」って言うんです。決して「教訓」のためにお子さんを生んだわけじゃないけれど、「せめて教訓にしたい」って。それが兄のことと重なって、自分のなかに落とし込まれていく感覚を覚えました。
いまを生きている自分になにができるのかを考えたら、死者のことを“せめて”教訓にしなければいけない。さまざまなメディアで労働問題や自己責任論、自死問題について扱われているなかで、きっと私は兄の死がなくてもそれらの問題提起をしていたと思うけれど、やはり兄の死は非常に大きな意味を持っています。
鈴木:物語の力って本当に不思議ですよね。ぼくにとっての阪神淡路大震災や安田さんにとってのお兄さんの死を、自分なりに受け止めて解釈して、意味付けしていくことで、自分自身の生が変わってくる。
ただ、振り返ってみればそれらの出来事が大きな意味を持っていたという話と、大変な経験をした人に対して「それを生かして頑張ろう」と言ってしまうのとでは意味が異なります。当事者からの「せめて教訓にしなければ」という言葉にはいろんな感情が込められていると思うんです。
いろんな葛藤や多面性を無視して、当事者を物語として安易に利用するのは間違っていますよね。
安田:安易な「物語化」が当事者たちを必要以上に頑張らせてしまうことにもつながりますからね。
それと、無理をしてまで受け止めてしまわないようにすることも大事。今年、著名人の自殺報道が相次いでいますよね。真剣に事実を受け止めようとすればするほど、そういった情報を追ってしまう。でも、ときには離れていい。ショックな出来事から距離を置いて、まずは自分自身の心を大切にしてもらいたい。
鈴木:確かに。真っ直ぐに受け止めすぎるのはつらいですよね。
安田:多分、「休んでいいんだよ」というメッセージが足りていないんだと思います。なにか問題が起きると、「頑張ろう」「立ち上がろう」という根性論にも似たメッセージが氾濫してしまうけれど、それとは対極にある「休んでいいんだよ」というメッセージが少ない。それを伝えていきたいですね。
自覚的になれば、ラベルは破れていく
なんらかの体験の当事者となった人の「物語」に耳を傾けるという行為は、「バトンを受け取る」という行為である。安田さんと鈴木さんの言葉がいつまでも耳に残っていた。
バトンを受け取るということは、当事者と聞き手との間に横たわる境界線を打ち消すことにも似ている。バトンを受け取った瞬間、聞き手は「他人」ではいられなくなる。当事者の体験を「語り」によって追体験するからだ。それはつまり、誰かの物語を「自分事」として受け止めることにもつながるのではないだろうか。
他者を「可哀想」と勝手にジャッジしてしまうとき、そこには「自分は彼らとは違う」という残酷な境界線が生じている。だとすれば、他者の話を自分事として受け止められるようになれば、彼らを色眼鏡で見てしまうこともなくなっていくはずだ。
一方で、ぼくにはもうひとつの疑問が残っていた。それは、自分が「当事者」になってしまったときのことだ。両親が障害者であるぼくには、自分の体験を当事者として語る機会がたびたびある。そのとき、ぼくはしばしば、聞き手が求めている「物語」に自分自身を当てはめてしまうことがあった。
求められるがまま応じて、過剰に「可哀想な自分」を語ろうとしてしまうのだ。きっとそれは、なんらかの当事者になったことがある人ならば、身に覚えのある人も多いのではないだろうか。
すると、安田さんに声をかけられた。消化不良みたいな顔をしているぼくが気になったのだろう。率直に疑問を口にする。他者からラベルを貼られてしまう人はどうすればいいんですか――。
安田:他者からラベルを貼られてしまうことに自覚的であれば、きっと大丈夫です。自覚できていると、そのラベルにどういう角度で抗いたいのか、その起点ができているはず。試行錯誤していけば、やがて破れる日が来ると思います。
父は在日コリアンで、私は母子家庭で育ちました。そんななかで、「あなたが成功したとしても、さすが在日コリアンだね、母子家庭だね、とは誰も言わない。でも、なにか失敗したときには、やっぱり在日の子だから、母子家庭の子だからとは言われてしまう。だから、気をつけなさい」と言われたことがあって。
でも、最後の一文は違うと思うんです。その疑問に自覚的だったからこそ、私はこれまで活動してこられた。だから、まずは違和感を自覚する、ということが始まりなんだと思います。
なるほど。安田さんの言葉に、まるで憑き物が落ちるような気がした。
いつだってぼくらは、他者に限らず、自分自身に対しても思い込みという名のラベルを貼ってしまう。それを剥がすために必要なのは、まずは自覚的であること、なのかもしれない。
自分を含め、誰の前に立っても、フラットでいたい。
そう願うぼくにとって、安田さんと鈴木さんの言葉の数々が指針になる気がした。
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(編集/工藤瑞穂、写真/加藤甫、企画・進行/木村和博、協力/佐藤みちたけ)