【写真】笑顔のいえいりさんとライターのすずき

家庭、学校、企業、コミュニティ、インターネット…それぞれの場所で、それぞれに求められる役割を演じながら、どうにかこうにか僕たちは生きている。

周囲から求められる役割が、自分自身のやりたいことや好きなことと合致していれば幸福だ。もちろん人生そんなことばかりではないが、面倒くさいことやつまらないことも、自分に余力があれば多少は我慢してやり過ごせる。最初はしんどかったが、やっていくうちに慣れてきたり、楽しくなってきたりすることも、時にはあるだろう。

でもやっぱり、「どうしても無理」ってことはある。やっていることに意味が見いだせない。周囲の人と価値観が合わない。安心・安全を脅かされるような仕打ちを受ける。理由は人や状況によってさまざまだろうけれど、とにかく噛み合わない、フィットしないということは、ある。

逃げずに踏みとどまってこそできることがある。

頑張れば君もきっと乗り越えられる。

環境に適応できた人、今のところ適応できている人、「自分は乗り越えた」と認識している人たちはそう言う。きっと多くは善意から、激励の意味を込めて。

でも、いくらそんなことを言われたって、自分の「居場所」だと感じられない場にいつづけるのは辛い。がんばってその場に留まれば留まるほど、どんどんエネルギーが削られていく。

行きたくない。逃げたい。自分の内側から悲鳴のような感情が膨らんで破裂しそうになる。

逃げていい。

そんなときに遠くから聞こえてくる呼び声。

病むぐらいなら、死ぬぐらいなら、とにかくそこから逃げて自分を守れ。あなたの居場所はきっと他にある。

ギリギリの状態にいる人間にとって、「逃げる」ことを肯定してくれる呼びかけは、暗闇に差し込む一筋の光明だ。実際、救われた人もたくさんいるだろう。

耐えること、立ち向かうことを求める声の方がまだまだ大きい世の中で、「逃げろ」の呼びかけが少しずつ増えてきていることは、まずは良いことなのだと思う。

だけど、時折ふと考える。

逃げた「その後」の人生のことを。

多くの場合、それは十分に語られない。

逃げて、逃げて、生き延びた人の、その後

逃げることについて、そんなふうにぼんやりと思考を巡らせていたときに、「話を聞きたい」と思った人がいる。

家入一真さん。

【写真】微笑んで立っているいえいりさん

クラウドファンディングサービスを運営する株式会社CAMPFIREの代表取締役であり、スタートアップ起業を支援する投資家でもある。これまでも数々のインターネットサービスや飲食店事業を立ち上げてきた「連続起業家」だ。2014年に東京都知事選に出馬したのを覚えている人もいるだろうか。

そんな彼のプロフィールだけを見ると想像もつかないかもしれないが、家入さんはこれまでに何度も、「逃げる」経験を重ねてきている。

中学2年にいじめをきっかけとしてひきこもりに。その後、新聞奨学生として配達をしながら芸大予備校に通うも、家庭の事情で断念。

何度か就職・転職をするも、いずれも長続きせず、やむを得ずの手段として「起業」に至る。起業後も、経営や人間関係など数々の困難により、また逃げる…。

タイトルそのままずばり『我が逃走』という本も出しているぐらい、日本トップランカーの”逃げ歴”保持者だ。

そんな家入さんはしかし、自分が逃げるだけでなく、生きづらさを抱える人たちの「逃げ場」をつくろうとしてきた人でもある。

10年以上前、不登校・ひきこもり経験から起業に至るまでの日々を描いた初の単著『こんな僕でも社長になれた』を出した当時から「逃げることは、悪いことじゃない」「前に進めなくて立ち止まるぐらいなら全力で逃げろ」と、逃げることを肯定するメッセージを発し続けてきた。

また、誰でもいつでも訪ねて過ごすことができる、現代の駆け込み寺「リバ邸」というシェアハウスを立ち上げ、全国にそのネットワークを広げてきた。

【写真】CAMPFIREのオフィスの壁には「KINDNESS人に優しく。」と書かれている

それから年月が経ち、今では家入さん以外にも「逃げていい」というメッセージを発する人は増えてきたし、学校や職場で生きづらさがある人たちの逃げ場となるような、さまざまな居場所やサービスも生まれてきている。

そんな世の中の変化とは対照的に、家入さんは、最近あまり「逃げろ」と強く呼びかけることがなくなった。

逃げて、逃げて、生き延びた人が、「逃げる」ことを語らなくなった。家入さんの内面にどんな変化があったんだろう。今の世の中をどう見ているんだろう。

逃げ続けた人の「その後」を知りたい。そう思って彼に声をかけた。

【写真】インタビューに答えるいえいりさんとライターのすずき

僕にとって「逃げる」ことは防衛本能だった

鈴木:今日はよろしくお願いします。

家入:よろしくお願いします。

鈴木:家入さんは以前からsoarのことを応援してくださっていて、一緒にイベントに登壇したこともありました。何度か飲みに行ったりもしましたが、こうやって昼間に改まった話をするのは、はじめてですね。

家入:そういえばそうだ…なんか緊張しますね(笑)。

鈴木:ほんとですね(笑)。まぁ、言葉の浮かぶままに一緒に語っていければと思います。今日は、「逃げる」ことについて、それから「逃げる」ことを取り巻くいろんな言説について、家入さんがどう考えているのかお聞きしたくて。

家入:僕が人生において最初に「逃げた」のは、中学2年生の時ですね。いじめをきっかけにひきこもりになっていたところを、親に学校に連れて行かれるんですが、そこから逃げ帰っちゃうんですよ。

親に学校の門まで連れていかれて、しかも僕が中に入るまで見張られているので、とりあえず親が安心して帰るまでは素直に入ったふりをする。それで親が帰ったのを確かめたら逃げる…というのをずっと繰り返していて。今思うとそこまで嫌だったのかは分からないけど、当時の僕は僕でしんどかったんだと思います。必死だったんだろうなと。

鈴木:最初に逃げたのは、学校から。でも、学校から逃げたというより、「学校に行かせようとする力」から逃げようとしていたような…。

家入:「逃げる」というのは、ある種の防衛本能の発現なんだろうなと僕は思っていて。よくたとえ話で出すんですけど、ウサギとライオンみたいなものですね。

鈴木:ウサギとライオン。

家入:生きていたら、自分では太刀打ちできない理不尽で強大な力にぶち当たることってありますよね。いじめもそうですし、他にも震災とか…そういう強大な存在をライオンにたとえたら、僕たちはウサギみたいなものじゃないですか。

で、実際に動物のウサギであれば長い耳で危険を察知して逃げることもできるのに、なぜか人間の場合は「ライオンと戦え!」みたいな風潮になってしまうことが多いと思うんですよ。

鈴木:あぁ、確かに。

家入:もちろん時には、立ち向かわないといけない時もあるんだろうけど、ほとんどの場合、ライオンと戦って勝てるわけないんですよね。だったら、まずは自分を守るために逃げて、逃げて逃げて行き着いたところで体制を整えて、それからようやく「じゃあ次どうするか?」と考える方がいいと思うんですよね。

鈴木:理不尽な危険から自分の身を守り、「生き延びる」ために逃げる。

家入:振り返ってみると、あの時の僕はそんな感じだったと思います。だけど、逃げることに全くためらいがなかったかというと、全然そうではなかったです。僕は長男でしたし、やっぱり親から期待されていると思っていた部分もあったので。

中2で学校に行けなくなった時点で、「中学出て、高校行って、大学行って、就職する」っていう、将来に対する親の望みを僕はもう叶えてあげられないんだと絶望したことを覚えています。当時は、「もう人生終わった」ぐらいに思っていました。死ぬか、誰も僕のことを知らない場所に行って人知れず生きていくか、そのどちらかだと思うぐらい悩んでいたので…

【写真】質問に丁寧に答えるいえいりさん

鈴木:そうだったんですね…。本人や周囲の価値観、環境の影響もあると思いますけど、「逃げる」ことって実は簡単じゃないというか、すごくエネルギーがいる。

家入:僕の場合は、なんだかんだ根が楽観的な性格だったのと、親も受け入れてくれたので逃げることができたけど、もし性格が違って「学校は絶対行かなきゃいけないところなんだ」と思い込んでいたり、もっと強制的に学校に連れていかれたりしていたら、どこかで心が折れていたかもしれない。

「親が諦めてくれたから救われた」そう思っていたけれど

鈴木:ひきこもり時代のことについて、本の中ではご家族とのやり取りも詳しく書かれていました。ご両親も最初は学校に連れて行こうとしていたわけですが、家入さんの様子をみて、途中から無理に言うことはやめられたんですよね。それがひとつ救いになったのかなと思いますが。

家入:そうですね。僕も今まで20年間ずっと「僕は親が諦めてくれたから救われたんです」って話してきてたんですよ。不登校、ひきこもりになった僕のことを「こいつはもう無理だ」と親父が諦めてくれたから助かったと、ずっとそういう認識で生きてきました。でも、実際親父はどう思っていたのか、直接聞いたことってなかったんですよね。

先日、親父と改めてちゃんと話したいと思って福岡に帰ったんです。あの頃は激動で、お互いそのまま触れずにいてしまっていたので。

初めて親父とサシで飲みながら色々話して…そのときに聞いてみたんです。

あの頃の話を僕も色々な所でしているし、事実関係が違うかもしれないし、親としてどう思っているかも聞きたいんだよね。

そしたら親父は、こう答えました。

お前の話を色々な本とかメディアで見聞きして、これは事実と違うなってこととか、時間軸がずれてるなっていうことはあるけど、それはお前の認識としてそうなっているんだから別にいいんだ。

ただ、ひとつだけ言わせて欲しい。

お前は「親が諦めてくれて良かった」って言ってるけど、諦めたことなんか一度もない。どこに子供のことで諦める親がいるか。俺は一度もお前のことを諦めたことはないぞ。駅のホームでお前が一歩も動けなくなった時、これ以上無理やり学校に行かせようとすると、きっと良くないことになってしまうと思ったから、学校に行けというのはそこで辞めた。だけどそれは、学校に行かせるのを辞めたというだけで、お前のことを諦めたつもりはない。

って。

【写真】インタビューに答えるいえいりさん

鈴木:おぉ…

家入:20年経ってはじめて、親父がそんなふうに思っていたと知って。なるほどいい話だなぁと思いましたね(笑)。

鈴木:いい話(笑)。

家入:今までは「生き延びるために逃げる」という気持ちで、色々逃げながらも何とかやってきたんだけど、やっぱり逃げ続けた結果、本当は向き合わなきゃいけなかったものをいっぱい置いてきていたんですよね。

今は、それらと向き合っていくフェーズなのかなと思っています。「あえて対話せずに来たもの」「あえて向き合わずに来たもの」から逃げることを一旦やめてるという感じはあるかもしれないです。

何かを強く言うのは、とても難しい

鈴木:親やパートナーなどの親密な相手とどう向き合うか。近しいからこそ、なぁなぁにして逃げることもできるんだけども、そこで「カミングアウト」すると、居心地が悪いかもしれないけど、向き合うことではじめて見えてくるものもありますよね。僕も振り返るとそういうことが何度か…。

家入さんにとって、逃げることがメインになっていた時期と、今みたいに向き合おうとしている時期は、何が違うんでしょうか?

【写真】真剣な表情でインタビューに答えるいえいりさん

家入:もちろん、僕の中である程度色々なことが落ち着いてきたっていうのもあると思います。でも理由はたぶんそれだけじゃなくって…「逃げろ」も含めて、不特定多数に向けて何かを強く言うことがすごく難しくなっちゃったんですよ。

起業して本を出した頃からずっと「死ぬぐらいなら逃げろ」とか、「病むぐらいなら逃げろ」と言い続けてきましたし、ここ数年はそういう選択肢が認められきたというか、「逃げていいんだ」というのを僕以外にも色々な人が言うようになりました。

時にはそういう、強い言葉や極端なポジションをとって発信することが誰かの後押しになったり、救いになったりすることってあると思うんです。実際、僕も逃げることで救われた一人です。でも、救われる人がいる一方で、傷つく人もいるかもしれないわけですよね。

鈴木:あぁ、それは…。

家入:それを特に強く感じたのは2014年に都知事選に出馬したときです。たくさんの方が善意でボランティアに集まってくださって、それはすごくありがたかった。でも、思いが強いゆえに極端な物言いをする人たちと、それに賛同する人たちの集まりも一部でできてしまっていた。一対一で話すと、その人の思い、伝えたいこと、その人たちなりの正義があることも理解できるのですが、正義が強いがゆえに、戦う敵を見誤ってしまうこともある。

色々なことが二極化していく様子を見て、僕は何か一つのことを強くいうことができなくなってしまいました。

鈴木:一人ひとりは”善意”で集まっているのに分断が起きてしまう。選挙という非日常の空間だからこそ、より先鋭化してしまったのかもしれませんね…。

家入:そういう経験があったからか、「逃げる」ということに関しても、一面だけを強調した強い言葉を発するのが難しくなったんです。「とにかく逃げろ!」っていうことを言うと、色々な問いが返ってくる。

もちろん反論は承知の上で、それでも生き延びるために「逃げろ」って言い続けるというスタンスもあると思いますし、これまでの僕の態度もそうでした。

だけど…今は本当に僕は「逃げろ」って言っていいんだっけ?と。明確な答えはないけれど、少なくとも僕自身は今、そういうことを声高に主張する時期ではないのかなと思っていて。僕が今まで逃げてきた中で置いてきぼりにしてきたものを、一個一個拾い上げる作業をしている感覚です。

自分が発した言葉の「結果」を引き受ける

鈴木:置いてきぼりにしてきたものを、一個一個拾い上げる…いい言葉ですね。なんだか、考えや行動の変化とともに、家入さんの語り口そのものも変わってきたなぁと感じます。

家入:そうなんですよね。昔の発言をたまにTwitterで掘り起こされることがあって、自分でも今見て違和感があります(笑)。何かを発信することに伴う責任を、当時は考えられていなかったんだな。

鈴木:発信することの責任。

家入:僕の人生に再現性なんてないのに、変に希望を抱かせてしまうような発信は、よくないんじゃないかと思うようになったんです。「家入さんのところに行けば、僕も救われるんじゃないか」とか「何か一緒に仕事ができるかもしれない」とか、いろんな希望を持って連絡をくれた子たちに対して、僕が応えられることはほんの少ししかないんですよね。

かつての自分が、発信したことによる「結果」まで背負う覚悟を持てていたかというと、十分ではなかったんだろうな、と。

【写真】質問をするライターのすずき

鈴木:ああ、なるほど…。僕も、文章を書くときに同じようなことを考えます。言葉は発した瞬間、自分だけのものではなくなるから、受け手に対する想像力をめぐらせる必要があるし、その上で起きた結果は引き受けなきゃいけない。

物事の一面だけを強調して煽るような言葉の方が飛距離は伸びるかもしれないけど、こまかなものを削ぎ落とすことで誰かを傷つけるリスクが高くなったり、お互いの期待にギャップが生まれやすくなったり…その結果は自分に返ってくるんですよね。

家入:数年前に乙武洋匡さんとお話したときに、彼が言っていた「弱者の強者」という言葉が、僕の中にずっと残っていて。弱さや生きづらさを抱えてきた当事者が、同じような境遇にある人たちのために何かしたいと思って活動や発信を続けていくと、やればやるほど自分が「強者」に見られてしまって距離が開いてしまうというジレンマ。

僕もたしかに、たくさん逃げてきたけど、結局ここまで生き延びてこられた理由は、逃げてきたこと”だけ”ではないはずなんですよね。なんだかんだ自分の中にも、弱い側面だけでなく、いわゆるマッチョな側面というか…強くあろうとしたり、厳しく成果を求めたりすることはありますし。

鈴木:「強い」も「弱い」もすごく相対的なものだし、同じ人間の中にも色んな側面があって…考え出すとなかなか簡単に語れなくなっちゃいますよね。

家入:そうなんですよ。でもそうやって悩んでいる間は「語りえぬことは語るべきではない」という原則に立ち戻り、無理に語ろうとしないようにしています。

【写真】質問に丁寧に答えるいえいりさん

鈴木:インターネットに接続すれば、いつでも、どこでも、誰でも発信できる。自分の意見を語ることができる。そういう時代だからこそ、「語らない」という選択が大事になってくるのかもしれませんね。

それでも、夢を応援する

鈴木:これまで、「逃げる」ことにまつわる家入さんの原体験、そこからの考え方の変遷、何かを強く語ることの難しさについて話してきました。だからこそ、聞いてみたいなと思ったことがあって。

家入:ええ。

鈴木:家入さんが代表を務めるCAMPFIREの「夢を諦めてはいけない」というキャンペーン広告が印象に残っていたんです。諦めては”いけない”という、なかなか強い表現を使ったメッセージだったので、家入さんの中で、ためらいや葛藤もあったんじゃないかな、と。

【写真】取材当日いただいたペットボトルのパッケージには「夢見る人を、はじめる人に」と書かれている

家入:僕個人は、これまで「夢」っていう言葉をなるべく使わないように生きてきたんです。そもそも夢なんか見るから絶望するんだ、「夢は叶わない」って諦めた方が人生楽になるじゃないかと言い切っていた時期もありました。

でも、とある若い子に「夢にすがらなきゃ生きていけない人もいるんです」と言われたことがきっかけで、少し考えが変わりました。叶わない夢もたくさんある。だけど夢を見ることすら許されない世界はあまりにも辛い。

少なくとも、夢に向かって一歩を踏み出すための選択肢が増えることはいいことだと思うし、CAMPFIREのクラウドファンディングがその一つになれるなら嬉しい。そんな思いで、今回初めて会社として「夢」という言葉を使いました。

「夢は必ず叶う」とか「夢を叶えよう」という言い方は、絶対にしたくなかったし、これからもするつもりはありません。だけど、社会の側にあるさまざまな理由で夢を諦めざるを得ない状況は変えていきたい。それが「夢を諦めてはいけない」というメッセージに込めた意思です。

生まれながらの環境。現在置かれた場所。過去のあやまち。周囲に理解されない価値観。理不尽な暴力、災害、事故、病気。私たちは、様々な理由によって、選択の余地もなく、夢を諦めざるを得ないことがあります。むしろ人生とは、多くの「諦め」の積み重ねの上に成り立っているのかもしれません。

それでも。

私たちは、誰しもが困難な宿命を乗り超え、声を上げ、夢に向かって小さな一歩を踏み出す権利を等しく持っているはずです。

さまざまな理由で夢を諦めざるを得ない生きづらさは、それを抱えた人の側にではなく、社会の側に存在する。

そんな社会を変え、誰しもが声をあげられる世界をつくる。クラウドファンディングはそのためにあります。

私たちはこのミッションの下、たとえ理想主義だと笑われようとも、本気で実現を目指しています。

心の中にしまいこんでいる夢に、今、火を灯そう。

夢見る人を、はじめる人に。

出典:「#夢を諦めてはいけない」CAMPFIREの広告が山手線車両や霞ケ関をジャック

鈴木:いまの「夢」にまつわるエピソードもそうですが、色々な人との出会いとそこで交わされた言葉を通して、家入さんが見る世界がどんどん豊かに、多面的になっていっているような…同じ言葉に対しても色々な意味合いや物語を見出す人たちがいて、それを受け止めた上で自分は何を語るのか、語らないのかということを、考え続けているんだろうなぁと思いました。

【写真】インタビューに答えるいえいりさんとライターのすずき

家入:昔は、そこまで感じていなかったと思うんですけどね。何か新しいシステムが生まれた時には、どうしてもその網目にひっかからず切り捨てられてしまう人たちが出てきてしまうわけですが、僕はずっと自分が「切り捨てられる側」の人間であるという感覚を持って生きてきたんです。

でも、自分で起業していろんなサービスをつくったり、強い言葉で世の中に新しい概念や仕組みを提案したりするようになって、切り捨てられる側の人間だったはずの僕が、また新たに切り捨てられてしまう人たちを生んでしまっているんじゃないかというジレンマに直面してしまいました。

僕らがCAMPFIREでやろうとしていることすらもそのジレンマから完全には逃れられない。みんながみんな、クラウドファンディングで成功できるわけではないですし、会社としても色んなリソースの制約があるなかで、どうしてもアプローチできないこともあるわけです。

とはいえ、だからといって何もしないというわけにもいかない。そういった矛盾とか、すべての人を掬い上げることができないっていう苦しみみたいなものに向き合いながら、一歩一歩やっていくしかないんだろうなと思います。

それでも中途半端だなと思うこともありますね。時には、強い言葉で動員することも必要なのかなと思ったり、でもためらいもあったり…やっぱり強いメッセージを発することに対する嫌悪感や恐怖心はあるんですよ。

鈴木:もうその矛盾や葛藤は、事業や表現をやる上で、一生付き合っていくしかないのかもしれないですね…。

家入:うんうん。たしかに。そうですね。なので…やるべきことをやろうってことですね。僕、「おじいちゃんになってきてるな」って最近すごく思うんですよ(笑)。

【写真】笑顔でインタビューに答えるいえいりさん

鈴木:おじいちゃん(笑)。

家入:この前出たトークイベントで若い人向けのメッセージを求められたんですが、「継続は力なり」っていう、誰でも知ってることわざしか出てこなかったんですよ。

鈴木:すごいシンプル…。

家入:でもほんと、継続するって素晴らしいことだなって思うんですよ。だんだんこういう、シンプルで抽象的なことばっかり言うようになっちゃって…僕、もういっそ概念になれたらいいなって思ってます。

鈴木:概念(笑)。

家入:山奥で1人で本とか読んだりして、たまに若い人が会いに来てくれるのが理想ですね。

鈴木:いいですね。

家入:いいですよね。

鈴木:家入さんと一緒にお茶を飲んで、若い人は、なんかわかんないけどスッキリして帰っていくみたいな。

家入:明快な答えを与えてくれるわけではないけど、なんか救われるみたいな!自分でもどうしたいのか分からないんですよね。どうしたいんだろう…(笑)。

鈴木:ね、ほんとどうしたいんでしょうね(笑)。

矛盾の中で悩み続けるということからは、逃げない

あれ…結局、僕らなんの話してたんだっけ。

なんでしたっけ…まぁいっか(笑)。

【写真】微笑んで話しているいえいりさんとライターのすずき

とりとめのない話をまとめずそのままにして、対談は終わった。

「逃げる」ことを取り巻くあれやこれやを聞いてみたんだけど、確固たる答えや指針が出てくるわけでもなく、考えれば考えるほど、「何かを語るって難しいよね…」と二人で考えこんでしまった。だけど不思議と、瞑想を終えたあとのような穏やかな気持ちになった。

そのままぼんやりと、帰り道に考えた。

同じ時代を生きていて、しかし誰一人として同じではない僕たちは、それぞれの願いを抱きながら、どうにかこうにか今日も生きている。

順風満帆に思えることもあれば、全くうまくいかずに絶望的な気持ちになることもある。

壁に直面したときに、立ち向かうことが正解なのか、逃げることが正解なのか。生まれ持った身体、育った家庭や地域環境、出会った人、学んだこと、手にした資源…一人ひとりの前提条件が異なるのだから、一律に「正解」を決められるはずもない。

たとえ自分が似たような生きづらさを経験していたとしても、「他者」としてアドバイスをするということは、常に無責任で傲慢で攻撃的な行為になりうるリスクをはらんでいる。

それでも、何かを語るとしたら。

それでも、誰かの「生きる」を、「夢」を応援したいなら。

重なりきらない「わたし」と「あなた」の人生に、持ちうる限りの想像力を巡らせて、言葉を紡ぎ出すしかない。

「逃げるのが正解だ」なんて簡単には言えないし、言いたくないから、せめて矛盾の中で悩み続けることからは、逃げない自分でありたいと思う。

…自分で言っておきながら、まぁまぁ大変なことだよなぁ、と正直思う。

だから、「悩んで悩みすぎてもうダメだー!」ってなったときは、家入おじいちゃんに会いにいこう。きっとまた、一緒に悩んでくれるはず。

関連情報:家入一真さん Twitter
CAMPFIRE ホームページ

(編集:工藤瑞穂、撮影/馬場加奈子、企画・進行:松本綾香、協力:長縄智香)