22日(現地時間)、米国サンフランシスコの中心部であるセントメリススクエアパークで、慰安婦問題を象徴する少女像と碑文の除幕式が行われる。米国内で7番目の記念碑であり、大都市に建てられる初の少女像だ。慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)のイ・ヨンスさんやマイク・ホンダ元議員らが出席するこの行事を、誰よりも心待ちにしていた人がいる。カリフォルニア州韓米フォーラム(KAFC)のキム・ヒョンジョン事務局長(48)だ。
少女像の建立は中国系米国人判事であるリリアン・シンとジュリー・タンが共同議長を務めている、20の多人種連合団体「慰安婦正義連帯」(CWJC)が主導した。キム局長は、同団体の執行委員として、戦略とメディア広報を担当している。ロサンゼルス郡北部のグレンデール市に住んでいる彼女は、19日の除幕式の準備のため滞在しているサンフランシスコで電話インタビューに応じた。
「2015年9月、少女像の建立決議案がサンフランシスコ市議会で可決されてから、これまでサンフランシスコに30回ぐらいは来たと思います」。中国系が主導する慰安婦正義連帯は、決議案が通過する1カ月前に結成された。韓国系の彼女がどうやって同団体の“核心ブレーン”になったのだろうか。「多くの団体が少女像を建てるために集まったが、所属団体にはそれぞれ他の活動がありました。慰安婦の活動だけを専門とする団体はカリフォルニア州韓米フォーラムが唯一でした」
10年間を慰安婦のために闘いながら蓄積した経験はサンフランシスコでも生かされた。彼女は2年前の「少女像決議案」が可決された当時を振り返った。日本政府が水面下で反対ロビーを支援しており、決議案が可決されるかどうか確信できない状況だった。この時、彼女の提案で急きょ韓国からイ・ヨンスさんを連れてくることになった。「イさんの聴聞会証言が(決議案の可決の)決定打となりました」
その証言以降、市議会は満場一致で決議案を可決した。「ある聴聞委員は、ハルモニを侮辱する日系の証人に向かって3回も『恥を知れ』と怒鳴りました」。彼女は「開放的と言われる米国社会でも、性暴行の通報率は10%程度に過ぎません。このような状況で、年老いたハルモニが自分の苦しみを差し置き、惨憺たる経験を振り返る姿を見て、(米国人たちも)完全に心を打たれました。慰安婦被害女性が40万人だと語るだけでは、あまり実感が沸きません。ハルモニたちが水曜集会闘争を行って米国で証言する姿を見て、(米国内の世論が)大きく変わったのです」
22日、サンフランシスコで「少女像」除幕
米国内で7番目・大都市では初めて
20の人種連合団体「慰安婦正義連帯」が主導
2015年、市議会で「少女像決議案」可決
日系の激しいロビー攻勢に対抗する際
「10年間に渡る慰安婦闘争の経験が大いに役立った」
今年で設立10周年を迎えたカリフォルニア州韓米フォーラムは、キム局長が慰安婦闘争を始めた時に立ち上げたものだ。メンバーは彼女を含めて6人だけだ。事務所もない。設立目的はただ一つ、「慰安婦問題の解決」だ。2007年、米連邦下院は、日本政府の公式謝罪を要求する決議案(HR)121を可決した。キム局長は当時、同決議案の可決のために発足したカリフォルニア地域の在米韓国人タスクフォース(TF)の一員だった。
全羅南道光州(クァンジュ)で生まれた彼女は大学生だった21歳の時、家族移民で米国に渡った。ロサンゼルス・カリフォルニア大学(UCLA)民俗音楽科を卒業した後、法廷通訳士の資格を取った。「母からいい職業だといって法廷通訳士を勧められました。試験は簡単ではありませんでした。試験を受けた100人中、私一人だけが合格しましたから」
なぜ慰安婦のための戦いに身を投じたのだろうか。「2007年当時、学生たちとプンムル(韓国農楽)を演奏する韓国文化共同体活動をしていました。慰安婦問題については詳しくは知りませんでした。その時、日本政府が慰安婦の存在事実自体を否定していることを知って、衝撃を受けました」
フォーラムなどの努力が実を結び、2013年にグレンデール市に西部で初めて少女像が建てられた。これを受け、翌年日本系の極右の人物が日本政府の権力を盾に、市に対して撤去訴訟を起こした。連邦最高裁判所は今年初め、棄却決定で原告敗訴判決を下した。原告側は自治政府が外交権を侵害していると主張したが、裁判所はこれを認めなかった。キム局長は、市の訴訟合戦を支援するため、大手法務法人(シドリー・オスティン)の公益無料弁論まで実現させた。「原告側が大手法律法人を動員したので、私と業務関係にあるシドリー・オスティンに無料弁論を要請しました。特に表現の自由分野の権威者である首席弁護士の方に助けられました」
フォーラムは今カリフォルニア州の世界史教師たちの授業教案を作るために、専門家らと検討を重ねている。昨年、カリフォルニア州教育委員会は、10年生たちが世界史を習う際、日本軍慰安婦の被害事実が含まれるように公立学校の歴史・社会科学教育課程指針を改定した。「指針があっても先生が教えなければ意味がありません。そのため教師たちが現場で指導できるように、専門家に依頼して教案を作り、インターネットに掲載するつもりです。教師のワークショップで広報も行っています」
フォーラムは今年30日、定例の募金行事を行なう。「300~400人ほどが後援しています。後援金は主に交通費として使っています。残りはメンバーの私費で賄っています。今回の行事には150~200人ほど参加しそうです。最近は中国系がたくさん参加しています」
彼女が住むグレンデールには集団虐殺(ジェノサイド)にあったアルメニア系移民者が多く住んでいる。「アルメニア係は慰安婦問題をよく理解しています。トルコがアルメニア人に対する集団虐殺を否定しているじゃないですか。アルメニア系は地域政治圏に多く、影響力があります」。日系移民者たちも「国家レベルの人権侵害は国家が謝罪すべきという原則」に同意する人が多いという。「第2次世界大戦当時、日系人にも米国で強制収用された経験があります。日系人が1980年代に国家賠償運動を展開し、連邦議会の公式謝罪と1人当たり2万ドルの賠償を受けました」
彼女は「安婦問題は戦時における女性への性暴力であり、人権問題であると共に反人道的犯罪」だとしながら、このように語った。「安保や政治、外交問題と結びつけてはなりません。カン・ギョンファ外交部長官もそう言ったことがあります。ハルモニたちが要求した事項をきちんと反映し、日本と再交渉すべきです。日本側の徹底した謝罪を求めるのは『戦争してはならない』というメッセージでもあります」