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呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う

「実証史学ブーム」滅亡の意味

與那覇潤 歴史学者

 いま話題の芥川賞受賞作に倣えば、「学者、燃ゆ」だろうか。正直、驚くとともに、強い懸念を感じている。

 『応仁の乱』などのベストセラーで知られる呉座勇一氏(日本中世史)が、SNSでの「炎上」がきっかけで、NHK大河ドラマの時代考証を外れることになった。発端は、フェミニストとしての批評活動でも知られる北村紗衣氏(英文学)との論争である。

炎上ならなにをしてもよいわけではない

拡大Shutterstock.com

 当初は、日本中世史の大家である網野善彦(故人)の文章を「正しく読めるのはどちらか」という論点での、よくある学者どうしの諍いだった。しかし呉座氏が従来から、彼のTwitterアカウントのフォロワー(=おおむねファン)にしか見えない場所で、何度も北村氏を揶揄していた事実が明らかになり、「女性蔑視だ」との非難が殺到することになった。

 呉座氏はその後、北村氏に対して非を認め、謝罪している。私自身、呉座氏の行為は褒められたことではなく、それが妥当な結末だと思う。

 しかしそこから、公開された呉座氏のその他の「問題あるツイート」(として、ネット上にまとめられたもの)がきっかけとなり、同氏に「差別主義者」のレッテルが貼られ、公職から排除せよといった声が上がっているのは異様なことである。微罪なのにやりすぎだ、といった趣旨ではなく、あきらかに「冤罪」と呼ばざるを得ない側面が含まれているからだ。

 Aという罪を犯した者がいた場合、その償いを求めるのは社会正義として当然のことである。しかし、「おまえのようなAをやる奴は、どうせBやCやDもやっているだろう」という先入見で、実際にはやっていないB・C・Dの責任を問うてはならない。それもまた、私たちの人権感覚として、あたりまえの前提であろう。

 いまや、そうしたあたりまえを確認しなくてはならない時代なので、しかたなく筆を執ることにした。

 なお、公正さのために予めお伝えするが、私はかなり以前のことだが呉座氏と親しく仕事をしたことがあり(拙著『歴史がおわるまえに』 を参照)、同氏への告発の発端となった北村氏とは、一切の交流がない。また私自身が「フェミニズムに対していかなる立場か」を問う向きは、こちらの短文を読んで、自由に論評されたい。

呉座勇一氏がほんらいなすべきだったこと

 いま呉座氏を批判する側は、同氏のことを「反フェミニズム」だとしばしば断定している。しかし問題視される一連のツイートを見るかぎりでは、少なくとも呉座氏が「男女平等という理念」それ自体を否定したものは見当たらない。

 むしろ目立つのは、「男女平等な社会を目指すとうたいながら、実際にはその実現にほとんど益さなかったり、逆効果としか思えない振る舞いをする 〝困った〟 フェミニスト」への批判である。北村氏に対する一連の揶揄も、彼女をそうした(呉座氏の視点で見るところの)「自ら標榜する目的を裏切っているフェミニスト」と見なしてのものであった。北村氏の専攻や、同氏が女性である事実を攻撃したわけではない。

 もちろんこの場合、北村氏の言動がフェミニズムの目的に照らして「困った/レベルの低い」ものであることを立証する責任は、呉座氏にある。本人の抗議を受けて謝罪したということは、特にそうした作業をすることなく、なんとなく「北村氏はイタい」程度の空気で揶揄していたものかと思う。この点は当然、呉座氏に非があり、深く反省すべきだ。

 なお「北村氏には見えない形」で呉座氏が揶揄を書き込んでいた点が、どこまで非難されるべきなのかは、容易でない問題を孕んでいる。どんな人にも、当人に知られずに「気に入らない人を悪くいう自由」は――美しい欲求とは言えないが、虚偽情報の流布や名誉毀損を伴わない範囲でなら――ある。一切の私的領域の存在が認められず、あらゆる個人のネガティブな感情の吐露が「通報」の対象となるような、総監視社会を望む人はまずいない。

 しかし、呉座氏は北村氏以上に、知名度のある学者である。一連のツイートからは専門である日本中世史の分野でも、(呉座氏の視点では)かなり偏ったスタンスでのジェンダー研究が台頭してきたことに、批判意識を抱いていたようだ。

 そうした話題と絡めてであれば、「学界におけるフェミニズムの現状を問う」といった形で、呉座氏が寄稿できる媒体は紙とネットとを問わず、複数あったものと思われる。あらゆる「個人的な悪口」が規制されるべきとは考えないが、「学者が学者を批判する」という局面に関して言えば、可能な限りそうした後ろめたくない手法をとるべきだったことは、論をまたない。

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筆者

與那覇潤

與那覇潤(よなは・じゅん) 歴史学者

1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環と共著)で小林秀雄賞。