與那覇潤(よなは・じゅん) 歴史学者
1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環と共著)で小林秀雄賞。
「実証史学ブーム」滅亡の意味
北村氏への揶揄に関する限り、彼女の(呉座氏にとっての)問題点を論証する作業を怠った以上、非は呉座氏にあり、「中傷」だったと言われるのもやむを得ない。すでになされた呉座氏の謝罪を受け入れるか否かは、被害の当事者である北村氏のみが決める権利を持ち、また中傷行為をめぐり「炎上中」の学者を考証チームに入れるのが妥当かは、NHKが判断すればよいことだ(呉座氏の場合は、判断の前に本人が辞退したようだが)。
問題は、基本的には、それで終わりである。むろん当事者以外にも、たとえば「呉座氏には失望した」「自分なら許せない」といった論評をする自由、「もう彼の本は買わない」といったボイコットをする自由はある。しかし現在、野次馬的な識者やSNSユーザーによって行われていることは、この範囲を超えている。
具体的には、公開された呉座氏の過去の発言を「誤読」ないし「意図的に歪曲」して、同氏が一人の女性研究者を中傷したのみならず、全面的な「性差別主義者」「レイシスト」であったかのような風説が流布されている。こうしたことは、呉座氏が北村氏に対して行っていた揶揄と同様かそれ以上に、許されてはならない。
たとえば呉座氏が医大入試での不正採点問題に際して述べた、「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」という発言を抜き出し、同氏が「女性の自己実現自体を否定した」かのような非難がなされている。率直にいって、露悪的な表現としても度が過ぎているのは事実だと思うが、あきらかに恣意的な切り取りだ。
呉座氏のもともとの発言は、「数千万円ないと入学できない医大入試を女性差別の象徴にするのは馬鹿馬鹿しくて話にならない。お嬢様の自己実現なんて知らんがな」である(太字強調は引用者)。女性全体の地位向上を目指すべきフェミニズムが、運動のシンボルに選ぶべき事例をまちがえてはいないか、と述べているのであって、医大による男女差別自体を肯定しているわけではない。
やはり呉座氏の発言から、「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまうが……其れで良いのだろうか」という箇所のみを切り取って、同氏を在日朝鮮人への差別者に仕立てるのは、より悪質である。元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
新たな差別につながりかねない論理に対して、それだと「こういう差別が生まれかねませんよ」と指摘した呉座氏の発言を、あたかも呉座氏自身が「差別発言をした」かのように加工しているわけである。同様に、セクハラや過労死の被害者をメディアが奇妙な形で持ち上げる傾向(=すばらしい人だったのに、許せない)に対し、呉座氏が疑念(=それだと、すばらしくない人相手だったら、許されることになる)を呈した文面を、「被害者を貶めて冒涜した」かのように誤読している例もあった。
すでに述べたように、A(一人の女性研究者への中傷)という問題行為を犯した者が、それを償うのは当然のことである。しかしだからといって、当人が行っていないB(女性全般の侮辱)やC(民族差別)について「あいつならやりかねない」と非難を浴びせることは、許されない。それは問題の発端となった中傷以上の、名誉毀損を構成する可能性がある。
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