”‐朝鮮学校生徒のイラスト集30(YO!今回は椅子取りゲームとラップだぜ)‐”
テーマ:ぷーくん
李在浩よ、お前は“何者”だ?学習能力ゼロだな。
それは言い過ぎかもしれませんが、いくら自分が好きなネタでも、多くの方々から望まれなければ、自らの些末なマ〇ターベーションに過ぎない。残酷ですけど、これは事実です。
ゆえに受け入れざる得ない。
友人はとある漫画家編集者さまのブログを拝読しているのですが(私も勉強がてら見させていただいています)、やっぱり何十年も第一線でお仕事されている方なので、言うことは正しいし何より厳しい。
読むたびにショックを受けています。
今回は、その記事に対する自己回顧的なものとして描いたものです。
漫画に取り組む姿勢については、こちらの方で色々説明させていただきましたが、実際ヤン達・・・、「朝鮮学校ネタ」が不可能なわけではありません。
事実、講談社の編集者K氏は、「日本人が朝鮮学校に偶然関わることになって、そこで色々な体験を積み重ねていくことによって『成長する』過程が見たい」と述べられていました。
結局、問題は『描き手自身』にくるわけです。
どのようなジャンルであれ、自分の経験や知識を適切に活かし、それを「面白く描ければ」良いわけで、それが出来ないからいつまでもループを繰り返している。
ハッキリ言って、今の友人の心境は『イガグリ』と同じ。
いつまでも時間がある訳じゃない。
かつてマガジンの編集者K氏や、今回拝読させていただいた編集者の方のブログにしろ、二つに共通することは「死に物狂いになる」ことや「本気になれ」ということ。
正直なところ、一番ここが欠けてるのかなと思うと友人は言っている。
作中でヤンも語っていたことだが、「キ〇ガイ」ということは、すなわち振り切ることだし、それは前述のセンテンスとも共通する内容で、すべての夢に向かう人たちに共通する課題だと思います。