このキャッチフレーズは私もとてもいいと思う。
今日本が抱えている社会問題は、どれも一筋縄ではいかない、かつ性格的にはどちらかといえば後始末系の重苦しい難題ばかりで、そのまま正面から引き受けたら、先行きお先真っ暗、周りはこれから登り調子というのにこちらときたら、みたいな被害者意識まで出てきて元気も出ないが、それを、いずれ皆これから同じように向き合う課題に一足お先に取り組むのだ、ここで悪戦苦闘した経験が後に続く人たちの貴重な財産になるのだ、手本はないけれども逆に自分で思うようにやっていいのだ、と考えれば、前向きな姿勢で取り組め、気持ちに明るさも生まれてくる。自ら進んで挑戦するのと後ろ向きな態度でイヤイヤやるのとでは、出てくる結果だってぜんぜん違ってくるだろう。
要は光のあて方一つなのだが、こういう視点の切り換えはご存じのようにアメリカ人が得意で、たとえば身体障害者を「より多くのチャレンジをしている人」などと呼んだりするのもそうだ。こういうところはせっかくこの五十年来付き合ってきたのだから美点として取り入れていい。
私は1995年にロッテの監督として来日し、その後アメリカに帰国してメジャーリーグの監督を務めた後、2003年に千葉ロッテマリーンズの監督として再び来日しました。勝手を知ったアメリカ野球と違い、日本野球はまた違う文化を持っています。でも、日本の野球界から声をかけられた時、自分にとってそれは断ることではなく、チャレンジすべきことだと思ったんです。将来、私が日本の野球界を去った時に、日本野球はボビーが来た時より、もっとよくなったよね、と言われてほしいな、と思いました。
また、同書では副題に「キャッチアップからフロントランナーへ」とあるように、今まで百年この方キャッチアップ専業でやってきたけれども、しばらく前から目指していたところはおおむね追いついてしまったか、あるいは追い越してしまったところさえあって、にもかかわらず意識だけは相変わらずキャッチアップ型のまま、目の前に誰もいなくなってしまったらどうも座りが悪くて何か自分で吊り下げたいくらいな心境で、次の新しい「構え」がなかなか見定まらなかったわけだが、こういう考え方を打ち出すことで初めてキャッチアップ意識を脱皮して、具合のよさそうな姿をとることができる。そのままいたら陸(おか)にあげられたクラゲみたいにとりとめのないわれわれが立って歩いていくのには何らかの「型」が必要であり、新しい別の殻が見つからない限りは古い貝殻は脱げない(資本主義経済がいろいろ不都合があっても脱げないのはそれに替わる良い型が未だにないからだろう)。山積する問題に対して政治家が何か永久自動機関みたいなうまいプランをひねり出してくれる、金は天から降ってくる、みたいな受け身で投げやりな傾向が強いが、根底にはキャッチアップ型の目標設定に対する齟齬と喪失感があるように感じられる。小宮山氏も言うように先頭集団に入ってしまったらレースはもう自分で考えて自分で作るしかない。アメリカ人がなんだかんだいってもイノベーティブであり続けているのも、上記のような国民気質がそうした先進国としての立ち位置によく馴染んでいることが大きいだろう。その意味でも、こういう考え方がもっと共有され、広く根付いててほしいと思う。
前向きついでにいえば、実際のところわれわれにしても、追いつけ追いつけで焦ってきたようでいて、その運動論自体は当時誰も手をつけたことのない、時代の先端を切り開くものだったともいいうる。東洋的な封建社会を西欧型の政治制度に強引に転換させた制度改革もそうだし、近代産業の自前での育成や、戦後の高度経済成長なども、日本が先鞭をつけるまでは、西洋文明と強く結びついた固有の現象で、その外側の世界では起きないものとみんな何となく初めからあきらめていた。あきらめていたからできっこなかったし、追いつこうなどと考える者自体がいなかった。それが今やNIES、BRICs、ネクストなにがしと続いて、アフリカにまでその波先が届こうとしている。当時は追いつくことが独創的で未踏の課題設定だったのである。そう考えれば、われわれの「問題解決屋(ソリューション・ベンダー)」としての経験値、地力もそう捨てたものではない。
一方で、当然ながら真似する先生がいなくなったことは、他人からもう学ぶ必要がなくなったことも、自分がいちばん優秀になったことも意味しない。上述のように、特に問題に取り組む姿勢やプロジェクトマネジメントにおいて、相変わらずわれわれは人から大いに学ぶことができるし、正直あまり得手になったとも思われない。引写しできるアンチョコがない、答えを自分で書くしかないというのは、問題のボールをたまたま最初に渡されたというだけのことで、ただそれだけの話である。急激な高齢化に最初に突入することや、エネルギーや食料が極端な輸入超過であることなどは、われわれ自身の優秀さとは直接関係ないだろう。われわれが優秀かどうかは、面接試験に最初に呼ばれたことではなく、それにどう答えるかという一点にかかっており、これから証明されるのである。
|
「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ 小宮山 宏 中央公論新社 |
関連記事
ほめる覆面調査