ご存じのように煙草を吸う人には喫煙できる場所が減っている。職場も禁煙だし、最近では路上で吸うのも社会の目が厳しい。その中で居酒屋は今のところ自由に吸っていい最後の楽園のような状態になっているので、店に入ると鬱憤を晴らすように先を争って大量に吸い始める。正直煙草を吸わない人にはそれがとても迷惑なのだ。
もう吸いたくて仕方ないから非喫煙者が同席していても了解を求めようという心の余裕さえない。喫煙が煙草会社のいうような大人の嗜好ではなく単なる薬物中毒の一種でしかないことがはっきりわかる場面である。
居酒屋はたいてい狭く、密閉されていて換気も非常に悪い(特にカラオケボックスは)。そういうところに喫煙者・非喫煙者混在で押し合いへしあいして入った状態で一斉に吸い始めるわけだ。しかも酔っている。酔っていると火をつけたまま灰皿に置きっぱなしにしたり、人の鼻先に突きつけた状態で長い時間気づかずにいたりということが多くなる。どちらかというと、喫煙者が煙草を吸わずに非喫煙者にいわゆる副流煙を吸わせるためだけの環境といってもいいくらいである。
そうやって数時間して店から出てくると全身が煙まみれになって、まるで煙草の燻製ができあがったようになって出てくる。髪は洗っても落ちないし、服は一日陰干ししても匂いが取れないほどひどい(洗えるところはまだましで肺や気管は洗えないと思うと実にイヤな気分である)。
何度かそういうことを繰り返すと拷問を受けにいくような感覚にさえなってきて、金を払ってわざわざ何しにいっているのだろうという気がしてくる。
最近あまり度が過ぎているので、それが理由で参加するのが億劫な気持ちが出てきた。女性は髪や服に匂いがつくのはもっと困るのではないかと思って聞いてみたら、当然ながらみな非常に嫌がっていて、仕方なく我慢しているという。
この件では神奈川県の松沢知事が居酒屋やパチンコ屋などの遊興施設での禁煙を実施しようとしていろいろ苦労している。
知事はそれを公約にして当選していて、県民の意思としてはやってくれと言っているのだからさっさとはじめればいいと思うが、それを錦の御旗に立ててゴリ押しせずに、関係者にも丁寧に対応しながら現実の政策として最大の効果をもって定着させる落としどころを見いだそうと努力しているわけで、そういう地道な姿勢は執政者として好もしいことといえるのだろう。
他方喫煙者は当然として、業界団体も強硬に反対している。客が減るからというのが理由だ。代表的なとろこでは居酒屋チェーンのワタミの社長もそう言っていて、とはいえ渡邉氏個人としてはできれば禁煙にしたいのだそうだ。そこで実験店を設けて実際にやってみたらやはり大幅にダウンしてしまった。現状では残念ながら経営的にムリということらしい。神奈川だけ禁煙にしたら川を隔ててみんな東京に逃げてしまうというのも心配されている。それなら分煙でいくかといったら、今度は小さい店がスペース上分煙どころではない。ならば店舗規模で線引きするのはどうかとなったら、それではしり抜けになってしまって制度の意味がなくなってしまうだろう。
海外ではイギリス・フランスが飲食・遊興施設の全面禁煙を国全体として開始したことが先日報道された。フランスの状況は知らないが、パブで喫煙しながら飲酒するのが風物になっているイギリスでは、やはり売り上げが大幅ダウンになってしまったらしい(それでもそのことは禁煙を断念する理由にはならなかったが)。
こんなふうに一筋縄ではなかなかいかないのだが、その議論は上に見るように事業者と喫煙者の間だけを行き来していて、案外抜けているのがもともとの出発点である「非」喫煙者の客がどう思っているのか、という視点である。非喫煙者は結論がどこに落ち着こうが黙ってそれに従うものと当然のように前提されており、なかば無視されている。なので一つの参考として自分の身の周りのことを書いてみた。
見たように、居酒屋やパチンコ屋などの遊興施設は、喫煙者と非喫煙者が混在する空間としては、もっとも状態のひどい場所で、どこかを禁煙にするというのであれば本来真っ先に行うべき場所である。仮に禁煙になったら店に行かない喫煙者と、逆に禁煙になったのであれば行ってもいいという非喫煙者が同じだけいたとしても、前者は禁煙を期にただちに失われる現顧客であり、後者はそうなったからといってすぐに押し寄せて来てくれるわけではない見込客、潜在顧客である。前者を失うのが恐いとなったら、全体の比率で非喫煙者が逆転し、選挙で意思が示されても、いつまでたっても禁煙はできないことになる。加えて顧客は急減はしないかわりに慢性的に静かに減っていくだろう(事業者にネガティブなイメージを持つ人が増えていくから)。通り一遍ではいかないのはわかるが、事業者や行政は、我慢を強いられている煙草を吸わない人や、あるいは客以上にそういう異常環境に長時間閉じ込められても文句もいえない従業員のことも忘れずに考慮に入れて検討を進めてほしい。