占いのお客は、占い師にどんな内容を相談するのか。目ぼしいものはだいたい決まっている。受験や就職の進路の話、結婚や恋愛の話、子どもの教育の話などといったものだ。また、手近なところでは、投資判断もその有力候補に入る。つまるところは「自分はこれからどうしたらいいのか」という決断にかかわる悩みを、ひとびとは占い師のところに持ち込み、投げかける。
26日に旧正月を迎えた韓国。占いの盛んなお国柄だが、新年の運勢を占ってもらう人が多い。民間会社によると、最近は「哲学館」などと呼ばれる占いの店が急増。不況の中、占いに足を運ぶ人も多いようだ。韓国で一般的なのは、自分の生まれた年月や日時(四柱(サジュ))による占いで、若者に大人気の「サジュ・カフェ」も多い。一方、神霊の託宣による巫堂(ムーダン)と呼ばれるみこも健在だ。「韓国電話番号簿」社によると、全国の占いの店は電話帳掲載分だけで2243軒。2年前より約10%増加している。同社は「不安な未来を占ってもらおうという人が増えているため」と分析する。元国会議員の占師、李チョルヨンさん(61)は「最近は8割以上が経済関係の相談。若者も増え、しかも『いつ就職できるか』といった核心をつく質問が多い」と話す。
金融占星術と聞くだけで胡散臭いと思われる方もいると思いますが、占星術と言っても占いではありません。惑星の位置や惑星どうしの角度を計算し、過去の値動きと照らし合わせる統計的な面が強い分析手法です。内容としては、日経平均株価の変化日や特定注意日、また個別銘柄の売買タイミングも掲載します。皆さんが普段使っている分析手法をメインに、金融占星術をサブに使うと判断の精度が上がると思いますので、是非参考にしてみてください。
他人の判断を仰ぐのは、迷っているから、自分では決めあぐねているからである。相談者は、現実的なレベルでは自分なりに全力で材料を集め、吟味して判断を下そうと試みた。しかしどうにも途方に暮れているか、あるいはいまひとつ自信が持てないでいる。そこで思い余って超・現実的なもののよすがを借りてそれを突破しようとし、占い師の門をたたく。非合理な飛躍に惹かれるのは、合理の中で自分にできることはすべて尽くしたという思いが抜きがたいからである。
以前、けっこう名の売れた女優さんが、自分がこの世界に入ったのは、どうしようか悩んでいたときに、占い師に強く勧められてふっ切れたことがきっかけだ、と話していたのを聞いたことがある。ひとりのうら若い女性がショービジネスの世界に飛び込むのは、彼女が聡明で慎重であればあるほどたいへんな勇気のいることで、なんの保証もないのだから、ふつうにいけば迷いに迷って当然である。この場合は、占い師の後押しが良い目に出たわけで、その後にたくさんの観客やファンを娯しませた、彼女の女優としての活躍は、元をたとれば占い師の最後のひと押しが生み出したことになる。占いの一種のコンサルティングの機能が、相談者がしたいと思っていて、本当はなかば既にそう決めているが、最後の一歩を踏み出しかねている願いに向けて、励まし、希望を持たせて送り出してやることができるなら、それはそれで占いの有用な社会的効用のひとつといえる。もちろん、ひとびとの不安を逆手にとって高額な商品を売りつけたり、御布施を取ったりするなら逆になるが。
一方で、占いの相談内容として、現実的に多いのが、組織の人事の話である。企業の経営自体についての相談も、前回見たように少ないものではない。これらはどうか。あなたが、あなた自身の人事異動や、あるいは所属する組織の経営判断が実は裏側で占いによって決められていたと知ったら、やはり理不尽で、腹立たしい思いがするだろうか、そしてまたそれはなぜか。自分で頼むのはいいがひとにされるのは嫌なのは、あなた自身が自分の行く末にかかわる決定を占いで決めることに同意していたわけではないからだろうか。しかし上役は、そもそもが自分で決めきれなかったから、占い師のところにいったのである。だから、占い師に決めさせるくらいなら、まだしも自分で頑張って決断してほしかった、その方がまだ納得できた、とはいっても、決断それ自体の質、適当さ加減としては、どっちをとっても実はそうたいして変わるところはないのかもしれない。
占い歴35年の「天神の母」こと野田エツコさんによると、世界で株価が暴落した昨年秋以降、転職や就職の相談が3倍に増えた。若い世代からも、男女を問わず「就職活動がうまくいかない」「正社員になりたい」といった悩みを語るようになったという。JR博多駅で易占いをしている「博多の母」こと北条愛耶子(あやこ)さんも昨年10月ごろから、仕事運を占う機会がにわかに多くなったと気付いた。相談内容は「従業員を辞めさせてもいいか」などで「中小企業の経営者からの相談が目立つ。不況になって資金繰りに困っているのでしょう」と北条さん。ほとんど女性だった客層も、最近は半数近くが男性だ。(略)野田さんはこう告げたいという。「運気も景気も波があり、必ず上がるときがくる。信じて頑張って」
リリース配信日は占いで決める!? 迷える広報担当者のための占いアドバイスツール「広報・PR占い」ついに公開。PDBとGT-Agencyは、広報担当のための占いアドバイスツール「広報・占い」を広報・PR支援を行う「VFリリース」のWEBサイト上で提供開始した。次月の広報運勢や、おすすめのリリース配信日がわかる、迷える広報担当者のアドバイスツール。
人事異動はまだしも、子どもを持つかどうかも女性にとってはさらに重大な決断のひとつである。その場合には、社会関係どころか、ある人間がこの世に存在するかしないかという根源的な生殺与奪のスイッチが占いの影響によって決まることになる。人事異動を決めさせるよりさらに度しがたい、はた迷惑な話だろうか(といってもそれを被る側ははじめから封殺されてしまっているが)。とはいえ、たとえばわれわれの国の人口動態のグラフで、干支(えと)の数十年の周期の中で最も不吉とされる年(丙午)に出生数が実際あからさまに激減している現実をこの目でみるとき、あるいはそこまでよりは軽微なものとはいえ、現存しているすべての人びとの持たされている自分の「名前」の相当部分が、実際に占いの影響を受けて名づけられたものであることを思い出すとき、それにどういう眼差しを向けて困惑したらよいのか、あるいはせずともよいのか。
もっと大規模でさらに抜き差しならない深刻な分野としては、政治(または軍事)の話がある。現代のような時代でも政治の世界に占いの影が絶えることはない。もちろんその理由は、そこでなされる意思決定の影響がはかりしれないほど大きく、それだけ迷いの悩みもまた大きいからである。自分の属する社会の政治リーダーが、国運を左右するような重大な政治決断で、占いを参考にしたと知ったら、自分もやはり充分に不快で、やりきれない気がする。同時に半面で、そのようなことになってしまう人間の心弱さにも思いが及ぶ。社運を賭けた巨額の工場建設を決裁する、同業他社と経営統合する、あるいは国家が貿易協定や軍事同盟を結ぶ、開戦を決意する、核ミサイルが数時間以内に発射されそうなので先制攻撃を命令する、あるいはあえてそれをしないことにする、といった局面で、何十万人、何千万人もの従業員なり国民なりの運命が、全部自分の今からする決断ひとつにかかっているというときの経営者や政治指導者の孤独と身を焼かれるような重圧は、いくらそれをするのがその人の仕事だとはいっても、その立場になってみないとわからない、言うに言われぬほどのものがあるのはまちがいない。それはその人物が役目にふさわしくないからだ、精神に必要な強靱さが足りないからだ、とはいっても、しょせん茶碗や鶏卵で橋げたを支えることはできないように、もとからそれは生身の人間の器が耐えられる量のものなのか、という類のものだってあるはずだ。しかしそれでも彼はそれをしないといけない。誰も彼の変わりにはならないし、どんな巧緻で行き届いた支援の仕組みも、最後の最後でそれを補うことはできない。意思決定、決断の器(うつわ)は、どういうわけか複数の人間で同時に捧げ持つということができない。どんな巨大な岩であろうとも、最後は個人が、一本足で、そしてまた裸の心で、担うしかない。逃げ道はない。禁じ手で占い師にでもすがるより他は。
自民党が内部分裂の兆しを見せ始めるなど、政界の先行き不透明感が強まっている。そんな実態を示すかのように、「永田町の陰陽師(おんみょうじ)」として知られる富士谷紹憲氏のもとに相談に訪れる議員が急増しているという。これまで富士谷氏は、お騒がせ女性議員から現役閣僚まで与野党問わず国会議員の運勢を鑑定。(略)その富士谷氏に、異変が起きたのは今月に入ってからのこと。国会議員などから「衆院選の時期はいつか」「自分は当選できるのか」などの相談が急増しているというのだ。
われわれが占いを必要とする根源的な理由のひとつは、きっとわれわれが選択においてかように自由だからであろう。未来の方途を自分の決断でどちらに倒すこともできるということは、その結果を自分ひとりで引き受けないといけないということである。われわれは選ぶ権利を禁止されていても充分に不幸だが、自由に選べれば選べたで、ときどきその重みに耐えられなくなり、逃げ出したくなる。その逃避先のひとつが占いである。われわれの間で自由が増えれば、だから占いの需要も増える。昔の時代は、職業や教育や結婚相手を自分で選ぶ自由はなかった。だから時に不平不満を抱きつつも、決められた道を行くだけで、それらについての迷いが占いの顧客となることもなかった。そこでの占いの大衆的な需要は、むしろ自由がない状態における自由の富くじ的な、受け身の水増し(僥倖)を期待し、知ることにあった。現代で不況になると占い師の客が増えるのは、不況そのものが直接の原因ではない。不況で未来の不確実性が膨らんで、自由を許されたひとりひとりの個人にとっても厳しい決断を迫られる場面が増えるからである。経済が苦境でも(共産国家のように)自由の量が変わらず、抑えつけられたままであれば、ただじっと耐えてやり過ごす以外にない。不況のときに占い師に相談することもできるというのは、自分の判断でなにかをできるということの裏返しでもある。
現代哲学でこの人間の剥き出しになった決断の自由を中心的な課題に取りあげた J-P・サルトルは、ここのところの微妙な機微を、ドストエフスキーの賭博癖を枕に引きながら、次のような精密な筆致で見事に描いている。
ここに、いま一つの不安がある。それは過去のまえにおける不安である。この不安は、二度とふたたび賭博をしまいと心からまじめに決意しながら、<賭博台>に近づくと、たちまちその決心がことごとく<水の泡になってしまう>のに気づく賭博者の不安である。‥‥ 多くの場合、賭博台のところに来てしまった賭博者は、その決心の方をふりかえって、これに救いを求める。なぜなら彼は賭博をしたくないからである。‥‥ しかしそのとき彼が不安のうちにおいてとらえるのは、まさしく過去の決心が全面的に無効だということである。過去の決心はたしかにそこにある。だが、それは、私がそれを意識しているという事実そのものによって、凝固し、無効になり、超出されている。‥‥ 私は二度とふたたび賭博をしまいとあんなにも願っていた。ついきのうも、私は状況(迫り来る破滅、身うちの人たちの絶望)を、私の賭博を禁じるものとして総合的に把握した。かくして私は、賭博と私のあいだにあたかも現実的な柵を設けたかのように思っていた。だが、突然、私は気づく。かかる総合的把握は、いまでは一つの観念的な思い出、一つの感情的な思い出にすぎない。かかる把握があらたに私を助けに来てくれるためには、私がそれを、無から、自由に、やりなおさなければならない。‥‥ それは骨のない幽霊として私の背後につきまとっているが、それに私の肉を貸与するかどうかは、私の一存にかかっている。私は前日と同じく、ひとり裸のまま誘惑のまえにおかれているのであり、辛抱づよく柵や壁をきずき、決心という魔法の輪のなかに自分を閉じ込めたあとで、私は、私が賭博をするのを禁じるものは何もないことに気づいて、不安になる。しかも、この不安、それが「私」である。
われわれ人間の社会のひとりひとりの個人や組織の来し方、これまでの累歴は、遠目にみれば、これらの痛々しくも孤独で、自由な決断の、無数の集合体である。生身の心身でその重みに耐えかねて生じた軋みと炎症のところどころに、傷をいたわるやさしい真綿のようにして、薄紅に血のにじんだ占いの詰め物が挟まっている。