マネーボールを読む ~ 「運」という無知

本書の内容によれば、リーグ戦では絶大な威力を発揮した「マネーボール」理論も、それを勝ち抜いて最後の優勝を争うプレーオフ(優勝決定戦)にはどうも歯が立たなかった。理由は簡単で、プレーオフはリーグ戦と違って短期決戦のため、統計処理からはみ出した擾乱的な出来事が結果を大きく左右し、統計的な大数法則には必ずしものってこないからである。資金のないオンボロ球団が、ライバルたちの裏をかいて決戦の場にまんまと進出できただけでもよしとしながら、日頃はうるさく口を出すビーンGMや参謀のポールもなすすべなく黙って選手たちを見守るしかなく、なかなか勝てないシーズンが続き、いらいらして言う、「あれは運だ」。

「わたしのやり方はプレーオフには通用しない。わたしの任務は、チームをプレーオフまで連れてくることなんだ。そのあとどうなるかは、たんなる運だ」 (第12章「ひらめきを乗せた船」)

短期決戦なので、ビリーの理論からすればまったくその通りなのだが、しかし、それはビリーがかつてあざ笑い、球団から一掃した、経験と勘に頼った古くさいスカウトたちが常日頃言っていたことでもあった。彼らも言っていた。「選んだ素質ある選手たちが最終的に活躍するかどうかは運だ」と。それに対してビリーたちは、それがそうではないことを直感し、実践し、実績をもって証明した。

ビリーやポールは、ドラフト会議を博打だとはもはや考えていない。ふたり並んでブラックジャックのテーブルにすわり、隠し持った機械にカードの動きを記録している。そうすれば親のディーラーにも勝てると信じている。カジノを乗っ取ることだってできるかも...。 (第5章「ジェレミー・ブラウン狂想曲」)

われわれは自分の知恵が及ばない、それでは制御できない出来事の起き方を「運」と呼ぶ。ビリーがクビにしたスカウトたちは、ドラフトで採用した選手たちが活躍するかどうかは「運」だったが、ビリーにとってはそうではなかった。そのビリーにとっても、プレーオフでのチームの成績は「運」だった。それはほんとうに「運」、つまり誰にとっても、また永遠に見極めのつかないことなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。ビリーの理論からをもってしてもそれは「運」だが、別の切り口、別の「KPI」をまた見つければ、そうでないのかもしれない。ビリーたちがリーグ戦についてそれを塗り替えたように、誰かがそれを知識の七色の輝きで塗り替えるまでは、それは不可思議で不可侵な超然たる「運」のままであり続ける。

このようにリエンジニアリングはなかなか成功しないのだが、一方でリエンジニアリングはリスクの大きい試みではない。一見矛盾しているように見えるが、実はまったく矛盾ではない。ルーレットとチェスの違いを考えてみよう。ルーレットはリスクが大きく、チェスは小さい。たとえプレーヤーがルーレットと同じくらい何回もチェスで負けたとしてもである。ルーレットは純粋に偶然のゲームである。一度コインを置いたら、プレーヤーは結果をコントロールすることはできない。これに対してチェスでは、偶然は結果に対して何の影響も与えない。より上手なプレーヤーは勝利を期待できる。勝負は、能力と戦略に左右されるのである。(第14章 リエンジニアリングを成功させる)


「運」はわれわれの無知のありか、知識のフロンティア(最前線)を指し示している。ほら、ここに格好の題材があるぞ、ここに釣り糸を垂れて、よく研究しろよ、という場所を教えてくれる、貴重な標識といえる。そして「運」という言葉で恐懼してそれをただ取り囲む者たちは、ある日そこにずかずかと踏み込んできて、鍵穴にぴったりの鍵でそれをいきなりこじ開ける若き王がやってくるその日まで、神聖な存在としてそれを大切に祀(まつ)り、守護しているのである。


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2012/03/25 | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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