「屍姫」最終巻

以前取り上げた「屍姫」の完結巻が出ていたので観た。

付録で番外編が一話付属しているが(第26話「それでも、人として」)、尻切れの観があった結話の補遺ではなく、前回触れた屍姫「瑠翁水薙生」と契約僧「伊佐木修二」の途中挿話の部分の外伝になっていたのでびっくりした。この編は印象深いものがあったと書いたけれども、製作の内外でも同じ反響があったのだろうか。

そしてこの番外編の出来がとてもよい。特に脚本が、本編で欠け削れていた破片にぴったり嵌まるように巧みに彫琢されているうえに、今までちょっと覚えのないような複雑で奥の深いプロットになっていて、たいへんに驚き、また深く揺り動かされた。これは誰が書いたのか。

それは、生きながらに何のゆえかもわからぬ罰を受け続け、死してさえも緩められず許されずなお焼かれ続ける、どこまでも幸薄い女性と、功を逸るもののそれに見合う徳がなく憤懣にもだえて鬱屈する、しがない修行僧の凸凹コンビの、まるで調子の合わない二人三脚の物語である。

本編の中で僧はいかにもそれらしい、みっともなく、情けない死に方で死に、それによって彼女の無限連環の煉獄もいきなり引きちぎられて終わりをむかえるが、僧との縁(えにし)の絶たれたまさにその最後の悶絶の苦痛こそが、彼女がおそらく生涯ずっと求めていたであろうものがそこにいつのまにか確かにあったことを何より明らかに告げ知らせ、だからこそ終の住処として安らかにそれに殉じることを選ばせる。

まるでその無残な苦しみと結末こそが、かつて情人を殺し自分を殺し直してすら相手に自らを谺(こだま)させ、寄り添わせることができなかった彼女にとって最後の最後に下賜された、なにより得がたい慰めであり、赦(ゆる)しであるかのように。

かたや僧にとっても、仮に彼女がいなくてもその性からいずれ同じような結末になったであろう男が、そのような自分であるままで、一人の不幸な魂の欠けたるを充たすべく引き合わされ、それによって自分で気づくこともないままに寵せられ、光の中に祝福されている。

この作品では仏教がひとつの下敷きになっているけれども、仏教における、残忍さと区別がつかないような底の知れない、超越者の深い慈愛というのはこういうものをいうのだろうか。


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むらた雅彦
キングレコード




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2009/12/02 | TrackBack(0) | 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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